朱を喰らうは 異形の竜-Ⅰ

 アロサウルス。全長にして八メートルを超える大型肉食竜。

 前傾姿勢と細身の体躯で華奢な印象すら受けるが、体重は二〇〇〇キログラムほど。間違いなくジュラ紀の生態系で頂点に在った者だ。

 青銅器を思わせる、艶の無い蒼と緑。背に向かうにつれ青が濃くなる其の鱗が、西日を受けて怪しく

 種小名に貼られた「こわれものフラギリス」のラベルは悪い冗談でしかない。電気柵を容易たやすく破った音が、背中に鳥肌を立てる。


〈ススムくん! 状況を知らせて! ――どうぞオーバー!〉


 ススムのCQを拾ったのは、矢張り頼れる伊香おねえさんだった。

 声の調子こそ気色ばんでいるが、冷静さを失わないのは職業人プロフェッショナルの仕事だ。


「〈三本指〉と遭遇! 現在、上潮路町北〈境界線〉を突破し、2丁目住宅街方向に向け侵攻中!」


 ならば彼とて、兼業人パートタイマーの意地を見せねばなるまい。


「対応指示を願う!! ――どうぞオーバー


〈私が、先の現場に向かってるところだから〉


 何たることか。佐藤は何をやっているのか。

 部下に現場を任せて自分はコーヒーか煙草でもいるのだ。いつか奴こそやる。


〈其処で合流して、喰い止めましょう? ――どうぞオーバー


 伊香いこうとの共同作業。では無い。協同作戦。


「了解しました! ――どうぞオーバー


 そりゃあ士気も上がると言うもの。


〈……大変な日になっちゃった、ね〉


 ふっと通信手では無く、一人ひとりの女性の声になる。呆れたような、困ったような、そんな色。

 え、とススムの心臓が跳ねる。


〈あとで御褒美あげるから、しっかり還りましょう。ね。――交信終了アウト!〉


 言われては無し。乾く唇すれば、左の手甲てこうぬぐう。開くアクセル、エンジンが吠え、我を置くなと上身うわみかしぐ。

 潮路の平和を、護るのだ。


  ◇ ◇ ◇


 現場は騒然としていた。白の軽四輪は役場の公用車。灰色の作業着を来た男性三人は、衛生課の人間だ。二人は避難を呼び掛けており、一人ひとりは車載無線で何やらまくし立てている。現地見分やら聴取は中止、聞かずとも分かる。

 ごろごろごろ、とスピードを落として近付いて行く。


 すると其処に、別のクルマが駆け込んで来た。軽のワンボックス。ススムの愛車と、同じ色が眩しい。タイヤを鳴らして制動し、運転席から華奢な生き物が滑り降りる。同時に石鹸の匂いが届く。柔らかくて、刺激的な匂い。

 背丈は決して高くは無いが、流れる印象を受ける。

 西の傾く陽光が、銀縁眼鏡に反射する。眼を細めているから、少しだけ眉間に皺が寄る。普段は見ない表情に、ススムは言葉を失っていた。


「ススムくん、御疲れさま」


 口の中、上品な鈴の転がるような。

 下がった目尻が、静かな口もとが、困ったように、優しく笑う。


「あ、っと。御疲れさまです」


 清潔感の白いシャツ。枯草色のジャケットに、見えぬ使命の火を付けて。ぴちりと纏うは仕立ての良さか、豊かな胸部を揺らさない。

 同じ色のスカートは、膝を隠さぬほどだから決して短い丈では無い。だが横に走る切れ目スリットと、其処から覗く陶磁器のような足。着用者の動きを妨げないとはていの好い大義だ。


「佐藤さんが坊田局に応援を要請してる。私たちは、到着までの時間を稼ぎましょう」


 後部スライドドアを開けて、自動小銃を取り出す。全長で言うと90センチメートルほど。何処か少し古臭い印象があるのは、きっと被筒ハンドガードして見えるからだろう。


「まさか〈三本指〉ととは思わなかったし、此れしか――んっ、持って来てなくて」


 弾倉マガジンを挿し込んで、槓桿チャージングハンドルを引く。初弾が装填される。

 右側面、グリップ上部には「ア・タ・レ・3」と慎ましやかに、けれども白字で主張している。我が国の主力自動小銃、「89式自動小銃」。


たおし切るには火力が足りない。兎にも角にも、奴を此処から引き剥がしましょう」


 ハンドガードに限らず銃把グリップ銃床ストックは強化プラスチックで出来ている。機関部の金属部分はプレス加工が為されている。古臭さの中に、何処か暖かみを感じる小銃だ。


