20 落ちていくフォルダーと姫
サラが向こうへと遠ざかっていく。彼女については金にものを言わせて筋に頼み込んだので、そちらがなんとかしてくれる手筈になっている。うまく回収して守ってもらえれば、何の問題もない。
位置取りは完璧だった。このまま落下し、途中で一度だけ大きく動けば少なくとも首都には到達できる。そこからサンドコア宮殿に落ちるにはかなりの腕前が必要だ。心配はどこにもない。
お姫様には簡単なレクチャーをしておいたが、推進器やバリア諸々はこちらから操作できるようにもしてある。しかし、できる限りは当人にやらせておきたいものだ。これも経験なのだから。危ない時に自分の許容限度を知っておくのは彼女に今後においてとても有益な事だろう。
最初に選んだ推進器は『他に使い道があったら言ってみろ』の一角であるトランサー粒子を用いた電気推進。このあたりでは滅多に使われないものなので、察知されたら何かが起きたということは明白だが、これで船を使わない大気圏突入を試みると想像できる豊かな人間はそうはいまい。船が通ったんですねーで済ませるだろう。多分。
ヘルメットのシールドに整然と並ぶ数字と文字は、今のところは航海が順調であることを伝えていた。
よし、ズレはない。グンと加速しても大丈夫だ。
お姫様の手を取ったまま、私は加速の合図を送る。何もかもが初体験のお姫様は緊張と興奮で顔を赤くしながらも、笑みを浮かべて頷いた。
空を飛ぶというよりは、暗黒の海を漂うといったところか。手を伸ばしても感触はグローブのそれしかないのだ。フラフラとどこまでも流れてしまいそうな空間がこの宇宙だ。面白い話だ。生きている限り、どこまでも流れることができる。その先になにがあるのだろうという好奇心は死へと真っ直ぐに向かうが、そんなものだっていつかは越えることができるはずだ。
しかし、今はそれ以上に愉快でスリルがあり、義を果たすべき冒険がある。ずっとずっと優先すべき勇敢に満ちた大冒険が隣にあり、向かう彼方にある。
――どんな気分?
私は意地悪に、唇の動きだけでそう伝えた。ウィンクもつけてあげたから混乱するかもしれない。
返答はまず笑顔。手を振りたがっていたらしく、わずかに右手が動いたが、冷静さが静止した。
ゆらゆら、ぐるぐる。
楽しいものだ。宇宙遊泳は何度やっても楽しい。輝きと彼方の可能性を示す星々と同じところに自分の身体はある。大空が自分のものになったかのような錯覚は間違いなく、通り抜けていくものがないからだ。綺麗な大海だ。澄みきった玄関を維持する星は優秀である。
正直なところ、服を脱ぎ去り、装備も外したい。バリアは体内に発生装置を仕込んで、ただただ、裸で飛び降りてみたい。その時の私はどれだけ美しいことか。どれだけ美しさというものに近づけることか。
無にこそ夢を見出せるのは、生きている実感の最たるものなのかもしれない。
故郷は、どうだっただろうか。あれぐらいの星なら、まぁ、掃除には気を遣うだろう。それも何年後のことかは分からないが。
決して汚くはないはずだ。私が知る限りでは、地球は綺麗だ。あれはあらゆる星々に比べれば、まだ文明がそこまで進歩していないというのもあるが、ずっとまともだ。
こうやって、地球にも飛び込めたら楽しいだろう。ただ、私は帰らないと決めている身だ。そんな機会は二度と訪れない。
――感傷的になった分は、お姫様のバリア調節に回してチャラにした。
加速が続く。星が視界に現れ、消えて、お姫様を見て――繰り返し繰り返し、美しいものばかりが私の目に飛び込んでくる。
正直、ここからしばらく、同じことばかりで映るものを楽しむ以外に心躍るものが何もない。
目を閉じる。心臓の鼓動が、ずっと大きい。
装備の上から、お姫様の胸に手を当てた。伝わるわけもないが、きっと私とは違う理由で高鳴っているだろう。私は、私たちは高鳴りを求める。この気持ちは、伝わってくれるだろうか?
