4.誰もがココロに抱えてる

「ぬおぉ。一体、何があったんだ」


 翌日。篤騎は朝の教室に入るや否や、奇妙な光景を目にすることとなった。

 昨日まではほとんど喋ったこともなかったはずの帆波と羽矢音が、どういうわけか賑やかに会話をしている。もっとも賑やかなのは羽矢音だけで、帆波は穏やかな表情で相づちを打っているだけのようだ。

 片方がほとんど喋っていないというのに、もう片方のトークは楽しげで尽きる気配が無い。明朗快活な羽矢音らしいとは思うが、そのノリに帆波がついていけているのは意外だった。

 気兼ねすることもなく、二人の傍に近付いていく。


「よう」

「おはよう」

「あ、おはよーあっきん! 今ちょうど盛り上がってきたとこでさ――」


 羽矢音は矢継ぎ早に言葉を紡いでいった。昨日の篤騎の話を聞いてから、帆波に声を掛けてみようと決めていたこと。最初は近付き難かったものの、いざ話してみると不思議と波長が合ったこと。お互い、篤騎とはどんな関係なのかということ。――まるで鉄砲玉のような勢いだ。


「いやー、あんた達って意外と付き合い長かったんだ。小学生からの縁とは……あたしがあっきんと会ったのは去年だもんねぇ」

「お前、なんか近所のおばちゃんみたいじゃねぇか」

「どういう意味だよう」

「……会話のテンポが独特、ってことかな」


 帆波のツッコミに軽く驚き、「まぢかー」と顎に手を添えて首を傾げる羽矢音。その妙に真面目な仕草がおかしくて、篤騎は吹き出してしまった。

 この三人で会話するのは初めてだが、まるで何年来の友人同士であるかのような居心地の良さがあった。ウマが合う、とはまさにこういうことなのだろう。

 そうそう、と羽矢音が何かを思い出したように手を叩いた。


「キミ達のクローバー探しの件だけど」

「……達?」

「そう、たちたち」

「何だ?」


 露骨に顔をしかめる帆波を軽くスルーし、羽矢音は続けた。


「放課後に集まってさ、探してみない? 学校の周り。今日も雪降らないっぽいし。あたし今日は部活休みだからさ、ちょうどいいんだよね」

「そいつはいい! ってか俺も考えてたんだけどな、マジで。帆波がやる気出してくれるんなら、すぐにでもそうするつもりだったさ」

「うんうん、さすが発案者。良い心がけだねぇ。とゆーわけで帆波ちん!」


 ちん。羽矢音はギュッと帆波の両手を掴んで自分の胸に当てた。


「クリスマスもまだまだ遠いし、最近イベントらしいイベントも無いしさー。ね? ね?」

「そ、そう言われても……」


 むにむに。

 母性を思わせるふくらみかけの感触に両手を当てられ、帆波は赤面して顔を逸らした。


「そもそも見つけたからって、何がどうなるって言うのよ。高校生にもなって、そんな」

「それは俺が追々説明する。今は、その、言い出しづらいっていうか」

「え?」

「ふーん」


 何かを悟ったような素振りをして、羽矢音はにんまりと意味深に笑う。

 こういう顔をした時の羽矢音は侮れない、と篤騎は警戒心を働かせた。女の勘、いや、彼女の場合は野性の勘と言うべきだろうか。雲間に光を当てるように、隠した心を鋭く見透かしてしまうことがある。

 帆波も何となくそれを察したようで、クールな表情に僅かな不安の色が差しているように見える。


「ま、いいや。ホームルーム終わったらさ、早速外行こっか!」

「おう、異議無し! どうだ、帆波?」

「……もう好きにして」


 さすがに羽矢音の喋りについていくのも疲れたのか、帆波はぐてっとした様子で答える。

 どうやら、今日の午後は退屈しなくて済みそうだ。 




 冬特有の早い夕焼けが近づいてくる時間帯、最後のホームルームを終えるとようやく放課。篤騎はさっさと帰り支度をすると、男子の友人達へ先に帰る旨を伝え、帆波と羽矢音を伴って教室を出て行った。背中に突き刺さる嫉妬と疑惑の視線が痛かったのは、言うまでもない。

