美紀さんと捨て猫
今日も今日とて美紀さんと二人の帰り道。
今年は随分と日本列島に長居をしてくれた冬の寒さも、流石にそろそろ空気を読んだのか、ここ数日は春らしい天気が続いている。日も長くなり、冬の間は真っ暗になっていることが多かった帰路も今日はまだ明るい。
陽気の中、鼻歌交じりに歩く美紀さん。半歩遅れて歩く僕も、春のせいなのか歌のせいなのかなんだか楽しい気分になってくる。
「美紀さん、それ何の歌?」
「えー、何やったかな?昔、アメリカにいた頃におばあちゃんが歌ってくれた歌なんですけど。確か、『不思議な木の実』みたいな題名やった気がします」
「ふーん」
「春にぴったりの歌やと思て」
そう言ってまた鼻歌を歌いだす美紀さん。
いつも通りの平和な帰り道。
そう。あの「空き地」に差し掛かるまでは。
一面に雑草が生えたその土地を僕らがわざわざ「空き地」と呼ぶのには理由がある。
何の変哲も無い、雑草だらけの長方形の土地。しかし、去年の春に初めてその土地を見た時、中心にあったある物が、美紀さんと僕の目を奪った。
「土管が?!しかも三本?!まんまドラえもんの空き地やないですか?!」
それ以来、その場所は僕らの間で「ドラえもんの空き地」略して「空き地」と呼ばれるようになった。
美紀さんと僕が「空き地」に差し掛かるころ、
ニュウ……
「空き地」の中の方から、聞きなれない音がした。
「美紀さん、今なんか聞こえなかった?」
「へ?私の歌?」
「じゃなくて」
ニュウ……
「ほら」
「ほんまですね。何か動物の鳴き声みたいや」
ニュウ……
「ちょっと見に行きましょ」
そう言うが早いか、美紀さんは「空き地」の中に足を踏み入れた。
「勝手に入ったらダメなんじゃない?」
「ぼっくん、それはこの土地の持ち主が決めはることです。私らが決めることやおまへん」
よく分からない理屈でずんずん進んでいく美紀さんの後ろに僕もなんだかんだで着いて行く。
声の出どころは土管の裏側に置かれた段ボールだった。その中から時折聞こえる声と、ガサガサという物音。中に動物が入っているのには間違いなさそうだ。極め付けはダンボールの側面に書かれた一文。
「"可愛がってください"、か。捨て猫かな。誰か知らないけど、可愛いそうなことするよね」
「……」
「美紀さん、どうしたの?」
「ぼっくん、ちょっと私、家に電話します」
「え、何で」
「この仔、飼えるかどうか聞いてみます!」
「え?飼う?いやまあそりゃ、いいとは思うけで、せめて中見てから……」
そう言って僕がダンボールを開けようとすると
「あきまへん!!!!」
美紀さんが大声を出して、僕を手で制した。
「いっぺん中を見てしもたら、それは中を見てから飼うかどうか決めたことになってまいます」
「え、それだと何か問題あるの?」
「大ありです!それは人間の都合やないですか。中見て、大人しそうやったら飼うとか、可愛かったら飼うとか。それは人間の勝手な都合です。私はこの仔を捨てた人と同じにはなりとうないんです!」
美紀さんはたまに、こういう拘りを見せる時がある。その度に僕は呆れたり混乱したりしながら、最終的に美紀さんの拘りを受け入れてきた。というか、美紀さんは一度拘ったら、僕が何を言ったところで決して譲らない。結果、毎回こちらが譲ることになるのだ。しかし今回は、僕も美紀さんの言ったことが何となく分かる気がした。
僕が段ボールを開ける気がないと分かると、美紀さんはその場で家に電話をかけ始めた。
話は数分で着いたようだった。多分、美紀さんの家族も一度こうと決めた美紀さんと議論をしても無駄だと判断したのだろう。
「ふふーん!猫飼ってもOKですって!ぼっくん!OKですって!」
「それは良かった」
「ほな、改めて、段ボールを開けてください」
「いいけど、自分で開けないの?」
「私はワクワクするので手一杯です」
さいですか。
「三毛やろか、ブチやろか、黒猫やろか。なー、ぼっくん、早よ開けてください」
全力でワクワクしている美紀さんにせがまれ、僕は段ボールの上部を開いた。その中にはとても可愛らしい……
「これ……タヌキだよね?」
子ダヌキがいた。
どう見ても、子ダヌキ。
美紀さんも、予想外の出来事に固まっている。いや、子ダヌキそのものはめちゃくちゃ可愛いんだけど。
「美紀さん、ねえこれ、猫じゃなくてタヌ」
「タヌキちゃいますよ」
「は?」
「タヌキっぽい……子猫です」
「はあ?」
「子猫です」
「いやタヌ」
「子猫」
「t」
「子猫」
結局美紀さんは、その日別れるまでその仔がタヌキだと認めようとはしなかった。さらに驚くべきことには、自宅に帰ってからも家族全員に対して「猫」で押し通したらしい。
ドラえもんの空き地にタヌキが捨てられ、どう見てもタヌキのそれを美紀さんが猫だと言い張る。運命的な何かを感じずにはいられない一連の出来事だったが、何はともあれ子ダヌキには「おたべ」という名が付けられ、美紀さんの家族の一員となった。
僕はといえばその後美紀さんに頼まれて何度かネットでタヌキの飼育方法(美紀さんは頑なに「タヌキっぽい猫の」と言うが)を調べたりして、陰ながらサポートをしている。
ちなみにその時、ついでに美紀さんが歌っていた鼻歌について調べた結果、日本語のタイトルは『不思議な木の実』ではなく『奇妙な果実』で、それが木に吊るされた黒人の死体のことを歌ったジャズの名曲だと知ったことも、今回の事件の収穫だった。
何故あの時、美紀さんが歌った陰惨な差別の現実を表現するジャズが僕の耳には清々しい春の歌に聴こえてしまったのかは謎のままである。本人の歌い方の印象もあるとはいえメロディーは同じだったというのに。
やはり美紀さんはただ者ではない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます