だつと奔るは 敏しき奪徒-Ⅰ

 灰とも砂とも知れない塵が、昼の日差しを霞ませる。

 いつも通りの、好い天気。


「有難う御座いました。また宜しく御願いします」


 客は、台詞の終わりを聞かずに扉を閉めた。

 取り残されたのは、一人の郵便外務員。


 姓は小山内おさない、名はススム。読みの割には老けた顔。外気に晒され草臥くたびれた、着慣れた制服上下のようだ。

 紺のポロシャツは左胸に、〈日本郵便〉のロゴが在る。スラックスまで同じ色だが、側章さながら淡黄の帯が。


 荒れた肌も伸びた毛先も、スラックスから消えた折り目も。はたまた人の話を聞かない客も。彼は気にしていなかった。

 彼が気にしているのは、受領の署名サインを受けた紙片――所謂、配達証と言うやつだ。

 慣れた手付きで、左腰に在る黒い合成皮革製鞄かきとめかばんの、ビニール製小袋クリアケースに収納する。郵便外務員にとって此の紙切れは、書留郵便や小包ゆうパックに匹敵する価値のあるものだ。其れをしたなのだから当然だった。


 思えば一昨日おとといは、〈研究所センター〉へ書留を配達に行って酷い目に遭ったのだ。悪夢のような記憶だが、右腕の痛みが現実だったと主張している。上司がくれる謎の好く効く傷薬でも、今回ばかりは治りが遅い。

 職場は特に、変わった風も無かった。ただ、一昨日のことは誰にも話すなと、臭い口で強く言われたくらいだ。

 昨日が日曜だったのは、幸か不幸か。どうやら丸一日寝ていたらしい。らしいと言うのは、気が付いたら今日の朝だったからだ。

 遅刻寸前、転がり込んでは学業に励み、午後から職務に努めている。一般的な「模範的高校生」であり「良心的納税者」の姿だ。


 いつの世も、月なる曜日は憂鬱のもの。其れでも半日が過ぎてみれば、こんなものよと諦めも付く。

 どうせ物事は、成るようにしか成らないのだ。


 そう思い直して機動車に戻る。赤の車体ボディ荷台箱キャリーボックスに、白の風防レッグシールドが鮮やかな、バックボーン・フレームのビジネス・バイク。

 跨ろうと右足を上げれば、腿に挿した拳銃と、腰に挿した携帯端末とが干渉する。携帯端末の位置を調整して、スターター・レバーを踏み込む。二度目の踏み込みで、排気量〇・〇五リットルのエンジンが始動した。


  ◇ ◇ ◇


 びい。びい。びい。

 最後の配達を終えたところで、無線の呼び出し音が鳴る。

 あのオッサン、何処かで見てるんじゃないだろうな。

 瞬間、上司の汚らしい顔が思い浮かんで嫌になる。

 カメラは拳銃を抜いた際にしか起動しないと聞いているが、実際どうだか確かめる術は無い。

 機動車を路肩に寄せて、エンジンを止める。


〈ススムくん、聞こえますか? 応答してください。――どうぞオーバー


 無線の雑音越しにも分かる、澄んだ声。

 佐藤オッサンでは無い、伊香おねえさんのものだ。脳内イメージが中年男性から眼鏡美人へ、即座に切り替わる。 

 伊香いこう 鈴音すずねは敏腕通信手オペレータだ。セミロングの黒髪に、大きな瞳と下がった目尻、小さい口、健康的な唇。静かな笑顔。行儀良く着こなした濃緑のブラウスと胸部の張りに、母性を感じずには居られない。


