case1-4 俺の世界




「え」


 小刻みに震える彰の手。表情は、見えない。見たくない。

 勇人~、あのな、といつもの声が、今は、何か別の何かに聞こえて仕方がない。


「『アレ』は、勇人みたいなことを言いだしたんだよ……二十歳でも私は変わらないよ、ってな。

 んなわけ、ねぇだろ? 奴等は、俺らを道連れにしようとするんだ。

 だから、姉貴の姿のままで、きたねぇことを平気でしやがる。『アレ』は泣きながら近づいてきた。だから……はは、は……刺して、刺して……ははっ……殺して、やったんだ」


 彰は笑いだした。俺の肩を、彰の腕が掴む。過剰に反応する身体は言うことを聞いちゃくれない。


「なぁ、勇人……お前は違うだろ? そうだろ? まだ俺らは十八だ。バカなこと、考えるなよ」


 満面の笑みで、笑っていないその瞳は勇人を見据えた。……な? と二度ほど、俺の肩を叩いた。


「俺はお前を殺したくはねぇよ」


 その時だった。近くで叫び声が聞こえた。


「……あぁ、やっぱり」


 彰は俺から顔を逸らし、叫び声の方を見やった。


「違う! 俺は! 俺はッ……待ってくれよ!

 俺は化物なんかじゃ……あ、あ……ぁぐ……ぎぁ……ぁッ…………」


「なんなんだよ……あれ……」

「……救済だ」


 部屋の窓から外を見ると、そこは惨劇の舞台と化していた。いつもと変わらない平凡な住宅街。しかし隣の家の敷地内だけはまるで世界が違った。

 庭の緑にうずくまる男性。その首に食い込むギラリと鈍く光る太く黒い綱。男性は、低く唸る。

 綱の先に、黒い腕、黒い布で包まれた「何か」がいた。顔は見えない。布の奥で赤い光が2つ、ぼんやりと見えた。

 もがいて緑を散らしていた男性の身体はやがて、魚のように何度か痙攣したあとに動かなくなった。

 そして黒い何かは息絶えた男性を黒い布で包み、また黒い綱で縛った。

 こいつ……どこかで……?


「!」


 俺の存在に気がついたのか、2つの赤い光だけが俺を見据えた。光はやや横に細くなる。笑って、いる……? 次はお前だ、とでも言っているのか。俺が目をそらす前に黒いそれは向き直り、そのまま黒い塊を引きずって去っていった。

 沈黙の世界が、再び訪れた。


「……」

「あの化物、昨日が誕生日だったらしいな」

「今のって」

「あぁ、あれは『救世主』だ」

「救世……主」


 彰は先ほどと打って変わって目を輝かせる。


「見ただろ? 化物を処刑することで、周りに被害が出ないようにしてるんだよ。化物だって救済される。すげーよな!」

「なんだよ……それ……」

「まぁ、身内がいない人は化物になっても『救って』もらえないんだけどな、だからこそ、ああやって『救世主』が助けてくれる」

「でも今の人は、化物じゃないって叫んで……ほら、姿だって……!」

「それが奴らだ」





 ……


 俺の、創った世界。

 大人のいない……世界。


 どう考えてもおかしい。

 そもそも大人ってなんなんだよ……


 二十歳。

 大人になる区切り。


 二十歳になったら化物になる?

 この世界の成人を迎えた人々は、本当に化物になんてなるのか?

 きっと違う。いや、絶対に違う。


 二十歳を前にして大人な考えを持つヤツだっている。

 二十歳を迎えてもガキのままのヤツだっている。


 俺は……これでよかったのか……?


「ナニヲ……カンガエテイル?」

「えっ……」

「オマエハ『創造主』ダロウ?」


 いつの間にか、あの空間にいた。


「お前は……彰の言ってた、『救世主』……」

「ソウダ、『救世主』ハ、オマエガ……『創造主』ガ産ミダシタ」

「俺、が……?」

「オマエノ望ンダ世界。大人ノイナイ世界。」

「……」

「何故ダ? 何ガ不満ナノダ?」

「俺は! ただ……」

「オマエハ今モ幸セジャナイノカ? オマエノ望ンダ世界ダロウ? 大人ハイラナイ。オマエガ幸セデイラレナカッタノモ、両親ノセイ」


 俺は心臓の鼓動が速くなってゆくのを感じた。救世主が、どんどん大きくなっていくようにも思えた。


「勇人ハ自由ガ欲シカッタ……勉強モ学校モ全テヲイクラ頑張ッテモ、モハヤ『大人タチ』ハ褒メテハクレナカッタ。認メテハクレナカッタ。

 父親ハ有名ナ教授。オマエニ何ヲ求メタ……? 学歴、地位……ザザッ……」


 救世主の発する声に雑音が混ざり、久しぶりに聞く声が流れてきた。心臓は、さらに激しく波打つ。


「ザザ……、『……私はお前をこんな風に育てた覚えなどない』……ザッ……『何度言ったらわかるんだ……私はお前の為を思って……』…ジジジ……『私の子なのに何故お前はこんな事も出来ないんだ?』……父親ノ納得ノイカナイ結果ヲ出シタオマエハ……」

