白の教師

 私は全ての理論を唱えることが出来れば世界が終わると思っている。

理論とは説得力を保持した上で理解しやすく現実を原理や法則などとして単純化することである。

つまり理論上では、今生きているこの空間にあるものの全てを説明することが出来るということだ。

理論で悩みを全て解決してしまえば楽なものだけど、そうしてしまうと生徒は考えることをやめてしまうかもしれない。

考えないこと、それは死と同じである。

悩み、考え、理解する。

それは人として生まれ持った最も優れた武器なのです。

私はそう考えている。


「せんせーおはよー」


生徒が前を歩いていたいつも自信のなさそうな先生の背中を叩きながら走り去っていった。


「うおっ!こらこら!走るなー」


全く。いつもこの調子だから。

そう思いながら私も声をかけた。


「おはよう」

「あ、おはようございます」

「今日も相変わらず先生っぽい服装だね」

「見た目だけでも教師っぽくしておかないと」


そんな話をしているとベテラン教師も声をかけてきた。


「生徒に背中叩かれるって、立場逆じゃないですか」

「あ、おはようございます」

「それだけフレンドリーって事じゃないですか」

「よく言えばね。悪く言えば。というか普通に見れば舐められてるだけでしょ」

「おっしゃるとおりで」


 今日は珍しい組み合わせで出勤だな。

単純にそう考えながら職員室へ入った。


「おはようございます」

「おはようございます」


いつものタイミングで相変わらずの元気を振りまく先生も居るけれど。


「おはようございます!今日も元気にいきますか!」

「今日も元気ですね」


私はいつも通り過ごすだけ。

職員会議が終わり、教室へ向かった。


「おはようございます」

「おはようございます」

「来週から中間テストです。なので今日から部活もテスト休みになります。分かりますよね? 苦手な教科を放って置くのではなく、教科担当の先生に聞きに行って理解出来るように勉強してください。理科については本日実験室で補習をします。実験補習です。分かりますか? その実験を今するということはテストに出る範囲ということです。出来るだけ参加してください。学校からの連絡事項は今日はありません。では、今日も1日しっかり学びましょう」