「聞こえています。良好です。――どうぞオーバー


 現金なもので、声の調子が明るくなる。


〈恐竜出現の通報です。位置情報、送ります。――どうぞオーバー


 一拍遅れて、郵Ⅱ型防護帽のヘッド・アップ・風防内部ディスプレイに情報が表示される。

 通報された該当箇所を、地図上の座標に落とし込んだだけの簡単なもの。

 位置情報などと言っても、全地球測位機構GPSは今や機能していない。少なくとも郵便局や郵防公社が気軽に扱える情報では無い。


「確認しました。上潮路町かみしおじちょう2丁目61番地付近ですね? ――どうぞオーバー


 直線距離で三〇〇〇メートル程度。五分も飛ばせば到着する。


〈ええ。通報者が混乱していて、他の情報は聞き出せなかったの。現場から情報が欲しいわ。――どうぞオーバー


「了解しました。現場に急行、現地から情報を送ります。――どうぞオーバー


があったばかりだから……。どうか気を付けて、ね。――交信終了アウト


 其の言葉に、右の下腕が、と痛む。

 深く息を吸って、大きく吐く。大丈夫、大丈夫だ。

 そう言い聞かせて鍵を回し、スターター・レバーを踏み込む。

 二度目の踏み込みで、エンジンは動き始めた。


  ◇ ◇ ◇


 上潮路町は閑静な住宅街だ。とは言え、潮路地区の大部分は住宅街なのだが。

 長方形と曲線が組み合わさった、歪な区画。土地の高低、幹線道路、古い地主、そう言ったものに振り回された成れの果て。此れもまた、潮路地区全体に言える特徴だ。


 どろどろどろ、と坂を登って上潮路町2丁目に入る。


〈現在、上潮路町付近に於いて、恐竜の出現が確認されました。住民の皆様は、落ち着いて屋内へ避難して下さい。繰り返します。現在、上潮路町に於いて――〉


 防災無線が、町内に響いている。平板に抑えているが、良く通る声質。先ほど無線で話した相手のものだ。

 いつだって官僚は縄張り争いが得意だが、諦めた領域に執着しない。誰だって責任は嫌いなのだ。

 斯くして恐竜の第一対応は、今や郵防公社の担当業務と成ったのだった。


 右折と左折を繰り返し、61番地と交差する生活道路に入る。

 後輪を鳴らさない程度に制動し、辺りを見回す。ものは無い。


「ママ、ゆうびんやさんだよ」


「あら、ほんと。御疲れさま、って言ってあげようね」


「おつかれさまー!」


 後ろを通り過ぎる呑気な会話。

 機動車のエンジン音は割と大きく、周囲の気配を感じられないことは多い。

 振り返ってみれば、若い母娘おやこ。母の右手に娘の左手、娘の右手に熊の左手。尤も、熊はぐるみだが。


「あっ、すいません。此の辺りに恐竜が現れたと通報がありまして」


 言いながら気にしてみれば、防災無線の声は遠い。

 スピーカの増設が必要かも知れない。覚えていたら報告しよう。


「きょうりゅう?」


 娘の両手に、ぎゅっと力が入る。縫い包みが揺れる。


「えっ!? 貴方、早く駆除しなさいよ!!」


 表情を一変させた母親に噛み付かれる。

 引っ掛かる物言いだが、此れとて今に始まったことでも無い。


「ええ。ですから早く屋内に避難してくださいね」


 そう言い棄てて、ススムは再びアクセルを開いた。

 不機嫌さを隠せなかった気もするが、隠すつもりも無かったので当然だった。


  ◇ ◇ ◇


「ああ、なるほど」


 ススムは声に出して呟いた。

 道路の左右には、各一二じゅうに軒分の敷地がある。右側奥から四件目が61番地。其の向かい側、74番地には可燃廃棄物の集積所がある。

 其の柵の一部が破れた、若しくは破られたようだった。〈境界線〉に設置されるものとは違う、安価な非電気柵だ。


 五〇メートルほどまで近付いたところで、停車する。道の真ん中だが、エンジンを止める。さながら立入禁止標示バリケード代わりだ。

 機動車を降りて拳銃を抜く。カメラが起動し、無線が繋がる。


対応指揮局CP対応指揮局CP。此方、小山内。――どうぞオーバー


〈――此方、対応指揮局CP。聞こえているわ。――どうぞオーバー


 伊香の声は、いつもりんとしている。鈴音すずねの名に相応しい、綺麗な声。


「上潮路町2丁目74番地、可燃廃棄物集積所にて恐竜を確認。――どうぞオーバー


 ススムの悠長な報告に、


〈了解。数と種類を報告してくれる? ――どうぞオーバー


 少しだけ緊張を解いた声が返って来る。


「〈小鎌こがま付き〉が三体です。――どうぞオーバー


〈〈小鎌付き〉? ヴェロキラプトルかしら? ――どうぞオーバー


 往年の名作クラシック映画で名を売った恐竜だ。が、映画で描かれたものと実物とは姿が異なる。

 二脚で立ち上がる、ほっそりとした体格は如何にも素早そうだ。敏捷なる略奪者ヴェロキラプトルの名は伊達で無い。

 全長の半分程度を腱のある尾が占めており、走行や格闘の際には巧みな姿勢制御バランサーを司る。

 背中側を走る、鈍い灰色が金属を思わせる。頭頂部から尾端、前脚や大腿部に宿した羽毛は、量こそ多けれど未だ空を夢にも見ない。

 身体同様に細く長い印象を受ける頭部は、大きな眼窩と鋭い牙を備えている。

 長い前肢の爪も勿論だが、目を惹くのは矢張り後脚の鉤爪だ。他と画する大型、且つ強く湾曲した鎌状の爪。〈小〉型の〈鎌付き〉――〈小鎌付き〉と俗称される所以だ。


「恐らくは、そうです。――どうぞオーバー


 ヴェロキラプトルなる生物は、せいぜい中型犬ほどの大きさしかない。野良犬は決して安全な存在では無いが、裏を返せば同じ程度の注意で事は足りる。

 小さな身体ゆえ、〈境界線〉の電気柵の隙間から入り込むことは珍しくない。


 何度も追い払ってる相手だ。大丈夫。

 そう言い聞かせたススムの耳に、


〈映像を確認した。発砲を許可する――〉


 粘着ねばつく男の声。佐藤オッサンに代わったらしい。

 緩みきった顔の輪郭と、蛙のような広い口が脳裏に浮かぶ。煙草と、珈琲と、排泄物とが混ざった口臭。無線を通して鼻腔に届いた、ような気がする。

 一気にテンションが下がるのを自覚するが、耳元の声は頓着しない様子で続ける。


〈〈非常措置:対恐竜じょうきょう〉を開始せよ――どうぞオーバー


「……了解。〈非常措置:対恐竜じょうきょう〉を開始します。――どうぞオーバー


 我ながら無機質な声になったと思ったが、どうせあのオッサンのことだから気にするまい。


〈ほんと、くれぐれも気を付けて。ね。――交信終了アウト


 通信を取り戻した伊香が、其の終わりを告げる。


 彼女の言う通り、気を付けねばならない。いつだって、油断は禁物なのだから。

 かちり、と軽い金属音がして、安全装置が遠隔解除された。




恐竜の 歯磨き係と 配達員

 だつとはしるは さとしき奪徒だつと-Ⅰ


          ―完―

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