ばつと下るは 毛深の邪悪-Ⅱ
追うて撃つのが追撃ならば、ススムは未だに果たしていない。
〈そろそろ追い付く、と思う――
「了解、有難う――
〈
情報自体は単純なもの。相対的な、方向と距離。遠くに在るうち、ざっくりと。近くに寄れば、より正確に。
〈気を付けなきゃ、ね――
住宅街から住宅街へ。前車に続いて右折したらば、方向指示器が左へ灯る。明滅に雨が温度を帯びて、湿気と暑さに拍車を掛ける。
そうして車体を左へ倒し、先のニャンコがタイヤを鳴らす。
「づあっ!?」
ススムも喉とブレーキが啼く。後輪は見事ロックして、ぐるり車体は一八〇度。転倒こそは免れたものの、ニャンコの
女子高生が喰われている。比喩では無く、文字の通りに喰われている。白い半袖ブラウスに、赤い
例えば
肉を切れない、骨も折れない、
そうして箸を渡っても、彼女自身は
ニャンコの右手がアクセル開く、前にススムが飛び出した。鼻を掠められて、猫が
水を濁らすエンジン音に、悪魔は食事の
席を立たれて残された皿、赤くて黒い喰い散らかし。ぴたりと彼女に横付けすると、跳ねた雨が臓器を濡らす。綺麗だったろう小さな顔は、無数の傷に覆われている。青い唇が上下に震え、扇情的な首筋が動く。無いはずの穴に、喉が笛吹く。
ススムは
奴らは何処だと首を廻せば、「ススムちゃん!」と呼ぶ鋭い声が。
「
羽ばたき、重力、死角と急襲、其れら総てを積と成し、汚れた
ヒトの造りは真上が見えない。考える前に銃を離して、空いた右手でアクセル回す。ぎゅんと一声、
頭上に迫るは殺意で無くて、純なる食欲。振り切れるかと挟まる疑念を、再びニャンコが引き抜いた。
「ススムちゃん!
言われるがままの全力制動。濡れた路面をタイヤが舐めて、ロックしたなら放り出される。がしゃんと五月蠅い金属音を、雨と一緒に
身体を起こして片膝で立ち、
眼前へ降りて困惑するは。食うべきを、
代わりに得たのは、
此れは恐るべき
だが完璧など存在しない。同一進行線上の
痛みを忘れて感謝が溢れる。
◇ ◇ ◇
「ススムちゃん!」
用意の良さに舌を巻き、銃を納めて立ち上がる。
「ありがとう、助かった」
「良かった」
顔を歪めながら笑ってくれる。
「今、救急車を呼んだの」
「……ありがとう」
呼んだところで、と込み上げて、其れを何とか呑み込んだ。
ニャンコは、雨に構わず膝を付き、女子高生の左手を両手で握る。「大丈夫だよ」の優しい声を、
「搬送まで、一緒に居てあげてくれないかな」
此処は住宅街の真ん中だ。警笛に続く銃声に、住民たちの視線が痛い。見棄てたと言われては敵わない。
言ったススムを、ニャンコが見上げる。不安と言うより心配そうに、綺麗な形の眉が寄る。
「良いけど、
虫の息した女子高生の、制服だった此の
「何と無く、検討が付いた」
飾りの無い白い半袖ブラウスに、薄桃色したシンプルなリボン、紺のスカートも単色で、有り体に言えば極めて地味だ。
「あ。んじゃ、此れ」
するりとニャンコが脱皮する。薄水色のブラウスと、胸元に下がる
「
「
「ありがとう。そんじゃ、御先に行くよ」
がさがさと合羽に袖を通す。
髪の躍るときに似た綺麗な匂いに、少しの甘ったるさが
「りょーかい。乗っけたら、すぐ行くから」
左手は
「オーライ。ゆっくりで良いから」
言ってススムが拳を合わせる。
きんこん、かんこん、と湿気を伝って鐘が響いた。下校時刻を報せるものだ。
だからススムは真っ直ぐに、音の
◆ ◆ ◆
県立
在学生たる
だが、然し。高校生と言う生き物は、何でも出来ると信じているのだ。
だから退避の警報なんて、ダサいものには従わない。
同級生の前で
速度を上げれば、更に強く雨が打つ。ばらばらと浴びる散弾が、目に鬱陶しく耳に五月蠅い。
乱れ立ちたる住宅の向こう、校舎が見えた、ときだった。一ツの影がススムの
「!?」
今日で何度目かの強いブレーキだが、そうそう何度も転ばない。
御天道さまは、隠れながらも働いている。其れを音も無く遮るなどと。一体全体、何ものなのかと見上げた先は。
「蛇……?」
口にしながら馬鹿馬鹿しいとススムは思う。蛇が飛ぶとか飛ばぬで無くて。
逆光を受けた空飛ぶ影は、
其れを間抜けに見送れば、
