決戦への手立て
17 崩壊へのシナリオ
サンドコア宮殿が見れる展望台を持つスロンプルは、外国からの旅行客が住民よりも多く訪れることもある、典型的な観光地である。その中で、要人ご用達とされているホテルがあった。暗いブルーの外装が浮つく観光地の中にあって落ち着いた佇まいを演出し、そこだけ切り取られたかのように厳かである。
包帯をとったヴァーナ・レブは、用意された一室のベッドに畳んで置かれていた黒いスーツを着ると、その下に敷かれていた髪留めを手で弄んだ。しばし考える。そして、静かにそれをポケットにしまいこんだ。
廊下を歩きながらすれ違うのは全員が軍部の人間である。要人ご用達と言われてはいるが、現状では軍部が知られたくない会議のために年中貸切られているのがこのホテル『ジドホア』であった。
階級を問わず、ヴァーナは挨拶を交わさないし、誰もがヴァーナに対しても同様だった。
それは、ずっと前から、ヴァーナが軍部と手を組んだ時から変わらない。
(仮に万事うまくいっていたとしても、外様が戻ってきたところで歓迎するような連中ではないですよね)
気楽なことではある。
ヴァーナは姿勢よく歩き、目指す部屋へと辿り着いた。ノックもなく入る。
「失礼します」
「やぁ、ヴァーナ・レブ。ご苦労でしたね」
ソファに座って待っていた、どこかのんびりしていそうな男こそ、現在のリ・マ・ヘイム軍部において実権を握るハノル・バフィである。それを前にしても、ヴァーナは態度を変えず、さっさと向かいに座ってしまった。バフィは苦笑して迎える。
「とうとうパニマ姫にバレてしまいましたか」
「おそらく、そろそろかと。私は邪魔者を排除するために本性を現したにすぎません。仕留めきれなかったのは過失です。これで、姫様に一手渡してしまいました」
「まだ取り返せる範囲ですよ。パニマ姫の精神状態を乱すことができれば儲けものといったところでしょう。ここで焦って、家族に会いに行けばこちらとしても楽なのですが――どうです? パニマ姫と一緒にいる、その、フォルダーとかいうのは?」
「レッドフォルダーは少しふざけた人物ですが、単身宇宙を巡っているのは本当らしく、手こずりますよ。彼女なら、ここで焦ることはしないでしょう。そして、おそらく姫様も。狙うとしたらボォン・シナーベ侯の関係者――家族かと」
「そこです」バフィは指摘した。「ボォン・シナーベ侯爵の死ですが、あれはあなたからの指示でしょうか? メイデリックは救難信号を受けてのことと言っていましたが」
「メイデリックの独断でしょう。私だって驚いたんです。あそこで侯爵が死ぬなど……」
思い返しても震えが来る。あの瞬間、ヴァーナは咄嗟にメイデリックを睨んだ。ほんの一瞬だが、演技が途切れてしまっていた。
あれは予定にないことだったのである――
「そもそも、ドライドラゴンを送り込んだのも将軍閣下ではないでしょう?」
「ええ。肝を冷やしましたよ。万が一、パニマ姫が死んだら、こちらとしても予定が大幅に狂ってしまう。存在するなら彼女がいいと、私はずっと言っていますからね。お飾りとしておくには相応しい。気品はあるが裏の機微に疎く、穏やかかつ芯が強くもあるが力量は伴わず、美しくはあるが心を狂わせる妖しさを持ち合わせてはいない。成長していくあの娘を見ながら、私はいつも笑みを浮かべ、その裏に歓喜の渦を巻き起こしていたものです。これから良い人形に育てることを思えば、なんと素晴らしい姫でしょう」
淡々と語る彼の心は、同じように波風などたってはいない。
ヴァーナは、そんな人間を何度も見てきたがゆえに、あえて何も言わない。
「メイデリックを監視した方がいいのでは?」
「いえ、自由にさせておきたいんです」ヴァーナの当然の提案を、しかしバフィは断った。「野心は必要不可欠ですよ。手綱を握られた程度でそれを失うようでは国の代表など務まらない。野心は目を曇らせもする。彼の独走を許すつもりはありませんが、しばし自由に駆けさせるのは悪くありません。それで彼が、私の掌の上を駆け回っているだけであると気づかないおバカさんであってくれるなら、いいじゃありませんか」
「下手を打てば、メイデリックが計画を台無しにする可能性だってありますよ」
視線を突き刺す少女に、一瞬、百戦錬磨の将軍は震える。
少女そのものに震えたわけではない。その向こうにいる存在に、である。
「閣下、分かっていますね? うまくいかなければ、あなたはどのみち消される運命なのです」
「ははは、そこを、なんとかできませんかねぇ? あなたなら、できるでしょう?」
無表情を貫けたのは手柄であった。ヴァーナはそれ以上、この話をするつもりはないと、沈黙をもって伝えた。
心中は穏やかではない。殴りかかってもおかしくなかったのである。
しかし、これが役目だと彼女は理解している。
「それで、次の手は?」
「用意してありますよ」バフィは前傾になり、言った。「姫様にはまだ自由に動いていてもらいましょう。どうせ近いうちに接触することにはなるでしょうから。まずは、邪魔なジルバ国王をどうにかしましょう。ヴァーナ・レブ、あなたにも働いてもらいますよ。そのために忍び込ませたのですから」
「分かりました。では、それまでは休ませてもらいましょう」
ヴァーナはそのまま部屋を出た。いたって淡々としていた。
残されたバフィは、少しの間は人の良さそうな男の顔を崩さなかった。
そして、大きな溜め息と共に流れ出る汗をハンカチで拭き、心拍数が正常に戻るまでソファに全身を預けた。
絶大な緊張には恐怖が確かに含まれていた。先ほどまでここは、スロンプルにあって異質なホテルの中で、もう一段階異質な部屋と化していたのである。
* * *
用意された部屋に戻ったヴァーナは、上着を脱ぐとそのままベッドに倒れこんだ。なんとも嫌な気分だった。
自分がここにいる理由を反芻する。怒りと悲しみと倦怠が同時に沸き上がり、彼女の目を尖らせた。そのまま舌を噛み切れればどんなにか楽だろう。
所詮は外様。用が済めば去る者となる。
浮かぶのは長年騙し続けた姫。彼女が自分についてどう思いを抱くかは、予想できていた。
(優しい方だ。そして、バフィが考えているよりも素晴らしい方――)
それでも、計画は完遂されなければならない。
それこそが自分の役割である。
永劫に解けることのない鎖である。
ふと浮かんだのは、レッドフォルダーの顔だった。
(……私は、彼女に何か期待していると?)
自問自答ゆえに、答えを持つ者はどこにもいない。
ヴァーナは渇いた喉を潤すために、水を飲み、窓際へ向かった。
首都は反対側の部屋からなら見れる。ここからでは、変哲もない町が広がっているだけであった。
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