chapter 3 前兆 -1

1  4月15日 荒廃



 窓から見える校庭では1年生だろうか、新鮮な雰囲気を漂わせ体操服を身に纏った生徒たちがランニングをしている。


「辛いのはみんな一緒……か」


 神谷陽太は静かに自分の心に言い聞かせた。

 陽太にとって体育のランニングを楽しいと思ったことなど一度もなく、苦行でしかなかった。

 運動は嫌いじゃないし、スポーツも嫌いではない。どちらかといえば好きなほうである。

 しかし、体育という縛られた時間に行われる運動は嫌いだった。

 だが今の陽太にとって、そんな体育をする1年生の姿は心から羨ましく思える。

 

 現在、この教室という空間では授業という時間が過ぎているはずである。

 それなのになんなのだろう、このぐちゃぐちゃになっている異様な空間は。

 教壇にはクラス担任の静間シズマという教師が立っている。

 短い髪に、地味なスーツを着て、曇った眼鏡を掛けている。

 その姿から、教室の隅で静かに過ごす暗く大人しい印象の男子生徒と言われても、教師だとは気が付かないだろう。そんな教師である。

 そして、そんな地味な見た目とは裏腹に、黒板にお世辞にも巧いとは言えない男らしいのか雑なのか、よくわからない文字を羅列していく。

 それが受験対策として大切なものなのか、そうでないものなのかすらわからない。

 静間は時折、教室にいる生徒に向かって教科書片手に何かを話すのだが、何を喋っているのかわからない。聞き取れないのだ。

 静間の声が小さいということよりも、教室中が非常にうるさいのだ。


 基本的に静間の話を聞いているのは前列に座っているいかにも勉強しか興味ありません、とでもいうような暗い雰囲気を漂わせる生徒たちだけで、教室後方に陣取っている荒れた奴等が騒ぎ散らしているのだ。

 それはもう好き勝手にしている。

 スマホをいじったり、漫画を読んだり、下品な話題を大声で話したり、お菓子を食べたりなんてものは序の口である。


 そんな2種類の生徒集団に挟まれている陽太は、静かに時が過ぎるのを待つことしかできなかった。

 仕方が無いだろう。

 まさか「皆静かにして先生の授業を受けようよ」と言えとでもいうのか。

 もう既にこの教室はそんなことで立ち直れる段階ではないのだ。

 完全なる崩壊の真っ最中、いや既に崩壊済みなのであるから。


 陽太は昔からどちらかといえば正義を愛する少年だった。

 朝にやっているなんとか戦隊とか、なんとかライダーとかも好きだった。

 弱い物いじめも放っておけない主義だった。

 だからクラスがこんな状態になるまで野放しにしておいたわけではないのだが。

 もう無駄であると陽太は知っていた。

 

 そんなとき陽太と同じ横列に座っている女子生徒が静かに手を挙げた。

静間がそれに気が付く。

 構わず教室は騒ぎ続けている。


「どうしました?」

「すみません静間先生。ちょっと具合が悪くて。保健室に……」

「はい。どうぞ」


 静間の興味なさげな冷たい返答を受け、女子生徒は教室を去っていく。

 すかさず陽太も手を挙げた。


「先生、俺も! すいませんっ」

「どうぞ」


 黒板に背を向けたままの静間の返事を待たずに陽太は立ち上がり、その女子生徒のあとを追いかけようとした。


 そのとき教室後方から声が聞こえてきた。


「なにーあいつら! 中流階級同士でデキてんのー?」

「おいおい保健室でヤんなよ! もしヤるならここでおっぱじめちまえ! ゴムなんか付けなくていいからなあ!」


 教室後方の連中の笑い声が追うように響く。

 前列に座る生徒たちは奴らの機嫌を損ねないようひたすらにびくびくしているばかり。

 前者はいかにもなギャルの仲居ミキ。そして後者が奴らを取り仕切る五十嵐アキラだったと思うが。

 だからと言って陽太は反発せず、刺激しないようにそっと女子生徒のあとを追って教室を出て行った。

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