森に秘するは 歯磨き係-Ⅱ

【前回までの粗筋】

 小山内おさないススムは郵便配達の非常勤職員ゆうメイト。銃を手にして、機動車バイクを駆って、今日も何とか命を繋ぐ。

 妖しい人影から、〈歯磨き係〉を遠ざけた。一方〈歯磨き係〉は〈研究所センター〉の奥へ消えて行く。彼女の秘密を知りたいススムは、彼女に内緒で彼女を追った。其の道中で、支社付きの若き女室長・羽田はねだ十六夜いざよと出会い、行動を共にすることになる――


  ◆ ◆ ◆


「9型けん銃」は、短身小口径の回転式拳銃リボルバー・ピストルだ。アメリカから自衛隊を経て、郵防公社へ行き着いた。例によって、だった。自衛隊に於いては「9.65mmけん銃」の名で、主に後方へ供されていた。

 装弾数は六。回転式拳銃リボルバーである以上、再装填にも手間がる。三八口径サーティエイトの弾丸は、優れた精度の一方で、鱗に分が悪い。そう言う訳で、公社でも、主に後方で使われる。もっとも支社の人間は、銃に触れたがらない者も多い。支給と同時に返納かえされることも珍しくない。


「〈小鎌付き〉が、三」

「はい」


 羽田の姿勢は異質と言えた。左手を握り胸に載せ、右手ひとツで銃を振る。

 扉を出た先は、小さな空間スペースになっていた。古い石畳に覆われて、先は階段が降りている。此処は高台になっていて、山肌の側に在るらしい。蒸せる熱気に青さがせる。

 隙間から生える下草を、〈小鎌付きヴェロキラプトル〉がと揺らす。羽田が小さく口角を引き、むっツの鉛が草葉を射抜く。


再装填リロードするよ」

「ッ、了解!」


 思い切りの良さに圧倒される。しゃがむ羽田をかばうよう、左の脇から進み出る。

〈小鎌付き〉が着る灰の毛は、乾燥地帯に適したものだ。しかし、こうして草木くさきれば、緑を映して影に溶け込む。

 下草が揺れる。左にふたツ。右半身を引いた姿勢ウィーバー・スタンスで、二発を放る。手応えは無い。


「オサム、大丈夫だ」

「……はい」


 じとり、と嫌な汗が肌着に沁みる。影を追いつつ三発を撃ち、遂にツ目が命にあたる。弾丸たまに背骨を巻き込まれ、じるようにして身体を折った。

 ススムは鼻から息を吐き、横目で羽田の具合を見る。左へ振り出スイングアウトした弾倉は、既に空薬莢を吐き出している。其処へ新たな弾薬が、六ツ同時にし込まれる。弾倉が戻り、装填を終える。早い。


「流石は四五口径フォーティファイブだねェ――っと、御待たせ」

「あとひとツです」

「ン――?」


 羽田の厚い唇は、肯定の音を出し掛けた。其れが途中で疑問符を打つ。ぎこちない足を踏み出して、ススムのたおした相手へと寄る。

 ススムは小さい背を追うが、ひとが気掛かりだった。斯くして左の茂みが揺れる。即応、発砲、命中しない。そして遊底スライドは下がったままで、ひとも無いと言う。しまった。

――と、思ったときには、羽田の拳銃が火を吐いていた。つらなるむっツの弾丸に、奪徒は小さく声を漏らした。茂みの蠕動ぜんどうが去っていく。


「ちゃんと弾倉交換リロードしなきゃ駄目だろう?」

「……済みません」

「って、アタシが勝手に動いたからか。ごめんよ」


 甘えを許さぬ叱責が、誤魔化すような笑顔に変わる。流石に舌こそ出さないが、血色のい唇に、ススムは視線を奪われる。

 そうするにも、羽田は再装填リロードを済ませてしまう。ススムも慌てて、腰に回した鞄を開ける。

 羽田は左の口角を上げ、先の一体に向き直る。幸か不幸か、まだ生きていた。生の水面みなももたげたくびを、羽田はたがわず撃ちのめす。


「オサム、見てみな」

「……何すか、これ」


 羽田は何も、仕留めた獲物を誇るのでない。亡骸の横に転がったのは、別の動物の一部のようだ。ごつごつとこぶが繋がって、サイズ以上に大きく見える。


「〈鬼棍棒〉の子供チビだろうね」


〈鬼棍棒〉、重き甲を装する頭エウオプロケファルスは、最大級の膠着竜類アンキロサウリダエだ。先日〈歯磨き係〉が着ていた寝間着パジャマは、正に本属を模していた。短い四肢と平たい身体、特に幼体では愛嬌が勝つ。だが、した躯の堂々たるや、名前に一歩も劣らない。


