ごうとなれるは 雷の竜-Ⅱ
大山鳴動、
山のようとか、雷だとか、そんな喩えは意味が無い。
其れは山だった。大人が大人の肩に乗り、三人目の手が掛かる距離。其れに余さず肉が詰まれば、質量ばかりが主張する。
遥か
そして、其れは雷だった。
ごうとなりてはかみとなる、ごうとなれるはかみなりのりゅう。
◇ ◇ ◇
榴弾みたいな水塊が、草葉を散らかし地面で爆ぜる。森の手を取り雨が踊って、吹き
だから最初は、ススムも其れを、単に雷と思っていた。
まさか、
稲妻の白が世界を染めて、雷の影が浮き上がる。
其の威容に、其の異様に、ススムは一つ身体を
雨に冷えた訳では無かった。言い訳を挟む余地すら無い。
サイドスタンドで
手早く手早く、
「
カメラが起動し、映像を送る。
〈
雨の所為だか雷か、無線の感度が宜しくない。
いつだって、ススムの感度は良好なのだ。
「〈四ツ足〉を確認、繰り返す、〈四ツ足〉を確認。発砲許可を願う。――
可能な限り、一言ひとこと、はっきり告げる。雨足は強く、ススムと伊香の邪魔をする。
〈
ホルスターから
さあ。
「
誰への報告でも無くて、自分の為に呟いた。
雨は弱まる気も無くて、山は唸りを続けていた。
◇ ◇ ◇
目標、二時より一〇時へ西進中。
つまり、奴は此のまま道路を
熱持つ地面で雨が煙って、銀の杏が
赤い
太刀筋、勢い、其のままに、
◇ ◇ ◇
肉の鎧。革の
ススムが狙うは
しかし。巨体を支える
閉じる
ススムの若い動体視力は、彼に其れを成し遂げさせた。
水滴が辿る、鱗の輪郭。植物由来の排泄物が、雨で籠って、巨大な
左の脇は固く締める。
そして五発を撃ち込んで、
四ツの足が巻き上げて、図らず仕掛けた
思うより早く
転倒して、なお手放さなかった。己の意識にススムは呆れる。相棒が、左から右へ座席を移す。
身体を捻って
そうして、彼は
◇ ◇ ◇
泥達磨の
ずぶ濡れの制服を脱ぎ棄てて一息。そんなススムを迎えたのは、
「だからさ、ススムちゃん」
テーブルを挟んで向き合わせ。大きく鮮やかなリボンが可愛い。
他校の生徒と制服同士。何も感じぬ訳が無い。
「はい」
多くの社員は退社した時間。ススムは取り敢えずの片付けをして、伊香にカメラのデータを渡したところだ。分析を待つのに食堂兼休憩室の扉を開けて、ニャンコの待ち伏せに遭った。
ともあれ、あの後が酷かった。〈四ツ足〉が通り過ぎたと思えば、象の足より太い尻尾が襲って来たのだ。転んだ先が傾斜になっていて助かった。ずるりずるりと左右に
だから、高波のような泥を
「ブロントサウルスなんて恐竜は
目尻を吊っても嫌味が無いのは、彼女の良いところだ
人差し指を振るのに合わせてポニーテールが揺れて、見えない
そんな彼女と二人きり。本当に、泥を被ったくらいじゃ釣りが出る。
「此れも、ねえ」
ニャンコが
確かにススムは絵心が無いが。あの特徴は間違い無い。はず。
「頭の位置が高過ぎるし、付け根は低いし……尻尾は引き摺ってるし」
流石にマニアの目線は鋭い。次々と駄目出しが飛ぶ。
「此れじゃ
「伊香さんに言われたんだけどな」
微かな抵抗を試みて、
「うん。こりゃ
欠片の慈悲も無く打ち砕かれる。
ぷんすか、と憤慨。彼女は伊香を愛称で呼ぶ。
「てかさ、居ないってのが分かんないんだけど。ブロントサウルスって有名だし」
「ふふん、よくぞ訊いてくれました」
にゃあ、と彼女の
開いた襟元も一緒に緩めば、ススムの気分も上を向く。
「恐竜って、昔は化石しか見付かってなかったじゃん?」
ススムは頷く。
恐ろしの竜の蘇りしは、二○世紀も終わりのことだ。其れまで彼らは、石の中に眠っていた。其れくらいのことは知っている。
「一九世紀のアメリカで、化石発掘と新種発見の競争があったの」
「
「
「そんなことしたら、間違いも出るんじゃない?」
ちらちらと覗く細い鎖骨に、如何に心を乱されようと。間違って出さぬ自信がある。
欲と女性に
「おお、筋が良いじゃん。前に見付かったのと同じ
だが、誰もがススムのように
競争は発展の大きな力だが、競争が目的になれば力は狂う。
「てことは、ブロントサウルスも」
「そ。あとになってから、
肘を机に、振った右手を口元に寄せる。
小さい前歯が人差し指に立ち、隙間から小さく吐息が漏れる。ススムも釣られて感嘆したいが、決して会話を忘れはしない。
「けど?」
「ブロントサウルスは更に面倒で。頭骨が見付かってなかったから、適当なレプリカを載せて復元したの」
「そんな適当な」
流石に呆れる。
其れに乗るようにニャンコが続ける。幾らでも乗って欲しい。
「そんな適当なの。もう完全に
「確かに――雷みたいだった」
彼方に響く遠雷と、大地を砕く万雷が、脳裏に落ちては身を
ニャンコは見ない振りをしてくれた。
「其れが
「……なるほど、なあ。