 学校の外は一面の銀世界――とは、お世辞にも言えない。夜通し降り続けていたわけではないので、学校周辺の雪はほとんど溶けて消えてしまっていた。

 そんな中、三人は体育館の裏手に集まった。


「じゃ、最低でも俺と帆波は二手に分かれる。羽矢音はどうする?」

「んー……」

「わたしは一人でいい。羽矢音ちゃんは、篤騎を手伝ってあげて」


 えっ、と軽く驚く篤騎と羽矢音を尻目に、帆波はその場を去って行った。有無を言わさぬ口調と迷い無く歩いていく後ろ姿、それらに言い返す言葉が咄嗟に見つからず、残された二人は互いに顔を見合わせた。


「……行くか」

「そだね。帆波ちんがそう言うなら」


 後ろ手に指を組み、羽矢音はニヒヒと怪しげな笑いを浮かべる。何かと思えばクルッと振り向き、帆波とは反対方向へ向けて意気揚々と歩き出した。妙に嬉しそうなその様子を訝しみつつ、篤騎もその後に続く。

 それにしても、と篤騎は思う。いざ『クローバー探し』を発案したはいいが、実際のところ、冬場に一つの草花を見つけるなど至難だろう。ましてやそれが珍しい四つ葉のクローバー。帆波レベルの幸運でもあれば話は別かもしれないが、一高校生が見つけられるものだろうか。


「さてさて、大変な勝負を吹っ掛けたもんだねー、あっきん?」


 まさしく羽矢音の言う通りだった。軽い口調で言ってこそいるが、この『勝負』がどれほど難しいことか、それを理解できない彼女ではない。


「あぁ。……つーか、今のところはただ空しいだけだな。実際に始めてみれば何かが変わるんじゃないかとか、そう思ったんだけど」


 何か、とはもちろん帆波のことだ。帆波は自分の体質を頼みにしてまで、この勝負に乗ろうという気は未だ無いらしい。もっとも、大抵ローテンションな彼女のこと。何か勝負事を提案した時はいつもこうだった。

 あえて口にしなかったはずの幼なじみの名が、胸中では不思議と反響する。

 所在なさげに足下を見ていた視線の先に、ふと羽矢音のつま先が映った。立ち止まり、顔を上げる。


「色々、話したんだよ。帆波ちんと」

「あぁ」

「帆波ちん、言ってたよ。キミは一番仲が良い男友達だって」

「そりゃ光栄」

「……すごく、楽しそうに言ってたんだよ? 表情は変わらなくても、口調で分かるんだ。少し言葉数が多くなってさ。あっきんって、帆波ちんがそんなこと言う顔、すぐに想像できる?」


 羽矢音は真顔で告げる。普段のおちゃらけた様子がなりを潜めた、真摯な口調だった。予想外な言葉に胸を衝かれ、篤騎は返す言葉を見つけられなかった。

 ――例えば、幸福のままに心の底から見せる笑顔。帆波のそれを最後に見たのは、いつだったか。


「他にデリケートなことは、さすがに聞けなかったけどね。あ、あたしってばチャランポランな自覚はそこそこあるけどさ、これでも結構気は使ってるつもりだよ。人間、踏み込んじゃいけない場所ってあるしね」


 頬をかき、照れ臭そうに言う羽矢音。

 篤騎はその顔をどうしても直視できなかった。


(……こいつになら)


 言ってもいいのだろうか。傍から見ればくだらないとも思えるこの勝負に込めた自分の気持ちを、帆波よりも先に。そんな考えがふっと過ぎる。全てを聞いても、笑いながら何かアドバイスをくれるだろうか?


