case2-2 摩訶不思議な世界




「そういや、なんでノアは世界を移動できるんだよ?」

「んー、カードのランクが違うのよ、勇人とあたしとね」

「ふーん、ランクなんてあるんだな」

「あたしは、創った側の……だからさ」

「このプログラムをか?」

「ええ、そうよ。あんたみたいな崩壊しかけの世界に行っては、世界諸共にクライアントが消えないように助け出してるの。それがあたしの今の役目」

「本当の意味での『救世主』だな」

「……だったら、いいんだけどね」


 ノアはまた俺に微笑みかけた。よく見ると、結構可愛いかもしれない。

 少し見惚れてしまったことに気づいた俺は、ノアから顔を反らして周りを見渡した。


「……で、この世界は何の世界なんだよ?」

「なかなか厄介な……あんたのよりもひどい世界だわ」

「そんな風には思えないけどな」

「そうであればあるほど、反動が大きいのよ。そのうち、崩壊が始まるわ」


 辺りには、のどかな平原が広がっている。放牧地だろうか、牛や羊などが所々で草をむしったり呑気にあくびをしたりしている。崩壊だなんて、ここには一番似合わない単語だ。


「ふーん、じゃあ創造主は?」

「わからないわ」

「は? クライアントのデータ取ってねぇのかよ」

「今……ちょっとね、……エラーが生じてて……」

「エラー?」

「……予測できていなかったのよ。創造主の世界の否定にプログラムが呼応して世界を壊し始めるだなんて……」

「そのプログラムを破壊すりゃいい話じゃねーか」

「そう簡単にいかないのよ……だってまだ、実験だ……」


「なんのおはなしをしているの?」

「「え?」」


 突然俺の右側から、俺たちの前方に犬が一匹飛び出してきた。俺とノアが顔を見合わせると、そいつは「話しかけて」きた。


「おにいさんたち、みかけないかおだね」

「まさか……こいつが?」

「……そうよ。さっきから私たちをつけてたから接触してくるとは思ったけど……本当に『厄介』」


 俺たちの目の前に現れたのは農場でよく見る犬種のボーダーコリーで、首には大きめの鐘とともに「GUILDENSTERN(ギルデンスターン)」と刻まれたプレートが下げられていた。

 そしてノアは、あからさまに眉間の皺を濃くしたのだった。


「ノア……お前まさか、『厄介』って……犬が苦手なのか?」

「……最悪だわ……」

「ひどいよね。でもわかるよ、うん、とてもよくわかる。おねえさん、ぼくがだいきらいだってこと」


 犬は鼻をすんすんと鳴らしながら口角をあげている。笑っているつもりではなさそうだが、俺にとっては可愛く見える。

 ノアはいつの間にか俺の後ろにぴったりくっついて隠れていた。


 ……それにしても摩訶不思議な世界だ。犬が喋った……他の動物も話すなら、たぶんこの世界は「動物と話せる世界」だろう。子供の頃に願いそうな事だ。可愛らしいじゃないか。ノアは厄介だと言ったが、犬が苦手ならそれもそうかと頷ける。


「ねえねえ」

「あ? なんだ?」

「おにいさんたち、ケッコンしてるの?」

「「は!?」」

「あれ、ちがうの? さっきからすごくなかよしだから、てっきりそうなのかとおもったよ」


 犬は口角を上げながら、加えてきょとんとして首を傾げた。ノアは慌てて俺から離れると、犬と距離を取ってから言った。


「そんなことよりあんたは何で私たちをつけてたのよ?」

「え? なんだかおもしろそうだとおもって。おにいさんたちニンゲンでしょ??」

「まぁ、そりゃ、人間……だな」

「あぁやっぱり!! おにいさんたちニンゲンなんだね!!」

「え?」


 犬はキラキラと目を輝かせて、尻尾を振りながら鼻を近づけてきた。もちろんノアは一歩後ろへ下がった。


「人間が珍しいのか……? お前、飼い主は? それ……ギルデンスターンってお前の名前だろ?」

「ギルでいいよー。うーん……マコトなら、もうここにはいないよ」

「飼い主……マコトさんに何かあったのね……」

「……おい、ノア」

「……わかってる」


 いつのまにか、辺りを黒い影に囲まれてしまっていたことに気がついた。グルルルル……という唸りと一緒に、いろいろな声が飛び交っている。


「ニンゲン……ニンゲン……」

「ニンゲンうまい……ニンゲンしおあじ……」

「ニンゲン……くいたい……」


「オオカミ……? 一体何匹いるんだよ……」

「わかんないわよそんなこと!」


 そういえばオオカミも犬だった。いや、犬がオオカミなのか? どっちでもいいが、ノアにとってはまさに最悪の構図だ。

 俺たちを囲んだ黒い塊は、じりじりと迫ってきていた。

 そしてギルデンスターンの突進を合図に、周りのオオカミたちも動き始めた。一体何がどうなってオオカミたちが人間を襲うようになったのか。犬だって人間を襲ったりはしないはずだ。


「とにかく逃げるわよ! こんなとこにいたら二つの意味で死んじゃう!!」

「お前余裕じゃねえか!!」


 俺たちがその場に伏せると、一箇所に集まるオオカミたちが互いにぶつかった。衝撃と同時にきゃいんっと悲鳴が上がる。その隙間を縫って俺たちは逃げ出した。


 その時、後ろから何かがものすごいスピードと轟音で近づいてくるのがわかった。必死で走る中、ノアは余裕の表情でいた。どうやら後ろを確認したみたいだった。


「車よ! 女の子が乗ってる!」

「まじかよ! タイミング最高だな!」


 あっという間に俺たちに追いついた車の窓を見ると、運転する少女が荷台を指差していた。


「勇人、荷台!」

「いや、ちょっ、車走っ……うわあ!」


 ノアは力の限り俺の腕を引っ張る。女のそれとは思えないほどの力だった。おかげで無事荷台に乗ることができた俺たちは、車での逃亡に成功したのだった。

 それを確認したのか一匹、また一匹と、追ってくるオオカミは減っていった。最後にギルだけが残って立ち止まり、俺たちが去るのをこちらから見えなくなるまでずっと見つめていた。


 農場を出るまで、羊や牛が点々といるだけの何も変わらない風景が続いた。車の轟音に驚いているのだろうが、動物と話せることを知ってからは羊や牛たちの首が全てこちらに向いている絵面が気持ち悪くて仕方がなかった。羊の目も、牛の目も、なんだか笑っているようにさえ思えた。

 少し車を走らせた先に、一軒のレンガでできた建物が見えてきた。農場を出てからは、他に動物を見ることはなかった。


「着いたか……?」

「周り、何もないわね」


 すると、車の運転席の扉が静かに閉まる。とてもあの轟音を出していた車のものとは思えない。


「あの……どうぞ、降りてください」


 荷台に顔をのぞかせたのは、これまた轟音の車のイメージとは程遠い、華奢で背の低い少女だった。髪の色素が少し薄く、白い肌によく似合っていた。消え入りそうな声で彼女は「アリス」という名前であることを教えてくれた。

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