Ⅵ コンビニ ――満たされた飢餓の話

 怠惰の日々に訪れた非日常。救える命がそこにあった。




 俺は、この近くの大学に通う2回生だ。だが最近は、ほとんど大学には顔を出してはいない。

 正直、今年度は留年する可能盛大だ。まあ大学なんて、今の俺にとって正直どうでもいいが。


 そんな俺は、現在一人暮らしをしているアパートから徒歩10分圏内にあるこのコンビニでアルバイト店員をしている。

 大学に通っているのにバイト三昧なんて、と周りの奴らは馬鹿にするが、普通のことだと俺は思っている。

 ネットとかじゃ、よく目にかける日常茶飯事だ。


 アルバイトを始めて初期の頃は、おもに夕方から夜にかけて、休日は昼から夕方にかけてのシフトで動いていた。

 だが最近、同僚から夜勤のほうが楽だし給料もいい、さらに、時と場合によって廃棄分の食料も貰えるかも、という噂を聞き、夜勤へとシフトを移動させてもらった。


 大学を休んでまで得たバイトのなかでの権利。いつの間にか、店長へ意見を言うと頷いてくれるほどの信頼となっていた。

 何かとバイト内では都合よく動ける。

 失うものもあれば得る物もある、ということだ。


 今は、この夜間コンビニで、朝方に店長が出勤してくるまでワンオペレーションに励んでいる。

 一人は辛いが、まあよく言えばお気楽だ。

 人付き合いは嫌いではない性分だが、変に気を遣う相手がいなくて良いことだってある。


 さて、そんなコンビニ夜勤の俺だが、最近おかしな出来事があった。

 それは、専ら『客』に関することだ。

 俺の勤務するこのコンビニはアパートや住宅が立ち並ぶ通りにある。そのため夜間に客が来るということはほとんどない。

 たまに来る客は、例により大学生の場合が多い。夜中まで、友人宅で遊んでいるのか、複数人で夜食を買いにくる客。はたまた某週刊漫画雑誌を立ち読みに来たのか、雑誌類コーナーから動かない客。

 そんな暇人ばかりだ。

 

 そんな夜から疎外されたこの閑散とした住宅街にあるコンビニに、ある日、おかしな、いや不気味な、と言ってしまってもいいかもしれない、そんな客がやってきた。


 時刻は深夜2時過ぎ。

 客足などとうの昔に途絶え、ほとんど人は来ない時間帯である。

 俺は暇潰しのために陳列された商品を見やすい位置へと整理していた。正直だるい作業だが、もう店に並ぶ雑誌の類は読み漁ってしまった。

 というわけで、暇潰しがこれくらいしかない。


 そのとき、コンビニに客入店音が鳴り響いたのだ。


「いらっしゃいませ~」


 俺はその入店音の主には一瞥もくれずに、陳列棚を眺めたまま、決まり文句を言い放った。

 どうせ夜更かしをしている暇な大学生だろうと思っていたからだ。

 そのまま俺は、その客がいきなりタバコでも買いにレジに直行してくることも予想して陳列棚から離れた。

 そして、その客がどこへ向かうのか観察するため、レジカウンターから店内を一望しようとした。

 しかし、やってきたその一人の客は未だに出入り口のドアの前から動かず、立ち尽くしていた。

 長いぼさぼさの黒髪に、白いワンピースを着て、下を俯き見ている。

 線の細い、悪く言えば痩せ過ぎの女性である。

 その長い髪に顔は隠れており、表情を読み取ることはできなかった。


 なんだ……この客……?