「気になること、てんこ盛りだよ。なーんで帆波ちんは笑わないのか。あっきんの勝負を受けたがらない理由は何か。――『幸運』って言葉に、どうして嫌悪感を持っているのか」


 ――もうそこまで気付いているのか。

 篤騎が悩んでいる内に、また羽矢音はその表情をコロコロと変える。


「あっきんも色々考えてることあると思うけど、今はまだ、あたしには言わないで。あたしは後ろからそっと見てるだけ。あっきんのためにも、帆波ちんのためにも」

「……ありがとな」

「うむ、いいってことよっ」


 えっへんと胸を張る羽矢音。

 今度は口を尖らせ、辺りをきょろきょろと見渡し始める。 


「しっかしまぁ、見つかんないねー」

「そうだな。まぁ、冬いっぱい使ってでも見つけるつもりだから。一日、二日で終わるとは思ってねぇよ」

「へへー。冬でも熱い男だねー、あっきんは」

「おう。頭はバカでもハートは熱くなきゃ、人生やってらんねぇだろ?」


 こんな空元気も彼女には見透かされてしまうに違いない。それでも篤騎は虚勢を張り、場を明るく繕おうとする。羽矢音には、きっと太陽みたいに笑っている方が似合うと思ったから。


「あちらさんはどうでしょねー。まさか家に帰ってたりして。ほら、かくれんぼで鬼が先に飽きて帰っちゃう的なやつ」

「いくら何でもそれはショックすぎるぞ。うし、様子見に行くか」

「あ、対戦者さんはダメダメ。中立のあたしが行くよ」

 めっ、と子供に言いつける母親のように人差し指を立て、羽矢音は篤騎の動きを制した。

「じゃあね。また後でー」

「また後でな」


 互いに軽く手を振ると、羽矢音は帆波が向かった方に駆けていった。彼女は短距離走者だ。本気で走れば速さはあの比ではないだろうが、どこか歩調に楽しげな感じが見え隠れしている。

 篤騎は一人になり、うーんと伸びをした。

 雪が降ると自然の音が小さくなるというが、降り積もっているわけでもなし、やんでいる今は関係の無いことだろう。にも関わらず急に静かになったような気がするのは、それだけ羽矢音がお騒がせ娘だということに他ならない。

 そんな彼女だから、帆波の心の扉をこじ開けられたのだろう。篤騎はなんとなく、閉じこもった神様に対し愉快な裸踊りで興味を惹かせる神話を思い出した。

 歩きながらも逡巡は続く。

 学校での昼食も全て独りで済ませ、クラスメイトの女子とすらロクに会話を交わさない帆波。テストで良い点を取れて、道で転んで怪我をしないからといって――果たして、それを『幸福』だと素直に呼べるのだろうか。幸せの定義や閾値は人それぞれだとしても、だ。

 段々と、帆波は変わってしまったのだ。大声で笑わなくなった。篤騎は――それが、たまらなく嫌だった。


(……行こう)


 もう一度自分に言い聞かせ、再び歩こうと足に力を込める。

 マナーモードにしていたスマホが震えたのは、その時だった。取り出して画面を確認し、篤騎は顔をしかめた。


(何だ?)


 インスタントメッセンジャーが起動している。送信相手は羽矢音から。きらきらした絵文字をふんだんに使い、ごめんねとかわいくお辞儀するリスのスタンプまで添えられた内容は――


『ごめんね、あっきん! あたし、今日は帆波ちんと話したいことができちゃった。途中まで一緒に帰るから、悪いけど一人で下校してくれないかな。クローバー探しも頑張ってね。じゃ、そーゆーことでっ!』


 まるで本人が目の前にいると錯覚してしまう、目が滑りそうな文面。それを静々と読み終え、スマホをポケットにしまう。


「……女子ってのは、唐突な生物だな」


 利いた風な寂しい男の呟きは、白い息と共に虚空へ消えていく。


 ――帆波と羽矢音が交通事故に遭ったと聞いたのは、翌日のことだった。

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