探偵への覚悟
「ぜぇ、ぜぇ。み、見えた……」
息も切れ切れで体力も限界が近くなりながらも、必死に足を進め続けていた修也は如月探偵学園の正門を目にした。そこでは橘先生は腕を組んで立ち尽くし、修也達の帰りを待っている。
『修也、もう一踏ん張りだ』
「ほら、ちゃんと私の肩に手を回して」
「ご、ごめん……」
励ましの声を掛けてくるエルと千鶴に、修也は弱々しく返した。
最初は千鶴を背負って歩いていたが、肉体的なダメージがやはり残っており途中で千鶴を下ろしてしまった。その時には体の痺れもほぼ無くなったらしいので、今度は修也が千鶴に背負われるようになったのだ。
スピードはまさに牛歩。一歩から次の一歩までがおぼつかない。だが、それでも修也達は足を止めることはなかった。
ようやく正門に着いた修也達は、倒れ込むように地面に伏した。
「遅いぞ、お前達」
疲労困憊で息が荒れる修也達に対し、橘先生は労いの言葉を投げるのではなく厳しい言葉を上から浴びせた。
「今何時だと思ってる。課題のリミットは十八時だと言ったはずだが、忘れたのか?」
トントン、と腕時計に指を当て、時刻の確認を促す橘先生。現時刻は十九時半。辺りはどっぷりと夜の暗さで覆われ、正門の灯りが唯一の光源。結局、修也達は間に合わなかったのだ。
やっぱり、無理だったか……。
タイムリミットに間に合わないのは最初から分かっていた。もしかしたら時計が壊れて時間を誤魔化せる、なんて些細な希望を抱いていたが、そう上手くはいかない。
「他の組は既に帰って来ている。ここまで遅れて来たのだから当然だが、お前達二人はビリだ。一体何をしていた?」
『すまない。実はこれには理由が――』
「エル、言わなくていい」
事の顛末を説明しようとしたエルを修也が止めた。
『しかし修也、今回はアクシデントだ。説明すれば弁明の余地があるだろう?』
「関係ないよ。間に合わなかった時点で僕達はどんな言い訳も通じない」
『だが……』
「分かっているじゃないか、二階堂。探偵は依頼が来れば期日を設け、それまでに依頼主に結果を報告する。確実にこなしてこその探偵だ。その過程で何があろうと、な」
いつも通り毅然とした態度で言い放つ橘先生。これでは何を言っても通じないだろう。
「自分達の未熟さを理解している事に免じて、一応報告は聞いてやる。さあ、お前達の扱った事件について話してみろ」
「それは……」
修也は言葉に詰まる。
学園に向かいながら、修也達は課題となっていた事件についてあれこれ話し合っていた。だが、三つ目のポイントに目を通さなかった事もあり、当然だが結論は見出だせなかった。
「どうした? 話してみろ」
「……すいません。分かりませんでした」
「分からない? ということは、お前達は課題の事件を解けなかったんだな?」
「はい……」
修也は素直に答えた。
「そうかそうか。お前達はこれだけ時間をオーバーしていながら、事件も解決出来なかった。そういうことだな?」
「……」
「……」
「時間はオーバーしても、事件を解決していればまあ評価してやっていたが、お前達は何も出来ずにのこのこ帰ってきたわけだ。まさに負け犬だな。はっはっは!」
高笑いが響き渡り、君修也と千鶴は黙ったまま橘先生の声に耳を傾けていた。
悔しさはある。負け犬呼ばわりされて何も思わないわけもなく、言い返したい気持ちもたしかにある。しかし、橘先生の言う事にも一理あるのだ。探偵は事件を解くのが仕事。結果を出さなければ探偵としての存在意義はない。
「二階堂。お前、探偵を諦めたらどうだ?」
「えっ?」
思いがけない台詞に修也は固まってしまった。橘先生は座る修也の肩に手を置く。
「この際だからはっきり言わせてもらおう。お前に探偵としての才能はない」
「なん……!」
「成績は悪い。補習は当たり前。課題の事件も解けない。今の段階でその程度じゃ、これからどんなに努力しても探偵にはなれん。いっその事、学園を去ったらどうだ?」
「先生!?」
『橘先生! それはあまりに――』
「二人は黙ってろ」
静かに、それでいて威圧的な鋭い言葉に千鶴とエルは口を閉ざす。
「二階堂、ここは探偵を育成する学園だ。これまで授業でも教えていたが、探偵という仕事はお前が思っている以上に過酷で辛い。生半可な気持ちで勤まる仕事ではない」
「……」
「探偵は一定以上の能力を持ち合わせていなければならない。豊富な知識と頭脳、そして犯人を捕まえられるだけの格闘技術を備えた肉体。今のお前にそれだけのモノが身に付いているか?」
「……」
「私達教師は慈善事業でやっているわけではない。ここにいる生徒をみっちり鍛え上げ、世に貢献できる探偵を育成する責任がある。胸を張って、恥ずかしくない探偵を送り出す責任がな。だから、甘えも与えないし全員に目を向けるつもりもない。才能ない者は容赦なく叩き落とす。中途半端な探偵に用はない」
容赦ない台詞の連続。これは実質、退学の宣告と変わらない内容だ。普通ならすがって取り消しを乞うなりするだろうが、修也は静かに聞いていた。
「悪いことは言わん。二階堂、探偵は諦め――」
……パシッ。
修也は肩に置く橘先生の手を払った。
「……イヤです。僕は探偵学園を去るつもりはありません」