 俺は素直にそう思った。

 だって、この客は明らかにおかしい。

 今、外はどう見てみても晴れている。いや、深夜だから暗いのは勿論なのだが、天候は晴れている。

 だが、その女性は長い髪から着ている衣服まで、全身びっしょりと濡れていた。まるで豪雨のなか、傘も差さずに走ってやって来たとでもいうようであった。

 気持ち悪い。

 俺は、この客が早く立ち去ってくれることを祈った。この客と同じ空間にいたくなかった。

 だが、その客はまだ動こうとしていない。

 全身から床へと、ぽたぽた水滴が落下していた。

 俺は声をかけるべきか悩んだ。いや、普通だったら声をかけるべきなのだろうが、俺は『業務型店員』が発する『業務的発言』以外をこの女性と交わしたくなかった。

 つまり、この女性と、自らを『俺』とした自分とで会話したくなかった。

 俺は、自分自身をこの女性に見せたくなかった。そう強く感じた。

 横目でチラチラとその女性の姿を見る。

 やはり動かない。どう考えてもおかしい。不審者ではないか。

 だが、一女性が全身濡らして、立ち竦んでいる。

 この状況に慣れてきた俺は、不審者でなかったならいくらなんでも可哀相ではないか、と心のなかに正義感が芽生えてきた。

 その間、時計にして2分ほどだったかもしれない。

 しかし、俺の心的変化を考えると数時間に及ぶと言っても過言ではないほど濃い時間だった。


 俺はレジからゆっくりと歩き出し、女性が立っているドアの前へと向かった。

 何と声を掛けるべきなのだろうか?

 どうしたんですか?

 は、駄目な気がする。

 もう2分も放置しておいて言えた台詞じゃない。

 濡れてますよ?

 も、駄目だろ。

 そんなの当の本人だってわかっている、はず。

 そんな思考を巡らせながら、

 俺はそんな、か弱そうな女性に最悪の一言を放ってしまった。


「すみません。ずっとそこに居られると、他のお客様のご迷惑となりますので……」


 あーあ。やってしまった。

 何を言っているんだ俺は。

 完全に口を滑らせてしまった。

 他に客なんていないし、来る可能性だって低い。

 それなのに、こんな可哀相な女性に向かって酷いことを言ってしまった。

 駄目だ。やばい。すぐに訂正と謝罪だ。


「あ……ち、違うんです。申し訳ありません、お身体大丈夫ですか?」


 その女性はいまだ沈黙を貫いている。

 俺は、段々とその女性のことが本気で心配になってきた。

 今は夏の夜。

 いくら夏場とはいえ、夜ではこんな白いワンピース一丁では肌寒いだろう。

 それに濡れていては尚更。

 俺の妄想では、おそらく夜遅くに彼氏と喧嘩をして、頭にきた彼氏が水をかけて、彼女が追い出された、というパターンが思い浮かんだ。

 もしくはメンヘラで逆上のパターンもあるかもしれない。

 俺は、その方向性で話しかけてみることにした。


「もしかして彼氏と喧嘩したんですか?」


 いまだに彼女は黙っている。


「いくら夏でもそんな格好だと風邪引きますよ」


 彼女は黙っている。


 困ったなあ。

 店の都合もあるから警察沙汰にはしたくない。

 だからといってずっとこのコンビニの中に居られるのも困る。

 彼女の服も乾かさないといけないだろうし、どうすればいいだろうか。

 と、模索しているときだった。


『どうして……ここにきたの?』


 その女性は、やっとそう呟いた。


「え? え、っと……なんですか?」


 何を言っているのだろうか、この女性は。

 どうしてここに来たの?

 と、彼女は確かにそう言った。

 どう思い返してみても、そう言っていた。

 ここに来たのは俺じゃなくて、アンタだろう?


「えっと……どういう意味ですか?」


『おいしそう』


 再び彼女の口からか弱い声が漏れた。

 おいしそう?

