★拝啓 闇の中から外法が見えた(Cパート)

 帝都イヴァン中央地区、憲兵団本部にて。

 ドモンはぶらぶらと見回りを終え、自分のデスクに戻り、椅子に腰を下ろした。隣に目をやるが、後輩のジョニーは真面目に日誌をつけており、羽ペンを自在に走らせていた。金髪をオールバックに撫で付け、眉を剃り落とした顔は明らかに強面であるが、こう見えて気のいい男である。


「おつかれっす、先輩」


「や、どうも。どうです、進んでますか」


 咳き込むドモンに表情をしかめながら、ジョニーは羽ペンを握る手を止めた。


「日誌もそうですけど、書類が多くて困ってるんすよ。なんなんすかね。前はこんなバカみたいに報告書書かなくても良かったはずなんすけどね。つーかどしたんすか先輩。風邪っすか」


 ドモンは苦戦する後輩を尻目に、山積みの書類をかき分け、マグカップを見つけた。


「ええ、まあ……そうだ、薬飲まなくちゃいけないんですよ」


 剣をベルトから外し、デスクに立てかけても、一息つく暇もない。はやくとりかからねば、ジョニーより遅く帰る羽目になるだろう。仕方なく、まずマグカップを握りしめ、立ち上がった矢先のことであった。


「ドモン君」


 振り向いた先に、その巨大な顔はあった。銀髪の流れるような長髪、怜悧な瞳。一見すれば美男とも見えるが、その下のたくましい顎の存在ですべて台無しとなっている。憲兵団の現場トップである、筆頭官吏・ヨゼフの顔がドモンの目に飛び込んできたのだった。


「コーヒーを飲むのかい」


「や、はい、あの……違うんッ……です。ごほ。どうも風邪をフッ! 引いた、ようでして。薬を……」


 ヨゼフは鋭く目を尖らせると一言「部屋に来なさい」と言い残し、返事も待たずに自分の執務室へと引っ込んでいく。猛烈に嫌な予感がした。ドモンの勤務態度は悪い。そうでなくともクビにならないのが不思議な程──もっとも、ドモン自身なぜかは分かっているのだが──ともかく、ヨゼフにはよく思われていないのは確かだ。


「先輩、頑張ってください」


 書類に目を落とし、無い眉を寄せながら、ジョニーは棒読みのエールと共に手を振った。ドモンは血が引きそうなのを何とかこらえながら、ふらふらと執務室へと入っていく。なんとも憂鬱だ。


「かけたまえ」


 粗末な椅子に腰を下ろすと、ヨゼフは銀髪をかき分け、大きくたくましい顎をさすってから、嫌そうに口を開いた。


「君の担当してる事件についてだが」


「あのう」


 ドモンはすかさず話を差し挟む。


「小官、何かいたしましたでしょうか……最近は品行方正に職務に専念しておるつもりッ……げほ……なのですが」


「あのね! いいかいドモン君。君の言い訳なんてのは聞きたくもないの。何度も言うようだけどね、こっちは今すぐにでもクビにしてやりたいくらいだよ。残念ながら僕にはその権限がないがね」


 ヨゼフはイラついているのか、デスクをとんとん指で叩きながら続けた。彼はドモンより4つ上、出世に貧欲で良くも悪くも自分の利益しか考えぬという、なんとも役人らしい役人だ。


「認めたくはないが、若手で優秀なのは軒並み騎士団や遊撃隊に異動希望さ。今の憲兵団じゃ、君みたいなのでも、それなりに経験積んでるって意味じゃ貴重なの。それ、もう少し君にも理解して欲しいんだけど。給料分働く。簡単だね。意味分かる?」


「……はい。げほ」


「よろしい。くれぐれも僕に迷惑をかけないようにね。で、君の担当地区での事件についてだけどね。ほら、路地裏で死んでたっていう」


 彼が言ってきたのは、つい昨日の晩に起こった事件であった。ありふれた事件。ヘイヴンの路地裏で何者かによって刺された女が、朝日が登ると共に見つかった。お陰でドモンはおかしくなった喉のまま、冷たい朝の街をかけずり回る羽目になったのだ。なんだか先ほどより気分が悪くなったような気すらする。


「あれならッ……げほ! あれなら駐屯兵を使って、身元を探らせていますッが……げほ! まあ、おっつけ見つかりますでしょう。なにせ、脱がせてみたら背中にびっしりと刺青が……」


「あれね。『皇帝殺し』だから。捜査中止だよ」


 皇帝殺し。これは、いわゆる『広義の意味での迷宮入り』を指す憲兵団での隠語である。かつての皇帝・アケガワケイが暗殺された際、五年に渡り大陸中で一斉捜査が行われたにも関わらず、手がかりも掴めなかった事から来ている。大抵は、誰かの差金だ。長く憲兵団に務めたドモンには、わかりすぎるほどわかりきった事実であった。


