6 サラでのひととき

「ところで、一緒に入浴して大丈夫? 決まり事とかにひっかかってない?」


 サラの広い浴場に入るなり、私は浴槽で顔を蕩けさせていた二人に尋ねてみた。下々が同じ湯につかったらその場で首をはねられるとかだったら怖い。ユニタード型パワードスーツ装備のままのヴァーナから目が離せない。


「入る前に聞いてください」紅潮した顔でもっともなことをヴァーナが言った。「失礼なことさえしなければ大丈夫ですよ。姫様、よろしいですね?」

「ええー、よろしいですよー。ノーラ、素敵なお風呂ですねー」従者の様子とは対照的に、すっかり浴槽の魔力にとりつかれたお姫様は、とうとう気品も威厳もあったもんじゃないと言わんばかりに緩んでいた。


「気に入っていただけたようでなにより」シャワーを出しながら、私は言った。


 衛星から気を張っていたが、情報の受け取りまで少し間がある。あまり休みすぎても退屈で心が萎れてしまうが、適度な休みで英気を養うことは冒険に赴くうえでとても重要な事だ。これがあるからいつでも元気に頑張れるというもの。お湯をかぶりながら、私は疲れと苦悩をも一気に洗い流した。


「ノーラの身体には、少しですが傷が残っているのですね。そういうものは消しているかと思いました」


 おそらく、何の悪気もなく言ってくれたのだろう。お姫様は私という人間をよく理解してくれているらしい。


「消そうと思えば消せるものばかりだけどね。いくつかはとっておきたいんだ」

「それも、フォルダーの報酬なのですか?」ヴァーナが言った。

「そう。フォルダーは自分の認めたものならなんでも手に入れるし、保管だってする。傷にも思い出がある。怪物と戦った傷だったり、仲間だと思っていた奴に裏切られた時の傷だったり。嫌な傷も多いから、大抵は消すんだけどね。両手で数えるぐらいは、残しておこうと思って」


 自分の行ったこと全てが『宝』に繋がれば、それはフォルダーの理想にして究極なのかもしれないと、親交のあるフォルダーが言っていた。全てに同意はできないけれど、私が傷をあえて残すのも同じ考えがあるからなのだろう。

 いや、ま、私の美しい顔にふさわしい、美しい身体でありたいとも思っているから、ほんのちょっとだけどね。


「冒険の証を残すということについては、理解できますよ。ただのナルシストじゃなかったんですね」

「ただのナルシストじゃ、冒険はできないよ。失礼」


 浴槽にお邪魔し、全身をリラックスさせる。いやー、これはいい。いつでもどこでも、お風呂はいい。


「ノーラ・スタンス。これからどうするつもりですか?」


 いいタイミングでヴァーナが聞いてきた。この少女は本当に、職務に忠実なのだな。今でも、主にとっての最善を追及し続けているのだろう。

 私は彼女の――私のそれよりは薄く柔らかい色の――髪に手を伸ばし、さらりと指に絡ませながら、


「心配しなくてもいいよ。言ったとおり、情報を受け取ったあとも、そのまま君たちに協力する。改めて、私にそれを頼んでくれるなら、やる気は一層増すけどね」

「ひとの髪で遊ばないでください」

「お姫様も、家族に会いたいだろうけど、もう少し待ってね」

「わがままですが、なるべく早くお願いしますねー。あちらはもう、百年もー、私たちに会えていませんのでー」


 うっとり蕩けながら言うお姫様は、しかし、何かを隠しているのが目に見えて分かってしまう。無理もないだろう。父は病床、祖父は追い詰められている。他の家族も執拗な攻撃を受ければ、彼女にはその結果が誰よりもよく分かるだろう。

 会いたいはずだ。たった百年、されど百年。明日をもしれぬ状態にあるかもしれない家族に、会いたいはずだ。

 しかしながら、彼女の賢明は、私がそれに思い至っていることさえ分かっている点であろう。そうでなければ、ここで図々しく急げとは言えない。そして、これは、私が今まさに言ったことへの返答でもあった。これは考えすぎなどではない。彼女は、王族なのだ。


「ええ、再会を急ぎましょう」


 こちらも不安が滲まないようにしたが、果たして通用したかどうか。

 。それを避けるためには、真っ直ぐにリ・マ・ヘイムに向かった方がいい。だが、今は暗幕に包まれた中を歩いているようなものだ。下手に突っ込んで、そこで終わり、では話にならない。まずは、依頼者を掴み、そこから付け入るしかない。


「ノーラ、今後、どのような妨害が考えられますか? あのドライドラゴンも、おそらくは軍部首脳の差し金でしょう?」助け船を出すように、ノーラが聞いた。

「そうだね。あのタイミングで、あんな形で奴が現れたのは、どう考えても私たちを狙ってのことだよ。行動を支配されていたんだろうね。やることが早い。敵は中々やるよ」


 少々、早すぎる気もするけど。


「凄かったですよねー、ドライドラゴン。初めて見ましたよー」

「もしかしたら、今後も動物園以上のものを次々見ることができるかもしれませんよ」


 お姫様の感動を更に盛り上げる言葉ではあるが、危機は続くという意味でもあった。


 私たちはその後、軽い食事を済ませ、二人にここ百年のデータを見せながらゆっくりと宇宙を眺め、眠りについた。

 サラをとばしているので、これが四度も続けば情報の受け取りができる惑星に到達できる。航海は極めて順調であるが、刺激とは私が望まなくてもやってきてくれるものだ。

 スポーツルームで運動をとるようにと言ったのは私だが、ヴァーナは柔軟を終えると、私に手招きした。


「試合でもいかがですか?」

「ヴァーナ、私を気絶させて船を乗っ取るつもりでいる?」

「まさか」不敵な笑みは果たして。「ただ、共に行くのなら、あなたの力量を見定めておこうかと。あなたが姫様に興味を失い、敵に回る可能性だってありますから。知っておくことは必要でしょう?」


