★拝啓 闇の中から外法が見えた

★拝啓 闇の中から外法が見えた(Aパート)

 帝都イヴァン。円形に巨大な城壁で囲まれたこの都市は、現在の帝国の首都である。建国の父であり、かつて勇者として二国の戦争を止めさせたという『アケガワ・ケイ』が亡くなって、既に十年が経過した後も、比較的国は安定し、首都たるイヴァンも平和そのものだ。

 皇帝の代理者──帝政を敷きながら、既に皇帝の血を引くものがいなくなって久しいこの国において、代わって統治を行っているのが『皇帝総代』と呼ばれる者である。

 二年前までは、帝国成立以前──『王国』と『魔国』の二つにわかれた時代、魔国の宰相を務めた女傑、アルメイ・ポルフォニカが総代であった。帝国新憲法によって、帝国貴族の中でも強い力を持つ、『帝国貴族二十家』の中から輪番制で総代を務める事となり、アルメイは皇帝総代の座から退くこととなったのである。

 さて、アルメイからバトンを受けた新総代、クシャナ・ナギトは、若いながら聡明で、芸術を解する文官めいた男であった。彼は帝国発展において遅れている分野を医療であると判断し、イヴァンに医療を学べる学校を開校、辺境地に医学者を派遣することで、医療知識の全体的な底上げを図った。帝国は広い。中には、未だに迷信めいた医学を信じている者も少なくなかったのである。

 帝都イヴァンも例外ではなかった。魔法による高度高速医療を実現する『治癒師』は極めて数が少なく、医学的知識の浸透度も完璧ではなかった。治癒師の治療希望者は後を絶たず、重病患者の中には間に合わず死亡する者もいた。

 そんななか活躍するのが、代々医療技術や知識を受け継いできた、いわゆる町医者の類の人々である。彼らの知識は完璧とは言いがたかったが、経験に裏打ちされた判断力、代々伝わる調剤の技術は、少なくとも一般の人々の日々の健康を守るには十分なものであった。


「はい、じゃ次」


 目つきの鋭い老人であった。薄くなった頭頂部にそよぐ白髪に、シワでたるんだ目元。枯れ枝のような身体に羽織った白衣を見ても、彼が相当な年齢であることは見て取れるだろう。


「先生、よろしくお願いします」


「うん……なんだい。二本差しの旦那じゃないか」


 寝ぐせの立った黒髪に、眠そうな深い隈の入った目。市民の平和を守る憲兵団所属の証である白いジャケット。腰に帯びた二本、大小の剣を外して立てかけながら、ドモンはげほ、と再び咳をして見せた。


「仮病か。なら帰ってくれ。おれには患者が山ほど来るのだ。付き合ってられん」


「ヨウロフ先生、違うんですよ。僕だってたかが咳くらいで来たりしませんよ。いやウチのカミさんと妹が、どうしても見てもらえと。憲兵官吏としてイヴァンの平和を守るのに、風邪なんか引いて休んでいられるのか! とまあうるさいんですよ」


 ヨウロフはじろりとこちらに視線を送ると、まるで繋がった線のような字で羽ペンを滑らせ、カルテを書き終えた。


「じゃ喉に効く薬を出してやる。苦いぞ」


「甘いのにしてくださいよ。知ってんですよ僕。先生は子供用にそういうの作ってんでしょ。シロップでしたっけ」


 へらへらとドモンがそういうのへ、ヨウロフはさらに眉根を寄せると、カルテにさらさらと字を追加した。彼は冗談が嫌いだ。いつも怒っているような表情だが、南西地区の貧乏スラム街『聖人通り』では、その腕から神様扱いされているような男だ。間違いなく、イヴァンの中でも一・二を争う名医だろう。


「三十超えた男が言う台詞か。……滋養に良い葉もついでにねりこんでおく。風邪ならまず問題ない。だがさらに苦いぞ」


「なんでさらに苦くなるんですか」


「風邪のついでにあんたの性根も治してやろうというのだ。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いは無い。待合室で待ってろ。すぐ調合してやる」


 有無を言わさぬ調子でそういうものだから、ドモンが口を挟む隙などどこにもない。誰にでもそうした態度なので、逆に患者には好かれているのだ。


「……甘い方が良かったんですけどねえ……」


 待合室から、微かに薬の匂いが漂ってくる。鼻孔の奥をくすぐられただけで、苦そうな匂いだとすぐ分かるレベルのものだ。これから朝昼晩が憂鬱になることだろう。


「ドモンさん。お薬はこちらです。毎食後に飲んで下さいね」


 涼やかな声に、ドモンはまるで引き寄せられるように立ち上がった。ブルネットをロングヘアーにした白衣の女性が、カウンター越しに薬の入った袋を渡してくれた。


「トリシャ先生、ありがとうございます。……それにしても、ヨウロフ先生は厳しいですねえ。娘さんからも一言言ってくださいよ」


 柔和な笑みを浮かべる彼女は、ヨウロフの娘だ。孫ほども離れた年齢である。若いながら彼女は医者の技術をほとんど叩きこまれており、ヨウロフもその腕を認めているらしい。事実、この診療所の薬の調合は彼女が担当しているのだ。


