使い魔の矜持

 修也は頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。


 使い魔だって? 名探偵の助手で、その主人と犯罪に立ち向かうはずの使い魔が犯罪者?


 本来なら相反するはずの二つの存在。しかし、エルザはそれが一緒になっている。修也の頭の中は混乱していた。


『自分の主人を殺した、だと? 我々はどんな苦難も乗り越え、いついかなる時も主と共に犯罪に立ち向かい歩むと召喚の儀式で誓いを立てたはず。貴様、使い魔の誇りを捨てたのか!』


 同じ使い魔のエルが、エルザの非道に怒鳴りを上げる。


「誇り? そんなものが、このぽっかり空いた心を満たした事は一度もないわ」

『何?』

「私はね、殺人事件とかもっとスリルのある捜査をしたかったのよ。でも、いざ由利香の使い魔になってみたものの、来る依頼は人探し、浮気調査とどれも刺激がないものばかり」

「赤井名探偵は殺人事件は扱わなかった。彼女は死といったものが苦手で、そういった調査を中心にしていたんだ」

「そう。使い魔になった以上、私は由利香の仕事に協力しなければならない。でも、彼女の側にいてはいつまで経っても私は満たされない。だから殺したの」


 だから? そんな理由で自分の主人を殺したのか?


「由利香は自殺に見せかけて殺したわ。主人を失った私は探偵協会に身を置くことになり、他の探偵の手伝いに駆り出されるようになった。私は自分の思うまま殺人事件の捜査が出来ると思った。けど、世間はそんなに殺人事件がないのが現状だったわ」

「当然だ。殺人事件が頻繁に起こるわけがない」

「そうね。犯罪は何処かで必ず起きてはいる。でも、殺人という事件はホンの一握り。一、二ヶ月にあるかないかだった。正直ガッカリしたわ。だから、私が自ら殺人事件を起こすことにしたの」


 殺人事件の捜査をしたいのに、殺人を自分で犯す? 何を言っているんだ? 内容がメチャクチャじゃないか。


「自分でも矛盾している事は理解してる。けど、私はそのおかげで殺人事件というスリルを味わえるようになった。捜査する側ではなかったけど、今までにない充実感を得られるようになったわ」


 紙傘をクルクルと回しながら、どこか惚けたような笑みを浮かべるエルザ。


「それに、感謝してもらいたいわ。私が刺激ある事件を起こすことで探偵達は身を引き締め、そのために知識を身に付けるようにもなる。私が探偵を育てていると言っても過言じゃないはずよ」


 次々と出てくるエルザの言葉に、内から沸き上がる怒りに修也の体はブルブルと震えていた。


 使い魔はただの助手じゃない。もちろん、捜査になれば主人の命令に従わなければならない。しかし、名探偵と使い魔はそんな主従の関係だけではないのだ。


 召喚の儀式で誓いを立てたように、いついかなる時も共に歩む。それは人生そのものも指しているのだ。楽しい時なら一緒に笑い、苦しくて躓いたならば一緒にそれを受け止め、また二人で立ち上がり先に進む。互いを想い、そして支え合う。だからこそ名探偵と使い魔には強固な絆が生まれるのだ。


 景嗣とエル。

 如月学園長とシルフィ。

 不知火生徒会長とグリード。


 修也の周りにはこれだけの名探偵と使い魔達がいる。そして、彼らにはたしかな絆がある。並んで歩く後ろ姿は目に焼き付いて離れない。それは、背中越しに心と心が繋がっている温かい絆をはっきりと感じ取っているからだ。直に目にしているからこそ名探偵の偉大さを知り、修也を始めとした誰もが憧れるのだ。


