美紀さんとバレンタイン(後編)&ホワイトデー後日譚


美紀さんは教室を出て行き、僕と吉井さんが二人残された。

「どう思う?」

「不安しかないよ」

 僕の問いに吉井さんが答えた。僕も全く同感だった。

 そして、僕らの予想を全く裏切ることなく、しばらくするとにわかに教室の外が騒がしくなり始めた。

 教室を出ると廊下に人だかりが出来ていた。左右の生徒に謝りながら体をねじこみ、なんとかその中心に顔を出す。そこには案の定、美紀さんが立っていた。

 立っている美紀さんの体ごしに、もう一人の姿が見える。サッカー部のキャプテンの藤田くんだ。その目は不安げにキョロキョロと動き、しわのよった眉根からは困惑がうかがえる。それもそのはずだ。美紀さんと藤田くんの右手は、手錠でつながれていた。美紀さん、何考えてんだ。

「ふふふ、ルールは簡単や。私が君に勝ったら、そのぎょうさんもろてるチョコを一個分けてもらいます。よろしおすな?」

「え?何?ほんと、なんなの?ねえ?全然意味分からないんだけど」

 狼狽する藤田くんを完全に無視して美紀さんは腰を低くして戦闘の構えをとっている。

「せやけど君はサッカー部キャプテンや。どうせ足ワザしか使えへん。私もそこはハンデをもうけるつもりです」

 そう言って、腰を低くした美紀さん制服のポケットからもう一対の手錠を取り出して。自分の手にはめた。これで美紀さんの両手が藤田君の片手に固定されている格好になる

「これで私もキックしか使えへん。条件は互角や!」

 言うが早いか美紀さんの右足が後ろに小さく蹴り上げられ、次に瞬間その反動のローキックが藤田君を襲った。

 間一髪、ジャンプでよける藤田君。流石、サッカー部キャプテン。なかなか反射神経が良い。

 しかし、美紀さんはまるでそれを予測していたかのように、藤田君の右手とつながった自分の両手をグイと引く。

 ジャンプ直後に片腕を強く引っ張られ、藤田君が大きくバランスを崩した。そのチャンスを美紀さんは逃さない。美紀さんの体が沈む。これは跳躍の準備だ。そして曲がった美紀さんの膝が再び伸び始める。大業が出る。

 

「ビターーーーーーン!!!!」

 