「はあ。ですが、あれほどの刺青ですよ。すぐ身元が……」


 ドモンは咳き込みながら、なんとか追いすがろうと試みる。何分、彼も憲兵官吏である。人並みに手柄が欲しいと思うし、何より妻のティナが手柄を気にするのだ。


「僕に、迷惑を、かけないでほしいんだ。意味分かる?」


 まるで罪人の首に剣を振り下ろすがごとく、ヨゼフはきっと睨みつけながら両断した。口を差し挟む余地は、どこにもない。ドモンは肩を落とし、げほげほいやみったらしく咳払いをしながら背中を向け、部屋を出ようとした。


「あっ、そうそう。ひと……ごほごほ! ひとつだけお聞きしたいんですが」


「何。というか君、大丈夫なのかい」


「だい……げほげほ! 大丈夫です。ええ。薬飲みますから。一体、誰から捜査の差し止めが」


 ヨゼフは間髪をいれずに言葉を投げつけた。


「言えるわけ無いだろ。君も探らないことだよ。僕らも何か言われたら、そうですかと飲み込まなきゃならないことくらいいくらでもあるさ。君も割りきりなさい。行ってよし」





 トリシャの容態は明らかに急変していた。

 土気色の肌のまま、か細く苦しそうに荒い呼吸を繰り返す彼女を、レドは壁の側で見下ろしている。並んでいた患者は既に帰り、処置室に立ち尽くすばかりのヨウロフの小さな背中だけがあった。


「若いの、付きあわせて悪かったな」


「いえ。……何もできませんが」


 ヨウロフの言葉には力がなかった。彼はゆっくりと診察用の椅子に腰掛け、力いっぱい自分の膝を叩く。彼には分かっている。自分にできることは何も無いことを。同じく見守ることしか出来ないレドには、それがよくわかった。


「先生。俺には医術なんてものはわかりません。でも、何か彼女にできることはないんですか」


 レドは静かに聞いた。ヨウロフはしばらくその問に答えなかった。なぜ何もしないのか。なぜ何も語らないのか。レドには分からなかった。彼は医者である。医者ならば自分の技術をもって、娘を救うべきではないのか。


「……若いの。おれは昔、魔法の研究をしていた」


「魔法?」


「そうだ。人を殺すための魔法だ。戦争のために、新しい魔法をいくらも研究した。おれの作った魔法で、戦争で、たくさんの人間が死んだ」


 相槌はしなかった。この大陸では、何十年も絶え間ない戦争をしていた。ほんの二十数年前の話だ。ヨウロフの言葉の意図することを、レドには半分も理解できぬだろう。彼の苦しみ、悲しみ──。レドは苦しむトリシャの姿を見る。彼女の苦しみは、ヨウロフの苦しみなのだ。二人の間に、単なる通りすがりのレドが入っていけるはずもない。


「この蝶の痣はな……呪いなのだ。時間はかかるが、術者は相手に顔を見せること無く、呪いを完成させられる。トリシャは、呪いをかけられたのだ」


「……なぜ、そのようなことが分かるんです」


「決まっている。おれがこの呪いを研究していたからだ。だが、時間がかかりすぎると言われてな。結局研究は放棄され、俺はお役御免となった」


 ヨウロフはトリシャの髪を撫でる。髪が触れただけで、びくりと身体を震わす娘を見下ろす目には涙が溜まっていた。


「おれは、そういう人間だ。医者は人体を知り尽くしていると思いあがり、人の命を奪う研究を続けてきた。その報いがいまここで来るとは思わなかった……。それも、おれの、娘に」


 背中が震えていた。レドはその背中をしばらく見つめていたが、小さく礼をして処置室を後にした。自分にできることは、何もない。そう判断したからこそであった。

 病院の玄関をくぐり外に出ようとした時、レドとすれ違う者があった。黄昏色の長髪、整った顔立ちに淫靡な笑み。女ではない。黒いローブを揺らしながら、その男はずかずかと病院へ、処置室へと入り込んでゆく。


「邪魔しますよォ」


 ヨウロフは振り返らなかった。代わりに、彼の何かを感じ取ったのか、まるで刺すような返事を投げつけてみせた。


「誰だ、おまえは」


「いやァ、先生のご高名はかねがね。おれも医者でしてねェ、トワイライトというもんです」


 彼はにやりと笑みを浮かべたまま、右手を差し出した。袖から覗く、緻密な刺青。レドはその精密な刺青に目を見張る。異常とでも言うべき緻密さだ。そんな右手を、ヨウロフは見もしなかった。


