森に秘するは 歯磨き係-Ⅱ
【前回までの粗筋】
妖しい人影から、〈歯磨き係〉を遠ざけた。一方〈歯磨き係〉は〈
◆ ◆ ◆
「9型けん銃」は、短身小口径の
装弾数は六。
「〈小鎌付き〉が、三」
「はい」
羽田の姿勢は異質と言えた。左手を握り胸に載せ、右手
扉を出た先は、小さな
隙間から生える下草を、〈
「
「ッ、了解!」
思い切りの良さに圧倒される。しゃがむ羽田を
〈小鎌付き〉が着る灰の毛は、乾燥地帯に適したものだ。
下草が揺れる。左に
「オサム、大丈夫だ」
「……はい」
じとり、と嫌な汗が肌着に沁みる。影を追いつつ三発を撃ち、遂に
ススムは鼻から息を吐き、横目で羽田の具合を見
「流石は
「あと
「ン――?」
羽田の厚い唇は、肯定の音を出し掛けた。其れが途中で疑問符を打つ。ぎこちない足を踏み出して、ススムの
ススムは小さい背を追うが、
――と、思ったときには、羽田の拳銃が火を吐いていた。
「ちゃんと
「……済みません」
「って、アタシが勝手に動いたからか。ごめんよ」
甘えを許さぬ叱責が、誤魔化すような笑顔に変わる。流石に舌こそ出さないが、血色の
そうする
羽田は左の口角を上げ、先の一体に向き直る。幸か不幸か、まだ生きていた。生の
「オサム、見てみな」
「……何すか、これ」
羽田は何も、仕留めた獲物を誇るのでない。亡骸の横に転がったのは、別の動物の一部のようだ。ごつごつと
「〈鬼棍棒〉の
〈鬼棍棒〉、
「だとすると、親が近くに?」
木々の
羽田は煙草の箱を置き、電話を取り出し写真を撮った。うーン、と唸って、ススムとは別の懸念を返す。
「幾らチビだと言ってもねェ、〈小鎌付き〉どもが引き千切るのは難しいかも分からんね」
「てことは」
「あァ」
葉が
緑の
「下手人の
◇ ◇ ◇
現れたのは〈
「ッ、散開!」
羽田の号令は早かった。〈
「オサム! 下だ!!」
着地に
了解、と走るススムへ、擦れ違った〈鶏冠持ち〉が向き直る。細長い身を、尻尾の先まで
黄土の鶏冠に、浮いた血管が赤黒く、興奮のさまを隠していない。獲物を奪われ、追って来て、激昂していない訳が無い。
「ヘルメットを外せ!」
言われるがまま、顎のバックルに手を掛ける。目の前で落ちた白い
羽田が其れを、
其の隙に、ススムは階段を降り掛けている。だが、〈鶏冠持ち〉の飽きも早かった。白い玩具で遊んだ後は、黒い玩具が目に留まる。
地を這う
「羽田さん!」
「来るな!」
無様に転がる羽田が叫ぶ。撃てば羽田へ誤射してしまう。看過するのは出来そうになく、
仰向けの身体を
ススムは瞬時に身を固めたが、悲鳴は聞こえてこなかった。それどころか、喰われた足へと身を起こし、有るだけの
「オサムぅ! 頼んだよォ!!」
「へっ?!」
何を頼まれたか知るより早く、羽田の身体が飛んで来た。左脚の脛から下は、〈鶏冠持ち〉の口元にある。其れを切り離した勢いのまま、低伸弾道がススムに刺さる。幾ら羽田が小柄だとても、ナイスキャッチは不可能だった。
「アタシの乳が気に入ったかい。ガールフレンドに言い付けちゃうよ」
「えっ!? いや、あっ、えっと、すみまs」
左手に、コートの奥の豊かさを。右の手に、スラックス越しの肉感を。言われて初めて知覚して、知覚してから手を離す。
「冗談だよ。拾ってくれて、ありがとうね」
「いえ、あの、ありがとうございます」
「礼を言われるのも――まァ、いいや。其処の横穴へ連れてっとくれ」
「あ、は、はい」
「悪いねェ」
足を
◇ ◇ ◇
「獲物も返したし、〈小鎌付き〉どもの肉も有る、隠れさえすりゃあ大丈夫さね」