「
架空の生物。空想の産物。
「だから、ブロントサウルスは居ないってことね」
「よく出来ました」
にっこり破顔、ニャンコが褒める。
するとススムの背後で扉が開く。
「ススムくん、御待たせ――って」
「やっほー」
ニャンコが右手を掲げて振る。ブラウスの裾が引き上げられて、白い腹部が隙間に覗く。
「ニャンちゃん、何で」
予想外の人物に驚く伊香。
彼女もまた、ニャンコのことを愛称で呼ぶ。
「事情聴取と、補習を少し」
「補習?」
左の脇には書類を抱えて、右手が其れを支えている。少しだけ、豊かな胸部が持ち上がる。
ススムにとっては、其れで充分。しかし、マニアにとっては
「そうだよ、
「え。なになに、何の話?」
戸惑う伊香。
けれど構わず、ニャンコの隣の椅子を引く。二人にとっては、いつものことなのだろう。
「ああ、いや。いま、ニャンコさんに、ブロントサウルスって恐竜は居ないって話を聞いてまして」
隙を見て、ススムが事情を説明しておく。
なるほど、と頷いて伊香が座る。書類は机。
「もー。
頬を膨らませての抗議にも、大人の余裕で微笑んだ。
書類の中から、一枚の紙。サイズは標準、A列4番。
「じゃあ、ニャンちゃん。此れ、ススムくんが撮った画像を、鮮明化した写真」
其れを見て、
「……え」
ニャンコの
「どう?」
「なに、これ」
重さを
頸は垂直に天を衝き、
「
「なんで。こんな恐竜、居るわけないよ」
「……ススムくん、貴方が見たのは此れで違わないよね?」
「はい。間違い無く、此れです」
最早、二人の言葉は届いていない。
ニャンコは写真を近付けたり、遠ざけたり。傾けたり、引っ繰り返したりして格闘している。よもや此のまま石と化さぬか。
「て言うか。もう。毎回毎回、無茶しちゃ駄目なんだから。ね」
相変わらずの、大人の苦笑。
此れにはススムも謝るしかない。
「すんません。腹に撃ち込む以外、思い付かなくって」
「無事で良かった。本当に」
一つ息を吐き、苦を
だから其処には、いつもの笑顔。
「御心配を御掛けしました」
「御蔭で、追跡弾も七発分が反応してる。試製にしては上出来、ね」
其れは良かった。頑張った甲斐もあると言うもの。
朗報に喜びを表そうとしたところで、
「ちょ、ちょっと待ってよ。何で
写真と絡まっていたニャンコが声を上げて、
「おう、雁首揃えやがって」
再び扉が開く。低い声が、上擦った音。
振り向かずとも誰かが分かる。二足歩行型化学兵器・
「佐藤さん、御疲れさまです」
「何だ、
やっぱり律儀な伊香に答えず、彼女の隣を
やっぱり
「現場、どうでしたか」
ススムの怒りも気付かぬ素振り、静かに伊香が佐藤を促す。
佐藤が席に寄って来るから、ススムは椅子ごと距離を取る。向きを変えると見せた完璧な所作。此の数センチメートルが、ススムの生命を救うのだ。
「役場の施設課と仮設柵を敷いてきた。〈四ツ足〉の情報次第で更に強化せにゃならん」
佐藤は幸い、座らなかった。
右手で
「其の〈四ツ足〉です」
「……ほう」
差し出された書類を、左手で受け取る。
掻く手を止めて、
「ブロントサウルスか。懐かしい」
裂けそうな口の端を持ち上げる。
お前は愉快かも知れないが、見ているススムは不愉快極まる。
すると、意を決したようにニャンコが口を開く。
「あの。佐藤、さん」
「どうした」
書類から目も離さぬまま、佐藤が返す。
「此れは、
ススムからすれば、そんなこと。
でもニャンコにとっては大事なことだ。わざわざ佐藤と話すほどに。
「ああ。
「……何でですか」
「
此処に至って、佐藤が両生類の顔を上げる。
「
そうやって
人の勝手で創られて、人の勝手で殺されて、人の勝手で創られた。こんな
「駆除、するんですか」
そして再び、
「必要ならな」
人の勝手で殺すのだ。
植物食竜の狩猟は違法だが、〈境界線〉を侵す場合は其れに限らない。
「伊香、〈四ツ足〉のデータを総て寄越せ」
「どうぞ」
残った書類を、伊香が渡す。
「俺は、
紙束の端を机で揃え、持ち直したらば指を差す。短い指の、汚い右手。
空気が動いて、酸を腐らせた刺激臭。恐らくは汗に由来するもの。意識が遠くなりそうだ。
「伊香は小山内の銃を
「分かりました」
差した右手を伊香に向ける。
「どうせ、あの雨で泥ッだらけにしてやがるだろうからな」
目だけが
視線を泳がせ逃げるの一手。さっさと
しかし、正直に言って響きは良い。ススムの銃を伊香がクリーニングする。大変グッドだ。
「其れが済んだら休んでおけ」
てきぱきと指示を出して
「すぐに、また、忙しくなるぞ」
ただの
恐竜の 歯磨き係と 配達員
ごうとなれるは 雷の竜-Ⅱ
―完―
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