第二章『特異点』3/3
「ところでお前が誰だかは知らんが、そこから出てこなくていいのか」
カルステンが問いかけると、馬車の中の人間からは朗らかに「是」と返事が返ってくる。
「僕はまだ、余程のことがない限り表に出ない方がいい人間だからね」
成る程馬車の中に置き去りにされ追手らしき人間たちに囲まれたこの状況は彼にとっては
追手の数は四だ。ここ何周か争いごととは近くない人生を送っていたので__しかし毎度しっかり
追手は訓練を受けた大人が四人。三人は刃物を持ち、一人は法力媒体を持っているのがわかる。実に模範的な
(四人ならまぁ、俺一人でも大丈夫だろう)
カルステンは驕らない。詳しい事は思い出したくもないが、あの時
それでもカルステンが「大丈夫だろう」と思ったのは、彼にも奥の手、というか、
「四人? いつもは七人でくる癖に……舐められたものだな僕も…………」
不意に低い声が馬車から聞こえて、カルステンはびくりと肩を揺らした。
意図的か否かはわからないが、声に法力を乗せた音声法術の喋り方は、追手にも僅かながらダメージを与えたようで、相手が一瞬狼狽えたのが気配でわかった。
(この隙にさっさと終わらせよう……)
カルステンがそう思ったと同時に、林の中から三つの影が飛び出した。
獲物はダガーだろうか。剣にしては刀身が短い。筋骨隆々の男達からは、何処となく荒っぽい、粗野な印象を受けた。
閑話休題。
この世で一番強い力とは何か? と尋ねられたら、人はなんと答えるだろう。
もしかしたら信仰心と答える敬虔な信者がいるかもしれないし、皇帝の権力という人間がいるかもしれない。しかし大半のヒト族は答えるはずだ。
それは『法力』である、と。
同じ事を魔族に聞いたらどうだろうか。魔族ならば言うだろう。
それは『魔力』である、と。
法力は、女神がヒト族に授けた大いなる力である。清らかな信仰心と、尊い血筋が法力を強めるのだと古くから信じられている。
一方魔力は、魔族が使う謎のエネルギーである。というのが人間側からの見解だ。ヒト族が水晶などをあしらった法力媒体を通して精霊に法力を貸してもらい法術を使用するのに対して、魔族はその身一つで魔術という野蛮な力を好き放題使っているのだ。と、これが市井での共通認識である。
実際のところ、両陣営にいたことのあるカルステンから言わせてもらえば、法力も魔力も全く相違ないものであると断言できた。
空気中に漂う
だから、本当はヒト族だって法力媒体を用いずとも法術を使用することが出来るのだ。そうでなければ音声法術などという音声に法力を乗せ周囲に影響を与える分野は発達のしようがない。きっと大昔に法術を使うのが上手かった一人が
話は戻って。
鋭い角度で切りつけられるダガーを、カルステンはひらりとかわす。訓練を受けた大人だろうが何だろうが、勇者以外に殺されてやるカルステンではないので、かわすだけなら赤子を捻るより簡単である。ここで問題なのは、このイレギュラーをどう対処するのが最も日常から離れられるか、である。追手を殺すのは難しいことではない。正直今殺しても正当防衛でしかないし、殺すだけなら四天王時代に飽きるほどしているので忌避感もない。しかし例え正当防衛だとしても勇者が己を殺しにくる理由の切れ端にでもなられたら困る、という思いもあって、カルステンは悩んでいた。そもそも元を辿ればこのタイミングでカルステンが戦う必要はほぼ無かったし、カルステン自身若干場の空気に流されていた自分に気づいていたが、まぁここまでくるともう追手側も見逃してはくれないだろう、ということでその点については言及するだけナンセンスというものである。