 だが、エルザは違う。主人と結ぶべき強い絆を自ら断ち切った。己の欲望に溺れ、本来あるべき形を歪ませ捨てた。修也の怒りの焦点はそこにあった。


「ふ……な」

「何、修也君?」

「ふざけるなぁぁぁ!」


 修也はあらん限りの叫びを上げた。


「使い魔と探偵は一蓮托生だ! 最高のパートナーだ! それを自分から壊して、犯罪を引き起こして感謝しろ? あんたはただの最低野郎だ!」

「私は女よ。野郎じゃないわ」

「あんたのせいでどれだけ悲しんだ人がいる! どれだけ辛い思いをしたと思ってる! 犯罪は被害者の心に一生消せない傷を刻むんだぞ!」

「そうね。でも、だから何? その代わりに私の心は満たされる。それさえ叶えられれば他の人間なんてどうでもいいわ」


 元使い魔でありながら、エルザの心は完全に闇に染まっていた。どんな色の言葉も寄せ付けない、真っ黒な心に。


「父さん……撃ってよ」


 我慢の限界だった。修也は懇願するように、隣にいる景嗣にそう言った。だが、景嗣はそれを拒否する。


「それは出来ない」

「こんなヤツが生きてたら、また悲しむ人が出るよ? だから撃ってよ」

「ダメだ」

「父さん!」

「修也!」


 景嗣一喝に修也が怯む。温厚な性格の景嗣からは珍しい叱咤だったからだ。


「怒りに染まるな! 憎しみに囚われるな! 気持ちは痛いほど分かるが、それに流されちゃいけない。探偵はそんな感情で動いちゃいけないんだ!」

「だけど!」

「どんな状況だろうと、冷静な思考を持つ事が大切なんだ。それをしなければ破滅を導く」

「学園でも習ったよ。でも、こいつを逃がせばその破滅がまた起きるじゃないか!」

「……」

「父さん!」

「ふふふっ。さすがは二階堂名探偵。分かっているわね。そして修也君、君は何も分かっていないわ」

「何?」

「二階堂名探偵が私を撃たないのは、君達を守るためだという事を」

「えっ?」


 僕達を守るため?


「疑問に思わない? さっきまで撃つ機会は何度もあったのに、二階堂名探偵はなぜ私を撃たないのか」

「そ、それは……」

「答えは簡単。私に発砲すれば君達に危険が迫るからよ。一発でも撃てば私も黙ってない。自分の身を守るために行動させてもらうわ」

「そんなの、父さんなら簡単に勝て――」

「簡単に勝てるなら、なぜ私は今日まで二階堂名探偵に捕まらなかったのかしら?」


 エルザの質問に修也は返答に詰まった。そして、一つの疑問が浮かぶ。


 まさか……エルザは父さんよりも強い?


 景嗣は日本の名探偵の中で頂点に立つ程の実力者。頭脳だけでなく格闘技術も優れており、ユウスケもたった二撃で戦闘不能にしたのもそれを如実に表している。だが、その景嗣がいまだにエルザを野放しにしている。これは何を意味するのか。


「私との一対一でさえ苦戦を強いる。そんな人が誰かを守りながら戦えると思う? 人質を取られ、状況が悪化しないと言い切れるかしら?」

「嘘、でしょ? 父さん?」


 信じ難く、振り払いたい不安を取り除きたくて修也は景嗣の顔を窺う。何も答えない代わりに、景嗣の頬に一筋の汗が垂れた。


『修也、絶対に動くな。何もするなよ。千鶴を守りたいならな』


 エルの声も微かに震え、いつもは上に立っている尻尾が丸く下に向いている。


「私が何もしないのは、二階堂名探偵が撃たないから。そして、二階堂名探偵が先に撃たないのは、君達を守るため。一度戦闘が始まれば、圧倒的に不利になるのはそちらだから。均衡のように見えても、実は成す術がないだけなのよ」


 勝ち誇ったように佇むエルザ。だが、それが答えだった。今現在有利にあるのはエルザなのだから。


「さて、と。今日はこのぐらいでお暇しましょうか。今回の目的は果たせましたし。しばらくは計画を練ることに専念しようかしら。ネタも尽きたし。というわけで、大人しくしてるのでご安心を。二階堂名探偵、また会いましょう。そして修也君、名探偵への勉強頑張ってね~」


 エルザは下駄を鳴らし、手をヒラヒラ振りながら入り口へと向かい姿を消す。修也達は文字通り一歩も動けず、ただ眺めるしかなかった。

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