紫の教師

僕はいつもモヤモヤしている。

とりあえず安定した職業として教師になったが、このまま毎年同じ事を定年まで繰り返すと思うと気が遠くなる。

新米教師の僕は教師として我武者羅に生きた去年を楽しいとは思えなかった。

でも、新たに出会う子達は僕を教師として成長させてくれるような気がしたんだ。


新年度が始まり、新しい学年、新しいクラスの担任として2か月が経とうとしていた。

僕は目的を持って教師になったわけではない。

ただ、進路を決めなければならず、いつまでも学生でいるわけにはいかないから仕事のイメージがしやすかった教師を選んだだけだ。


学校へ着くと大抵同じ先生が先に出勤している。

毎朝校門で生徒に挨拶している先生と、部活の朝練に付き合っている先生だ。


「おはようございます」

「おはよう」


特にプライベートで話したことはない。

部活熱心な先生は生徒からも人気がある。

人気者の先生。羨ましい。


「おはようございます」


僕とあまり差がない時間帯に他の先生方も出勤してくる。


「おはようございます!今日も元気にいきますか!」


校門前の挨拶が終わって帰ってきた。

本当に毎日朝早くから元気な人だ。


職員会議が終わって今日も1日がスタートだ。

担任の教師はそれぞれ教室へ向かう。

僕も足早に自分のクラスへ向かった。


「おはよう」

「おはようございます」

「えーっと、特に連絡事項は無いですね。中間テスト、来週に迫ってるのでしっかり勉強してください。以上です」


生徒はガヤガヤと話し出す。

今日は1限目の授業担当の日だからそのまま教室で授業の準備をするつもりだったが、教材を1つ忘れてきた。

また階段の上り下りをしなければならない。

自分の要領の悪さに少し苛立ちながら、職員室へ向かう為に教室を出ようとした。


「あれ?1時間目は先生の授業でしょ?」


すかさず生徒から疑問の声が上がってきた。


「ああ、授業のセット職員室に忘れてきちゃったから取りにね。みんな準備して待ってて」

「はーい」


早く戻らないと私語で教室がうるさくなってしまうだろう。

他のクラスに迷惑が掛かれば怒られるのは僕だ。

教材を忘れた僕が悪いのだが。

そんな自問自答を繰り返しながら足早に廊下を歩く。


その頃教室では予想通り生徒達の私語で盛り上がり出していた。


「今日の授業、スタート何分遅らせることが出来るか賭けようぜ!」

「やっぱり5分が限界だろ」

「いや、今日は新記録狙って15分!」

「テスト前の期間だぜ?それは無理だろ」

「あ、戻ってきた」


廊下を歩いてるだけで気付く。

やっぱりうるさくなってる。

早く静かにさせないと。


「ごめんごめん。では授業始めますね」

「先生!」

「はい?」


とりあえず静かにはなったが、授業を始めるというタイミングで声をかけてきた。

このクラスになってからよくある事だ。


「先生が高校の時は中間テスト前はいつから勉強してましたか?」

「何を唐突に。普通に1週間前からしか勉強してなかったですよ。部活してたから」

「ちゃんと1週間前からしてたんだ」

「当たり前でしょ。その為に部活も休みになってるんだから」


なぜテスト前の大事な時に、こんな余計な話をしてくるんだ。

全然理解できない。

早く授業に入らないとテスト範囲まで進めないじゃないか。


「でも殆どの人が前日にしか勉強しないんじゃないですか?」

「そりゃそういう人もいるだろうけど、多数派が正しいというわけではないよ」

「でもやっぱり前日まで勉強する気でないんだよねー」


何の意味があってこの会話をしているのか分からない。

しかし、せっかく部活も休みにしてまで学校規模でテスト勉強時間を設けているのに前日までやる気が出ないというのは困り者だ。

どうにか勉強をやる気にさせることは出来ないだろうか。

そう思って一つひらめいたが、口に出すか出さないか考えている間に沈黙の時間に耐えきれず声に出してしまった。


「じゃあさ、クラス全員で目標立てる?」

「目標?」

「学年順位でトップ10に入った人はテスト終了後1発目の学食を奢ってやる」


あーあ。僕は何を言っているんだ。

学食を奢るだなんて。もし本当にTOP10に入る生徒が出たら来月の食費は赤字だぞ。


「マジで!?」

「え、先生10人も奢れるの?」


10人も奢れるか!とも言えず、ついつい大人げない返答をしてしまった。


「え?このクラス内でトップ10独占する気?」

「出来ないことではないでしょ」


案外強気な返事が来て驚いた。


「どうかな?隣のクラスに成績優秀者として入学した子とか居るけど」

「あ、あれは中学の成績の話でしょ?高校に入ってからの勉強は一緒だよ!」

「勉強が出来る人とは、予習・復習をしっかりしている人だよ。一夜付けの勉強で勝てるかな?」


こちらの脅しにも動じないなんて。

学食、そんなに奢って欲しいのか?