 廊下に大きな音が響いた。

 美紀さんの大業は出なかった。しかしこの音は藤田君の反撃によるものでもない。

 美紀さんと藤田君の間に吉井さんが立っている。その手には教科書の中では薄めの、音楽の書き込み式ワークが握られている。

 彼女がこれで美紀さんをぶっ叩き、動きを止めたのだ。

「いっっっっっっっっっっっったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!!!!」

 突然の出来事一瞬動きが止まった美紀さんは、その後に襲ってきた強烈な痛みを、両手で頭を押さえながら腹の底から声を出して訴えている。

「自業自得よ美紀ちゃん。関係ない人に迷惑かけたり、暴力振るったりとか、絶対ダメなんだよ?」

 吉井さんの完璧な正論に美紀さんは悶絶しながら無言でうなずくことしかできない。

「あ、あのさ、これ」

 おずおずと藤田くんが右手を掲げると手錠の鎖から金属のすれる音が小さく聞こえた。

「美紀ちゃん。鍵」

「はい……」

 吉井さんにようやく手錠を外してもらった藤井くんは、逃げるように自分の教室の方に去っていった。

 僕と吉井さんと美紀さんは言葉少なに教室に戻った。なんとも重苦しい空気だ。

「あの」

「ごめんなさいは?」

「ちゃんすよバレンタインの」

「ごめんなさいは???」

 美紀さんの言葉はさっきからずっと吉井さんに封殺されている。吉井さん、こんな怖い子だったのか。今までおとなしい子だとばかり思っていた。

「……ごめんなさい」

 ついに美紀さんが言い訳するのをあきらめて謝った。

 それを聞いてやっと、吉井さんがニッコリと笑う。ドSだ。

「あの、それで……」

 美紀さんが両手を掲げた。その手はまだ手錠でつながれたままだ。

「これ、外して」

「ペナルティよ。午後はそのままで」

 なんというドS。

「そう言えば、美紀さん、吉井さんに止められなかったら何をしようとしてたの?」

「え?延髄切りですけど」

 彼女もたいがいだった。

「勝てると思ってたの?」

「……ぅぅ」

 僕の問いに美紀さんは小さくうなった。よく見ると、その目が少し潤んでいる。

 怖かったのなら、よせばいいのに。美紀さん。破天荒なのかヘタレなのか、時々わからなくなる。

 午後、僕らの教室では常に小さく鎖と鎖のすれる音が鳴り続けていた。教師も少し気になっていたようだが、特に調べたりする事もなく、その日の授業は終了した。

 終礼の後は掃除の時間だ。僕と美紀さんは同じ班で、今日は掃除当番なので、そろそろ吉井さんには美紀さんの手錠をとってもらわないといけない。

 吉井さんもそう思っていたらしく、終礼後もすぐに帰らずまだ教室に残っている。しかし、肝心の美紀さんが見あたらない。いやな予感がする。「どう思う?」

「不安しかないよ」

 僕と吉井さんが本日二度目のこのやりとりをした時、廊下もまた昼と同じように騒がしくなっていた。

 教室を出ると廊下にはやはり人だかりが出来ていた。僕はため息をついてまた人の群に体をねじ込み、中心に顔を出した。そこにはやはり美紀さんが立っていた。向かい合っている相手は、またサッカー部の藤田君だった。藤田君の顔はなんかもう半泣きになっている。

「頼むよ……もう勘弁してれよ……」

「勘弁も何もあらへんでしょ?私はお金を払うって言うてるんです。はよ、返事してください。君の持ってるチョコ、いくらやったら売ってもらえますか?5万円では安いですか?えーーい!もってけドロボー!6万円出しましょ!」

 群衆がオオ!と声を上げた。美紀さんは手錠でつながれた手で財布から万札を取り出し、床にたたきつける。床にはすでに5枚の万札が散乱していた。何してるんだこの人は。

「いやもう、勘弁してくれよ。君に関わりたくないんだよ僕は。お金出されても困るんだよ……」

 対して、藤田君の顔はもはや半泣きに近くなっている。本当に、美紀さんとかかわり合いになりたくないのだろう。

「なんや!なんや!まだ足りひんのですか?うーーん、でも、私にはもう手持ちのお金が……か、か、かくなる上は……」

 美紀さんはそう言うと両手をスカートの下に入れた。

 いやな予感がする。

「じょ、女子高生の、し、下着はけっこう高値で売れるて聞きました……。この6万円に今から脱ぐ、私の、し、し、し、下着もつけ」

 

「ビターーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 昼に聞いた音の数倍の衝撃音が廊下に響いた。

 顔を真っ赤にして国語便覧(音楽の書き込みワークよりかなり分厚い)を手にした吉井さんが息を荒げながら、美紀さんの前に立ちはだかっていた。

 美紀さんはよっぽど脳が揺れたのか、ひょっとこのような顔をして、フラフラとその場に立ち尽くしている。

「何考えてるの!?信っっっっじられない!!ここ学校だよ!?人もいるんだよ!?いや、学校じゃなくても、人がいなくても、そんなことするのおかしいよ!!最低!!最っっっっ低!!!!!」

 吉井さんが一気にまくし立てる。

 心なしか群衆の中の男性陣はバツ悪そうな顔をして見える。心の中で少し「ラッキー」と思ってしまったことが今になって恥ずかしいのか。かくいう僕もそうでないとは言い切れないのだが。

 美紀さんはそんな吉井さんの言葉をおとなしく、というより、ほとんど昏倒しながら聞いていた。目が定まっていない。時折、変なタイミングで「あい……あい……」とうなずいている。元に戻るのか少し不安になったが幸い、吉井さんの説教を受ける十数分の間に美紀さんの意識ははっきりとして、まともな受け答えが出来るようになった。

  まともになった美紀さんに「あんなことして怖くなかった?」と聞くと、両腕で肩を抱いてか細い声で「怖かったです……」という答えが返ってきた。だから、だったらしなけりゃいいのに。

 廊下で騒動が起こってる間に教室掃除は終わってしまっていた。

 そこで美紀さんは部活動に、帰宅部の僕はそのまま図書館に行くことにした。

 美紀さんはいろいろな部活を掛け持ちしているので、一緒に帰るために僕はよく図書館で時間をつぶしている。

 図書館に行くと、また吉井さんに出会った。分厚いハードカバー本から顔を上げて、こちらに向かってほほえむ彼女の顔には少し疲れの色が見える。そりゃそうだ。普段は一日教室の隅で仲の良い女子とおしゃべりしているような子なのだ。それが今日はすでに二度も全力で美紀さんをブン殴っている。

 吉井さんの座っている向かいに腰を下ろしてこの前図書館で借りた本を開く。残りのページの感触から考えるに、恐らく美紀さんの部活が終わるまでに読み終わりそうだ。美紀さんが今日行く部活はどこだっただろうか。少し考えて思い出した。

〜ピー、ガコン〜

 ……放送部だ。

〜あ、あ、あ、そうそう。そんな感じ。おおきにです。あー、テステス。マイクもっと上にしてもらえます?私、手がこんなんやし。(ジャラジャラ)あ、あ、あ。ありがとう。おおきにです。えー、ごほん。ピンポンパンポーン!校内に残っている男子生徒に連絡です。先ほど、何者かから、この校内にあるバレンタインチョコに爆弾をしかけたという電話がありました。バレンタインチョコを持っている男子生徒は速やかにチョコを破棄してください。繰り返します。チョコレートを持っている男子生徒は速やかに破棄してください〜

