秘密と裏切り

8 お姫様への依頼

 ぷかぷかと海に浮かぶサラの船橋で、私たちはコルト・ヅチ・ラーンズについて調べていた。


「王弟コルト・ヅチ・ラーンズ。通称ボォン・シナーベ侯爵か。コルトリッジと名前が似ているけど、彼も親しみやすいゴリラ?」

「美丈夫でならした方ですよ。民衆の人気も高かったんです」ヴァーナがサラに情報を呼び出しながら言った。


 コルト・ヅチ・ラーンズ――私の友と名が似るこの男は、リ・マ・ヘイムではボォン・シナーベ侯爵として知られていた。厳密には、彼はラーンズを名乗れない立場にある。二四五年前、彼は王室を抜けて諸侯に下り、第二衛星のソロン・ヘイムで領地を得てコルト・ヅチ・ボォン・シナーベを名乗ることになった。しかし、大衆人気とはすごいもので、今でも彼をフルネームで呼ぶ際はラーンズを使う者も多く、兄と比較してスマート・ラーンズという俗称もまた通っていた。


「この方です。ナルシストのあなたから見てどうですか?」画像を出しながら、ヴァーナが聞いた。

「そこそこだね」


 口ひげを蓄えた見事な男性だ。険はないが、スッとした顔立ちには穏やかの中に知性の輝きを感じるようで、なるほど、若い頃はさぞかしモテたのだろう。


「……これでそこそこ。流石ですね」


 私の感想に文句があるのだろう。ヴァーナは少し瞼を落としてこちらを睨んだ。


「ヴァーナはこの人のこと好きなの?」

「侯を慕う人々程度には。男性として魅力のある方ではありますが、いかんせん、年が離れていますからね。熱狂的になるようなものではありません」

「だろうね。私も若い方が好き」私は画像を消し、続きの情報を呼んだ。「どれどれ――へえ、なるほどね」


 個人の経歴と国の歴史を見比べても、侯爵の人柄についてはなんら問題はないように思われた。怜悧で、勇敢で、文武に通じ、友愛を大切にし、兄を立てる好人物でさえある。ラーンズを捨て去るときも、妻や子供との間にいさかいはなかったらしい。王弟として実に幸福な経歴を築き上げている。今まさに重要な時期を迎えている遷都問題についても、王家から離れた身であってもその支援を止めてはいない。ダンピノアが病に倒れた時も、妻を彼のもとに向かわせており、自身は苦悩の兄を見舞っていた。


「だけど、こっそり出版していたことは誰にも明かしていない。売れなかったの?」

「ええ、残念ながら、そう聞いています。侯は姫様にも、これを人生最大の失敗だったと語っていました」

「その忌まわしい記憶を作り出した、もう一つの名前を使ったってことか」

「依頼主が侯だった場合ですね。トネリオ・キャディスンは実際に世に流れた名前です」

「たまたま使われたって言うの?」フン、と鼻で笑ってやった。「それにしてはできすぎだよ。トネリオ・キャディスンが侯爵のペンネームだと知っている人物が関わっている、と考えるのが妥当だね。本人か、あるいは、他の身内か。いずれにせよ、トネリオ・キャディスンという名前が依頼の途中に入ったことは間違いないんだ。途中ということは、前後の繋がりがある。本来の依頼主に辿り着ける」


 そこまで話していると、部屋で休ませていたお姫様が戻ってきた。私はすぐさま話を打ち切り、彼女を観察する。

 休ませる前、緩やかな曲線が若干ではあるが歪んでいるように感じられた。疲れと衝撃が彼女から柔らかさを奪い取ろうとしていたのだ。それでも、彼女は決して負けずにいた。休み終わった今となっては、いくばくかの圧を纏ってはいたが、気丈さを元に戻せたようである。


「大叔父様の疑いは、どちらに転びました?」心配そうにお姫様は聞いた。

「どちらにも。会ってみるのがいいと思うけど、さて、どうなるかな。どちらにせよ、リ・マ・ヘイムには行かなきゃならないんだし。もし、ボォン・シナーベ侯爵が無関係なら、お姫様の保護を頼むこともできる。王様の弟だ。下手なところよりは頼りになるよ」

「関係があったのなら?」


 ヴァーナが息をのんだ。


「侯爵を叩き伏せてでも情報を絞り出そうと思う」


 私の返答は予測済みだろうと思っていた。事実、そうだったらしい。お姫様は僅かな逡巡を深呼吸の間に済ませ、力強く頷いた。

 軽はずみであり不敬であり、また、非道と言えばそうだが、私は一瞬、ダンピノア王太子がこのまま倒れていることを望んでしまった。彼の人となりをよく知らないのに、私は現国王であるジルバの後釜にはパニマ・エマ・ラーンズをと思ったのだ。いけない、いけない。