まずは顔を見よという。お姫様は、意図を読み取ってはくれなかった。しかし、それが私にとって大切な何かだということは分かったらしい。私が手を戻すまでは、そのままでいさせてくれた。
雲海が近づくのが分かった。私は、第二の推進力を使う。古いタイプの化学燃料を用いたロケットだ。ここから先はこっちの方がバレない。
私はお姫様にロケット使用の指示をした。素直な彼女はレクチャー通りにこなす。その隙に私もロケット起動。成功! そしてお姫様も――
「!?」
こなす……
「!?」オロオロしてる。
いや、ダメ。
オロオロしないで。
こなして。プリンセス、こなして。
(任せてください。お姫様、ミス、しない。これぞ、ラーンズ家の伝統的焦らし)とか思ってるだけだよね? まさか、突然ロケットが故障して――
あっ、燃料漏れてる。起動時の衝撃で壊れたね。どう考えてもそうだね。タイミング悪かったね。
……そりゃそうだ。私だって難しいタイミングだ。とてつもない圧の中で最高の状況下でロケットを起動させるのは、彼女には無理だった。何事も挑戦ではあるが、ここばかりは私が全部やるべきだったか。
「!?」超オロオロしてる。燃料に超ビビってる。凄いな化学燃料。惑星国家のお姫様をビビらせたぞ。
さて、どうしよう。マズイ。これはマズイ。こういう窮地はマズイ。
点検時は問題なかったはずだ。ちょっと古かったけど、同じぐらい古い私の装備はちゃんと動いてるのに。古いからか。古いからだな。新しいのを用意する時間ぐらいは惜しむべきではなかった。
「ぐっ!」
私はお姫様を引き寄せて抱きかかえた。全バリアを前方に展開し、雲海を抜ける。シールドには警報ばかり。流れに流れる情報はとうとう処理しきれなくなってきた。これは困った。どうしようか。
残るは重力調整による落下作戦最終段階だが、まだ早すぎる。ここで使えば減速が急すぎて見つかるかもしれない。
残された道は一つ。ギリギリだ。ロケットでサンドコア宮殿に直接降りられる位置を確実にとれるところまで、とにかくギリギリに迫る。そこからはブーツのロケットが頼りだが、タイミングはシビアだ。お姫様を連れてできるか?
マズイ、マズイ、マズイ、マズイ――
お姫様を見る。怖がっている? やはり、彼女もこれは怖いのだよね。
しかし、よく見たら違う。彼女の感じる恐怖はそんな、状況へのものではないように思えた。
目の前の現実は既に認めているのか、逃げるような恐怖ではない。
すがるものが、怖いのだ。
怖がるのはいいが、すがっていてもらわなければならない――
「フフフッ」
こんな状況でも笑い続けるのは悪いことではないのだから。挑むとは、いいものだよ、お姫様!
いよいよ雲海に突入。
前方に展開されたバリアはあらゆるものをシャットアウトしてくれている。働き見事。塵も何もかもを払いのけて進路は確保されていた。
雲海を抜けた先は、おお、雄大な大地でした。
ロケットで微妙な位置調整。サンドコア宮殿を補足する。予定よりも広げる羽目になったバリアはどこまで持つか分からない。ロケットでの減速はまだ先。
ぐるぐる回る大地にもうじきぶつかる。
まだだ、まだだ――
ぶつかる未来が近づくが、しかしお姫様はそんなことにはもう怯んだりしなかった。勇気が爛々と輝いている。
私は、最後の位置調整を終えた。互いの姿勢を整え、減速に入る!
一瞬キラリと流れ星のように儚い光輝を放ち、消えていく燃料はロケットの役目の終了を告げた。
構わない。やるだけはやった!
グラリ。
重量計算間違えたか?
いや、違う。予想以上にお姫様の力が強かった。強く強く、私を信頼して抱きしめていた。そのために狂った。微妙に位置が狂えば、距離的に大きくズレる。
「まだ、まださ!」
バリアに穴を作り、流れ込んでくる空気で僅かに位置調整。戻るまで何度も繰り返す。きりもみなんのその。やらなければならないんだ。
やれる。やれる。
あっ、バリアが切れる。
「お姫様! 手を!」
「はい――!」
互いにがっしりと掴み合う。
あとは残る装備と自然に任せろだ。
重力調整、ブーツのロケットで――最終減速! 目の前はこの星の中心!
――達しろ、私!
――遥か彼方からのダイビングにしては、着地は随分と静かだった。
慌ただしい様子はない。
完全に、出し抜けた。
「――お姫様、何か言う事は?」
「そうですね……ただいま、でしょうか」
ぐったりと宮殿頂上に座り込んだお姫様は、清々しく景色を見回しながら言った。
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