ばつと下るは 毛深の邪悪-Ⅰ
太古、空は昆虫のものだった。節の足を持つ仲間のなかで、羽ばたいたのは彼らだけ。仲間は
属名、ソルデス。識別名、〈
翼の
だが。比して大きい
其の
<i213144|12430>
◇ ◇ ◇
「〈
助手席に置いた端末を打鍵しつつ、インカムに向けて佐藤が言った。
迎撃作戦に先立って、既に注意報は発令している。〈四ツ足〉だけなら「直ちに影響は無い」。〈蝙蝠擬き〉は「想定外」だ。
〈
銃を構えたままなのが、声だけで分かる。
「いや、役場に
利害の一致を見ているだけだが、
「伊香、奴らを頼む。此処を抜かれば、手が付けられん」
〈了解しました〉
優秀な部下の返事を聞くと、左の肩越し、振り返る。
声が乗らないようマイクを塞ぐ。
「全く、今日は厄日だな?」
沈んで黙るは、
嘆息とともに諦めて、硬い
「そもそも何で、此のタイミングで〈蝙蝠擬き〉なんだ?」
誰に言う訳でも無くて、正に佐藤の素直な胸中。
ただの愚痴でしかなかった其れ。
〈!〉
〈……そっか。
再び
〈佐藤さん――〉
〈〈蝙蝠擬き〉を肉眼で視認、発砲します〉
未だ疑問符の佐藤のことも、口を開いた三宅のことも、伊香は構いやしなかった。
今日の〈
◇ ◇ ◇
対象、九体。
初撃の微弱な刺激に目覚め、二度目の
喰う為に空へ進んだ竜は、飛ぶ為に喰らう翼と化した。
彼らが好むのは、
〈蝙蝠擬き〉の
三点射は二度、どれが当たったか定かで無い。細くて長いライフル弾は、其の華奢な腹を
哀れ重力が引くより早く、
被食者、捕食者、二つの本能。楔でも無い、横隊でも無い、歪な陣形。其れが同時に突っ込むだけで、被害が減って
如何に伊香が優秀だとて、
そんなものには構いもせずに、残る七ツの顎が
〈掴まれ〉
佐藤の声が、するか早いか
先まで伊香の居た場所が、
六ミリに満たぬ径の矢も、
伊香の左手、三指と一指が、
◇ ◇ ◇
〈蝙蝠擬き〉の一体が、三時の向きから伊香へ迫る。
一メートルまで高度を下げれば、車載の機銃は俯角が取れない。そもそも意識は
低空、猛進、すわ激突かと思わるときに、
あっと言っても、もう遅い。がぶり、
〈蝙蝠擬き〉の其の牙は、肉を裂くには確かに不向き。だが、虫の殻を割り
左から右、手中の竜を薙ぐよう放る。右から左、拳銃を抜く。左手が出迎えるように
◇ ◇ ◇
「伊香さん!」
「ススムくん、」
バックドアから駆け込むススムを、いつもの伊香が出迎えた。
佐藤の姿が見えないが、あんな奴のことは
「御帰りなさい」
微笑む伊香の額には、脂汗が滲んでいた。右肩の下で袖は切られて、白い上腕が露わになる。いつものススムなら、其処に釘付け。
だが、肘から下腕は、
「〈蝙蝠擬き〉は市街地に向かって――んっ」
伊香の声が、苦悶に上擦る。ボトルいっぱいの消毒液を、
「追い掛けて。ね」
「そりゃ勿論です、けど」
奴らが何処に向かったか。其れが最も肝心で、其れが最も分からないのだ。
「
「ニャンコさんが?」
当のニャンコは軽く頷く。巻いた包帯をテープで留めて、左脇から
彼女は、するりと身体を車外へ運ぶ。状況が呑めず、背中を目で追う。歩みの先には
非常時の連絡用に、先行車両に積んであったもの。其れを佐藤が下ろしたのだろう。
其の傍らで、
車内では、運転席へと伊香が這い擦る。包帯姿は痛々しいが、臀部を縁取る
「御願い、ね」
伊香は
「勿論っす」
視線を外して、横顔で軽く頷く。
「ススムくん自身も、気を付けて。ね」
「あざっす。御任せ下さい」
いつだって、伊香に言われば悪気はしない。冷静の振りで短く応える。
車外に出たなら泥が迎えて、靴と一緒に
◇ ◇ ◇
御天道様の御機嫌は、いっそう斜めに傾いていく。雨は
伊香と佐藤は指揮車に籠り、急ぎ調整を行っている。ススムとニャンコは、
しかし、まさか〈
「きっと
声のトーンは、やや低い。
二台の
「ニャンコさん、大丈夫なの」
「ガソリン免許、持ってるよ」
郵便業務の従事者は、
だが、そう言うことでは無い。彼女も勿論、分かっている。だから前を見たまま言葉を続ける。
「そりゃ確かに好きだけどさ。人が怪我して、好きとか言ってらんないっしょ」
ふ、と口だけ笑って見せる。
「なぁんて!
ススムに向いては、右手をひらひら。
寂しい笑顔だとススムは思った。だから「ニャンコさん」と口を開いた。
「なに?」
「惚れそうだわ」
「は……?」
眼は真ん丸にし、眉間を歪めて、口は半分
「ニャンコさんが
「其れこそ
眼が半ば閉じ、呆れたと言う。
籠った湿気を追い遣るように、ぱたぱたと襟を扇いで見せる。しっとりした鎖骨と、ススムの目が合う。
「……確かに」
空気が気不味くなる直前、伊香が調整の終わりを告げる。
ニャンコが、ばさりと合羽を羽織る。ひょいと
「私には
ちょっと
残念だなあと
相応しいかは
「さて、そんじゃ。
わざとらしく腕の筋など伸ばして言うと、
「ちょっと、ススムちゃん?」
またもニャンコが眼尻を上げる。
「
「えっ、あっ、すんません」
猫は獲物を逃さないから、言い逃れるのも諦めた。そんじゃ兎に角、急いで行こうと、正に
〈退避ぃ! 総員退避!〉
そして天地が、
〈退避ぃ! 退避ィーッ!!〉
汚泥のような佐藤の声。飛び起きるように指揮車が動く。
逃げる術の無い
白い閃光が世界に満ちて、
「しぶといなあ、おい!」
〈四ツ足〉に向けてススムが毒
口と同時に手足も動き、ギアを
「帰ったら補習だからねー!?」
併走しながらニャンコが叫ぶ。
補習なら寧ろウェルカム。其の為に、此の
降りしきる雨を掻き分けて、二頭の鉄馬が駆けて行った。
恐竜の 歯磨き係と 配達員
ばつと下るは 毛深の邪悪-Ⅰ
―完―
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