黒の教師
俺は過去の栄光に囚われている。
この学校に生徒として通っていた15年前、俺は陸上部で全国大会優勝という輝かしい成績を残した。
その栄光を買われて今ここで陸上部顧問として指導者側に立っている。
しかし近年、陸上部の成績が伸び悩んでいる。
俺の練習方法は正しいはずなのに。
生徒に幻滅される前になんとか手を打たないと。
毎朝そう思いながら俺は今日も陸上部の朝練に付き合っている。
「よーい、ピッ! よーい、ピッ!」
生徒たちが短距離ダッシュをしている。
他の生徒も外周から帰ってきた。
「よし、5分休憩の後、AとB交代だ」
「ふー。水水」
「俺たち短距離走者だぜ。もう体力もついただろうし短距離練習に専念させてほしいよな」
「確かに。でも先生はこのメニューで全国優勝したんだぜ」
「先生も短距離走者だったっけ」
「ああ。だから多分これが正解なんだろ」
「よし、ラストセットいくぞ」
「はい!」
生徒が不安を口にしているのは分かっていた。
しかし、まだ新学年になって間もない。
これから更に上達していくはずなんだ。
「よし、各自ダウンして終了!」
「はい!」
職員室に戻っても誰も居ない。
今日の準備をしていると続々と先生方が出勤してくる。
「おはようございます」
「おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます」
俺が朝練に付き合うために早く出勤するのは分かるが、当番でもないのに毎朝校門に立って挨拶するために早く出勤する元気な教師も居る。
「おはようございます!今日も元気にいきますか!」
噂をすれば戻ってきた。
この先生が帰ってきたら職員会議が始まる。
そして今日も生徒達の待つ教室へ向かった。
「おはよう!」
「おはようございます」
「今日も無遅刻無欠席だな!よし!えー、連絡事項は特に無いが、今日から部活がテスト休みに入る。朝練をしてる部活もあるが、放課後はどの部活も休みだ。勉強時間はたっぷりあるから、来週の中間テストに向けてしっかり勉強するように。以上!」
俺のクラスの生徒は殆どが部活をしている。
特に運動部が多い。
元気で活発なのはいいが、あまり勉強をしていないようだ。
「先生!部活休みなら先生も放課後時間空いてるんでしょ?」
「ああ、空いてるよ」
「じゃあ放課後、数学教えてよ!」
「おお!やる気満々だな!よし、放課後は数学の補習をしよう。他にも希望者が居れば教室に残るように伝えておいてくれ」
「やった!みんなに言っておくよ!」
前言撤回。
自ら補習を頼んでくるなんて。
しっかり考えているんだな。
関心しながら職員室へ向かった。
すると隣の教室の先生も同じタイミングで出てきた。
「先生のクラスも放課後に補習ですか?」
「ああ。俺はいつも部活部活だから勉強で生徒とコミュニケーション取ることが少ないしな。こういう時ぐらいはね」
「部活人間ですもんね」
「悪かったな」
俺も部活に熱心な生徒のことを言えないみたいだ。
「でも、最近陸上部も成績が残せてないじゃないですか」
「そうなんだよ。練習方法は変わってないんだけどな」
「だからですよ。時代と共に生徒の潜在能力も変わってきている。昔と同じ方法じゃ伸びませんよ。まあ、運動部じゃない私には良く分からないですが」
「時代ね…。確かに、運動部の世界は俺が学生だった頃と大きく変わってきているのは確かだな」
この先生はあまり触れて欲しくない場所をチクリと刺してくる。
しかし、言っていることは分かる。
俺だって気付いている。
今日は午後まで授業がないのでテスト問題と部活再開に向けての練習メニューを考えていた。
昼休み、職員室の自分の席で弁当を食べていた時、陸上部の生徒が尋ねてきた。
「失礼します」
「おお、どうした」
「先生、ちょっとご相談があって」
「何だ?」
「明日の朝練から短距離走者と長距離走者のメニュー分けをしてほしいなと」
「ほう」
「体力を付ける以外にも理由はいっぱいあるのかもしれませんが、やっぱりスタートダッシュや長距離には無い瞬発力をもっと鍛えないとタイムが伸びない気がして」
こいつの言ってることは分かる。
しかし、それは焦ってするものではなく、今やるべき事じゃない。
「ほらね。生徒の方が良く分かってる」
あの先生が口を挟んできた。
「うるさいな。部活のことで口出しはしないで頂きたい。なるほど。お前の言うことは良く分かった。しかし、まだ陸上を始めたばかりの君が分かった口をきくんじゃない。確かにタイムが伸び悩んでいるのは俺も考えていたのだが、今はこの努力が結果に出てくるのをグッとこらえる時期なんじゃないのか?焦る必要はないよ」
「はい…」
「ひとまず、このテスト期間中に練習メニューは練り直しておくから、朝練は今まで通りのメニューで行く。いいな?」
「はい、分かりました。失礼します」
生徒が職員室を出て行った。
「ちゃんと練り直してあげないと、あの子、陸上をやめるって言いかねませんよ」
「そんなに弱い子ではない。それに、俺だって考えてるさ」
「頭の中だけで考えてても生徒には伝わりません。ちゃんと行動で示してあげないと。運動部なら特に分かるでしょ。結果をちゃんと出してあげるんです。我慢だ何だって言い訳してると生徒から見離されますよ」
「う・・・。ちゃんと考え…いや、行動しますよ」
俺は間違っているのか?