伝えることだけ伝えて教室を出た。

実験。生徒にとっては楽しい事の象徴的な言葉でしょう。

それを分かって言っている。

勉強は嫌だけど実験なら参加しよう。そう思う子も少なくないでしょうね。


「実験だってさ!俺、先週やった実験が良いな~」

「あれ楽しかったよな!あの実験ならテストに出ても回答できる自信あるわ」

「私、理科苦手なんだけど、やっぱり参加しといた方がいいよね」

「一応参加してみようよ」


廊下で部活馬鹿…いや、生徒からの人気者の先生と鉢合わせした。


「先生のクラスも放課後に補習ですか?」

「ああ。俺はいつも部活部活だから勉強で生徒とコミュニケーション取ることが少ないしな。こういう時ぐらいはね」

「部活人間ですもんね」

「悪かったな」


自覚はあるようだ。


「でも、最近陸上部も成績が残せてないじゃないですか」

「そうなんだよ。練習方法は変わってないんだけどな」

「だからですよ。時代と共に生徒の潜在能力も変わってきている。昔と同じ方法じゃ伸びませんよ。まあ、運動部じゃない私には良く分からないですが」

「時代ね…。確かに、運動部の世界は俺が学生だった頃と大きく変わってきているのは確かだな」


 やはり部活のことで悩んでるみたいだった。

しかし教師は教師に答えを導いてもらうのではなく、生徒に答えを導いてもらう立場である。

私がどうこう言うことはない。

そう思ってこれ以上話さず職員室の自席で実験の準備をしていた。


「今日の授業は実験ですか?」


話してくるはずのない先生から話しかけられ、ビックリして暫く声が出なかった。


「ああ、いえ。放課後の補習で実験をしようかと」

「補習で実験ですか。なるほど。考えましたね」

「もちろん。生徒が勉強をやる気になってくれるように工夫しないとね」

「僕も放課後に勉強を教えて欲しいと言われまして。何だか頼られるのが嬉しくて少しでも楽しく勉強してもらいたいんですけど、どうすればいいか分からなくて」


 こんなに自分の思いを話してくれる人だったのか。

それにいつも暗いと思っていたけど、話すと案外明るい。

いや、今日が明るいのかもしれない。


「いい悩みですね」

「え?」

「生徒を思って必死に悩んでいるあなたはいい教師です。今日のあなたはいつもより雰囲気が明るい。せっかくですから、雰囲気だけでなく顔にも出してみたらいかがですか」

「それはどういう・・・」

「そこから先はまた悩んでください。全部言ってしまったら意味が無いですからね」

「はあ。放課後まで悩んでみます」

「はい」


 いつもの日常と違う流れが出来ている。

それにつられて教師の悩み相談に乗ってしまうところだった。

でも、あの先生は生徒に悩みを解決する糸口を見つけてもらえる気がする。


そんなことを思いながら廊下を歩いていると生徒が声をかけてきた。


「あ、いたいた。先生!」

「はい?」

「テスト範囲でちょっと分からないところがあって」

「どれですか?」

「この部分なんですけど、これをこう考えるのは理解できました。でも、そこからなぜこうなったのかが」

「それはですね、結論から言えば・・・」


 そう。生徒が先生に教えてもらうのは当たり前のこと。

でも、当たり前だからといって手を抜いて教えるわけにもいかない。

廊下で立ちながらだけど、しっかりと説明していった。


「先生!分かりました!また分からないところが出てきたら質問に来ます!」

「まだ途中だけど。本当に大丈夫かな?」


廊下を足早に去っていった生徒の背中を見ながら少し不安だった。


別の場所で生徒は

「おつかれ」

「もー。本当、説明が細かすぎて余計に難しく感じるわー」

「で、まとめると何だったの?」

「うん。これが衝撃を加えたことによって起こる化学変化なんだって」

「なるほど。それをあんなに長々と説明されてたんだ」

「理系の先生ってみんなああなのかな?」


こんなやり取りが行われていることも知らず。

私は少しの間、先ほどの状況になればどう対応すべきだったのか悩んでいた。


「どうしました?」


今日は明るいし積極的だけど、いつもは暗い先生が声をかけてきた。


「いや、さっき生徒にテスト範囲の質問をされて答えてあげてたんですけど、説明の途中で走り去って行っちゃって」

「なるほど。何となく想像できます」

「それはどういう…?」

「先生、話が長いんですよ。多分説明が細かすぎて聞いてないところまで話してたんじゃないですか?」

「話が長い…。確かに、ちょっと補足して説明しましたが、それも大事なところなので」

「廊下で呼び止めて聞いてるんです。そういう時は分かりやすく簡潔にしてあげないと。教室じゃないんですから」

「そういうものですかね」

「そういうものです」


 必要な知識を教えるのが教師の仕事なのに、なぜそこを指摘されなければいけないのか。

私には理解出来なかった。

でも効率的に考えるとそれも理解できる。

簡潔に教えて、あとは自分で調べるという勉強意欲を掻き立てる。


 何でも教えればいいというわけではないという持論があるのにもかかわらず、勉強のことになるとこと細かく教えてしまう癖がある。

生徒たちは私に何を求めているのか。

そして、生徒が求めている以上の物を与えると嫌悪感を与える。


 教師として大事な部分を見落としていたのかもしれない。

自分で考える意欲を与えることも大事だが、考える題材に興味を持たせることも教師の勤めである。

興味が無ければ考えることもしない。


 考えることは人として最も大切なことだと生徒にもしってもらいたい 。

その為にはいかに勉強することに興味を持たせるか。

それはいつの時代も変わらない教師の使命なのだろう。


 生徒とのコミュニケーションで気付かなければならなかったはずなのに、今日は教師に教えてもらった。

たまには教師同士のアドバイスも重要なんだと初めて思った。


放課後、実験室にはクラスの殆どの生徒が残っていた。


「それでは実験に入ります」

「え?いつもみたいに説明とかはないんですか?」

「1度やってるので説明しなくても分かるでしょう。もしかして、もう忘れたとか言わせませんよ」

「何となくは覚えてますけど…」


説明しなくてもやっていけば自ずと理解する。

他の先生方がやっているのはそういうことでしょ?


「いつも同じ実験する時でも同じ説明をきっちりするから時間の無駄だったもんな」

「先生も気付いたんじゃない?」

「そこ!うるさいよ。実験中は私語は禁止です」

「すみません」

「では始めますね」


実験はアイスクリーム作り。

遊びのようだし簡単だけど、観察や経過報告をまとめるには良い実験である。


「3人1組で分かれてください。ではアイスクリームの素を配ります」


アルミ缶に素を入れて渡した。


「ボウルに水を入れて氷も入れてください。その時に温度計も一緒に入れておいてください」


生徒は言われたようにするも、1度行った実験の為手際がいい。


「今温度計は何度ですか?」

「5度です」


私はホワイトボードに生徒が報告した数字を書いていった。


「では塩化ナトリウムを入れてください。ゆっくり混ぜながら温度を観察してください」


生徒は塩を入れてしっかり観察している。


「-5度になったら軍手をはめてアルミ缶をボールの中に入れてください」


教科書を広げて黒板を見る顔と実験で観察する顔は全く違う。

やはり楽しそうだ。そして凄く真剣である。


「アルミ缶と氷が出来るだけ密着するようにね。アイスの素をゆっくりスプーンで混ぜてください」

「おお!ちょっと固まってきた!」

「アイスも気になりますが、外の氷水の温度もしっかり観察して各班の最低温度を報告してください」

「先生!うちの班は-10度です」

「うちの班も-10度!」

「はい。オッケーです。アイスが固まったらお皿に取り分けて皆さんで頂きましょう」

「やったー」


 こういう実験は達成感がある。

そしてこの実験は褒美がある。

楽しそうにアイスを食べている生徒達を見ていると幸せな気持ちになる。

邪魔をしないようにホワイトボードにテストに出る部分と説明を書いた。


「はい、ではこの実験から問題を出すのでしっかり復習しておいてください。後は洗い物だけして机の上に置いておいてくださいね。終わったら早く帰るんですよー」


そう言って実験室を出た。


「はーい」

「え…。で、結局何を覚えたらいいんだ!?」

「見て!ボードに何か追記されてる」

「先生、全部説明するんじゃなくて自主性を重視してくれるようになったんだね」

「よし、さっさと片付けて帰るか!」


 言わなくても気付く。

もう事細かに説明しなくてもいいんだと分かった。

生徒達も自分で調べる楽しさを知ってくれるだろう。

これも教師と生徒の信頼関係だと私は気付けた。

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