「だと良いんですが」
横穴の入り口に〈化石の
「オサム、ちょっと降ろしとくれ」
はい、と応えてススムは止まる。左の肩は預かったまま、右足
「あの、何て言うか、大丈夫なんですか」
「うン?」
「あ、足です」
「あァ、驚かせたかい。御覧の通り、義足だよ」
羽田は何処から取り出したのか、傘の骨のような軽金属を、かちゃりかちゃりと引き伸ばす。其れを左膝に接続すると、ススムの右肩は解放された。かちゃりかちゃりと踏んでみて、馴染み具合を確かめる。
「ま、今どき珍しかないだろう?」
「そう、ですね」
「おっと、嫌な話をしてしまったね。許しとくれ」
「いえ、大丈夫です」
謝るべきは、自分のほうでは無かったろうか。などとススムは反省したが、かちゃりと羽田が
「ちょっと一服させとくれ」
「どうぞ」
「何を突っ立ってンだ。座ンなよ」
羽田が左をばんばんとして、ススムは其れに従った。床と壁は冷たくて、身体の粗熱を奪ってくれる。
紙巻煙草を口にして、「あれを御覧」と羽田が
針葉樹の、一等太い枝先が、何やら黒く膨らんでいる。其れに
オイルライターが用を成し、金属の音で火を消した。思った以上に、匂いが強い。
「まさか」
「あれが
まるで
「
何がですか、と誤魔化す前に、右の前腕を示される。
観念して袖を
「
「信じるんですか?」
「疑う根拠が無いからね」
煙の匂いを撒きながら、事も無さげに羽田が言った。
今まで、恐竜人間のことを口外しなかったのは、佐藤の言い付けだけが理由ではない。信じられるわけがないからだ。恐竜人間に襲われたなどと吹聴すれば、其の瞬間から
其れを、羽田は信じると言う。ススムを、と言うよりも、自ら扱う情報を、ではあるが。
「
途中で煙を吐き出して、羽田がススムを横目で見遣る。
ならば、とススムは意を決す。
「あいつは、何なんですか」
「見ての通り、恐竜人間サ」
煙とともに、羽田が笑う。
「でも、恐竜人間は」
「ああ、思考実験の産物だ。そういうことになっている」
「あまりに
厚い唇が皮肉に歪む。紙巻煙草が紫煙を上げる。
「
「未確認生物とか、そんなやつですか」
「読んで字の如く、
爬虫類人、蜥蜴人間、そして恐竜人間。羽田は何を言っている?
恐竜人間は、思考実験の結論では無い。爬虫類人は、非科学趣味者の戯言では無い。
「そいつらが、
羽田が言っていることは、羽田が言っている通り、
「奴らが居るのは、地面の下じゃァないンだよ。意識の下に
脈が早くなる。つるりと張った傷痕の下で、何かが疼いて気持ちが悪い。
「オサムこそ、アタシの言うことを信じるのかい?」
「ええ」
「何故」
「疑う根拠がありません」
ふン、と羽田が笑う。携帯灰皿に煙草を捨てて、かちゃりと腰を持ち上げる。
「さァ、行こうか。〈
ススムは
壕の中を、足音が満たした。
◇ ◇ ◇
「長いんですか、此処」
「此の穴自体は短いけどね。総延長は、かなりのもんだよ」
足元はコンクリートが打ってある。其処に埋まった照明が、やんわりと壕を
物置に使われていたのだろう。さして大事そうで無いものが、乱雑なさまで
実際に、大事なものでは無いはずだ。此処は階段の中腹で、車両の乗り入れも出来ないだろう。捨てるに捨てられないものたちを、詰めておきたい場所がある。
「此処ほど大きくないらしいけど、
「本当ですか、聞いたことないです」
「ま、
「えっ、飛行機を作る場所なんですか」
「〈決戦爆撃機〉なんて呼んでたそうだ。全く、ヒトの執念は恐ろしい」