(なるべく波風を立てずにこの場を収めたい)
無茶言うな、というお叱りは甘んじて受ける所存である。
要は、カルステンとしてはここで殺しをすること自体はやむなしと考えているが、その証拠が残ると少し厄介だ、と捉えているのだ。
迫り来るダガーをひらりひらりとかわしながらカルステンはちらと馬車の方へ視線をやった。
カルステンの前に飛び出してきたのはダガーを持った男が三人。法力媒体を持ったもう一人は、やはりカルステンが思った通り馬車へと向かっていた。
(……助けたほうがいいだろうか)
何となく必要ない気はしたが、万が一の可能性でも折角のイレギュラーを不意にするのは勿体無い、とカルステンがとっておきの準備をしようとしたその瞬間。
「殿下!」
低い声が短く響き、そこで行われていた全ての決着が着いた。カルステンを襲っていた男たちは目の前に倒れ伏せ、馬車へと向かっていた男もまた倒れていた。カルステンにすら目で追えない速度で行われたそれは、もはや攻撃というよりはただの処理でしか無かった。
無慈悲な処理を行った本人は、何やら馬車の中の人間と話していて、それを聞くに、どうやらこの二人は林に入るだいぶ前の段階で分断され襲われていたらしかった。よくある手である。
「そこの少年」
声の持ち主は執事のような服をぴっしりと着ていて、如何にもお堅そうな雰囲気を醸し出していた。動きもメリハリがあってなんというか、かっこいい。雇い主の品位を表すかのような優雅さを兼ね備えた男である。
低く落ち着いているが、歳を感じさせない声に呼ばれて、カルステンは怠慢な動きで首を傾げる。
「なんだ?」
敢えて言うが、カルステンは敬語が使えないわけではない。かつて魔王陛下相手には敬語を使っていたし、街に出て働いていた時だって必要なら使った。今咄嗟に敬語が出てこなかったのは、あまり必要性を感じなかったからと、後はこの執事のような男に何故自分が見逃されたのかについて考えていたからである。まぁ馬車に背中を向けていたわけだし、敵だと判断されなかったのだとは思うが、咄嗟によくもまぁ判断が出来たものである。カルステンなら多分四天王時代だったとしても、一々見分けるのが面倒だという理由でまとめて葬っていたと思う。
この状況で(凄いなぁ)と感心していられるあたり、カルステンは大概呑気な男であった。
「私の主人が、お礼を言いたいと」
「で?」
「馬車へ上がっていいぞ」
カルステンは馬車へ上がることにした。その姿に一切の気負いはない。カルステンはこのイレギュラーがどう転ぶにしろ自分にとってマイナスにはならないことを理解していた。
馬車の中は思っていたよりも広かった。六人くらい乗れそうな広さで、おそらく向かい合っているであろうふかふかのソファーの前には薄布で仕切りがしてあって、しかし座った時にもその布が膝につかないだけの距離があった。固定式の拡張法術でも使っているのだろうか、とカルステンが馬車の中をぐるりと見て考えていると、布で仕切られた向こう側から、声が聞こえた。
「床に座っていいよ」
ふかふかのソファーが目の前にあるのにか? と声に出しそうになったが、決して床に座るのが嫌だったわけでは無かったので、カルステンは大人しく床に腰を下ろした。
「こんにちは。君の名前は?」
「人に名を聞く時は自分から……というか、それ以前にその布をなんとかしろ。お礼を言いたい、と聞いたがそれは人にお礼を言う時の態度じゃないぞ」
カルステンの指摘を受けて、布の向こうの人間はコロコロと鈴が鳴るように笑った。
(ここは普通怒るどころじゃないのか?)
