恐竜の 歯磨き係と 配達員

だつと奔るは 敏しき奪徒－Ⅱ

　「11型けん銃」は、強い直線が武骨な印象の自動拳銃（オートマチック・ピストル）だ。草創期の自衛隊がアメリカから供与され、引退してなお保管されていたもの。其れを郵防公社が譲り受けて、小改造を施した。要は、御（・）下（・）が（・）り（・）の（・）御（・）下（・）が（・）り（・）だ。

　弾倉（マガジン）を装着して、脱落防止を確かめる。

　遊底（スライド）を引いて、初弾を薬室（チャンバー）に装填する。

　足音を忍ばせ、距離一〇メートル強まで近付く。三匹の〈小鎌（こがま）付き〉はススムに構わずゴミ袋を漁っている。

　右半身を引いた姿勢（ウィーバー・スタンス）は佐藤に言わせると時代遅れなんだそうだ。が、ススムは此れを好んでいた。

　銃身（バレル）が右腕と一直線上にあることを強く意識する。其処に利き目（マスターアイ）の視線と、照門（フロントサイト）・照星（リアサイト）を結ぶ線とを、丁寧に重ねる。

　一一・四（じゅういちてんよん）ミリ口径弾の反動は大きい。親指を揃える握り方（サムス・フォワード・グリップ）で、負けないように保持する。11型けん銃は握把一体型安全装置（グリップ・セイフティ）が採用されているから、握り込むと同時に安全装置（セイフティ）は解除される。

　撃つとき以外は決して引き金（トリガー）に指を掛けない。何の拍子で引いてしまうか分からないからだ。

　其の人差し指を、今、動かす。

　　◇　◇　◇

　夕方の住宅街に、銃声が二発。

　一（ひと）つは〈小鎌付き〉の腹部に命中。四五口径の威力（ストッピング・パワー）は薄い鱗を貫いて、内臓を攪拌した。

　もう一（ひと）つが、い（・）け（・）な（・）か（・）っ（・）た（・）。一発目の余韻が手首から肩までを貫く。そんなものだから、傷口には強く響く。言い訳は兎も角、二発目はゴミ袋を切り裂くに留まった。

　鉄の咆哮と、斃れた仲間。其処に因果を認むか否か、残る二体の〈小鎌付き〉は、ススムに向けて迫り来る。

――ッ。

　噛み締めた奥歯が砂粒を砕く。相手は時速六〇キロメートルで迫撃する中型動物だ。より早く駆け出した、右の〈小鎌付き〉に狙いを定める。

　がうん。がうん。火薬が爆ぜて、鉛玉（タマ）が飛ぶ。華奢な頭が、ぱっと砕ける。

　身体全体で支えなければ後退（あとずさ）ってしまう、強烈な反動。

　糞ッ垂れ。やっぱり痛（いて）ぇ。

　目に涙が浮かびそうになる。痛みに負けそうになる気持ちを、筋肉で押さえ込む。

　とまれ、あと一体（いったい）――向き直ったとき、略奪者の凶器は眼前にあった。

　反射的に、前に出していた左足を右へ払う。支えを失った体幹が、反動と重力に任せて左へ倒れる。

　上腕と脇腹、書留鞄で、接地面を少しでも多く取れるよう舗装道（アスファルト）へ崩折れる。少なくとも、肘だけは庇わなければ。最悪、左腕が使えなくなる。

　そんなススムの上を、〈小鎌付き〉が飛び越えて行く。

　寝返りを打って銃口を向ける。完全に背中を取った。――が、

〈ススムくん、駄目！　機動車に当たる！〉

　作法も何も無く叱責が飛ぶ。伊香の声だ。

　言われてみれば、〈小鎌付き〉の後方には愛する機動車。燃料（タンク）や酸素（ボトル）に当たれば事は小さくない。

　〈小鎌付き〉が振り返る。機は失した。ススムは反動で以て上半身を起こし、両足を縺（もつ）れさせるようにして立ち上がる。

　両者が駆け出す。竜はヒトに、ヒトは鉄に向かって。

　生身のヒトは、犬に勝てないと言われる。なれば生身の小山内ススムも、生身の竜には勝てぬが道理。必殺の銃こそあれど、取っ組み合いでは危険に過ぎる。

　もう一（ひと）つの武器、八〇〇〇グラムの自走する鉄塊。エンジンさえ止めていなければ、其のまま飛び乗ることも出来ただろう。律儀にアイドリング・ストップなど励行するからこ（・）う（・）なる。

　其れでもススムはバイクへ走る。背中に容易く、竜が追い付く。

　単純な追い掛けっこでは敵うべくもない。身体（からだ）の造りは勿論だが、結局は大気中の酸素量が哺乳動物には少なすぎる。そ（・）う（・）であるからこそ、斯くも竜の跋扈を許したのだ。