地下の狭い場所で作るのだから、銃とか弾だと思っていたが。其れに、ススムにとっての飛行機は、写真や映像で見るものだ。此処で飛行機を作るなど、恐ろしの竜を起こすより、荒唐無稽な気がしてしまう。
羽田の差し出す手を取って、資材の谷間を
「あれ、行き止まりですか」
「んにゃ、
地面に
「ヒトの執念って言うやつですか」
「知的探求心は、ヒトの生存戦略サ」
上手いこと言ったつもりだったが、矢張り羽田には敵わなかった。
羽田の
「どうやら送水管らしい。空調用の地下水だろう」
「そんで
「そんなとこだろうね」
なるほど、ススムが仕事をする番だ。腰を落として手を掛ける。重い。
不快な
「何て言うか、こんなとこから入れるんすね」
「まァ、此処は施設の〈内側〉だしな」
「でも
「ほら、此れを御覧」
羽田が指差す地べたには、コンクリートの擦り傷がある。無論、ススムが付けたものとは違う。
「オサム、アンタ、出勤したけど職員証を忘れました。さァ、どうする?」
「
「一〇〇点満点の回答だ。其の跡も、忘れ
そして、其れに付け入るが羽田の仕事と言うわけだ。今更ススムは得心するが、当の羽田は溜息を吐く。
「でもねェ、」
「?」
「此れでも支社の人間だしね、頭の痛い
んふふ、とススムは笑いを
そんなススムを
「笑いごっちゃァないンだよ、
◇ ◇ ◇
梯子を降り切ると、其処は天井裏のようだった。空調らしき配管が、ごんごんと音を立てている。
羽田が、おや、と呟いた。懐で、電話が振るえているようだった。羽田が「失礼」と眼で言って、ススムが「どうぞ」と手振りで返す。
「――どうした、うン、うン? ……あァ、繋いでやンな」
電話の相手は、先も話した女性だろうか。情報室への入電が、羽田の手元へ転送される。
「やァ、御無沙汰しているね。佐藤課長」
わざとらしく、羽田が言う。ススムは反応してしまい、羽田の口角が僅かに上がる。
無駄に大きな
〈御忙しいところ、申し訳ありません〉
「今ちょっと現場に居てね。手短に行こう」
〈はい。報道関係者らしき二人組を拘束しました。
「ふン、良いだろう、うちで
羽田は、佐藤の示した
〈……実は、備蓄の弾薬が少なくてですね〉
「なるほどね。
〈はい。何とかなりませんか〉
「佐藤課長、丁度
〈……何でしょう〉
苦虫を呑んだ蛙のような、佐藤の表情が目に浮かぶ。佐藤が負かされるのは楽しいが、己の想像力が恨めしくなる。
「そう構えなさンな。
〈小山内ですか〉
「ふふン。使ったり、壊したぶんはウチが補填する。彼は一切、御咎め無しだ、良いな?」
実は、其れが大きな気掛かりだった。
〈……承知しました〉
「良い返事だ。じゃァ、朝日の
〈朝日市の、加東協会、ですか〉
「会長と少し仲が良くてね。アタシの名前を出すと良い」
〈……ありがとうございます。行ってみます〉
ススムは強く感動していた。とても大きな感動だった。佐藤を完全に
だからこそ、羽田が通話を終えたとき、ススムは感謝を口にした。心からの感謝だった。
「待たせたね」
「あの、ありがとうございます」
「うン?」
「御咎め無しってやつです」
「礼を言われるのも、変な話サ。アタシを手伝った上の消耗だ、当然だろう」
「其れでも、です」
喰い下がらんとするススムのさまに、羽田は呆れた苦笑を見せた。
「何だ、佐藤課長、そンなに口五月蠅いのかい」
「ええ、そんなに口五月蠅いんです」
あはは、と羽田は笑いを
そんな羽田を困って見詰め、ススムは
「笑いごとじゃあないんすよ、
◇ ◇ ◇
「加東協会、データベースにヒットしました、が……」
通話を終えて受話器を置くと、同時に伊香が声を出す。持つべきものは、優秀な部下。だが、佐藤は知っているのだ。
