★拝啓 闇の中から外法が見えた(Bパート)



「それじゃ、何ですか。今回の断罪対象ってのは、誰なのか割れてんですか」


 ドモンは痰の絡む喉を、咳払いでごまかしながら言った。傍らには、ベルトから外した大小二本の剣がたてかけてある。


 断罪。人々が抱えて涙を呑むばかりの恨みを、金でもって晴らすという裏稼業を差す言葉である。

 ボロ布をちくちくとカーテンに仕立て上げながら、シスター・アリエッタは頷く。くすんだ青い前髪で覆われた目元は窺い知れない。長身ながら手先は器用らしく、まるでボロ布は見違えるように布としての本分を取り戻していく。彼女の胸は豊満であった。


「ジョウのところに、身辺捜査の依頼があったそうです。……相手は、イヴァンで流行りの名医と噂されている、トワイライトという男です」


 イヴァン南西地区にある、古びて崩れかけの遺跡めいた状態と化した教会。今は、アリエッタが勝手に住み着いて整備を行っている。埃舞う教会の中、影の中から、同じ色の着流しを身につけた男がぬうと現れる。赤錆色の長い髪を後ろで束ね、鉄仮面のごとく無表情で冷たい目をした男だ。右手には、傘を杖のように携えている。


「相手が一人なら、俺一人で十分だ。そうだろう、二本差し」


「なんです、傘屋。あんたもいたんですか」


 ドモンはやはり咳払いを続けながら、赤錆色の髪の男──レドの冷たい瞳を見た。彼はまばたきも少ないその目で、ベンチに腰掛けたドモンを見つめながら続けた。


「俺は元々一人だ。相手も一人なら、俺だけで十分だと言っている」


「せっかちだなあ、レド。この話には、もう少し探らなきゃならない裏ってのがあるんだよ」


 蝶番を交換し、なんとか機能するようになった扉を押し開けながら、ハンチング帽を金髪に引っ掛けた背の低い青年が入ってきた。


「つなぎ屋。傘屋のいうことを繰り返すわけじゃありませんが、たかが医者でしょう。それほど、面倒な断罪じゃないと思いますがね」


 つなぎ屋と呼ばれた青年はハンチング帽を少し上げ、細い目を見せながら困ったように笑った。彼の職業はいわゆる何でも屋のような職業で『あらゆることをつなぐこと』が仕事だ。人探し、伝言、人出が足りなくなった時の手伝いなど──『つなぎ』の意味は多岐に渡る。


「たしかにそうなんだけどさ。巷じゃ『治癒師いらずの名医』だなんて評判なんだけど、どうにも黒い噂が耐えない。依頼人は、娘さんを治してもらったらしいんだけど。なんか妙なんだよ。金は取らずに、娘さんを貰ったらしいんだ」


 アリエッタはボロ布をベンチに置くと、そろそろとジョウに近づいていき、さり気なく彼のハンチング帽を取ると、わしゃわしゃと頭を撫で抱き寄せながら言った。彼女の癖のようなものだ。


「確かに治療の報酬としては妙ですが、独身ならばお嫁さんをもらうと考えられなくもないのでは」


「なら、それが八人目になったって言うなら?」


 八人。ドモンは口の中でつぶやくと顔を上げる。未だアリエッタに囚われたまま、ジョウの羽ペンで線を引いたような目からは表情は窺い知れない。ただ眉は困ったように下がっている。


「それに、中にはもう行方不明で姿も見てないって子が何人もいる。もしかしたら、八人以上巻き込まれた子がいるかもしれない。……旦那、お願いがあるんだ。憲兵団で、あの医師絡みの事件があるかどうか、調べてもらえないかな? 情報次第じゃ、断罪にしなくちゃならないかもしれないし」


「どうですかねえ。そもそも、断罪になるかどうか分からないんでしょう。あんたんとこに来た依頼も、元は身辺調査だっていうじゃありませんか。断罪ならともかく、あんたの仕事をタダで手伝うなんてのはねえ」