特段怒らせたかったわけではなく、思ったことをそのまま言っただけだが、怒られないとなるとそれはそれで気になるものである。
「そうだね、君の言う通りだ。布はとろう。ちょうど僕も邪魔だと思ってたんだ」
声がそう言うと、音もなく、薄布が取り去られる。
現れたのは美しい少年。白銀の巻き毛と、薄暗い馬車の中でも妖しく光る赤い瞳を見て、カルステンの頬がひくりと動いた。呻き声を上げなかったのを褒めて欲しい。
美しい少年は、向かいのソファーに足を組んで腰掛け、頬杖をついてこちらを見ていた。
「やぁ、初めまして。僕の名はエンゲルハルト。ルビウス帝国第三皇子エンゲルハルト=ルビウスだ。さっきは時間稼ぎをしてくれたこと、感謝するよ」
告げられた名前を聞いて、カルステンは今度こそ声に出して呻く。
「げぇ」
「名前を聞いておいてその反応って、君はなかなか失礼な人だね」
まぁ気持ちはわからんでもないけど、とエンゲルハルトと名乗った美しい少年は小さく笑って、「それで君の名は?」と答えを促すように優しい声色で問うた。
「カルステンだ」
「家名はあるかい?」
「ヴェーラー」
「そう、良い名前だね。カルステン」
「どうも」
母が付けてくれた大切な名を褒められて悪い気はもちろんしなかったので、軽く頭をさげる。
「さて、お礼は済んだわけだけど、少し話がある。いいかな?」
(否とは言わせない空気を出しておいてよく言う……)
カルステンは少しげんなりとしたが、こくりと首を縦にふる。赤い瞳がやけに熱心に自分を見つめていたのが気にかかった。
「さっきはあそこに何をしに来たのか聞いてもいいかい?」
「散歩をしていたら妙な音が聞こえたから見に行っただけだ」
「僕を見捨てて逃げなかったのは何故?」
「馬鹿を言うな。あの時点では逃げるにも逃げられなかったし、例え逃げていてもお前と話したというだけで後々殺されかねんだろう」
ぽんぽんと疑問を投げかけられ多少困惑したカルステンだったが、聞かれて困るような事ではなかったので、すらすらと答えていく。
「うんうん、成る程」
満足気に頷くエンゲルハルトの目は相変わらずカルステンをしっかりと捉えていて、カルステンはそれを少し気味が悪く感じた。
「カルステン、僕はお前が気に入った」
特段気に入られるような事はしていなかったはずだったが、とカルステンは内心首をかしげる。
カルステンの個人の感覚から言えば「面倒事」の予感しかなかったが、イレギュラーとしてなら、今の状況は良い展開だと言えた。
「僕の狗になれ、カルステン。お前に選択肢は与えない。一言"はい"と、そう言えば良い」
高圧的に放たれた言葉はしかし、何処か懇願の色を含んでいて、カルステンは思わず一も二もなく頷いてしまった。
「良いだろう…………だが、条件がある」
そうだ。カルステンには事情がある。それも超ド級に不可解な事情が。
「言ってみろ」
条件と聞いて顔を顰めたエンゲルハルトに促され、カルステンは少し伝える情報を考えながら、ゆっくりと続けた。
「俺は呪い……のようなものにかかっていて、二十歳を待たずに死ぬ。だから、それまでの時間ならお前にくれてやる。狗にでもなんでもなろう」
「呪い?」
「ああ、幼い頃にな。かけられたんだ」
本当はかけられたのがいつかもわからない。呪いの内容だって、二十歳を待たずに死ぬ事が呪いなのか、それとも死ねない事が呪いなのか、それすらもわからなかったけれど、嘘とも真実とも言い難い絶妙なラインで、カルステンは説明する。ただ全てを正直に打ち明ける気がないことだけが明白だった。
「まぁ、そういうことなら、お前が死ぬまででも構わないよ。僕は」
「そうか、それは助かる」
エンゲルハルトは頬を緩めて、「ディモ」と執事服の男を呼んだ。あの男もまた
「そういう事だから。僕も面倒は見るが、サポートは頼む」
「はい」
恭しく頭を下げたディモには目もくれず、カルステンに視線を合わせたまま、エンゲルハルトはにこりと笑った。上等な人形がもつような、陶器のように白い肌が、歓喜で朱に染まる。
「これでお前は僕のものだよ、カルステン」
「よろしく」と微笑んで差し出された右手を取った時、確かに今までの人生とは違う何かが始まる予感がしていた。
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13回目の
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