「だとすると、親が近くに?」


 木々のざわめきに首を振る。何も無く、生温なまぬるい風が空気を混ぜる。

 羽田は煙草の箱を置き、電話を取り出し写真を撮った。うーン、と唸って、ススムとは別の懸念を返す。


「幾らチビだと言ってもねェ、〈小鎌付き〉どもが引き千切るのは難しいかも分からんね」

「てことは」

「あァ」


 葉がれて、枝が折れる。羽田が煙草をコートに仕舞う。湧き出る汗は気化せずに、不快の姿で肌を這う。

 緑のがくに、青い空。きいブイり上がる。其の滑稽さは、直ちに不穏が駆逐した。


「下手人の御出座おでましだ」


  ◇ ◇ ◇


 現れたのは〈鶏冠とさか持ち〉だった。頭部に二枚の半円アーチを飾る、二ツの隆起を有す竜ディロフォサウルス。ほっそりと長い六メートルは、華奢な印象すら受ける。〈三本指アロサウルス〉より小さいし、形態的にはふるさが見える。だが、だ。、そんなものなどジュラ紀前期プリンスバックの怪物だった。


「ッ、散開!」


 羽田の号令は早かった。〈鶏冠持ちディロフォサウルス〉の一撃は、湿った空気に喰らい付く。跳んだススムのぐ右が、腐肉のにおいに満たされる。〈三本指アロサウルス〉より小型でも、死への距離など変わらない。


「オサム! 下だ!!」


 着地に多々良たたらを踏みながら、先の階段を指し示す。

 了解、と走るススムへ、擦れ違った〈鶏冠持ち〉が向き直る。細長い身を、尻尾の先までて、器用に小回りして見せた。被食者としての本能が、ススムに嫌悪を喚起する。

 黄土の鶏冠に、浮いた血管が赤黒く、興奮のさまを隠していない。獲物を奪われ、追って来て、激昂していない訳が無い。


「ヘルメットを外せ!」


 言われるがまま、顎のバックルに手を掛ける。目の前で落ちた白い半球ドームに〈鶏冠持ち〉の意が注がれる。

 羽田が其れを、三八口径サーティエイトはじいて見せた。ボールに子犬のように、前肢で押さえて齧々かじかじとする。

 其の隙に、ススムは階段を降り掛けている。だが、〈鶏冠持ち〉の飽きも早かった。白い玩具で遊んだ後は、黒い玩具が目に留まる。

 地を這うへびやらとかげの如く、滑らかな所作で羽田に迫る。其の脚は、古い石畳を波立てる。ぎこちなく走る羽田の足を、揺れる石畳がすくい取る。


「羽田さん!」

「来るな!」


 無様に転がる羽田が叫ぶ。撃てば羽田へ誤射してしまう。看過するのは出来そうになく、くだる階段を引き返す。

 仰向けの身体をよじる羽田へと、隆起アーチかざして迫る竜。羽田は左脚を振り上げる。余りに儚い抵抗を、〈鶏冠持ち〉の歯が貫いた。

 ススムは瞬時に身を固めたが、悲鳴は聞こえてこなかった。それどころか、喰われた足へと身を起こし、有るだけの弾丸たまを撃ち込んでいる。

 眼球めだまを狙ったのだろう其れは、鶏冠を穿うがって血飛沫が咲く。だが、羽田の解放は叶わない。漁食ぎょしょくも可能な円錐の歯が、美事に足を捕まえている。、上顎先端を動かして、上手く獲物を閉じ込めている。そして、獲物の抵抗を殺そうと、前後と左右にくびを振る。


「オサムぅ! 頼んだよォ!!」

「へっ?!」


 何を頼まれたか知るより早く、羽田の身体が飛んで来た。左脚の脛から下は、〈鶏冠持ち〉の口元にある。其れを切り離した勢いのまま、低伸弾道がススムに刺さる。幾ら羽田が小柄だとても、ナイスキャッチは不可能だった。してや此処は階段だ。重力の下に導かれ、ぐちゃぐちゃになって落ちていく。