「違う! 俺は……ッ、俺は……!」

「大人ハ、イラナイ。大人ニ、ナリタクナイ。ジ……ザザ……『大人は皆クズだ』……イラナイ。イラナイ。イラナ……」

「俺は……俺は……こんな世界なんか! 望んでねえ!!!!」


 ズズズズズ……!


 俺の中の何かが、崩れる音がした。


「……『創造主』の『世界の否定』が認識されました」


 あの冷めた女の声が救世主から聞こえてくる。


「『創造主』の『大人のいない世界』を抹消します」


 救世主はぼんやりとした赤い目で、俺を一瞥したかのように思えた。


 そして、世界の崩壊は始まった。


「なんなんだよ! どうしろってんだ!」


 いつの間にか大人のいない世界「だった」場所に俺は戻っていた。さっきから鼓動は速いままだ。冷静になろうと自分に言い聞かせた。

 あんなに青かった空はヒビが入ったように歪み、地響きも絶えなかった。


 何故こうなった……? 俺が、創造主がこの世界を否定したからか? あの女は確かに「貴方の望む世界を……」と、そう言った。そうだ、俺はただ望む世界を言っただけだ。

 少し経って、やっと落ち着いてきた。

 望む世界……? そうか。創造主が望む世界は存在できるのか。……なら、また望めばいい。


「おい! 救世主! どこだ! さっきのは訂正する! 俺は……創造主は……『大人のいない世界』を望む!」


「……俺は……!」


 どれだけ叫んでも、世界の崩壊は止まなかった。

 なんだか情けなくなってきた。幸せな世界を創ったつもりだった。でも俺の望んだ世界は、あまりにも残酷だった。


「だったら……どんな世界が幸せだって言うんだよ……」


 揺れる地面に膝をつき、その場に座り込んだ。

 その時、ジーンズのポケットから何かが落ちた。


「このカード……」


 落ちたのは、あの女に渡されたカードだった。俺はそのカードを手に取った。カードの色は黒く染まっていた。

 表に刻まれていた「Yu-to: The World Without Adults」の上に新しく「Collapsed」と赤く刻まれていた。


「俺の世界は崩壊済みってわけか……」


 呼びかけに反応がないところをみると、どうも俺は創造主ではなくなったらしい。

 ……あぁ、死ぬのか。

 あんなにも怖かった死が、すぐ近くまでやってきているのだと確信した。俺はその場でゆっくりと目を閉じた。元の世界が恋しく思えた自分を笑うしかなかった。

 フッと笑った、その時だった。


「こんなところで何やってるのよ! あんた、この世界の『創造主』でしょ!?」

「……え?」


 目を開けるとそこには、スラッと長く、でも少し丸みを帯びた足があった。声の主の方を見上げると、キリッとした眉の間に皺を寄せた女が俺を見下ろしていた。


「早く立ちなさいよ! 次の世界に行くわよ!」

「何で創造主のこと……」

「今は説明してる暇ないの! ほら、早く!」


 何もわからないまま女に腕を引かれ、その場から立ち去ることにした。




 崩壊を続ける世界をひたすらに走り続ける。女はまだ俺の腕を掴んでいる。


「おい! ちょっ……いつまで、手……」

「え? あー、なに、あんた手をつないだだけで赤面するタイプ? 見た目とどんだけギャップあんのよ!」


 走りながら、女は俺の手をやっと解放した。崩壊する世界でケラケラと笑う姿はどう考えてもおかしい。


「ちげーよ! っつーか、なんでこの状況で笑ってられんだよ! 世界が崩壊してんだぞ!」

「はぁ? だから言ったじゃない。『次の世界に行く』って』


 人の話くらい聞きなさいよ、と女はまた眉間に皺を寄せた。

 ……次の、世界……?


「この辺でいいかしら」

「……は?」


 女が急に足を止めたせいで、あと少しで女にぶつかるところだった。


「っぶねーな! 止まるなら止まるって……あ……」


 それは見覚えのある光だった。あの、目を覆うほどの眩しい光。女のシルエットが光を遮って、俺はかろうじて目を開けることができていた。女の後ろにはあのゲートが佇んでいた。


「さぁ、行くわよ」


 ゲートへと振り向き、長い黒髪を翻しながら女は言った。

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