case2

case2-1 次の幸せへ



「あたしは『乃愛(のあ)』、ノアって呼んでくれればいいわ。あんたは?」


 真っ白な世界を進みながら、女は後ろにいる俺に顔を少しだけ傾けて言った。


「…………勇人」

「そう、じゃあ勇人って呼ぶわ」


 この会話が終わると、俺は黙ってしまった。さっきまでの世界はもう目の前にはない。冷静になると、あんなにも騒ぎ立てていた自分がこうして息をしていることが怖く思えてきた。そして俺は、俺の創った世界の崩壊からまんまと逃げてきたことにも気付かされた。

 ……彰はどうしているだろうか。今頃、あの世界は消え失せてしまっているのだろうか。

 そればかりが、俺の頭の中を巡り巡っていた。


「さぁ、着いたわ」


 気がつくと、前を歩いていた女(……ノア、と言ったか……)の目の前にゲートを介して青空を見ることができた。

 ゲートを抜け出ると、先程までとは打って変わって穏やかな空間が広がっていた。

 地平線までまっすぐ続く二本の轍。その部分だけ草が生えていないところを見ると車は通るみたいだが、その両脇にはただただ草原が広がっているだけだった。


「この世界は……まだみたいね」

「まだって……この世界の崩壊がってことかよ」

「そうよ、察しがいいわね」

「……俺の創った世界は、どうなったんだよ」


 一番聞きたくて、一番知りたくないことを俺は聞いていた。


「……もう崩壊したわ」

「……」

「……あんたもしかして、『俺のせいで』なんて考えてる?」

「……」


 答えを返すことができなかった。そうだ。そのとおりだ。俺があんな世界を創らなければ、あんなことにはならなかったはずだった。


「なんで……俺が……俺だけが……」

「……生き残ってるのか、って?」

「……っ。……そうだよ、てめぇが創っておいて、てめぇでぶっ壊して、それでのうのうと生きてる……俺は……!」

「ダメよ」


「……それだけは、ダメ」


 女は鋭く、でもどこか優しさのある眼で俺を真っ直ぐに見つめた。俺は今言おうとしていた言葉を、飲み込んだ。


「知ってもらわなければならないことがあるの」

「……」

「今あたしたちがいる世界が存在しているってことは、この世界の『創造主』が存在するってことなの。勇人もその一人だったのよ」

「だからなんなんだよ……」

「創られた世界はね、世界の集合体に創造されているの」

「……世界の、集合体……」

「その時その場に私達が存在する世界のみが一つ存在するということではないのよ。世界は一つしかないっていうのは、その瞬間そのものは一つであると考えれば間違ってはいないわね……つまりね、同じ時間軸、違う時間軸に数え切れないほどの世界が存在する『可能性』があるってことなのよ。『可能性』っていうのは、その人が現在において『何をするか』によって未来が変わる……ここからは、あんたの知りたいことの一つね」

「……」


 女は歩を進め始める。どこへ行くつもりなのか。俺もふらふらとついてゆく。


「『創造主』は『何をするか』の選択肢を一つに収束させて多大なエネルギーをもって『可能性』を生む。そうね、言い換えれば、世界を新たに『創造』するためのプログラムよ」

「プログラム……。じゃあ、俺の創った世界は」

「そう、元々は存在しなかった世界。だから、元々勇人のいた世界はどこかにあるはずよ」


 パラレルワールドを自在に創れるだなんて話、普通では考えられない。たしかに、次に何をするかによって未来は変わる。それが未来だけでなく世界そのものを創ってしまうだなんて、到底有り得ない話だった。でも実際、俺は「大人のいない世界」という世界を創ってしまった。

 一度にたくさんの情報を得た脳みそは今にも破裂しそうなくらいにいっぱいになったのだろうか、頭が痛くなるのを感じた。だが、それと同時に安堵の念も押し寄せた。


「それにしても、なんでまたあんな世界創ったのよ……。大人のいない世界だなんて、あの世界での子供の育て方とかあんた考えなかったでしょ?」

「それは……」

「世界を創るなんてね、馬鹿げてるのよ……幸せだけの世界なんて、絶対に、あり得ないんだから」


 女はどこを見るでもなく静かに呟いた。行き場のない感情がその目にこもっているように思えた。この女も、創造主だったのだろうか。それなら情報を持っていることにも納得がいく。俺同様に苦い思い出があるのだとしたら、これ以上話を聞く気にもなれなかった。


「ていうか、さっきから勇人、勇人って馴れ馴れしいんだよ」

「なに? 恥ずかしいわけ? あたしのこともノアちゃんって呼びなさいよ」

「ぜってーやだ」

「何でよ」

「何でも」

「何でもって何よ」

「何でもは何でもだよ」

「……ふふ、ムキになっちゃって。可愛いのね」

「な……」

「……よかった、元気になったみたいで」


 ほんの一瞬の女の柔らかい笑顔は、どことなく彰の姉ちゃんに似ていた。


「お前は……」

「何よ、お前って。ちゃんと名前があるわ」

「…………ノア」

「そうよ、やればちゃんとできるじゃない」

「…………りがと」

「え?」

「なんでもねーよ」

「何よ、ちゃんと言いなさいよ」

「だからなんでもねーって」


 こうして、ノアと名乗る元創造主であろう女との奇怪な世界旅行が始まったのだった。

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