 ようよう踊り場で止まったときに、羽田の肩越しに鶏冠を見遣る。口にのこった羽田の脚を、呑み込んでいた。ぐっと両手に力が入る。


「アタシの乳が気に入ったかい。ガールフレンドに言い付けちゃうよ」

「えっ!? いや、あっ、えっと、すみまs」


 左手に、コートの奥の豊かさを。右の手に、スラックス越しの肉感を。言われて初めて知覚して、知覚してから手を離す。


「冗談だよ。拾ってくれて、ありがとうね」

「いえ、あの、ありがとうございます」

「礼を言われるのも――まァ、いいや。其処の横穴へ連れてっとくれ」

「あ、は、はい」

「悪いねェ」


 足をくした羽田を背負う。幸い、追っては来なかった。


  ◇ ◇ ◇


「獲物も返したし、〈小鎌付き〉どもの肉も有る、隠れさえすりゃあ大丈夫さね」

「だと良いんですが」


 横穴の入り口に〈化石の地下壕ちかごう〉なる銘板が有る。羽田の言う「穴ぼこ」のひとツなのだろう。深い茶色の土壁に、白い貝化石が無数に見える。中の空気は冷たくて、火照る身体の汗が引く。


「オサム、ちょっと降ろしとくれ」


 はい、と応えてススムは止まる。左の肩は預かったまま、右足ひとツがごうを踏む。


「あの、何て言うか、大丈夫なんですか」

「うン?」

「あ、足です」

「あァ、驚かせたかい。御覧の通り、義足だよ」


 羽田は何処から取り出したのか、傘の骨のような軽金属を、かちゃりかちゃりと引き伸ばす。其れを左膝に接続すると、ススムの右肩は解放された。かちゃりかちゃりと踏んでみて、馴染み具合を確かめる。


「ま、今どき珍しかないだろう?」

「そう、ですね」

「おっと、嫌な話をしてしまったね。許しとくれ」

「いえ、大丈夫です」


 謝るべきは、自分のほうでは無かったろうか。などとススムは反省したが、かちゃりと羽田が胡坐あぐらを掻いた。


「ちょっと一服させとくれ」

「どうぞ」

「何を突っ立ってンだ。座ンなよ」


 羽田が左をばんばんとして、ススムは其れに従った。床と壁は冷たくて、身体の粗熱を奪ってくれる。

 紙巻煙草を口にして、「あれを御覧」と羽田が

 針葉樹の、一等太い枝先が、何やら黒く膨らんでいる。其れにたかった小さな影は〈蝙蝠擬き〉と見えたので、が何か察しが付いた。

 オイルライターが用を成し、金属の音で火を消した。思った以上に、匂いが強い。


「まさか」

「あれがの趣味なのサ。オサムも、なるはずだった」


 まるで百舌もず早贄はやにえだ。貫く嫌悪が脳まで届き、肛門しりに知らずと力が入る。


で済んで、幸運だった」


 何がですか、と誤魔化す前に、右の前腕を示される。

 観念して袖をめくる。肉が醜く盛り上がり、深い裂け目を埋めている。今や痛みは殆ど無いが、たま疼々うずうずして気持ちが悪い。


恐竜人間ディノサウロイド痕だね」

「信じるんですか?」

「疑う根拠が無いからね」


 煙の匂いを撒きながら、事も無さげに羽田が言った。

 今まで、恐竜人間のことを口外しなかったのは、佐藤の言い付けだけが理由ではない。信じられるわけがないからだ。恐竜人間に襲われたなどと吹聴すれば、其の瞬間から非科学趣味者オカルトマニアと見做される。古今の例が、そうあるように。

 其れを、羽田は信じると言う。ススムを、と言うよりも、自ら扱う情報を、ではあるが。


防衛業務支援系統DOSSのデータが何処に送られると思ってンだい? ありゃあ生のデータだし――嘘を吐く理由なンて無いだろう」


 途中で煙を吐き出して、羽田がススムを横目で見遣る。

 ならば、とススムは意を決す。


「あいつは、何なんですか」

「見ての通り、恐竜人間サ」


 煙とともに、羽田が笑う。


「でも、恐竜人間は」

「ああ、思考実験の産物だ。そういうことになっている」


 惹子ニャンコに聞いたことがある。恐竜が滅んでいなければ、どんな姿になっただろうか。もしかすると、哺乳類の一種に似ていたかもしれない。大きな脳を有する種属が、ヒトに似た形態を獲得したのではないか、と。


「あまりにおごった結論サ。進化とは、ヒトに至るみちと言いたいのかね。――結果として、学者よりもSF作家に歓迎された」


 厚い唇が皮肉に歪む。紙巻煙草が紫煙を上げる。


爬虫類人レプティリアン、てのは聞いたことがあるかい?」

「未確認生物とか、そんなやつですか」

「読んで字の如く、蜥蜴とかげ人間だ。地下から人類を支配している、なンて言われているね」


 爬虫類人、蜥蜴人間、そして恐竜人間。羽田は何を言っている?

