緑の教師

 私は何故か人と比べられる。

あの先生の方が。昔の方が。

いつだって何かに比べられて悪く言われる。

未熟者が経験豊富な私に意見するんじゃないわよ。いつもそう思っていた。

でも、もしかしたら誰か認めてくれる人が現れるんじゃないかと思って、今日もまた学校に来てしまったの。


 いつも同じ時間に学校へ出勤している。

だから毎日同じ光景が目に入ってくる。

そんな私の前をいつも自信無さげな先生が歩いている。

追いつくのか追いつかないのかぐらいの距離で歩き、下駄箱で挨拶するのが日常だ。


「せんせーおはよー」


 前を歩く先生の背中を叩きながら走り去っていく生徒。

今日も同じことを繰り返している。


「うおっ!こらこら!走るなー」


あんな怒り方をしてたらいつまでたっても生徒に舐められたままだ。


 すると横から別の先生が声をかけていた。

いつもはこの時間に出勤していないはずなのに、今日は少し早かったようだ。


 前で会話をしているのを見ながら歩いていると下駄箱に着く前に追いついてしまった。

そのまま挨拶だけで通り過ぎるのも気まずいので私も会話に入っていった。


「生徒に背中叩かれるって、立場逆じゃないですか」

「あ、おはようございます」

「それだけフレンドリーって事じゃないですか」

「よく言えばね。悪く言えば。というか普通に見れば舐められてるだけでしょ」

「おっしゃるとおりで」


自覚はあるようだ。


 私も教師になって30年になるけど、この先生も25年ぐらいは教師をしているベテランさんだ。

なのになぜこんなにも自信なさそうにしているのか、私には分からない。

そうこうしている間に職員室に着いていた。


「おはようございます」

「おはようございます」


 少しイレギュラーな事もあると気持ちが変わって新鮮だ。

しかし、やはり変わらず毎日同じ人も居る。


「おはようございます!今日も元気にいきますか!」


 多分、本人意外は皆同じ気持ちなんじゃないだろうか。

あの元気、皆に分散して少し大人しくなってほしいものだ。


「そろそろ時間ですし職員会議始めますか」


今日もまた1日が始まる。


 教室へ向かい、いつもと変わらない挨拶とホームルーム。


「おはよう」

「おはようございます」

「今日は特に連絡事項はありませんが、テスト1週間前です。予習復習は怠らないよう。そして、徹夜など睡眠不足になるような勉強はやめてしっかり授業に挑んでください。以上」