「……あんたの噂は耳にしている。大変な名医だそうだな」


「ヨウロフ先生にそう言われると、照れるなァ。……娘さん、一体どうなさったんですかァ」


 まるで愉快な予定でも聞き出すかのように、トワイライトは話しかけてみせた。笑っていた。自分自身も、楽しそうに。


「……すまんが、今は何も話す気になれん。帰ってくれんか」


「実は、先生のことは、帝国魔法科学研究所のロード教授から聞きましてねェ。ご存知でしょう。なにせ、戦時中は同僚だったんですってねェ」


 ヨウロフはがばと振り向く。淫靡な笑み。この世のものとも思われぬ、美しく邪悪な笑みが、目の前にあった。黒渦を巻いた瞳が、吸い込むようにこちらを見つめていた。


「お話しましょうよ、先生。おれと二人で。娘さんのためにも、ねェ」


 レドは未だ立ち尽くしていた。トワイライトが振り向き、黄昏色の瞳がレドを射抜いた。底知れぬ男だ。彼が処置室の扉を閉めたのと同時に、レドは背中を向け病院を去った。







「いや、助かりますよ。色街は男手が足りないから困ってるんです。じゃ、頼みましたよ」


 ジョウとアリエッタがやってきたのは、色街であった。娼館は何分、建物が古い。そして帝国の条例で、娼館は容易に建て替えできないようになっているのだ。面倒なことに、大工を使って修繕をすることすら、許可制なのだ。もちろん守るものなどいるはずもないが、それでも見つかれば重罪、ヘタすれば色街の存続も危うくなる。

 そこで、そこそこ大工仕事ができる大工には見えない者が色街では重宝される。それも口が固い者でないと話にならない。憲兵団にタレこまれたらおしまいだからだ。


「アリーは力持ちだからさ。この際なんでも任せてよ」


 古びた娼館の廊下で、ジョウは細い目をさらに細めながら、支配人に景気の良い言葉を伝えた。

 修道服のまま、はしごと木の板を担ぐアリエッタは不満気だ。確かに、ジョウからしてみれば良い『つなぎ』になるだろう。アリエッタは闇の世界の住人、口も固いし何より力持ちだ。適任なのは認めても、どうにも納得がいかなかった。


「ジョウ、あなたは何もしないのですか」


「しないよ。見てよ、この細腕。僕はね、口先で勝負してるの。これでいくらになるか分かる? 銀貨五枚だよ。君の取り分はその半分、十分じゃない」


 アリエッタは不満なまま金槌で釘を打ち付ける。甲高い音が響き、あまりの力に一発で釘が限界まで押し込まれ、板が砕けて落下、ジョウの頭にぶつかる!


「ちょっと! 気をつけてよ! 労働災害だよこれ!」


「神の怒りです。私のせいではありません」


 涙を拭い、頭を擦りながらわあわあ叫ぶジョウを気にせず、アリエッタは新しい板を取り、古くなった板と交換すると、釘で今度は力加減しながら丁寧に釘を打ち付けてゆく。その時であった。


「やめて下さい! もうたくさんです!」


 突然、部屋の扉が勢いよく開き、シーツを掻き抱いた若い女が転がるように飛び出してくる。ジョウは彼女の後ろ姿を見る。女の背には、まるで絵でも背負っているのではないかと見紛うほどの、緻密な刺青。


「待てい!」


 今度は、ジャケットを脱いだばかりと思われる、大柄な白髪交じりの男。手にはなんと剣の鞘を握っている。アリエッタはゆっくりとはしごを降り、男の道を塞いだ。彼女は神に仕える者である。困った者は見過ごせない。くすんだ青い前髪の下の瞳は、怒りで燃えていることだろう。


「何だ貴様は。シスターの癖にこのわしの邪魔をするか! どけい!」


 男は問答無用で剣を抜いた。アリエッタはさすがにたじろぎ、後ずさる。ジョウもアリエッタも、叩けば埃が出る人間だ。まさか娼館の中で暴れるわけにも行かない。


「アリー、ダメだ」


 ジョウもすかさず小さく言葉を挟んだ。彼女の動揺を感じ取ったのか、男は構わずアリエッタに肩をぶつけて押し通る。


「わしから逃げるとどうなるか、じっくりとお前の身体に教えこんでやる。フフフ、来い!」


 男は緻密極まる刺青の入った女の背中を撫で、強引に手を引き部屋に連れ込む! 女は抵抗し、大声を上げ叫んだ!


「やめて! こんなこと……こんなこと聞いていません!」


「黙れい! お前の父親も良いと言ったのだろう。何より、トワイライトが認めておるわ。命惜しくば、いうことを聞いていればいいのだ!」


 絶望の声を残しながら、扉が閉まった。娼館の壁は厚く、容易なことでは中の声は聞こえない。二人は、その場に立ち尽くしたまましばらく動かずにいた。アリエッタは拳を固く握りしめたまま、ジョウに背中を向けた。彼には、アリエッタの気持ちがよく分かる。彼女は敬虔な教徒であり、あらゆる理不尽が許せない。怒りが収まらないのだ。


「アリー」


 ジョウは静かに彼女の名前を呟いた。少しだけ、彼女の拳から力が抜けたような気がした。聞き捨てならない名前であった。トワイライト。彼が許しを出したことで、あの女は酷い目にあわされている。


「なんか……見えてきたような気がするよ」


「見えてきた?」


 アリエッタの声は据わっていた。ジョウはそんな彼女にうなずき、踵を返して歩き始めた。確かめたいことは山ほどある。


「アリー、これは『断罪』になるよ」

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