 恐竜人間は、思考実験の結論では無い。爬虫類人は、非科学趣味者の戯言では無い。


「そいつらが、隕石衝突DR狼煙のろしに代えて、地上を取り戻しにやってきた、と言うわけだ。――そして、恐竜人間も、爬虫類人も、真面まともなやつほど相手にしない」


 羽田が言っていることは、羽田が言っている通り、真面まともな話とは言い難かった。


「奴らが居るのは、地面の下じゃァないンだよ。意識の下にんでいたのサ」


 脈が早くなる。つるりと張った傷痕の下で、何かが疼いて気持ちが悪い。


「オサムこそ、アタシの言うことを信じるのかい?」

「ええ」

「何故」

「疑う根拠がありません」


 ふン、と羽田が笑う。携帯灰皿に煙草を捨てて、かちゃりと腰を持ち上げる。


「さァ、行こうか。〈歯磨き係かのじょ〉は此の先に居るはずだ」


 ススムはひとうなずいて、羽田の背中に従った。

 壕の中を、足音が満たした。


  ◇ ◇ ◇


「長いんですか、此処」

「此の穴自体は短いけどね。総延長は、かなりのもんだよ」


 足元はコンクリートが打ってある。其処に埋まった照明が、やんわりと壕をあからめる。白い貝化石が照らされて、淡い存在が浮き上がる。 

 物置に使われていたのだろう。さして大事そうで無いものが、乱雑なさまでしている。そう言う何かを擦り抜けながら、羽田は何とも無さげに言った。

 実際に、大事なものでは無いはずだ。此処は階段の中腹で、車両の乗り入れも出来ないだろう。捨てるに捨てられないものたちを、詰めておきたい場所がある。


「此処ほど大きくないらしいけど、潮路しおじにも在るんだって?」

「本当ですか、聞いたことないです」

「ま、潮路あっちとは、会社も飛行機も違ったらしいがね」

「えっ、飛行機を作る場所なんですか」

「〈決戦爆撃機〉なんて呼んでたそうだ。全く、ヒトの執念は恐ろしい」


 地下の狭い場所で作るのだから、銃とか弾だと思っていたが。其れに、ススムにとっての飛行機は、写真や映像で見るものだ。此処で飛行機を作るなど、恐ろしの竜を起こすより、荒唐無稽な気がしてしまう。