　だからススムは、単純な追い掛けっこなど挑む気は無かった。機動車の鏡の中で、〈小鎌付き〉がススムの背に飛び掛かるさまを見逃さなかった。

　こうなれば、あとは相手の進路上に鈍器を置いてやるだけで良い。野球かテニスの要領だ。

　斯くして〈小鎌付き〉は拳銃の台尻と正面衝突、泥棒は御縄となったのだった。

「〈非常措置：対恐竜〉（じょうきょう）終了、と」

　　◇　◇　◇

　びい。びい。びい。

　ススムが郵便物把捉ゴムで内職を決め込んでいると、喧しく無線の呼び出し音が鳴った。

「はい、小山内です。どうしました。――どうぞ（オーバー）」

〈御疲れさま。先ほど役場に連絡したから……って、何をやってるのかしら？　――どうぞ（オーバー）〉

　其れが伊香のものと知るや、先の呼び出し音すら麗しく思えてくる。

「や、〈小鎌付き〉の手足を拘束してるっす。生きてるみたいなんで。――どうぞ（オーバー）」

　ああ、あとは口もか。赤い幅広のゴムを二本三本と重ねて行く。

〈……先ほど役場に連絡したから、暫くしたら衛生課が到着するわ。程ほどに、ね。――どうぞ（オーバー）〉

「了解っす。ちゃっとやっちゃいます。――どうぞ（オーバー）」

〈ススムくんのそ（・）う（・）言（・）う（・）ところ、嫌いじゃないけど。ね。――交信終了（アウト）〉

　思春期の男子に向けて、軽々しくそ（・）う（・）言（・）う（・）ことを言うものでは無い。だから調子に乗って、こんなことに励むのだ。

「良し」

　満足気に呟いて、〈小鎌付き〉を抱える。機動車の赤い荷箱（キャリーボックス）に閉じ込めて、施錠。

　鍵を回してスターター・レバーを踏み込む。いつものように、二度目の踏み込みでエンジンは応えてくれた。

　　◇　◇　◇

　上潮路町北端、〈境界線〉まで走らせて機動車を停める。

　〈境界線〉付近は民家こそあれ、其れは死の街だ。整地と言うには荒れた地肌に、高さ一（いち）メートル半ほどの高圧電気柵がある。更に一〇メートルも向こうは、もう森林地帯だ。

　つまり、此れが人間の活動限界なのだ。〈境界線〉の内側は、外側と比して安全であることを示す。柵で恐竜を閉じ込めていた人間たちは、今や柵の中でしか生きられない。

　エンジンを止めて、キャリーボックスを解錠する。捕縛された密入者は、今も眠りに就いたままだ。

　ヒトさえ襲わなければ、何と魅力的な生き物なことか。襲われたススムすら、そう思うのだ。

　だが、いつだか佐藤が言っていた。「誰しも昼（・）寝（・）す（・）る（・）ラ（・）イ（・）オ（・）ン（・）を見たくて動物園に行く訳では無い」と。

　だから彼らは百（・）獣（・）の（・）王（・）た（・）る（・）振（・）る（・）舞（・）い（・）を（・）す（・）る（・）ラ（・）イ（・）オ（・）ン（・）として蘇った。制御できると信じた人間たちが、彼らを「ヒトを襲う生き物」として造り上げた。

　そっと下ろして、ゴムを外す。口、手、足、各一本（いっぽん）ずつだけは残して、国外へ追放する。柵の破れ口から、木の枝を使って押し込む。感電しないよう、そっと。

　若しかしたら、頭骨などは折れているかも知れない。何せ一〇〇〇グラムの金属が直撃したのだ。出血もあった。其れでも、襲う意志の無い者を撃つのは躊躇われた。

　足元の小石を二つ、三つと当ててやる。四つ目を投げようとしたとき、灰色の竜は跳ね起きた。二転、三転と悶えて、四転目には全てのゴムが外れる。

　ススムと目が合う。風が奔って、繁る雑草と豊かな羽毛を揺らす。

　柵が危険と知っているのか、はたまた戦意を失（な）くしたか。くけ、くけけ、と鳴いて首を傾（かし）げる。

　そうしていたのは、恐らく数秒。すっと、持ち上げたままの踵（きびす）を返す。ま（・）る（・）で（・）逃（・）げ（・）出（・）す（・）兎（・）の（・）よ（・）う（・）に（・）、ぴょこんぴょこんと姿を消した。

　其れを見送るススムの口角は、心無しか上がっているようだった。

　　◇　◇　◇

　そろそろ先の現場に戻らねばなるまい。遺体の処理は衛生課の仕事だが、簡単に聴取されるのが通例だ。

　さわ、と風が肌を撫でる。汗ばんだ身体に心地好い。

　機動車に戻って気付く。ああ、そうだ。アイドリングさせておこうと決めたばかりだったじゃないか。

　しまったな、と口に出しながら鍵を回す。スターターに足を掛けたところで。

　ぴい。

　か細い、か細い声が背中を突（つつ）いた。

　其れは、まるで、小（・）型（・）の（・）生（・）き（・）物（・）が（・）絶（・）命（・）す（・）る（・）よ（・）う（・）な（・）鳴（・）き（・）声（・）。

　死ぬほど嫌な予感がして振り返る。

　樹木を掻き分ける音。〈小鎌付き〉（ヴェロキラプトル）とは比にならぬ大きさ（サイズ）。茂みの動き方からして体高二メートルはある。となれば全長は七から八メートルの大型動物。

　やばいやばいやばいやばいこいつはやばい。

　首だけ後ろを向いたままでスターターを踏み込む。いつものように二度目でエンジンが始動し、

「しッ！　ＣＱ！」

　同時に其（・）れ（・）が姿を現した。

「誰でも良いから（ＣＱ！）応答せよ（ＣＱ！）！！」

　Ｓ字フックを引き延ばしたような首と、細身だけれど筋肉質の体躯、鋭い爪、牙、短くない腕には、

「〈三本指〉だ！」

　其の特徴が示すのは、

「〈三本指〉と遭遇！！」

　典型的な大型肉食竜（プレデター）だった。

恐竜の　歯磨き係と　配達員

　だつと奔（はし）るは　敏（さと）しき奪徒（だつと）

　　　　　　　　　　―了―