29 新たなる旅路へ

 私は真赤なドレスを着て、艦橋のモニターに女王の画像を浮かべながら優雅な一時を過ごしていた。パニマ女王の笑顔は、それはそれは素晴らしいものだ。やはり、あの場に残らなくてよかった。最後にこの笑顔だけを見て去りたかったのだ。それ以外は全て余計だ。

 それにしても、大変な事件だった。衛星に潜り込んで物を持ってくるだけかと思ったら、こんなことになるとは。

 まっ、楽しかったかな。やはりフォルダーはいいものだ。

 コレクター趣味の人間に言わせれば、こんな画像一つ――というか、欲しかったのは笑顔で、写真画像はおまけだが――に命をかけるのはどうか? となるのだろう。だからこそ、私たちはフォルダーと呼ばれるのだがね。


 なんでもいいんだ。

 それに価値を見いだせれば、なんだって手に入れる。

 それがフォルダーだ。


「いい笑顔ですね。これなら大丈夫そうです」


 ――その声の主は、ふぅ、とか言いながらタオルで髪を拭きつつ、艦橋に入ってきた。そちらをジロリと睨む。


「勝手にお風呂使わないで」

「どうせこれから一緒に住むんです。許可などいちいち取っていられますか」

「勝手に決めないで」


 潜んでいると思ったら、案の定だった。

 ヴァーナ・レブはどこか軽やかになった雰囲気で、私の横に腰かけた。手にはグラス。私が飲んでいたワインを勝手に注ぐ。こいつ……。


「私がいなかったら、メイデリックを仕留められなかったかもしれませんね」

「そうとも言えないよ。あれはダメ押しみたいなものだった。助かりはしたけどね」

「幸運にこそ助けられましたよ。メイデリックの暴走がなければどうなっていたか」

「その時はその時だよ。パニマ・エマ・ラーンズの、心からの笑顔を拝むためなら、やってみせたよ」

「そうでしょうね。そうでなければ困ります」


 グイッと飲み干し、ヴァーナは視線を落とした。

 これからどうするかなど考えているのだろうか。


「忍び込んで、どうする気だったの? このままどこかに降ろしてあげようか?」

「いいえ、私を連れていってください。どこまでも。どこでもいいですから」

「軍部首脳の残党に追われるのが怖いかい? 王室側も軍部再編については考えがある。残党が追ってくる心配はないよ」

「怖いのは、そんな小さなものではありません」


 二杯目のワインを注ぎながら、ヴァーナはどこか薄らとした顔をこちらに向けた。


「砂漠の軍艦、あれはどこから、誰がバフィに送り付けたと思います?」

「――送り付けられたの?」

「ええ、あれを使って慣らしておけ、と。もうだいぶ前の話ですよ」


 私はワイングラスを置いて、話に集中することにした。

 ――この一件は、解決を見た。しかし、根底にはまだ達していなかったらしい。私たちの知らない何かがずっと動いていたのだ。

 ヴァーナは、続けた。


「私は計画の成功のために送られた使者です。好きに使ってよいと、ね」

「回りくどいのはなしにしよう。誰が黒幕?」

「私の夫です」

「結婚してたの!?」


 流石に驚く。ちょっとイメージと違う。結婚よりも仕事とか選びそうなタイプだと思ってたよ。

 そんな私の反応に気づき、ヴァーナは首を横に振った。


「言っておきますけど、夫婦ではありますが式など挙げていませんし、こちらも望んでいません。婚姻関係とは到底言えませんよ」

「あっ、ちょっと興味ある。どこのどいつ? ろくでなしの金持ち?」

「ええ、ろくでなしですし、お金も持っています。権力もそうだし――」


 ヴァーナはモニターから女王様の画像を消し、別の画像を呼び出し――


「――力も、持っています」



 ワイングラスを手に持っていなくて、本当に良かった。


 私の身体は一瞬にして凍りついた。背筋をゾゾッと冷たい何かが走り、これまでの経験が全力で警鐘を鳴らしていた。腹から胸にかけて、ざわざわとしている。冷や汗さえ流した。その、彼女の夫の姿を見た、たったそれだけで、だ。