 羽田の差し出す手を取って、資材の谷間をようよう抜ける。両脇の壁が、行く手で繋がりふさがっている。


「あれ、行き止まりですか」

「んにゃ、此奴こいつの奥が、続いているね」


 地面にまった格子の蓋グレーチングを覗き込んで羽田が言った。


「ヒトの執念って言うやつですか」

「知的探求心は、ヒトの生存戦略サ」


 上手いこと言ったつもりだったが、矢張り羽田には敵わなかった。

 羽田のかざした白い光が、縦穴のさまを明らかにした。


「どうやら送水管らしい。空調用の地下水だろう」

「そんで梯子はしごはメンテ用ってわけですか」

「そんなとこだろうね」


 なるほど、ススムが仕事をする番だ。腰を落として手を掛ける。重い。

 不快な金音かなおとが閉所に響く。端を何とか角へと乗せる。一息を吐く。


「何て言うか、こんなとこから入れるんすね」

「まァ、此処は施設の〈内側〉だしな」

「でも先刻さっき、セキュリティが厳重だって」

「ほら、此れを御覧」


 羽田が指差す地べたには、コンクリートの擦り傷がある。無論、ススムが付けたものとは違う。


「オサム、アンタ、出勤したけど職員証を忘れました。さァ、どうする?」

駐輪場ちかは職員証が要らないので、其処そっからパスコードで入ります」

「一〇〇点満点の回答だ。其の跡も、忘れもんした誰かだろ。ヒトが人間である以上、必ず何処かにが抜けるのサ」


 そして、其れに付け入るが羽田の仕事と言うわけだ。今更ススムは得心するが、当の羽田は溜息を吐く。


「でもねェ、」

「?」

「此れでも支社の人間だしね、頭の痛い回答こたえでもある」


 んふふ、とススムは笑いをこぼす。腕の力が霧散して、両手から蓋が離れてしまう。

 そんなススムをジト眼で睨み、羽田は呆れた声を漏らした。


「笑いごっちゃァないンだよ、ッたく」


  ◇ ◇ ◇


 梯子を降り切ると、其処は天井裏のようだった。空調らしき配管が、ごんごんと音を立てている。

 羽田が、おや、と呟いた。懐で、電話が振るえているようだった。羽田が「失礼」と眼で言って、ススムが「どうぞ」と手振りで返す。


「――どうした、うン、うン? ……あァ、繋いでやンな」


 電話の相手は、先も話した女性だろうか。情報室への入電が、羽田の手元へ転送される。


「やァ、御無沙汰しているね。佐藤課長」


 わざとらしく、羽田が言う。ススムは反応してしまい、羽田の口角が僅かに上がる。

 無駄に大きな上司さとうの声が、受器スピーカーから漏れて来る。肌に心地良い地下の空気が、一気に汚された気持ちになった。


〈御忙しいところ、申し訳ありません〉

「今ちょっと現場に居てね。手短に行こう」

〈はい。報道関係者らしき二人組を拘束しました。戦略情報室そちらにはなりませんかね〉

「ふン、良いだろう、うちで。で、本題は?〉


 羽田は、佐藤の示したを、返す刀でに替えた。ススムが其れに気付くのは、今から暫くあとになる。


〈……実は、備蓄の弾薬が少なくてですね〉

「なるほどね。坊田ぼうだは、回してくれないッて?」

〈はい。何とかなりませんか〉

「佐藤課長、丁度い、アタシもアンタにが有る」

〈……何でしょう〉


 苦虫を呑んだ蛙のような、佐藤の表情が目に浮かぶ。佐藤が負かされるのは楽しいが、己の想像力が恨めしくなる。


「そう構えなさンな。御宅たくの若いのを借りている」

〈小山内ですか〉

「ふふン。使ったり、壊したぶんはウチが補填する。彼は一切、御咎め無しだ、良いな?」


 実は、其れが大きな気掛かりだった。対応指揮局CPの許可無く発砲し、更に備品ヘルメットうしなった。小言こごとでは済まず大事おおごとになる、そんな確信がススムにあった。


