第二章『特異点』2/3

家を出ると少し冷たい風が身に当たる。秋も深まり、今着ている厚手のシャツ一枚では辛い季節になってきている。そろそろタンスの奥から毛糸のセーターやら厚手の布団やらを出さなくては、とカルステンは頭の隅にメモをした。


カルステンの家の裏には、二つ墓がある。__少し盛り上がった土に十字に組まれた木を刺し、名前を彫っただけの簡易的な墓ではあったが。

散歩に向かう前そこで手をあわせるのもまた、カルステンの日課だ。

一つ目の墓は、カルステンが十二の時に流行病で亡くなった母のもの。癖のない肩まで伸ばされた栗色の髪に、短いものの量が多い為伏し目がちに見える琥珀色の瞳の、明るく溌剌とした人であった。カルステンが緑色の瞳をしていることとその性格を除けば、カルステンはこの母に生き写しだ。どう足掻いても、どの人生でも結局は長く生きてはくれない母を思って、カルステンは目を閉じ祈る。どうか死後の世界__というものがあれば、だが__で、生前見せていたように穏やかな笑みを浮かべてくれているといい。

そして、二つ目の、母の墓よりも少し小さなこの墓は、妹のものだ。この回の人生で、カルステンに妹はいない。何故ならば妹はあの憎きいつかの再婚相手との子供であるからだ。口汚く言うところのド腐れ糞野郎であるあの男と違って、妹は大層可愛らしく、カルステンにも懐いていたが、それはカルステンがあの男をクズだと知ってなお母との結婚を許す理由にはならない。あの男と母が出会ったという日に、その場所に母が行かないようにする。例えば、母と離れたくないとぐずってみたり、大怪我には至らない程度の事故に巻き込まれてみたり。たったそれだけのことで、母があの男と結婚することはなくなった。そして、妹が生まれることもまた、なくなってしまったのだ。

『エファ』と綴られた木をひどく優しい手つきでなぞり、カルステンは、自分が自らの意思を持って意図的に生まれた事実を消した殺した妹を思った。カルステンそっくりの、しかし琥珀色の瞳__つまり母に瓜二つということだ__の妹。四つ下の、可愛い妹。許して欲しいとは、思っていない。



さて、カルステンの家は、村から少し離れたところにある。別に村八分にあっているわけでも、村が嫌いなわけでもなく、ただ単にこの家の本来の持ち主であったカルステンの母__もっといえばその両親であるカルステンの祖父母__がここに家を構えていたのを引き継いだ、というだけである。何度目かの人生までは関わりがなさすぎたうえに、カルステンの母が病死した時誰一人死に目に会おうとすらしないとはなんて薄情な人間達なのか、と人間嫌いの要因の一つにもなっていたのだが(後々気づいたが諸々ひっくるめて再婚相手の男の所為だったらしい)、現在村の人々との仲は極めて良好だ。


「よぉ、カル坊。今日も元気か? 晩飯食ってくか?」


なんて、歩いているところに気軽に声をかけられるくらいには。


「体調も気分も悪くない。夕飯はお言葉に甘えたい」


カルステンも気負いなく返す。いつものやり取りだ。村の人達は、早くに母を亡くしたカルステンを優しく見守ってくれている。それは勿論母が生前村で人気者であったこと__そしてカルステンがそんな母に瓜二つなこと__も関係しているのだろうが、兎も角いい人達なのだ。それに気付けただけでも人生を繰り返している価値があったというものである。


村はあまり大きくはない。散歩でぐるっと一周するのに二時間もかからない程度の大きさだ。名前はなんといったか……ベリル村とか、そんな感じだっただろうか。確か、あっている、はずだ。総人口が五百にも満たない小さな村だが、寂れているわけでもなく、特段目立つこともない村だ。ただ何故か名前が明瞭に思い出せないだけで。決して、カルステンの記憶能力に問題があるわけではない。


出会う村の人達と軽く挨拶を交わしながら、カルステンは散歩を続ける。挨拶ついでに少し探りを入れると、良くも悪くも口の軽い村人は簡単には個人情報を漏らしてくれる。あそこのシェル一家はもうすぐ五人目の子供を身ごもる頃だ。リオ一家はもうすぐ父親が腰を痛める。ランドは今日の夜恋人のメリと家族へ挨拶をしに行く予定。等々。__これはただの趣味の散歩ではなく、確認なのだ。何か、いつかの人生と照らし合わせておかしな事イレギュラーが起きていないかの。