「私が言って聞くようなら、苦労しませんわ」


「……そりゃ、そうでしょうねえ」


「とにかく、さらに苦い薬を出されないように、必ず飲み切るようにして下さいね」





「いやァ、困りましたね」


 青白く透き通るような肌を、黒ローブの上に羽織った白衣で覆ったその人物は言った。


「はっきり言って、これは手遅れですよ。経過がね、悪かったンだろうなァ」


 そう言うと、彼は淫靡に笑ってみせた。美しい男だ。一見すれば、誰もが振り向き『美しい女だ』と言うだろう。渦の巻くような漆黒の瞳は、限界まで調和のとれた美しさを何もかも破壊するような──そうした危ういものを感じさせた。それが彼を女ではなく男だと認識させ、その危うさが彼の雰囲気を人間離れしたものにさせしめていた。


「先生……どうにかなりませんでしょうか。手前共の娘はまだ十七。花咲く盛りでございます。今年に入ってから毎日衰弱していくばかり。治癒師は制度が変わったとかで、手前どものような一般市民の治療には希望者が殺到していて、一年二年待つのは当たり前。娘の事を考えますと、もう待てないのです。このエイドリアン・ヴァイド、先生のご高名をお伺いし、是非に治療をお願いいたしたく……」


 黄昏色の髪が揺れる。土気色の顔でうんうんと唸る、横たわった少女。彼はそんな彼女を見下ろし、わずかに笑みを見せた。ヴァイドはイヴァンの流通を請け負う会社『ヴァイド運輸』を経営する社長であり、堅実な経営で着実に規模を広げてきた優良企業である。彼は妻を早くに亡くし、男で一人で娘を育ててきたのだが、そんな娘が体調を崩して既に半年。およそ名医と言われる医者にはほとんど見せたが、それにも限界が訪れようとしていた。


「ヴァイドさん。たしかに、娘さんは手遅れに近い。近いが……何も、全く助からないってンじゃない。ものはやりよう。いい言葉だと思わなァい?」


「本当でございますか、トワイライト先生!」


 トワイライトは黄昏色の髪をうっとおしげに撫で付けると、じろりとヴァイドを見た。黒渦の瞳が彼を射抜く。ヴァイドは必死であった。なにせ『助かる』と言ったのは彼が初めてなのだ。なにか不機嫌にさせるようなことがあれば、娘の命はそれで失われるのだ。


「ただし条件がある。娘さんは絶対におれが治す。治すけど……その後のことだ。娘さんを健康な身体にする代わりに、欲しいものがある」


「娘が治るのであれば、お金だろうが何だろうが! 会社を手放しても良いくらいです」


「いや金はいらない。娘さんが欲しい」


 トワイライトの物言いに、ヴァイドは思わず目を丸くした。土気色になってしまっている娘の顔をまじまじと見る。今はこんな顔だが、病気になる前の娘は近所で評判を取る程の美人で通っていた。それを差し引いても、ここで娘を欲しいという意味が分からない。


「娘を……と申しますと」


「ヴァイドさァん。おれはあなたに、娘さんを治したいのかどうなのかを聞いているンだよ。命に値するのは命しかない。だから、俺は娘さんが欲しいんだ。分かる? この理屈」


「はあ、それはまあ……しかし、娘がなんと言うかわかりませんので……確かにその、先生はお美しくいらっしゃるので、娘も文句は言わないでしょうが」


 トワイライトはとうとう、はっきりとひとつため息をついた。医療道具の入っているのだろう、黒鞄の取っ手をとり持ち上げると、踵を返した。焦ったのはヴァイドだ。彼が機嫌を損ねるということは、最早娘は助からないことを意味する。彼は必死であった。白衣の裾を掴み、頭を下げる。


「お願いです、先生! 娘にはよく言って聞かせます。ですから、どうかまず娘を治してやって下さい!」


 トワイライトは裾を掴む彼の手を払うと、再びベッドに横たわる少女の前に立つと、白衣の袖をローブごとまくり上げた。その腕には、トワイライト本来の青白い肌ではなく、腕をうめつくすが如き緻密な刺青! その刺青が淡く発光したかと思うと、彼は少女の頭に手をかざし、ゆっくりと足先に向かって手を動かしてゆく。すると、まるで波が引くようにだんだんと土気色であった肌が健康な色へと戻っていくではないか。数分もかからない施術に、ヴァイドは目を丸くするばかりだ。トワイライトが手をかざすのを止め、露出させた刺青を袖の中へと仕舞いこむと──まるでいままでのことが嘘であったかのごとく、少女は目を覚ました。


「おおお……そんな! ミカ! わたしが分かるか!」


「分かります。今まで私は何を……?」


 呆けた表情のミカに、ヴァイドはただただすがりつき泣いた。数ヶ月ぶりの健康な娘に感涙し我を忘れる彼に、トワイライトは静かに肩を叩いた。黒渦を巻いた瞳が、まるで吸い込むようにヴァイドの影を写し、消えた。彼は瞳を歪ませながら、彼に宣告した。


「約束通り、娘さんは頂いていきますが──何か問題はありますかねェ?」

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