美紀さんとバレンタイン(前編)


二月十四日。バレンタインデー。

 授業の合間の短い休み時間の度に、義理チョコを持った女子たちが、部活などで接点のある男子にそれを配って歩いている。

 昼休みになると、すでに周囲に認知されているカップルの一部は隠すことなく、それ以外の場合はたいてい秘密裏に本命チョコの受け渡しが始まる。

 そして教室の隅では、これまでの十五年の人生で幾度となく期待を裏切られ、「自分はチョコに縁がない」といことを涙とともにDNAレベルで叩き込まれた連中がたむろしている。僕は密かに彼らを「壁際の五人衆」呼んでいる。

「あーーーーー……チョコ……ほしい……」

 その中の一人、加藤がうめくように呟いた。

 

 その他の連中もその言葉に無言の肯定。

 そんなに欲しければ、教室の隅なんかでたむろせず、自分の席なり女子の近くなりにればよいのだが、十五年の経験がそれをさせないのだろう。期待は絶望の増強剤だと心が覚えてしまっているのだ。

「ぼっくん、はよしてください」

 言われてあわてて前を向くと、美紀さんが不服そうに口をへの字に結んでいた。壁際の五人衆に気を取られているあいだに、目の前には美紀さんが出したと思われる緑のドロー2が置かれている。

 UNOというゲームは二人でしてもあまり楽しくないのだが、他の誰も一緒にやってくれなかったのだから仕方がない。もしかして僕ら二人はクラス内で嫌われているのだろうか。

 僕は無言で美紀さんの出したカードの上に青のドロー2を置いた。

 美紀さんはさらにその上に黄色のドロー2を。

 僕、赤のドロー2。

 美紀さん、青のドロー2。

 僕、緑のドロー2

「やったー!あがりやーー!」

 そう言って、美紀さんが緑のドロー2を机上に叩きつけた。

「美紀さん、UNOって言ってないから五枚ね」

「あ」

「あと、英語カードであがるの無しだから、もう五枚」

「え」

 美紀さんが涙ぐみながら山から十枚のカードを引いていると、クラスメイトの吉井さくらさんが近づいてきた。小柄でおとなしい性格の吉井さんだが、なぜかはちゃめちゃな美紀さんと仲がよいのだ。

「美紀ちゃん、これありがとう」

 差し出されたのは、国語のノート。そういえば彼女は昨日、学校を休んでいた。

「え、ああ、どういたしまして。役に立ちました?」

「うん。助かったよ。あと、お礼もかねて、これ……」

 彼女はかわいくラッピングされた小さい紙袋を美紀さんに差し出した。いわゆる友チョコというやつだ。

「うわぁ、おおきにです。今、食べてもええですか?」

「うん。どうぞ。あ、そういえば美保ちゃんはどんなチョコあげたの?」

「うふふ、美味しいわぁ……。へ?」

 チョコレートを口の中で転がしていた美紀さんがキョトンとした顔で聞き返した。

「え、いや、だから……」

 そう言いながら吉井さんは僕の方を指し、

「彼に」

 吉井さんの言葉からまるっきり五秒間。美保さんはずっとキョトンとした顔をしていた。恐らく言葉の意味が分かっていなかったのだろう。

 五秒経ってやっと、言葉の意味が飲み込めた美紀さんは、まるで数年分の記憶を一気に取り戻した人の様に大きく口を開け、目を見開いてつぶやき初めた。

「あ……ああ……ああ……二月十四日は……バレンタイン……女性から男性に……チョコ……私は……女性……ぼっくんは……?男性……!!……ぼっくんは男性!!!!」

「もしかして、用意してないの……?」

 吉井の問いに口を開けたままこくりとうなずく美紀さん。

「え、それは流石に……どうなのかな……。だって、付き合ってる彼氏に、え、バレンタイン無し?」

「僕は彼氏じゃないぞ」

 ここはきっちりと否定しておく。

「え、そうなの?いや、それにしても、こんなに毎日一緒にいるのに何も無しって……」

 吉井さん、明らかにひいている。

「いや、ちゃんすよ」

 出た。美紀さんがあせっている時の口癖。

「ほら、私、オクラホマの出身やないですか。あの、えーーっとオクラホマの、法律。州法!州法で、バレンタインの異性へのプレゼントは禁止されとるんです。えっと、その、はい。せやから、渡したかったんですよ?渡したかったんですけど、やっぱりなんか抵抗あって」

 オクラホマにそんな州法があったとは初耳だが、そもそもオクラホマの州法なんか一行たりとも知らないので、否定は出来ない。あるのかも知れない。プロテスタントの国だし。

「へー、オクラホマってそんな法律あるんだ。ところで」

 そう言って僕は、授業で使った南北アメリカの白地図を取り出して、美紀さんの前に置いた。

「オクラホマって、どの辺?」

 美紀さんの表情が一瞬で固まる。

「えっと、えっと」

 だらだらと額から汗を吹きだしながら、美紀さんがおずおずと地図上で指を動かす。

 その指は迷いをはらみながらもやがてある一カ所で制止した。

「このへん……?」

 カナダだった。

「せめてアメリカ国内で間違えようよ……」

 僕は黙って地図帳をしまう。この分では恐らくオクラホマの州法の話もでまかせだろう。だいたい雰囲気で察しはついていたが。

「うう……すみまへん。バレンタインのこと、完全に忘れてました」

 美紀さんも観念して正直に白状した。

「いや、僕は別にいいんだけどさ」

 まあ、正直期待していなかったと言えばウソになるが、付き合ってもいない女の子にそれを強要するのは流石に傲慢だ。

「でもさ、美紀ちゃん。美紀ちゃんの反応見てると今やっと彼にチョコ渡してないことを意識したみたいだけど、今日は朝から教室中で女の子がチョコの受け渡ししてたよね?それ見ても今まで気付かなかったの?」

「それが、みんなチョコ渡してはるなー、とは思てたんですけど、自分が渡すことは考えもしぃひんかったんです。中学の頃からバレンタインにチョコ渡す様な人もおらんかったし」

 まあ、美紀さんの性格ならうなずける話だ。おおかた、中学時代から「美味しいわぁ」と言っては友人にもらったチョコを食べる専門だったのだろう。

「あと、ぼっくんにチョコ渡しに来はる女の子が誰もおらへんかったから、私もぼっくんにチョコ渡すって考えにたどり着かへんかったんです」

 要するに僕がモテないのにも責任の一端があるということか。

 そんな美紀さんの弁明を聞いて、吉井さんの表情が曇った。

「美紀ちゃん。それは言っちゃいけないよ。だって彼がチョコをもらえなかったのは、美紀ちゃんがいるからなんだよ?」

「へ?」

「だって、クラスのみんな、二人は付き合ってるって思ってるもん。私もさっきまで思ってたし。で、おまけに今日はずっと一緒にいるでしょ?彼女の目の前で彼氏の方にチョコ渡そうとしたりしないよ」

 美紀さんの動きが止まった。そして顔から表情が消えた。

「え、ぼっくんがバレンタインもらえへんかったのって、私の……せい?」

「うん」

「しかも私は、何も用意してへん」

「うん」

「…………」

「…………」

「ぼっくん」

「え、何」

「待っとってください」」

 そう言って美紀さんは席から立ち上がり、教室を出ていった。


(つづく)

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