カルステンの経験上、カルステン自身から働きかけをしない限り人生の流れが変わる事はない。同じルートを繰り返す世界の中で、カルステンだけが自由に動いている。それが一体どういう意味なのかも、今のカルステンには知る由もないが。兎に角カルステンに出来るのは、出来る限り今までとは違うルートになるように行動することのみである。そんな中散歩と称して確認をするのは、ほんの少しでもいいから変化がないかとのある種の悪足搔きでもあったし、可能性の模索の一つでもあった。


ガタンッ


「ん?」


小さな音だった。しかしいつもと変わらない・・・・・・・・・村からは到底聞こえるはずのない音だった。カルステンは自分の心臓がどくりと大きく鳴ったのを感じた。何かが、カルステンが待ち望んでいた何かが起きているのだろうか。はやる気持ちを抑えて、カルステンは音のした方へと歩を進める。音は、村の裏側にある林から聞こえていた。


林の奥に貴族が馬車で通れるように整備された道があることは、村人の誰もが知っていたし、カルステンだって知っていた。しかし、その道が使われる事は__カルステンが繰り返したどの人生でも__この何十年なかったのだ。

その道で、何かが。自然とカルステンの足が速くなる。

草木をかき分けて、足場の悪い道を急ぐ。段々と大きくなる音が本当に道の方から聞こえているのか、それとも自分の心臓の音なのかも判断がつかなくなり始めた頃、カルステンの眼前にそれは現れた。


それは、一台の馬車だった。

美しい装丁がなされた実に高価そうな馬車だったが、片方の車輪が外れている。馬も逃げてしまったのか、馬車は道にポツンと取り残されていた。


(これはまた、限りなく非常事態だな)


カルステンは呑気に馬車の周辺を観察した。御者もおらず、馬もいない。片方の車輪が外れたこの馬車の中からは、人の気配がする。しかし、馬車の周りには人はいないようだった。


(置き去りにしただけ、か……?)


貴族の間では、妾の子供や陥し入れたい相手などをこうして人里離れた場所に置き去りにしたりするのだ、といつかの人生の時に本で読んだことがある。これもそんな感じなのだろうか。いや、ここ全然人里離れてないけど。そんなに遠くないところに村があるけども。と、自分の村の認知度に対して改めて残念に思っていると、とある紋章が目に入った。

過去の人生の記憶から、どうもこの馬車に入れられた紋章が帝国のものらしいことがわかる。赤を基調として、薔薇と呼ばれる華やかな花を王冠の周りにあしらった豪華なものだ。………………果たして、各個人持ちの馬車に、自身の家紋ではなく国の紋章を入れたりするものなのだろうか。カルステンはじり、と嫌な予感を覚えた。


「やぁ、そこに誰かいるね?」


馬車の中から声がする。どうやら中にいた人間もまたこちらの存在に気づいていたらしい。

声変わり後の男の声だったが、拭い去れないほどの気品と何処とない圧力を感じる話し方だ。多分、人を従えるのに慣れた人間の声だ、とカルステンは思った。


(無視してもいいだろうか)

「無視しないで欲しいんだけど。そこにいるんだろう?」


心を読まれたかのようなタイミングで声をかけられ、カルステンはびくりと肩を揺らした。一つため息を漏らして、カルステンはかけられた声に応えてやることにした。


「いる。が、何か用でもあるのか」

「いや、用はないけどね?」


くすり、と馬車の中の男が笑ったような気がした。声も心なしか弾んでいるような気がして、カルステンはいつにない事態だからと考えなしに近づいたことを半ば後悔しだしていた。


「多分僕達、」


がさり、と林の中から音がする。きらりと一瞬光を反射させたのは一体何だったのか。


「囲まれているよ」


突如感じた圧倒的な人の気配にカルステンはひゅっと息を飲む。

思った以上に厄介事だったのかもしれないなと後悔が加速する。


「多分、じゃないだろうが」


ぼそりと呟いて、中の奴に後で絶対文句を言ってやろうとカルステンは心に決めた。

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