 私のクラスの生徒は優秀だ。

口うるさく言わなくても分かってくれると思っているからそのまま教室を出る。

しかし、生徒自身はそうでもなさそうだ。


「いちいち堅苦しいよなぁ」

「勉強なんて前日の夜やりゃいいんだよ」

「だよなー」


 職員室に戻るとまだ他の先生は戻っていない。

多分、事細かに色々言ってるんでしょう。

若いうちは先生らしいことをやりたがる。

でも、そんなの何十年も続けていられないわ。

そんなことを考えてたらいつも暗いオーラを漂わせている先生が帰ってきた。


「おかえりなさい」

「戻りました」


 あれ? 少し雰囲気が違う。


「何かいい事ありました?」

「え?!いや、別に…」


 明らかに動揺してるじゃない。

何で隠そうとするのかはよく分からないけど、ひとまず伝えておこう。


「そうですか。でも、雰囲気がいつもより明るいですよ」

「はぁ。ありがとうございます…?」


 …やっぱり良い事あったんだ。

1時間目は授業が無かったので職員室でテスト問題を作っていた。

チャイムが鳴り、授業を終えた先生方が帰ってくる。

そんな中、新米教師がなにやら楽しそうに帰ってきた。

楽しいと言わんばかりに軽快に。


「なんだか楽しそうだね」

「え、そうですか?」


白々しい返事だ。


「何?ちょっとは教師としての楽しさが分かってきた?」

「ま、まあ」

「楽しむのもいいけど、ちゃんと成績上げていかないとダメだからね」

「今回の中間テストは多分頑張ってくれると思います」


 少し驚いた。いつもなら“はい”と一言返事で終わらせるのに。


「なんか根拠でもあるの?」

「競争心を煽ってみました。先生方のクラスの子には負けない!と意気込んでましたよ」

「ほー。それはそれは。でも、うちには成績優秀者がいるけど」

「ちゃんと伝えてあります。それでも誰が学年1位を取るか楽しみですね」

「そ、そうね。ま、今回のテストも学年トップ10はうちが8割を占めるわ」

「頑張って喰らいつかせていただきます」


 いつも受身だったのに珍しく反論してきた。

といっても、私はこの道35年。まだ2年目の新米に負ける訳が無い。

新米に少し闘争心を出してしまって恥ずかしいと我に戻った時、いつも自信無さげで影の薄い先生が口を挟んできた。


「教師が競ってもテストは生徒の問題ですからね」

「生徒をやる気にさせる能力を競ってるの」

「勝手にどうぞ」


 それだけ言って自分の席に戻っていった。

誰が一番教師として腕を持っているのか分からせてあげる。

生徒達も分かるでしょう。この私に教えてもらった方が勉強がはかどり成績が上がることを。

2限目の授業の為、自分のクラスに向かい授業を始めた。


「それでは授業を始めます」

「起立、礼」

「その前に、本日より金曜日まで放課後に補習を行いますので、自主参加ですが出来るだけ参加してください。それでは教科書の43ページを開いてください」


 口では自主参加と言っているが、本当は全員参加するようにと言いたい。

でもここで無理に補習を受けさせるとあの新米教師に闘争心むき出しだとばれてしまう。

冷静さを保って黒板に向かった。


「補習か~」

「お前行く?」

「えー、俺家で勉強するわ」

「隣のクラスも補習するらしいぜ」

「あの先生なら俺も補習行くわ」

「でもうちの担任は一方的だからなぁ」

「分かりやすいんだけど冷たいっていうか」

「私は行こうかな。だって、そろそろ成績上げたいし」

「僕も行こうかな」

「お前ら物好きだよな。俺はパス」


 何やらヒソヒソと生徒達が喋っている。

内容は分からないけど大事なテスト前の授業だ。


「こら、そこ!喋らない!」

「怒られたじゃねぇか」

「ったく…」


 今年の生徒は集中力に欠けている。

とりあえず今日の補習でその辺も見ていかないと。

そう思いながら放課後を迎えた。


「では補習を始めます。…2人ですか」

「みんな家で勉強するって言って帰っちゃいました」

「家で勉強ねぇ。するわけ無いじゃない」

「確かに(笑)」


 やっぱり全員参加とはっきり言えば良かった。

でもとりあえず今日は仕方ない。


「2人だけだし、特別に個別指導してあげる。苦手箇所はある?」

「じゃあココ教えてください」

「あー、これね。これは…」


 普段授業以外では勉強を教えて欲しいと言ってこないので授業で理解してくれているんだと思ってた。

でも、実際はそうでもなかったようだ。


「なるほどー。先生、本当に教えるの上手ですよね」

「教師として当然でしょう」

「いや、他の教科の先生に比べたら別格ですよ」

「そ、そう?」


 教えるのが上手い。そりゃ35年も教師してたらパターンも分かってくる。

これは経験の差って事だけど、生徒も自然と感じているのだろう。


「先生、ちょっととっつきにくい空気だしてるからみんな寄り付かないけど、どの先生の補習よりも成績上がると思うんだよね」

「とっつきにくい?」

「うん。なんか昔ながらの教師って感じ。ちょっと怖い。笑」

「怖いのか…」


 あまりにもはっきり言われて少し落ち込んでしまった。


「あ、ごめんなさい!そういうことじゃなくて、その、」

「ああ、全然いいのよ。そうか、だから生徒たちが全然よってきてくれないのね」

「先生、あんまり笑わないし、怒ってるのかなって思っちゃうよ」

「笑ってるつもりだったんだけど」

「え、いつ?」

「今も」

「先生の笑顔って真顔なんだね…」


 笑顔が真顔。そんなはずは無い。ちゃんと笑っているのに。


「あはは(爆笑)」

「えー、そんなに可笑しい!?」

「先生、明日のホームルームで凄い笑顔で来てよ!みんな戸惑いつつも絶対食いつくからさ」

「何それ。別に生徒の機嫌取りなんてする必要…」

「そういう考えがダメなんだって。機嫌取りじゃなくてコミュニケーションだよ」

「あー、はいはい。分かった分かった。笑顔で行けばいいんでしょ」

「そうそう」

「分かったから勉強再開するよ」

「よーし、私も頑張ろ」

「あんた達は学年トップ狙える学力なんだから、しっかり上目指しなさいよ」

「はーい」


 初めて良い意味で比べられた。

生徒が本音を言ってくれた。

そして教師として最も嬉しい言葉を私にくれた。

笑顔が出来ていないというのは驚いたけど、それでも今までそんなことを言われたことが無かった私には発見と嬉しさがあった。


 人と比べられるのが嫌いなくせに、私自身が常に人を比べていた。

コミュニケーション。

少し恥をさらす状況になるかもしれないけれど、あの子達に言われたように満面の笑みでホームルームに行ってみようと決意した。


 翌朝、心臓が爆発しそうなぐらいドキドキしながら教室へ向かった。

こんな気持ちで教室へ向かうのは初めて。

そして満面の笑みを作って扉を開けた。


「おはよう」

「おはようござ・・・」


生徒は一斉に爆笑した。


「何だよ先生!朝から腹筋壊れるからやめて」

「なんで腹筋が壊れるのよ!普通に笑顔してるだけじゃない」

「引きつりすぎなんだよ!先生、そんなお茶目な人だっけ?」

「あ、あんた達ともう少し仲良くなりたいだけよ」


 恥ずかしさの勢いでつい余計なことを言ってしまった。


「あはは…。先生、今日の放課後も補習するよね?」

「当然です。クラス全員が学年トップ50入りを目指すわよ!」

「それは無謀だわー」

「最初から諦めないの!」


 今まで遠く感じていた生徒達が一気に近く感じた。

恥をさらすのも悪くない。人と比べていないでまずは私という人物をみんなに知ってもらうところから始めてみようと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る