「……来た」


 小銃を見たまま、伊香が呟く。

 偶然と言え、衛生課職員が居合わせた御蔭だ。殆どの住人が避難していた。

 ゆえに〈三本指〉は食事が出来ない。目に付く民家を片端から破壊しては、中を漁っている。


「復興ラッシュで建った家じゃ、足止めにもならないわね」


 ススムは初めて思い知った。〈三本指〉が当時最強と謳われる所以を。

 奴の下顎は、避けんばかりに開くのだ。ざっと見て九〇度ほど。其の上顎を目標に向けて、まるで叩き付ける。

 あとは伊香の言う通り。頑丈な前肢も手伝って、ものの数秒で住宅は破壊される。


「ススムくん、怖い?」


 怖くない、と言えば嘘になる。

 でも、怖いと言えば本当になる。


「安心して。今日は私が居るから」


 ぱん、と細い手がススムの背を叩く。

 驚いて振り向いたとき、既に伊香は運転席にじ登るところだった。


「ね?」


 まるでウインクせんばかり、車窓の向こうで首を傾げる。


「……はい」


 何と言えば良いか分からなかったし、きっと顔は赤らんでいる。

 何と言えば良いか分からなかったから、とんだ間抜けな返事になった。


 其れでも伊香は、満足げ。笑顔を作ってくれた。


「じゃあ、行こうか」


 〈三本指〉が家を壊し尽くしたところで、機動車バイク軽四輪ケッパコがアクセルを開いた。


「〈非常措置:対恐竜じょうきょう〉開始!」


  ◇ ◇ ◇


「奴の後ろに回り込んで!」


 窓を全開にして伊香が叫ぶ。時速四〇キロメートルで併走しているのに、石鹸の匂いを嗅いだ気がする。否応無しに気持ちは昂る。

 〈三本指〉が、可燃廃棄物の集積場を踏み潰す。先の苦労も激闘も、俺は知らぬと言わんばかりに。

 ススムは何だか、感傷的な気分になった。しかし其れは、必要の無いものだ。振り払うように速度を加える。

 二台は〈三本指〉を左に擦り抜け、連なる住宅の切れ目まで走る。奴は二台を一瞥したが、其のまま食卓を漁っている。そんなことでは困るのだ。喰らい付くのは其方じゃない。


 伊香が運転席から転がり出る。左膝を立て、右膝を地に着ける。柔らかそうな膝が、舗装道アスファルトに載る。勿体無い、とススムは要らぬ心配をする。

 左手は方向指示灯ウインカーに載せて、ハンドガードを保持した。安全装置セイフティ・レバーを「3」の位置へ回す。

 ススムもエンジンは掛けたまま、すすっと伊香の脇に付く。兎にも角にも、此方に注意を向けさせねば。其の為に、今は火力を集中するべきだ。


「発砲!」


 89式小銃の鋭い音が三点射を決めると、すかさずススムが合いの手を入れる。

 たたたっ。がうん。たたたっ。がうん。たたたっ。

 で鱗が弾ける。硬い表皮と、詰まった筋肉が銃弾を寄せ付けない。

 五・五六ミリ小銃弾は「人体を」「損傷させる」目的のものだし、一一・四じゅういちてんよんミリ拳銃弾は威力こそあれ貫通力に劣る。


 がうん。たたたっ。

 其れでも頼るは、此れしか無いのだ。


 がうん、がつん。

 後退したままスライドが止まって残弾の無しを告げる。


弾倉交換リロード!」


 撃ち尽くしたススムの声に、


「了解!」


 たたたん。

 伊香と小銃が短く応えたが、


 綺麗な御姉さんが、声にならない声を漏らす。

 あの家は避難していなかったのだ。其れに、嗚呼、何てことだ。あれは先刻さっきススムと話した親娘の家だ。破砕音に混じって、母親の泣き声。

 口もとには、娘だったものが引っ掛かっている。母親の泣き声。腰から下が、力無く。母親の泣き声。造作の無しに掴まれた、だらりと下がる人形のよう。母親の泣き声。人形モノに無い、流れ流れる赤い滝。母親の泣き声。

 再び身体を屈めたとき、慟哭は永遠のものになった。


 異形の竜アロサウルスとは本来、「先に見付かった恐竜とは異質のもの」と言う意味のものだ。しかし研究の進むにつれ、アロサウルスに特有の形質で無いことが明らかになった。

 「異形」の名前は形骸化した。。 

 鋭い歯列の断頭台に、あけの瀑布を滾らせて。眼窩の上には小さい隆起、角と呼ぶには控えめなれど、今の姿は悪鬼の如し。


 此れをして、異形と呼ぶに、躊躇いは無し。




恐竜の 歯磨き係と 配達員

  あけを喰らうは 異形の竜-Ⅰ


          ―完―

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