「ですが、ノーラ」お姫様は穏やかさを吹きかけるように言った。「過激も時には必要ですが、やりすぎてはいけませんよ。それに、役目は私のものですよね?」

「そのとおりだけど、私に頼んでくれないかな?」

「ノーラ・スタンス。尋問がしたいのですか?」

「そうじゃないよ。ただ、身内を追い立てるにはお姫様は可憐に過ぎて、私には我慢ならないかもしれないんだ。肝心についてはあなたがやってもいい。しかし、過激にして苛烈なものは、私のために、どうか役目を委ねてほしい」お姫様の手を取り、私は続けた。最大限に、顔を作って。「改めてこのフォルダーに、どうかあなたから依頼を、パニマ姫。あなたからの報酬は、ただ一つでいい。それだけが、私は欲しい。くれるというなら、他の何もかも――ワインでも貨幣でも、受け取ってもいいし、受け取らなくてもいい。だけど、それだけはどうしても欲しくなったんだ」

「言ってくださらなければ、分かりません」


 お姫様は、私の手を振り払ったりはしなかった。赤毛の美少女が彼女の瞳に、真っ直ぐに映っている。美しいものを彼女に見せ続けるよう、私はそっと唇を開け、欲するものを伝えた。

 流石に口を挟む余裕を持てなかったヴァーナが、横で「え?」と驚いた。お姫様も、目をぱちくりさせている。私が頼んだものの偉大なる価値に驚いたらしい。


「それは――よろしいのですか? それだけで?」

「うん。それがいい」


 少し、いたずらをした気分だ。私はニッと笑ってみせ、お姫様の手の甲に口づけをした。

 ――その瞬間、ヴァーナに脛を蹴られ、私は転んだ。


「あっはっは、二十四人目」

「不敬!」怒りで彼女の赤が私のそれより鮮やかに、熱さえ通じそうな美しい炎へと変わったように思えた。目は血走るし顔は赤くなるし、私の襟を握る手も力が入って赤くなっている。完璧なまでに真っ赤だ。「あなたそれ、リ・マ・ヘイムでは最低限、宮仕えの騎士でもなければしないことですよ! 手の甲へのキスは生命と名誉の全てを捧げ忠誠を誓うという意味があり婚姻のそれに匹敵するほどの純粋性が――」

「外交でもやるし、そんな意味を持たない星だってあるじゃん」

「あなたは! 私たちが! リ・マ・ヘイムの人間だと分かっているでしょう!」

「ごめん、ごめん、ご当地のキスの意味までは知らないよ。だけど、お姫様は尊敬してるし、そろそろ放してくれない?」いい加減、息が苦しくなってきた。

「ヴァーナ、放してさしあげて」

「……はいっ!」吐き捨てるように応じ、熱烈なる従者は私を解放した。


 可愛らしい従者の活躍により殺されるところだったが、それでも彼女の熱意に感服を覚えた私は、笑みを止めずに私はボォン・シナーベ侯爵の情報を見ながら、サラの針路を決定した。


 ここからが本番だ。ゾクゾクする。全身から血が湧き出るような高揚感は冒険の最大の醍醐味へと私を誘ってくれる。胸の高鳴りは今にも喉を通って吠えてしまいそうなほどだ。逆に、熱の昂りが増せば増すほど、頭は充分な冷やかさを得ていく。これを武器と受け取る。


「これから補給を終えてすぐ、リ・マ・ヘイムへ向かう。そこは味方の本拠地であると同時に、敵の本拠地でもある。お姫様、覚悟はいい?」

「ええ、構いません」


 快い返事をいただき、私はサラに命令を伝えた。


「目標は惑星リ・マ・ヘイム。サラ、まずは補給をするから、現在最速で受け入れ可能な補給港を調べて。そのあとは、可能な限り飛ばすわ!」


 反重力で持ち上がったサラは、すぐさま手近な補給港を探し当ててくれた。

 心配だったのは、お金だけだが、幸か不幸か、妙に安く補給を終えることができた。時間が勿体無かったからつっこまなかったけど、ハズレを引かされたかもしれない。質の悪い物資を積まれたとしたら、不安は残る。

 それでも、今は急ぎたかった。


 ヌアの夜空に輝く星々に溶け込むべく、フォース・ホールをごうごうと回し始めたサラは人工重力によってその力を高める。ググッと持ち上がった針の先端は彼方に麗しき姫を待つ故郷を指していた。


「発進!」


 私の掛け声とともに、サラはヌアの星を抜き去り、永遠の闇夜に躍り出た。


「ああ、そうそう。ヴァーナ」

「なんですか?」今も不機嫌な彼女は、より機嫌を損ねながら操縦席に立つ私の方を向いた。

「迫ってきた君はとても可愛かったよ」


 私の一言は、彼女を心底呆れたような顔にすることに成功した。

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