 そこに映っていたのは、黒々とした見事な鉱物を『力』そのものを表現して削ったかのような、頑強極まりない身体を持つ男だった。ごつごつとした顔は乾ききっており、虚無をも感じる冷酷な人格を見せつけている。征服者たる証、死せる太陽をモチーフにした、滅びの黒色に侵される黄金を散りばめた祭服は恐怖そのものだ。そして、あらゆる死を確定的なものにできるであろう手には『縮められた開闢』――星さえ死滅させる杖、エイスロッドが握られていた。


 銀河に生きる者で、その存在を知らぬ者はどれほどいるだろう。


「放たれしガイラルの民――ゼノじゃないか」

「ええ、銀河で最も危険な男です」


 ヴァーナの言葉に誇張はない。ゼノは危険極まりない存在だ。もはや、彼自身が動くだけであらゆるものが巻き添えを食らう天災とさえ言える。銀河の果てのどこかに自らの支配する領域を構え、あらゆるものを征服し、破壊し、欲するがままに奪う。

 ゼノが銀河の歴史に名を現すのは非常に早い。太古の昔からだ。歴史の中には、彼の戦いもまた刻まれている。そのたびに多くの滅びがあったとされている。

 ここ最近――といっても、地球人だった私の感覚からすれば気が遠くなるような時間――では、おとなしくしてはいるが、その軍勢は強力無比。銀河そのものを相手に戦争をできるとさえ言われている。


「ゼノは私にやらせたようなことを、何度も繰り返しています。そして、行えばあとは意に介さない。ゼノにとってはどうでもいいことなんです。成功しようが、しまいが。失敗すれば滅んだり死んだりするだけ。成功すればゼノの傘下となる」

「なるほど。リ・マ・ヘイムの事件も、ゼノがやって、今はもう忘れている、小さな事件ってことね」

「ええ。だから、ご安心を。ゼノがここに関わることは、まずないでしょう。きっともう忘れているから」


 それは、ありがたいとしか言えないことだった。ゼノがまだ狙っていたら――あるいは、狙われているとリ・マ・ヘイムの人々が知ったら、混乱どころの騒ぎではなくなる。たったそれだけで国が機能しなくなる可能性だってある。


「……とんでもない奴を夫にしたね」

「されてしまったんです。事情がありまして。同じようなのが三十万人いますよ」

「へぇ、それは大変」

「ええ、大変です。ゼノはあれで執着が強くなることもありますから。特に、ただ引き入れただけにせよ、自分のものと思い込んでいる妻に関しては」

「じゃあ、ヴァーナを追ってくる可能性は無きにしも非ずってことだね」冗談じゃないが。

「逃げようとしても、中々逃げられません。私一人では逃げられない」


 ゼノの画像を隠すように、私の膝に腰を下ろしたヴァーナはその両手をこちらの首に回してきた。寂しさと恐れをはらんだ瞳が目の前まで来る。


「追われるのは、怖い。だから、あなたにお願いします。私を連れていってください。それだけでいいんです。それだけで逃げられる。人妻をさらうのは、嫌ですか?」


 彼女は縋っていた。私が出す、答えに。


「私はフォルダーだよ、ヴァーナ」


 答え――そんなものは、とうに決まっている。

 ヴァーナが感じる恐怖は、私にだって分かる。もし、ゼノがヴァーナを取り戻そうとしたら、その時はこれまでで最大の脅威が迫ることになる。そうならないに越したことはない。それがいい、はずだ。私がフォルダーでなければ。


「いいスリルじゃない。あんなバケモノから逃れようとする性根も、なんだか好きかもしれないし」


 銀河で最も危険な男の妻から、無期限の不倫旅行のお誘いだ。

 こんなに面白いことを放っておけるだろうか?

 恐怖だって、楽しめればそれは最高の冒険になるんだ。


「ご一緒しましょう、銀河で最も危険な奥様」

「後悔しないで、あなたらしく楽しんでくださいね、レッドフォルダー」


 変わらない瞳が、少し潤みを持った。雰囲気がより軽くなった彼女の綺麗な身体を両手で抱える。彼女の手は首から離れ、胸に添えられた。

 フォルダーやって幾年月。面白いお供ができた。


「サラ、軽く飛ばしちゃって。目についたところが、次の目的地だ!」


 フォース・ホールが回り、銀の針は宇宙を駆ける。

 次に待つのは烈火の地獄か、蕩けるような天国か。

 その全ては、フォルダーの遊ぶ地だ。


 ならば、問題なんてどこにもない!

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