 ドモンは面倒くさそうに言う。元が自堕落で面倒くさがりなのだ。ジョウはため息をつくと、財布を見せ、中から金貨を数枚出し、ベンチに置いた。


「これ一応前金。十枚貰ってんだけど、四人で分けると金貨二枚と銀貨五枚でしょ? 有用な情報なら、買い取るからさ」


「下らねえ、俺は帰る。……殺しになるなら、言ってくれ」


 レドはもたれかかっていた柱から身を起こす。声をかけるジョウを見もしない。扉を開け、すうっと静かに出て行ってしまった。


「あの野郎、帰っちまいましたよ」


「仕方ないよ。レドは昔からああなんだってさ。一匹狼で協調性なくて。誰と組んでも長続きしないって、裏の業界じゃ有名だよ。ついたあだ名が一本傘」


「傘は大体一本でしょうに。上手くもなんともありゃしませんよ」


 ドモンは腰を起こし、立てかけていた二本の剣をベルトに差すと、教会の扉を押し開ける。薄暗い崩れかけの聖堂の中に、少しだけ光が差した。


「ともかく、金の準備はしておいてくださいよ」


 ドモンが出て行った後も、アリエッタはジョウを抱きとめたままであった。彼女は背が高い。ジョウと比べると大人と子供の如き差がある。容易に振りほどけるものではない。


「……そろそろ離してくんない、アリー」


「嫌です」


「仕事あるんだよ。っていうか君にも手伝ってもらわなくちゃならないの。言ったでしょ、ちょうどいい『つなぎ』があるって」


 アリエッタは渋々といった様子で、ようやく彼を離した。彼女はシスターであるが、所属している教会や孤児院もなく、この廃教会に勝手に住み着いている単なる無職だ。断罪の金だけでは──彼女の性分に大いに問題があることもあるが──暮らしていけないのだ。

 四人が姿を消し、廃教会はわずかに日が差し込む暗がりにかえった。







 トワイライトの病院は、イヴァン南地区・帝都最大の大通り、アケガワ・ストリート沿いに存在する。見た目は、一般的な個人医院と変わらぬ大きさである。『往診』に出ることが多いため、大抵はこの病院に彼がいることは少ない。

 しかし今日だけは違った。相変わらず『休診』の札が下がった扉の先、処置室の奥にある秘密の戸を引くと、地下室へ続く階段がある。ろうそくのゆらめく通路の先に、ランプで明るく照らされた部屋。影は三つ。


「いつもながら、先生の手並みは鮮やかだ。関心しきりですなあ」


 学者めいた黒いローブを身にまとい、頬のこけた男が言う。処置用のベッドには、うつ伏せとなり、惜しげも無く裸身を晒す女性。トワイライトは興味なさげに目を落とす。白く滑らかな女性の背中には、彼の全身と同じような緻密な刺青が施されているではないか。


「ロード教授。あんたの呪いだけどさァ。もうちょっと効果が出るの早くなンないの?」


 トワイライトは名前と同じ黄昏色の髪を鬱陶しげにかき分けると、黒渦巻く目を細めながら不機嫌そうに声を荒げる。幽鬼めいて顔色の悪いロードは、ひっと小さく声をあげ、手を顔の前にもってゆき、何か守るような仕草を見せた。


「そ、そうは申されましても。呪術は未だすべて解明されておらぬ外法。私が研究した結果での現状、リスクが少ない方法はこれしかないのです」


 彼は、女の右肩にある蝶のようなあざを指さした。半年後に生死の境をさまようという、時限式の呪いがかかった印だ。これはトワイライトが刺青に仕込んだ解除術式によらなければ、治らない。彼らの企みの根幹の部分だ。


「良いではないか、トワイライト。貴様とて、頻繁にこのような真似をすれば怪しまれる。時期を開けて細々やるのがコツだ。それに、わしがそのことで骨身を砕いておること、知らぬわけではなかろう」


 奥のソファーにどっかと腰掛けた、大柄な男が言う。彼もやはり黒色のローブを身にまとっている。その下は黒いスーツ。三者三様、怪しげな集団であった。


「リロイ判事。おれは偉そうに威張られるのが嫌いなンだ。大体おれたちは利害が一致している。趣味の会ってやつさァ。上も下もないだろ。偉そうにすンな」


 白髪交じりの大柄なリロイは、ソファーから立ち上がり、女の背中へ指を這わせた。悪趣味な刺青であった。業火で焼かれる人々の苦悶が描かれている。見るものも怖気立たせるだけの迫真さがあった。


「そうだったな。ま、手続きは任せておけい」


「その法的手続きとやらの対価で、あんたは刺青の入った女をタダで楽しめるンだ。しかも文字通りあんたが飽きるまで散々。嫌だねェ、色ボケのじじいってのはなァ」


「貴様もそのあと、死体を使って何やら研究しているらしいではないか。この世は持ちつ持たれつ、うまく回るようになっているものだ。違うか?」


「へいへい、確かに違いないありませんねェ……」


 やれやれと肩をすくめながら、トワイライトは刺青針の並べられたテーブルを見た。直後、しびれが頭から降りてくるような感覚。施術時の残り香、余韻に、彼の身体はぶる、と震えた。ミカ・ヴァイドは良い女であった。何も分からぬ内に拘束され、背中に激痛を走らせてみせても最後まで声を押し殺し涙をわずかに流すだけで耐え切った。きゃんきゃん泣き叫ぶだけでは芸が無い。わずかに漏れる苦痛の吐息もまた、乙なものだ。

