2.運が良いってなんだろう
下校時間になると、すでに雪は止んでいた。積雪は薄く、長靴や雪かきを要するほどでもない。
部活に入っていない生徒達はこぞって帰路についており、篤騎もまたその一人だった。道端を熱心に見下ろしたまま、薄く雪の積もった道を歩いていく。何かを探しているようだが、傍から見るとどうにも怪しい動きだった。
そんな彼に、後ろから声が掛かる。
「……篤騎」
「ん? あぁ、帆波。もうとっくに帰ったと思ってたわ」
「まさかとは思うけど、本当に探してるの?」
振り返った先にいた帆波に、篤騎は気さくに笑いかけた。帰り道が途中まで一緒なのだから、同じ帰宅部同士、帰る時間が重なれば当然並んで歩く恰好になる。
やや大人びて整った帆波の顔立ちは、寄せられた眉根でその魅力を損ねている。見ようによっては、相手を蔑んでいるようにさえ見えるだろう。その手の趣味がある人間でもなければ、思わずムッとするところだ。
しかし篤騎は大して気にせず、視線を再び地面に向け、行く先に目を光らせながら進んでいく。帆波もその左隣に並んでついていった。
「探してるさ。四つ葉のクローバー。花が咲く時期は冬以外の多年草。花の色はまさに色々。四つ葉は幸運の象徴だけど、実は何十枚も葉をつけることさえある不思議な植物」
「呆れたわ。本当に見つかると思ってる?」
図書館やネットで手に入れた知識を語る篤騎に対し、彼女は額に手を当てて薄いため息をついた。
「そりゃ、見つかるまで探すからな」
「わたしは勝負なんてしないからね。あれはそっちが一方的に決めたことじゃない」
「うーん。それが一番ネックなん、って、ちょ、ぬおっ!!」
篤騎は派手に足を滑らせ、芸人のコントもかくやと言わんばかりの尻もちをついた。
隣にいた帆波は笑いもせず、道を薄く覆う雪を足でどかした。見れば篤騎が足をついた位置が凍って滑りやすくなっており、ちょうど帆波の手前で途切れている。彼女は運が良かった、と言うべきだろうか。
雪国の人間だから雪道に慣れているというのも、慢心を思えば危険なものだ。老若男女問わず、この時期は転倒による怪我で病院に運ばれる者も少なくない。
「いってぇ……」
「芸人的には美味しいじゃない。今のずっこけっぷり」
「誰が芸人か! ったく、本当にお前はこうう――」
幸運、と言おうとして篤騎は無理やり言葉を濁した。
帆波は特に気にした様子もなく、篤騎が尻もちから立ち上がるのを待った。その全く変わらない表情が、篤騎にとっては辛かった。
「……行くか」
「うん」
そこで言葉は途切れた。
――幸運。椿澤帆波という少女のパーソナリティを説明するのに、この言葉を使わないのは不可能に近いと言って良い。
「……今日の英語の小テスト、お前どうだった?」
「勉強するの忘れてて。休み時間に教科書を眺めてたら、そこがちょうど」
「そっか。俺は惨敗だったぜ。いんだよ、俺は体が資本ってのが座右の銘だからな。気にしてねぇ」
「残念だったね。まぁ、次もあるからね」
「おう。転んだら倍の力で起き上がってやるさ」
篤騎は、帆波の穏やかなフォローを受け入れる。しかし、それ以上の会話は続かなかった。
テストでヤマを張れば当て、じゃんけんをすれば必ず勝ち、転ぶはずの場所で何故か転ばない。
帆波はそんな『幸運体質』の持ち主だった。一度や二度なら偶然でも、十六年の人生通してこれでは、そんな不可思議も有り得るのではと思わされるのも無理は無い。絶えず流れる大河のように、プラスの運気は途絶えることなく。先刻の篤騎の転倒とて、ちょっと立ち位置が違えば転んでいたのは帆波だったはずなのに。
ふわふわした雪の感触を靴越しに感じながら、篤騎はそのことを改めて認識する。そんな幸運を持っていながら、今もクールなすまし顔で隣を行く帆波の存在をも。
会話がないままに、しばらく歩き続ける。冬の大気はどこまでも澄みわたっているのに、自分達の周りだけ淀んでいるような――篤騎はそんな気がしてならなかった。
埒が明かない。言い様のないモヤモヤを吐き出すように、篤騎は声を上げた。
「あぁぁ! ぜってぇに見つけんぞ、四つ葉のクローバー」
「……そう。頑張ってね」
「お前もだよ! 俺、この手の勝負はずっと負けっ放しだもんな……せめて今年中に、お前相手に一勝あげてやる。いいか、やる気のないお前に勝っても仕方ないだろ?」
「わたしは――」
帆波が何かを言い掛けたところで、二人は岐路に辿り着いたことに気付く。ここからはお互い進行方向が違う。
かぶりを振って出掛かった言葉を押し戻し、帆波は優しげに微笑んだ。
「じゃあね、篤騎。また明日」
「あぁ。絶対に気合入れてもらうぞ! 明日こそはな!」
篤騎の最後の呼び掛けには明確に答えず、帆波は家路についた。
その後ろ姿をしばらく見送り、やがて篤騎も動き出す。
(俺、空回ってばっかじゃね?)
こごったようなため息を一つ。白いそれは空気の澄み切った冬空へと昇り、霧散していった。
この勝負は何としても勝たなければならないと、篤騎は確信していた。そうでなければ、彼女の幸運がもたらす結果に新たな一ページを付け加えるだけになってしまう。
帆波には幼い頃から、一度たりとも運絡みの勝負事に勝てたことがない――男の矜持が、そのことに対して黙っていられるはずもない。決意は固かった。
まずは彼女を本気にさせよう。そのことを考えながら、篤騎は帰路を急いだ。
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