 気づいたときにはすでに、吉井さんの姿は目の前から消えていた。

 ほどなくして図書室のスピーカーから、放送室内の混乱が漏れ聞こえてきた。乱入する女子生徒、止める部員、止まらない女生徒、言い訳する美紀さん、「発想の転換」、「もらおうとはしていない」、「全員のチョコをゼロにするだけ」、一括する女生徒、そして美紀さんの断末魔の声が聞こえた。

 ふと前を見ると、吉井さんがさっきまで読んでいた分厚いハードカバーの本が、彼女とともに消えている。美紀さんの頭蓋骨は無事だろうか。

 数分後、吉井さんが帰ってきた。片手にさきほどまで読んでいた本を持っている。しかしそのハードカバーの表紙は見たことがない形状にひどく折れ曲がっていた。

 美紀さんが図書室にやって来たのは、5時半を少しまわった頃だった。いつもの元気は見る影もなく、おぼつかない足取りで図書室のカウンター近くまでやって来て、僕を手招きしていた。

 美紀さんに導かれるままに図書室から出ると、美紀さんは鞄の中をゴソゴソと探って、おずおずと何かを取り出した。

 パックのココアだった。校内の自動販売機で売っているやつだ。

「ハッピー……バレンタイン……」

 美紀さんが苦悶の表情でそれを僕に渡す。今日の昼以降の美紀さんの作戦は全て阻止されたのだ。唇をかみしめる一人の敗者が、そこにはいた。

 僕は一言「ありがとう」と言って、それを受け取った。美紀さんは何も言わずに去っていった。

 なんとなく、今日は一緒に帰る雰囲気じゃなかったので、僕は彼女を追いかけなかった。

 図書室に戻ると、吉井さんが帰り支度をしていた。

「チョコもらえた?」

 圧倒的暴力によって美紀さんの計略を悉く打ち破った張本人からの質問に、僕は黙って右手に持ったココアを掲げる。

「ふふ。よかったね」

 よかったのか?

「あ、そうだ」

 そう言うと、吉井さんは一度閉めた鞄を再び開き、中から小さな可愛いつつみを取り出した。昼休みに美紀さんがもらっていたものと同じ、吉井さんの友チョコだ。

「一個あまったからこれ、あげようか?」

 僕がしばらく考えてから「いい。遠慮しとく」と答えると、吉井さんはにんまりと笑ってからまた「よかったね」と言った。よかったのか?

 とにかく、このパックのココアが僕の今年のバレンタイン唯一の収穫となった。

 それはそうとして、余った友チョコを鞄にしまう吉井さんを見て、僕はあることを思いついた。

「もし余ってるんならさ……」

 帰り際、唯一の収穫にストローを突き刺し、僕は吉井さんに話しかけた

  それから数日間、吉井さんは「壁際の五人衆」からメシアとして崇められるようになった。

 最初の方は苦笑いで流していた彼女も、感謝を通り越して信仰の対象にまでなってしまい、1日3回の礼拝が始まったあたりからは本気で嫌がっていた。

 そういうとこだよ。壁際の五人衆。

 

 

〜〜ホワイトデー後日譚〜〜

 

 本日、3月14日。

 吉井さんは学校を欠席。壁際の五人衆のお返し作戦はプランBに変更となったようだ。

 具体的にどういった作戦なのかまでは、たまに彼らの会話に聞き耳を立てているだけの僕には分からない。しかし、彼らの会話から、その作戦が「K計画」と呼ばれているということ、正式名称が「供物計画」であることは分かっているので、それだけの情報をもとにしても吉井さんには「逃げろ」と伝えたい。

 かくいう僕も、美紀さんからバレンタインデーに曲がりなりにも贈り物をいただいたので、美紀さんにささやかなお返しを渡した。

 特にこったものではなく、家に一番近いデパートの「ホワイトデーフェア」のラインナップから選んだクッキーだ。

 お返しを受け取った美紀さんは

「うわー、おおきにありがとうございます」

 と、うれしそうだ。

 そんな美紀さんの顔がふと、真顔に変わった。

「来年のバレンタインデーこそは……」

 彼女の大きな目は正面にいる僕をまっすぐ見つめている。

 その澄んだ瞳に思わずドキリとする。来年こそは、僕のためにチョコをくれるつもりなのだろうか。

 美紀さんは形の良い唇をゆっくりと動かし、言葉を続けた。

「絶対に藤田くんからチョコをいただきます」

 違った。彼女の中で、バレンタインの位置づけは書き換えられてしまったようだ。さらに、彼女は続けてこんな言葉を口にした。

「ところで私、ぼっくんにチョコレートなんかあげましたっけ??」

 僕は翌日、不覚にも体調を崩し学校を休んだ。

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