 しかし、一度味わってしまえばそれで終いだ。まさか殺してしまうわけにもいかない。偶然手に入った二人の仲間──呪術研究者のロードと、元帝国法務局勤務であり、現在民判事所の判事を務めるリロイの存在は、その後の始末のためにあった。


「とにかく、教授。次は一体誰に呪いをかけたンだ。あんたのことだ。もう仕込みは済んでンだろ?」


 ロードはねっとりとした黒い長髪をかきわけ、頭を掻きながら言った。


「リロイ殿の仰るように、連続するのは避けたかったのですが……今日明日くらいには倒れる者が。その時は、また先生にお願いせねばなりますまいな」







 レドは数本傘を携えながら歩いていた。こうして、傘を売り歩くように見せれば、その辺をぶらぶらしていても怪しまれることはない、と考えたからだ。

 普段彼が店を出している自由市場ヘイヴン以外は、路上で勝手に店を広げる事は禁じられている。もちろん、隠れてやっているものは多いのだが、レドはそうした形で目立つ事を恐れたのだった。

 彼は殺し屋だ。普段は市井に紛れて暮らす傘屋であり──いざという時に冷酷非情な殺し屋となる。

 そうした慎重さは、未だ二十代になったばかりの彼が持つ特異な能力の一つと言えた。彼は慢心しない。だから目立つことを恐れるのだ。

 南西地区は『聖人通り』と呼ばれる低所得者層が多く住む区域だ。手狭なアパート街を抜け、一階建ての長屋通りに差し掛かった時、町医者の看板が下がった建物から女の声がした。白衣を着た、優しげな笑顔の女だ。


「あら、傘屋さん。ちょっと待ってくださらない?」


 レドは足を止め、紐で括った傘を下ろし、笑顔でその声に答えた。口元には両側にえくぼ。完璧な営業スマイルだ。


「はい、傘屋でございますが。なんでございましょう」


「実は、前に往診に出た時に傘の骨が折れてしまったの。竹の物ではなくて、鉄の傘だから勿体無くて。修理はお願いできる?」


 レドは腰低くお辞儀をする。彼は生きるため、傘の製造・修理技術をひと通り身につけている。殺し程ではないが、傘に関しての技術にも、かなりの自信を持っている。殺し屋で生計を立てるのは難しい。他に手に職をつける殺し屋は、いくらでもいる。


「ええと、どこに置いたかしら」


 玄関口、靴箱の下の戸棚。女が身を屈めて手を入れるもなかなか見つからない。ふとレドが彼女を見下ろすと、ちょうど首すじから肩にかけての辺りに、小さな蝶のような痣があった。


「失礼ですが、首に痣があるのですね」


「痣?」


「ええ。蝶のような。変わった痣でございますね」


「そんなもの、あったかしら……初めて言われましたわ」


 女は首をかしげると、なおも戸棚の奥を探っていたが、その手が止まった。レドはしばらくそれを見ていたが、何かがおかしい。奥を探っていたはずの手が、次第に彼女の首元へと動き、唸るような声がするのだ。


「……どうしました?」


 レドがぐいと肩を引くと、女の顔は土気色と化していた! 直後、がくんと力を失い転がる女。レドは冷静に病院の中へと飛び込んでいくと、居並ぶ患者に構わず声をかけた!


「誰か、他にお医者はいませんか! 女医の先生が玄関で倒れたんです!」


「なんだと!」


「ヨウロフ先生、大変だ!」


 患者たちの騒ぎを受けて、奥からのそっと現れた老人は、気難しそうな表情を驚愕に変え、玄関へと走る。枯れ枝のような身体からどのような力を出しているのか、女医の身体を抱きとめると必死で呼びかけた!


「トリシャ! トリシャ! ……なんということだ! 若いの、手伝ってくれ!」


 言われるがまま、レドは手の空いている患者の付添人と共に、奥のベッドへトリシャの身体を運んだ。老人──ヨウロフは、まるで雷でも落ちたかのごとくレドに叫ぶ!


「何があったのだ! 若いの、お前何か知らんのか!」


「私と話している時、突然倒れたのです。首のところに、蝶の痣があると聞いた時に……」


 ヨウロフは彼女の土気色の頬へ手を触れ、首を優しく右側に向けてやると、確かに黒い蝶の痣がある。彼は反射的に首を持ち上げた。知っている。この痣を、ヨウロフは知っている。


「まさか、これは……」


 レドは立ち尽くしているばかりであった。肌を土気色に染め、荒い吐息で苦しむばかりの彼女にできることは何もない。彼はそれを強く思い知ることとなった。俺は誰かを殺すことは出来ても、誰かを生かすことは出来ないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る