「廃業しているだろう?」
「ええ」
「協力事業者でな、以前は
伊香は、佐藤が知っていたことに、驚きを口にしなかった。然し、続けて現れた情報に、疑問を思わず口にした。
「所在地、此れ、〈
「ああ。〈
まさか
佐藤が再び電話を取ると、伊香も端末に向き直る。普通だったら容易では無い。だが、郵便局なら不可能では無い。
◇ ◇ ◇
羽田とススムが降り立ったのは、空調の機械室だった。
喧しく唸る部屋を抜けて、廊下を歩く。一ツの小部屋が目に留まる。
「宿直室?」
「寝ずの番が要ったんだろう。丁度
「え、あっ、其れって」
羽田が言いながら扉を開ける。玄関の先の四畳間は、詰まるところは寝室だ。左手は狭い脱衣場に洗濯機が置いてある。奥はシャワールームになっている。
男女が汗を流した後に、寝室で、することと言えば
「ナニ考えてンだ、此の馬鹿野郎。アタシの匂いを付けたまま、ガールフレンドに会うつもりかい」
「あっ、えっ」
「良いから
尻を蹴飛ばされる勢いで、シャワールームに放り込まれた。備えた心を空振りさせて、栓を捻って水を出す。すぐに水は湯に代わり、汗と脂を溶かしてくれた。
ざあざあと
◇ ◇ ◇
汗と皮脂の膜を脱ぎ捨てて、肌に直接、冷気が刺さる。肌寒さすら覚えるほどだ。
「あの、出ました。洗濯、ありがとうございます」
「つッても水で回しただけだし、生乾きだと思うけど」
「いえ、着てれば乾きますから」
脱衣場のカーテン越しに、羽田の声が返って来る。ハンガーに掛けられた制服たちは、空調の風を直撃されて、ひらりひらりと踊っている。ススムは下着を手に取った。此れに羽田が触れたと思うと、強い血流が蘇る。
着替えを済ませて、カーテンを開ける。畳に羽田が腰掛けていた。
「
「……
何だか気不味い。
其れを誤魔化すように、羽田が付け加える。
「あと、そっちに警備のヘルメットが置いてある。二輪と規格は違うけど、帰るだけならバレないだろう」
「大丈夫すかね……?」
「へーきへーき、適当に借りときな」
いつもの調子を取り戻し、羽田が軽々と言う。
脱衣場の逆を覗いてみると、狭い物置になっていて、段ボール箱が積んである。其のうちの、ヘルメットと殴り書かれた箱のなか、白い
後頭部には、個人の名前がラベルで貼られているようだ。幾ツかの名前が連なる奥に、「予備」と書かれたものがある。此れは好都合だと引っ張り出すと、内の
拾った其れの後頭部には「佐藤 辰斗」と記されている。害虫に触れた神経で、考える前に投げ出していた。からんからんと音を立て、箱の向こうへ転がって行く。
「何やってンだい、行くよ」
「あ、はい、すんません」
先行く羽田に急かされて、ススムも小部屋を後にした。
◇ ◇ ◇
ざぶん、って、あたまのさきまでつかる。
おおきくみずをすいこむと、はなのおくが、つんとする。もうなれたけど。
めをあけると、じぶんがいる。みぎと、ひだり、うしろにも、いる。じぶんにみられるのは、すきじゃない。でも、いまは、きらいでもない。
なかと、そとから、からだにしみる。なんだか、このまま、とけちゃうみたい。
こうなると、いつも、ねむくなる。きょうは、おにいさんが、まってるから。きょうは、すこしだけ。
すこしだけ、おやすみなさい。
◆ ◆ ◆
恐竜の 歯磨き係と 配達員
森に秘するは 歯磨き係-Ⅱ
―完―
恐竜の 歯磨き係と 配達員 173 @173_ona_cious
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