〈……承知しました〉

「良い返事だ。じゃァ、朝日の加東かとう協会を訪ねて御覧」

〈朝日市の、加東協会、ですか〉

「会長と少し仲が良くてね。アタシの名前を出すと良い」

〈……ありがとうございます。行ってみます〉


 ススムは強く感動していた。とても大きな感動だった。佐藤を完全にり込める、此れが戦略情報室の、羽田室長の力量なのか。

 だからこそ、羽田が通話を終えたとき、ススムは感謝を口にした。心からの感謝だった。


「待たせたね」

「あの、ありがとうございます」

「うン?」

「御咎め無しってやつです」

「礼を言われるのも、変な話サ。アタシを手伝った上の消耗だ、当然だろう」

「其れでも、です」


 喰い下がらんとするススムのさまに、羽田は呆れた苦笑を見せた。


「何だ、佐藤課長、そンなに口五月蠅いのかい」

「ええ、そんなに口五月蠅いんです」


 あはは、と羽田は笑いをこぼす。ススムの肩を叩き、釣られて義足も笑う。

 そんな羽田を困って見詰め、ススムはて声を漏らした。


「笑いごとじゃあないんすよ、本当ほんと


  ◇ ◇ ◇


「加東協会、データベースにヒットしました、が……」


 通話を終えて受話器を置くと、同時に伊香が声を出す。持つべきものは、優秀な部下。だが、佐藤は知っているのだ。


「廃業しているだろう?」

「ええ」

「協力事業者でな、以前は郵防公社うちと提携していた。関係も、まあ、悪くはなかった」


 伊香は、佐藤が知っていたことに、驚きを口にしなかった。然し、続けて現れた情報に、疑問を思わず口にした。


「所在地、此れ、〈研究所センター〉の……?」

「ああ。〈研究所センター〉付近の警備を請け負っていたんだが、事故で事業所がくなった」


 まさか朝日市あさひひそんでいたか。

 朝日市あさひ潮路市しおじより小さいが、其れでも六〇〇〇〇の人口がある。其の中で、業者を探す。普通だったら容易では無い。

 佐藤が再び電話を取ると、伊香も端末に向き直る。普通だったら容易では無い。だが、郵便局なら不可能では無い。


  ◇ ◇ ◇


 羽田とススムが降り立ったのは、空調の機械室だった。

 喧しく唸る部屋を抜けて、廊下を歩く。一ツの小部屋が目に留まる。


「宿直室?」

「寝ずの番が要ったんだろう。丁度い、ちょっと汗だけ流しておいで」

「え、あっ、其れって」


 羽田が言いながら扉を開ける。玄関の先の四畳間は、詰まるところは寝室だ。左手は狭い脱衣場に洗濯機が置いてある。奥はシャワールームになっている。

 男女が汗を流した後に、寝室で、することと言えばひとツだけ。ススムは顔を赤らめて、心の準備を整える。


「ナニ考えてンだ、此の馬鹿野郎。アタシの匂いを付けたまま、ガールフレンドに会うつもりかい」

「あっ、えっ」

「良いから早々さっさと行ってきな」


 尻を蹴飛ばされる勢いで、シャワールームに放り込まれた。備えた心を空振りさせて、栓を捻って水を出す。すぐに水は湯に代わり、汗と脂を溶かしてくれた。

 ざあざあとわめくシャワーの音は、脱衣場に現れた羽田の気配を掻き消した。羽田が赤らんだ其の顔を、ススムの下着にうずめたことも、当のススムは知る由も無い。


  ◇ ◇ ◇


 汗と皮脂の膜を脱ぎ捨てて、肌に直接、冷気が刺さる。肌寒さすら覚えるほどだ。


「あの、出ました。洗濯、ありがとうございます」

「つッても水で回しただけだし、生乾きだと思うけど」

「いえ、着てれば乾きますから」


 脱衣場のカーテン越しに、羽田の声が返って来る。ハンガーに掛けられた制服たちは、空調の風を直撃されて、ひらりひらりと踊っている。ススムは下着を手に取った。此れに羽田が触れたと思うと、強い血流が蘇る。

 着替えを済ませて、カーテンを開ける。畳に羽田が腰掛けていた。ほのかに上気して見えるのは、ススムの願望込みだろう。血色の好い唇が、ぷるんと揺れる。


したみたいだね」

「……です」


 何だか気不味い。

 其れを誤魔化すように、羽田が付け加える。


「あと、そっちに警備のヘルメットが置いてある。二輪と規格は違うけど、帰るだけならバレないだろう」

「大丈夫すかね……?」

「へーきへーき、適当に借りときな」


 いつもの調子を取り戻し、羽田が軽々と言う。

 脱衣場の逆を覗いてみると、狭い物置になっていて、段ボール箱が積んである。其のうちの、ヘルメットと殴り書かれた箱のなか、白い半球ドームが重なっていた。細かい部分の差異こそあるが、確かに遠目にはバレないだろう。

 後頭部には、個人の名前がラベルで貼られているようだ。幾ツかの名前が連なる奥に、「予備」と書かれたものがある。此れは好都合だと引っ張り出すと、内のひとツが転がって来た。

 拾った其れの後頭部には「佐藤 辰斗」と記されている。害虫に触れた神経で、考える前に投げ出していた。からんからんと音を立て、箱の向こうへ転がって行く。


「何やってンだい、行くよ」

「あ、はい、すんません」


 先行く羽田に急かされて、ススムも小部屋を後にした。


  ◇ ◇ ◇


 ざぶん、って、あたまのさきまでつかる。

 おおきくみずをすいこむと、はなのおくが、つんとする。もうなれたけど。

 めをあけると、じぶんがいる。みぎと、ひだり、うしろにも、いる。じぶんにみられるのは、すきじゃない。でも、いまは、きらいでもない。

 なかと、そとから、からだにしみる。なんだか、このまま、とけちゃうみたい。

 こうなると、いつも、ねむくなる。きょうは、おにいさんが、まってるから。きょうは、すこしだけ。


 すこしだけ、おやすみなさい。


  ◆ ◆ ◆


恐竜の 歯磨き係と 配達員

  森に秘するは 歯磨き係-Ⅱ


          ―完―

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