恐れていたことが現実に起きようとしている。
生徒から見離される?
それは信用が無くなるということだろ。
ずっと考えてきたのになぜ。
そうか。考えてきたからこうなったのか。
生徒たちもタイムが伸び悩んでいることをずっと考えてたんだろう。
だが、考えているだけじゃ何も変わらないと思って行動に移したんだ。
なのに俺は自分の考えを行動に移すことなく押し付けてきたんだ。
いつまでも行動に移さない俺に見本をみせてくれたのか。
俺は過去に囚われ過ぎていた。
過去は過去。今向き合うべきは目の前の生徒であり、過去の自分を見せることではない。
なんでこんな簡単なことに気付けなかったんだ。
そう気付き、部活はもちろん、勉強の方でも今の生徒たちとしっかり向き合おうと決めた。
放課後、多くの生徒が補習に残っていた。
「よーし、補習を始めるぞ」
「お願いします」
「まずは小テストだ」
「えー!何も予習してないよー」
「たった5問だ。分からなくてもいい。とりあえず何か書いて答えを導き出そうと努力するんだ」
小テストという言葉に拒絶反応を示すのは生徒の特徴だ。
しかし、教える立場からすれば生徒の現状を知るにはこれ以上ない資料になる。
「全員解き終わったか?」
「はい」
「ではまず黒板に答えだけ書くから、自分で○×をつけてくれ。今から順に席を回るから間違えた箇所は説明していく。順番が回ってくるまで教科書を見て出来るだけ自分で復習してみてくれ」
「はーい」
そう言って端の生徒から順に回っていった。
「この問題はな、ここでこうなって…」
「なるほど!そうすれば簡単に解けるんだ!」
「じゃあ教科書のこの問題と、この問題を解いて提出」
「はい」
「おお、満点だったのか!」
「はい!でも、この問題だけ感が当たったって感じで」
「これか。これは文章を良く見れば計算式が書いてあるんだよ」
「あー!それかー。何となく気になってたけどはっきり分からなくて」
「じゃあ教科書のこの問題。あと、ノート出してごらん」
俺は生徒のノートに問題を書いた。
「この問題を解いて提出」
「はい」
そんな感じで補習を受けに来た生徒たち全員の席を回り説明と出題を繰り返した。
説明が終わった頃には始めに説明した生徒が問題を解き終わって提出してくる。
そしてそれを答え合わせする。
その繰り返しをしているとあっという間に時間が過ぎていた。
「よし、全員正解だ。今日の分でテスト範囲の3分の1は理解出来てることになるからお前たち、自信を持てよ」
「よしっ!」
「え?でも先生、残りの3分の2は?」
「明日も明後日も来るだろ?」
「・・・!やった!絶対来るから!」
「もし今日参加してない人が来たらどうするの?」
「ちゃんとそいつらの分も用意してあるよ」
「じゃあみんな誘っておこうぜ」
「だな!」
「先生さようならー」
「おう、気をつけて帰れよー」
生徒たちはスッキリした顔で帰っていった。
「さてと」
俺はもうひとつやることがある。
隣の教室の生徒に用があった。
「お、いたいた」
「あ、先生」
陸上部の生徒だ。
「昼間言ってた話だが、テスト明けからこのメニューで行くから覚悟しとけよって全員に回しておいてくれ」
「・・・はい!」
生徒は1枚の紙を見て表情を変えた。
その紙には短距離と長距離の練習メニューを別にした項目が書かれていた。
俺がこの生徒に言われてから必死に考えたメニューだ。
「明日の朝練も待ってるからな」
「ありがとうございます!」
教育者とは難しい。
過去は自分も生徒だった。
その経験を活かして次世代に繋いでいくのだが、自分の経験を押し付けるだけじゃダメなんだ。
ちゃんと生徒たちの声にも耳を傾けて、お互い納得出来る教育をしていきたい。
これは理想だ。
現実は難しいがな。
でも、俺は理想に近づける努力をするさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます