3.少女達の下校

 篤騎がクローバー探しを宣言した、その日のこと。


「椿澤さーん」

「……?」


 帆波は篤騎と別れ、家路を歩いていた。そこで誰かから唐突に呼び止められ、彼女は振り返る。

 ショートヘアの女子が元気に走り寄ってくる。クリーム色の防寒コートを着たその姿は、クラスメイトの円 羽矢音だった。


「円、さん?」

「そそ。日本円の『えん』って書いて『つぶら』だよ。ごめんね、いきなり」

「えと……何か御用?」


 帆波にとっては、あまり話したことのない相手だ。もっとも、それは今のクラスメイト全員に当てはまることでもあるが。

 戸惑い、できれば早く済ませてほしいと億劫そうにする帆波。しかし羽矢音は構わず親しげに話しかけてくる。


「あたし、あっきんと……あ、篤騎のことね。今日の昼休みに椿澤さんの話になってさ」

「うん」

「色々と気になることもあって。で、そういえば、あたし椿澤さんと話したことってあんまりないなぁ、って気付いたの。これを機にってことで、思い切って話しかけてみたんだよね」


 そんな軽い理由で、大して親しくもない相手にいきなり声を。帆波には到底理解できない思考回路だったが、目の前に立つ少女のあまり頭の良くなさそうな笑顔を見ると、さもありなんと思えた。


「あたしの家も向こうだから、しばらく一緒に歩こうよ。……そんでさ、四つ葉のクローバー? 何だか面白そうだよね」

「もう知ってるのね」

「うん。あっきんが言ってたけど、『どっちが先に見つけるか対決』って。盛り上がってたよー、あいつ」

「……」


 なんとも耳が早いことだ。帆波はその事実を知って薄いため息をつき、少しだけ歩くペースを速めた。羽矢音も気付かないはずはないが、それでも尚、何も言わずそれに合わせる。


「ありゃま。あんまり楽しくなさそうだね」

「……正直、ね」

「ふーん。ま、深い理由があるなら詮索しないけどさ」


 なら何でわざわざ話しかけてきた。

 帆波は最初そう考え、すぐに打ち消した。おそらく彼女は、篤騎と仲の良い女である自分がどんな人物なのか気になった、本当にその程度の興味で話しかけてきたのだ。

 思えば、無神経に理由を聞かれるより、何も言わないでくれる方がよっぽどありがたい。それくらい軽い方が、人付き合いもあっさりして良いというものだ。


「イヤじゃなければ、何か話さない?」


 帆波は、たった二人ぼっちだった。去年から人を避けるようになって、しかし一人きりにはなれず――いつまでも自分に関わり続けてくれた、幼なじみの少年がいた。

 そして、羽矢音。彼女は彼とは違う。なのに、その口振りはどこか心地良かった。ふかふかの布団に思わず身体を預けてみたくなるような、そんな不思議な引力があった。子供っぽい無邪気な笑顔に、それがふっくらと現れている。


「そだねー……例えば、あっきんのことどう思ってる?」

「!」


 グサリ、と胸に刃の刺さる錯覚。帆波は不自然に足を止め、少しだけ俯いた。

 およ? と言い、羽矢音は目を丸くする。


「あれれ。もしや、いわゆる一つのクリティカルヒット?」

「そんなんじゃないもん」


 帆波は胸元を右手でギュッと抑えながら、足早に歩き出した。口を真一文字に紡ぎ、降る雪も避けて通るような強張った面持ちだ。

 あまりにも分かりやすすぎる反応に、羽矢音はぽかんと口を開けてしまう。ややあって堰を切ったように笑いが漏れ、ぽんぽんと帆波の肩を叩く。


「いい男だもんね、あっきん。お馬鹿だけど何気に気配り上手いし、ツッコミのキレもいいし。あたしも好きだよ」

「……『も』って何よ、『も』って」

「あはは、強がっちゃって。かわいいなぁ」

「知らないっ」


 キッとした鋭い目で一睨みし、帆波はツンとして顔を逸らした。熟れたトマトのような顔色は隠し果せるはずもなく、ほのかな怒気と羞恥を如実に示している。


「ね、ここで一つお願いなんだけど。名前で呼んでもいいかな」

「……」

「ごめんごめん、さすがに色々言いすぎたね。怒らないでくれると嬉しいな」

「……篤騎は」


 ほへ? と羽矢音。

 歩調を徐々に緩め、帆波は続けた。


「アタマ悪いし、運動もそこそこだし、言うこといちいちガキっぽいし、イビキもうるさいし」


 浮かんでは消えてゆく泡沫のような景色。止め処ない滑らかな語り口は、唇にロウを引いたよう。

 その表情もまた、本人の無意識の内に、微笑に変わっていた。


「でも、ほっとけない?」

「……そうなのかも」


 そしてその中に、四つ葉のクローバーの記憶が新たに刻まれようとしている。

 ――出来れば、思い出したくなかった。


「ふっふっふ。詳しいことは道々聞かせてーってうぉいっ!?」

「あっ!」


 羽矢音は呑気に軽くスキップをしようとしたところで足を滑らせ、辛うじて帆波に後ろから支えられた。

 帆波の胸に羽矢音の頭部が当たる形となる。


「ん? ……んんんんん!?」

 そこでふと気付く。助かったよ、とお礼を言う前にすかさず羽矢音は体制を立て直し――

「ひゃんっ」


 両手で、遠慮なく、思いっきり、力強く――帆波の胸を揉みしだく。

 一揉み。二揉み。むにむに。

 羽矢音の顔が驚愕に、帆波の顔が真っ赤に染まる。

 そして。


「で、デカメロン伝説!」

「……エロオヤジかっ!」


 あまりに貴重すぎる帆波のツッコミが冴えた。

 二人の叫びが近所を微妙に騒がせたのは、ここだけの話。

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