〈ススムちゃん! ススムちゃん、応答して! ――
ニャンコの声がして我に還った。
「
〈ケツァルコアトルス!! 見た!? 見たでしょ!?〉
〈ケツァルコアトルス! 古代アステカの
なるほど、世界史は得意でないが、全く覚えが無いでも無い。
〈
更に続けて、何だかんだと。一方的に言うだけ言って、一方的に回線は切れた。
声の弾むを抑え切れぬは、感性が今も健全な証拠だ。不謹慎など言葉を放てば、其れは真っ先にススムを
――其れにしても。
なればこそ、其処に付け入るのが、人の仕事だ。
◇ ◇ ◇
案の定、生徒の一部は下校を試みていたらしかった。
すると、其のうち一人の生徒が、四の
其の隙を縫って、友人教師が生徒を救出。生きた懐石と成るのを避けた。数名の負傷者を出したものの、屋内避難は完了をした。
〈蝙蝠擬き〉が「蛇」を迎えて、灰色の空で火花を散らす。大翼竜空中決戦は、こうして端を
◇ ◇ ◇
威容に似合わず
そんな仮説を軽々と、ケツァルコアトルスは飛び越えた。翼の前面を器用に使い、大きな揚力を
校庭いっぱいを
神話のケツァルコアトルは、
ぐい、ぐい、ソルデスが高度を上げて、ケツァルコアトルスに追い縋る。あっさり後ろを取ったなら、短い尻尾に喰い付くだけだ。
動かす空気、生み出す気流の量が違う。動く翼に雨が
寄れぬならばと距離を取るのは、後ろでは無く、
速度を高度に変換し、運動エネルギーを蓄える。ぐるり旋回する先へ、山越え
蓄えたものを開放すれば、雨に先んじて蛇へと
そして、其の守りは堅固だった。一は避けられ虚しく
だが、諦めを知らぬものが居た。避けられたことで、速度は重ねて大となる。其れを高度へ再変換し、腹の下へと潜り込む。大きな翼が空気とともに、不浄なるものを吸い上げる。打ち下ろしたらば弾かれるから、拒むこと無く気流に乗った。そうやって肩の前から躍り出て、神の頸へと歯を立てた。
ケツァルコアトルスの嘴は、長く、鋭い。二メートル超の頭骨は、徹底的に密度を下げた。地を離れるにも振り回すにも、より軽いほど都合が好い。表面を覆う角質は、強度までをもカバーする。地を這う、泳ぐ、空を飛ぶ、どんなものでも逃げられぬ。
然し、頸へ喰い付かれるのは話が別だ。此の体格差が仇となり、悪魔祓いを難とする。首も細くて長いから、些細な傷でも命に届く。
だから、ケツァルコアトルスは高度を上げた。強い羽ばたきに牽引される、強い旋回を伴うものだ。大にとっては何でも無くも、小にとっては
合力で以て引き剥がされて、
◇ ◇ ◇
学校に於ける顛末は、大体が予想の通りだった。
だが、予想していなかったこともある。
ススムと愛車が校門を抜け、管理棟から大回り、校庭へ滑り込んだときだった。
〈蝙蝠擬き〉が、強く地面に吸い込まれる。
果敢にも神へ挑まんとして、ぐっと其の四肢に力が籠もる。其れを
「
いつの間にやら現れた、
◇ ◇ ◇
〈蝙蝠擬き〉と取っ組み合って、白いワンピースが泥に汚れる。あれの洗濯は難儀しそうだ。
腰まで伸びた健やかな髪は、蒼すら思わせ黒く輝く。今日は雨に濡れ、いっそう深い。
頭には二本のリボンが生えて、
右手に在るのは、自身の前腕くらいの筒だ。先に毛束を備えているから、あれも「歯磨き」の道具だろう。
彼女が予想の外だったとて、決して不思議な感じがしない。其れこそが既に不思議だが、〈歯磨き係〉は、
今日の
組んず解れ
雨で狂暴性が増している、とはニャンコの言だ。
尤も、普段なら、雨の日は飛ばず寝ているだろう。事実、
とまれ、〈歯磨き係〉を三時とすれば、
考えるよりアクセルが早い。拍の遅れで
全身に纏う細い毛が、水と脂で
いつも通り後輪がロックし、接地の摩擦が仕事を辞める。左へ傾く車体に
遊ぶ両輪と車体の
今、すぐにでも
「おにいさん!!」
聞かない。
「
言葉の意味を解する前に、
胸中で舌を
だが、
こうして
更に上空の一体が、降下姿勢に突いて入った。あれが狙うはススムの
とは言えど、
なのでススムの
恐竜の 歯磨き係と 配達員
ばつと下るは 毛深の邪悪-Ⅱ
―完―
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