 レジの横には、今やどこのコンビニにでもあるであろう、暖かいフード(深夜のため売れ残り)が立ち並んでいる。

 お腹が減っているのだろうか。

 だが、お金ももらっていないし……。

 しかし、こんな状況の女性からお金をもらうことはできる気がしないし、できたとしても、可哀相で申し訳ない。

 それはなんだか酷いことをしているような気がする。

 あーあ、しょうがないな。

 まあ、時給分が少し欠ける程度だ。


「……じゃあ今日だけ、俺が奢ってあげますね」


 俺は、急いでレジへ向かい、フードを取り出し、温めなおした。

 その最中も女性は出入り口のドアの前から一歩も動こうとはしなかった。

 最初に俺が彼女に抱いた「不気味」という印象から、かなり遠ざかり「可哀相」という印象のほうが色濃く脳内を支配していった。

 いや可哀相という感情は多少上から目線過ぎる気がするが、他の言い方をすれば、弱者へ対する救ってあげたい、という俺の偽善的欲求を満たすため、なのかもしれない。


 チン。

 温め終えた照り焼きチキンを電子レンジから取り出し、

 急いで彼女のところまで持っていった。


「はい。熱いから気をつけてね」


 チキンを差し出すと、彼女はそこで初めて動いた。

 脱力したように垂れ下がっていた腕に力が入り込み、ゆっくりと持ち上がった。

 そして、チキンを直に掴んだ。


「あ……ちょっと、熱いからって!」


 何を告げることもなく、彼女はゆっくりと未だに表情の見えない髪に覆われた口へと運んだ。

 そして、焼かれた肉を咀嚼した。

 もぐもぐもぐ。

 くちゃ。くちゃ。くちゃ。 

 彼女が肉を噛み千切り、咀嚼する音が響いてきた。

 正直、こういう女性は好みではない。いや好みとかではなく。最早、人として論外である。

 マナーがなっていないというレベルではない。

 だが、この状況だとしょうがないのかもしれない。


「ど、どう? おいしいかな?」


 その女性が急に動きを止めた。


「?」


 どうしたというのだ?

 急いで食べて喉にでも詰まらせたのか?

 飲み物までも恵んで上げなければならなくなったら嫌だなあ、と内心他人事のようなことを思っていた。


 次の瞬間。

 その女性は、物凄い勢いで咀嚼していたモノを全て吐き出した。

 同時に、胃液やら何やらを全て嘔吐してしまったのだ。


「! だ、大丈夫ですか!」


『おえぇあああああああああああ』


 な、なんだ!?

 女性は声にならない声を上げ、苦しそうにその場に全てを吐き出してしまった。

 俺は意味もわからぬまま、とりあえず優しく彼女の背中をさすった。


「い、いったい……?」


 そのとき、その女性はぎろりと顔を上げ、俺の顔を睨んできた。

 だが、彼女の目を見たとき、俺は全身に悪寒が走った。

 そして、凍えるほどの寒気と恐怖を感じた。

 なぜなら彼女は、俺を『ひとつの目』だけで睨んできていたからだ。

 しかし正確にいうとひとつではない。

 片方の目はぐしゃりと潰れてしまっていたのだ。

 まるで何か鋭い凶器で刺されたかのように、抉(えぐ)られて眼の奥では脳汁が流れ出し、深く埋もれた眼球からドクドクと血が脈打っていた。


「う、うわ……」


『ああああああああああ』 


 息荒くその女性は俺を睨み続ける。

 そして、意味もわからない呻き声を上げ、何かを訴えかけるようだった。


「な、な、なにが……そ、その目はいったい……!?」


『おなかああああへってええないい?』


 女性は片方だけの目で俺を睨みながらも、意味のわからない言葉を紡ぎ続ける。


「び、病院に……い、行ったほう、が」


『おなかへったああ、あああ、あ』


 その女性は、拙い言葉で空腹を訴え続けている。


「さ、さっき、吐き出しただろ!? 胃が受け付けてないんだよ! 食べられないってことだよ!」


 俺は今すぐにでもその場から逃げ出したいほどの恐怖に駆られた。

 どうしてこの女はこんなに怪我をしているのだろうか?

 どうしてびしょ濡れなのだろうか?