でも一夜漬けの勉強だとせいぜい1人入るか入らないかだろう。

僕は生徒達のやる気を甘く見ていた。


「だったら今日からやるよ!先生、僕たちを煽ったんだからちゃんと付き合ってよね」

「え?自力で頑張るんじゃないの?」

「何言ってるんだよ、先生が丁寧に分かりやすく教えてくれるんでしょ?」


僕がテスト補習だと?

こんな新米教師に何を求めているんだ、この子たちは。


「えー、面倒だな」

「放課後、ちゃんと補習してよね」

「分かった分かった」


結局補習をする羽目になった。

どうにか逃げ道は無いものか。

そんなことを考え込んでいた。


「俺が10位以内に入ってやる」

「いや、俺だ!」

「いや、男子には譲らない!」

「何言ってるんだよ、学食は男子のものだ!」

「女子だって学食で食べるわよ!」


気付けば教室はワイワイと私語でうるさくなっていた。


「あー、うるさいうるさい。授業始めるよ」

「あ、授業始まったじゃないか」

「でももう20分たってるぜ」

「新記録達成と共に学食奢ってくれる条件までもらえたからな」

「ぜったい俺がもらう」

「だから…」


コソコソ話でもこんなにうるさいと思ったのは初めてだ。


「うるさい!無かったことにするよ!?」

「すみません」


それにしても、僕はまんまと生徒に乗せられてしまった。

去年はこんな事全くなかったのに。

でも、今年の生徒は少し厄介だな。

どうまとめていくか、ちょっと工夫していかないと。


しかし何だろう。楽しいな。そう僕は思った。


毎年同じことの繰り返しだと思っていたけど、生徒は変わり、時代も変わる。

同じことなんて1つもないんじゃないかと、こんな初歩的なことに気付けなかった。

教師としてまだまだ未熟者だ。

僕にとっての教師は生徒たちである。

何のために今を頑張っているのか分からなかったのではなく、何も考えていなかったんだ。

これから先に会う生徒たちのために、今年の子達には実験台になってもらうか。


そして名案を思い付いた。


「そうだ。今日は授業をやめて自習にしようか。」


せっかく静かになったのに自ら生徒達を喜ばせうるさくしてしまった。


「その代わり放課後の補習は無いから質問がある人は今聞いてね」

「結局自分が遅くまで残るの嫌なだけかよ」

「うるさい!早く自習始めて」


今日は何回”うるさい”と言っただろうか。

しかし、この一言で静かにしてくれる生徒はいい子たちだ。

ん?僕は単純か?


「先生!質問!」

「はいはい」


自習にしても生徒たちはちゃんと自分のやるべき勉強を分かってしている。

僕が補習なんてしなくてもやれば出来る子達なんだ。

やる気を出させるのが僕の仕事だ。


「では授業を終わります。号令」

「起立、礼。」

「先生、約束忘れるなよ!」

「はいはい、分かってるよ」


教室を出て、足早に…いや、楽しげに職員室へ向かった。


「なんだか楽しそうだね」

「え、そうですか?」


ベテラン教師が声をかけてきた。


「何?ちょっとは教師としての楽しさが分かってきた?」

「ま、まあ。」


教師としての楽しさか。

そういうわけでもないんだけど、賭け事をしているだなんて言えるはずもないのでそういうことにしておこう。


「楽しむのもいいけど、ちゃんと成績上げていかないとダメだからね」


あれだけやる気が出ているんだ。自然と成績も上がるだろう。


「今回の中間テストは多分頑張ってくれると思います」

「なんか根拠でもあるの?」

「競争心を煽ってみました。先生方のクラスの子には負けない!と意気込んでましたよ」


何故か先生方に喧嘩を売ってしまった。

新米教師が何をほざいているんだ。

しかし声にして出してしまった以上、責任を持たなければ。


「ほー。それはそれは。でも、うちには成績優秀者がいるけど」


やはりその切り札を出してきたか。


「ちゃんと伝えてあります。それでも誰が学年1位を取るか楽しみですね」

「そ、そうね。ま、今回のテストも学年トップ10はうちが8割を占めるわ」


ベテラン教師は自信満々だ。

大金星を上げてギャフンと言わせてやりたい。


「頑張って喰らいつかせていただきます」


ベテラン教師VS新米教師といったところか。

すると横で聞いていた別の先生が話に入ってきた。


「教師が競ってもテストは生徒の問題ですからね」


この先生は何かとやる気がなさそうだ。


「生徒をやる気にさせる能力を競ってるの」

「勝手にどうぞ」


生徒に勉強を教えるのではなく、勉強をやる気にさせる教師たちの戦いが幕を開けた。

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