そう言うと、ブルブルと震えながらも修也は限界になった体にムチ打ちながら立ち上がった。
「僕は何がなんでも探偵になってみせます。いや、ならなくちゃいけないんです」
「威勢だけはいいな。その理由は何だ? 父親が探偵だから自分も、か?」
「たしかに僕が探偵を目指したのは父さんの影響です。あんな格好いい名探偵になるのが今でも夢であり目標です」
「だが、今言ったようにお前には探偵の才能がない――」
「才能が全てじゃない!」
修也は父親から譲り受けた懐中時計を取り出し、高々に掲げた。
「探偵はどんな困難にも逃げずに立ち向かう。真実を見極め、何があろうと諦めない心。それを強く胸に抱いた者が探偵なんだ!」
いつもなら怯える橘先生の鋭い顔に修也は逃げず、自分の覚悟を説いた。
「父さんが探偵だから探偵になりたいんじゃない。僕自身が探偵になりたんです。だから僕は諦めない。退学寸前の成績だろうと才能がないだろうと逃げたりしない。だから……だから……」
大きく息を吸い、そして決意とも言える強い気持ちで叫んだ。
「僕の進むべき道は探偵になるための道だけです!」
目を逸らさず、修也は真っ直ぐ橘先生の目を見て言い放った。
数秒ほど睨み合いが続いた後、橘先生がゆっくり口を開く。
「……そうか。なら、お前はまだ足掻き続けるというのだな?」
「続けます。何度倒れようとも、何度でも立ち上がってみせます」
「羽賀、お前も同じ気持ちか?」
「もちろんです。私も絶対に探偵になってみせます」
千鶴も強く頷く。
「いいだろう。では二階堂修也、羽賀千鶴。今回の課題、両者を……合格とする!」
……。
……。
……ん?
修也はキョトンとしてしまう。それは千鶴も同じだった。
「どうした。何を腑抜けた顔をしている?」
「いや、あの……先生、今何て言いました?」
「合格、と言ったんだ。もっと喜んだらどうだ?」
「え~と……」
「あの~先生。私達、課題を解けなかったですよね?」
「そうだな」
「時間もオーバーしましたよね?」
「そうだな」
「じゃあ、何で合格なんですか?」
「君達が僕の求める答えを出したからだよ」
正門の裏側から如月学園長がひょっこりと姿を現した。
「学園長」
「やあ、二人とも。お疲れ様」
満面の笑顔で、手を振りながら如月学園長は近付いてくる。傍らには使い魔のシルフィもいる。
『直也、どういう事だ?』
「そのままさ。二人は合格に値する答えを示してくれた。だから合格」
いまいち意味が分からない修也達三人。それを説明するように、如月学園長は話を続けた。
「実はね、今回の課題には一年生の力量では絶対に解けない課題も組み込んでいたんだよ。修也君達が取り組んだのもその一つ」
『なぜそんな真似を?』
『生徒の志しを見極めるためです、エル様』
『志し、だと?』
「そう。前に学園長室で話したよね? 僕は能力よりも気構えを持つべきだ、と。それと同じさ。難事件が目の前に立ち塞がった時、果たして諦めずに立ち向かえるか。それを判断するために組み込んだんだ」
手に持っていた封筒を開け、そこから一枚の紙を取り出す。それは今回の課題の結果を記した物だ。
「難題を引いた他の組は、誰もが諦めて学園に戻って来ていた。しょうがないと放棄し、時間になってものんびり帰って来ていたんだよね。けど、修也君と羽賀さんだけは違った」
修也と千鶴を称えるように、手を大きく広げた。
「時間が過ぎてもゴールを目指した。途中で羽賀さんが誘拐され、体がボロボロになりながらも、最後まで諦めずに学園に足を向けた。どんな事件であっても、自分の持てる全てを尽くして取り組む。探偵として大切な全力精神。姿が見えた時、二人の目にはそれが窺えた。だから二人は合格なんだ」
「誘拐って、学園長知ってたんですか?」
「もちろん。景嗣から連絡を貰ったからね」
父さんが? じゃあ、直也さんに連絡が行ったって事は橘先生も遅れた理由は知っていたって事だよな?
「じゃあ、さっきの問答は何だったんですか?」
「最終確認だ。お前達が本気で探偵を目指しているかどうかのな」
先程の威圧的な態度とは違い、今は満足そうに微笑みを浮かべながら修也達を見守っている。
「橘先生の言うように、探偵には知識も頭脳も体術も必須。これも事実。けど、修也君の言う事も事実だよ。探偵は才能が全てじゃない。どんな困難にも恐れず、犯罪という壁が立ち塞がろうと乗り越える。一番大事な心得を修也君達は持っていた」
それから如月学園長は修也の前に立ち、そっと頭に手を置いて撫でた。
「修也君、お疲れ様。君は探偵として立派な行動をした。胸を張りなさい」
探偵として立派な行動……。
修也は歓喜に震えていた。
学園に入学して初めて褒められた。成績不振と蔑まれ、誰からも探偵として認められなかった自分が、学園長自ら立派だと言われた。修也は言葉に出来ないくらいの嬉しさに満ち溢れていた。
「修也君!?」
「修也!」
『修也!』
だが、それも数秒。褒められた事で緊張が解けたからか、体のダメージも相まって修也は徐々に視界が薄れていき、そして意識を失った。
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