 あとで店長に怒られるかもしれないが、もう迷っている時間はない。


「くっ……すみません! 今すぐに病院と警察に連絡します! 名前を教えてください!」


 俺は慌ててコンビニ内の休憩室に置いてあった自分の携帯電話を取りに行こうとした。

 そのとき、


『な、なまえ……?』


 彼女は小さく呟いた。

 俺は微かなその声に彼女のほうを振り返った。

 彼女は俺の背中を掴んでいた。

 そのまま、首を横に振っている。

 そして、女性は何かを小さく呟いた。


『……りょ……ぅ、た?」


「……?」


 小さくて、そしてその一回しか言わなかったため曖昧ではあるが、彼女はそう呟いた気がする。


「も、もう一度! 貴方の名前は!?」


 俺は女性とは思えないほど力で、俺の背中を掴む女性へと半身振り向いて語りかけた。

 すると女性は必死に何かを思い出すようにして、言葉ひとつひとつを溢すように告げた。


『きょ……ぅ……こ」


「……え?」


 次の瞬間、その女性は思い切り目を見開いた。

 目玉が飛び出そうなほどの勢いで。

 そして、俺の腕を掴み、思い切り噛みかかってきた。


『がああああああああああああ』


 全身に奔る衝撃の痛み。

 腕にナイフを思い切り刺され、そのまま抉(えぐ)られるかのような痛み。


「がっ……ぁっ!」


 俺は思い切り、その女の腹を蹴り飛ばした。

 その女は俺の腕から離れ、吹き飛んだ。


「はあ……はあ……何すんだよ、ふざけんな!」


 俺の腕から真っ赤な鮮血が垂れ流れ、床に滴っていた。


『おなか、すいた、ああ、あ』


 俺は、思考を巡らせた。

 どうしてこの女はこんなことをするのか。

 この女の行動目的とは何なのか。

 そのとき、俺はふたつのことを確信した。

 ひとつ目。

 この女は飢餓を満たしたいだけ。

 そして、もうひとつ。

 俺の腕に噛み付いてきた、この行動目的。

 おそらくだが、この女は飢え過ぎている。

 それが原因か言語能力すら欠落し始めている。

 また、それに加えて眼に大きな外傷。

 これは、放っておけばこの女は死ぬ。

 そりゃあ店のチキン程度では、この女の身体を、腹を、食欲を、満足させることなどできないようだ。

 それどころか、身体が拒否反応を起こしている。

 そんなものはいらない、と。


「はあ……起きてください」


 俺は大きなため息をついた後、その女の首を掴み、ゆっくりと起こした。


『ぐぶううううううううるぅ』


 女は苦しそうに起き上がる。

 そんな女に俺は言った。


「危険です、貴方は」


* * * * *


 店の奥。

 俺たち店員の休憩室の奥にもうひとつ扉がある。

 ここには陳列してある商品の在庫のほかに“陳列されない商品”があるのだ。

 俺はそこの奥に大切に置かれた“5ランク”と書かれた箱を開けた。

 中から美味しそうな匂いが漂ってくる。


「はい」


 俺は、恍惚になってしまうほど素晴らしいその香りに我慢しつつ、後ろでふらふらと今にも倒れそうな女をその箱に近づけた。

 箱の中には、肌色で、いい肉付きの、両腕、両足、胴体、そして、顔のパーツが重ねられていた。

 1個体から手に入る全ての部位である。


「5ランクは一級品ですから、それなりに値は張りますからね。これで10万円です」


 俺は、この女の顔を箱の中に突っ込んだ。


『ああああああああああああああ!』


 女は嬉しそうな声を上げ、強烈な咀嚼音を上げながら、箱の中の食料に向かってがっつき始めた。


「ちゃんと回復したら働いて払ってください。これを奢るのは嫌です、それに」


 もしも、この5ランクの高級品である個体が、こんな中年の男でなければ、俺が買って食いたかったほどであるから。

 そんなことを余所目に女は、食いつづけていた。


「聞いてない、か」


 ぐしゃ。べりぃ。ぐちょ。ばりぃ。

 やはり、この咀嚼音、あまり気持ちのいいものではない。

 俺はもう去っていこうとしたのだが。

 おっと。

 忘れてはいけない。


「身体の損傷が酷いですから、そろそろ『交換』したほうがいいかと。男だから嫌とか、この状況でそんな贅沢は言わないでくださいね」


 そう言い残し、俺は戻っていくこととした。


 * * * * *


「助かりました」


 聞き覚えのない中年男性の声。

 それがレジの奥から響いてきて、俺は一瞬全身で驚いてしまった。


「お礼がしたいです」


 お礼など要らない。

 そんなことより、5ランクの一級品を見ず知らずの飢え苦しんでいた女に無料で食わせたんだ。

 これは店長からの信頼を裏切ってしまうな。

 さらには厳重注意どころでは済まないだろう。

 だからお代はちゃんと頂きたい次第ではある。


「貴方、名前は何ていうんですか?」


 中年男性が聞いてきた。

 名前?

 こういうときは名乗らないほうが恰好いいか?

 だけどまあ、変に気取るのはやめにした。


「原田祐平です」


 end

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