 この娘の言い回しにも慣れてきた。

 私は両手を上げ、分かりましたよ、と降参した。


「それで、何でやるの?」

「あなたの好きな武器でどうぞ」

「じゃあ、これね」


 私は素手のまま、サーベルを抜いた。鞘の入り口に僅かながらフラッシュが見えるのは、精製時の反応によるものだ。これで黄土色の乾いた竜を斬ったところは、ヴァーナも目撃しているけれど、さて、動じた様子はまるでない。勿論、試合なのだから私も命までとりに行くつもりはない。

 ヴァーナはずっと脱がずにいるパワードスーツだ。あのタイプの性能は知っているが、改造も容易だから何を仕掛けているやら。ショーヤで能力の一部は見させてもらったが。


「ここは頑丈だけど、壊したら王家に弁償を請求するね」

「ご安心を。そうなる前に屈服させます」


 私は右手に剣を構えた。

 ヴァーナもまた右手を差し出す。ユニタード型パワードスーツから光が迸り、手の甲に至るまでをビームブレードが包んだ。盾の役割も果たす、いい武器だ。思わず、万能のマルチグローブをつけたくなるが、今それを言ったら、ちょっと格好がつかない。


 彼女の、私より小さな身体が同等かそれ以上に思えてしまう気迫が身体に叩きつけられた。音を最小限に踏み込んだ彼女は迷わずサーベルを砕くため、右手のビームブレードを斜め下から薙いだ。

 甲高い音と弾ける火花のような音が同時に発せられると、私はすぐさま受け止めたサーベルを翻して勇猛果敢な身辺警護の姿勢を崩しにかかった。彼女がいかに優秀だろうと、崩れるという確信が生まれたのは、ビームブレードとサーベルがぶつかった際の驚愕の表情を見た時である。このサーベルがこうも頑丈だとは思っていなかったのだろう。舐められたものだ。ドライドラゴンの弱いところを突いたとはいえ、あの獰猛な竜を斬った武器が、ただの剣だとどうして思えよう。


 案の定、彼女は私の力が及ぶ範囲に前のめりになった。既に立て直しと反撃に移っているが、これに負けるようなヤワではない。ガードの部分で振り上げられる直前の上腕を叩き、そのまま首にサーベルを添えた。そこで互いの動きがピタリと動きが止まる。私はあえて、彼女に軽蔑の目を向けた。


「身辺警護が君ひとりじゃないことを祈るよ」

「得意気にならないでください。……どういう剣ですか、それ。都度精製にしては頑丈でしょう。百年で技術はどれだけ進歩したんですか? このブレードには自信があったのですが」

「一人で冒険してると、身を守るものにもこだわりがでてね。安心していいよ。君のスーツはまだいける」

「安心とは、これが試合であるということですか?」苦々しく、ヴァーナは言った。「姫様が一人、死にました」

「二人にならないように、続ける?」

「勿論」


 距離は変えない。動けばそこで終わる超至近距離だ。互いの武器は既に喉元に届いている。

 船内に流れる空気は、このスポーツルームでは熱を強く持っている。今、私にはそれが余計に感じられた。戦闘狂いの気はないと思うが、こうして武器をぶつけ合うことに興奮を禁じ得ないことは事実だし、彼女の仕草一つが私を燃え滾らせる。もしかしたら、私に娯楽を提供したくてこんなことをしてくれているのかもしれない。それならば可愛いものだ。


 先に動いたのは、ヴァーナだった。一瞬早く肩が震えたかと思うと、一気にブレードと私の距離が限りなく0に近づいていく。だが、それが到達することは、試合であるからという理由ぬきで、ありえなかった。

 足払いは有効な手だ。ほんのちょっぴり、こっちに寄せるだけでいい。狙いはそれた。今度は、さっきのように大きく姿勢を崩したわけではないので、彼女の反撃を止める暇はない。そこで私は、受けに出ることにした。

 ブレードの操りは、王族の身を守るだけあって大したものだった。踊るようになどという流麗さではない。極めて機械的に、目の前をただ真っ二つにするという確固たる目的が全身に宿り、腕はその未来への道しるべとなって的確に動いていた。

 私はなるべく姿勢を崩さずにそれを受け止め続ける。一撃、二撃――徐々にスピードを上げていってくれるのがありがたい。私は笑み、彼女の目を見た。懸命だった。サーベルをくるくると回しながら、私も負けじとスピードを上げる。光の残像を銀色が切り払うように、しばしのあいだ空間に一瞬の絵画が出来上がっていた。私はリズムに乗り、より足を使いだす。追い詰めるように、踊るように。しかし、刃に秘められた暴力性を失いはしない。徐々にヴァーナの動きに焦りと衰えが見えてきた。


 大きく踏み出し、ヴァーナの懐に潜り込んだ。私がもっとも得意とする戦法だ。剣のガードを彼女に押しつける。横からブレードが迫るけど、それは手首の回転だけで操ったサーベルであっさり弾いた。

 ぐっと、彼女の片腕を押さえながら抱き寄せ、その顎にサーベルを持ったままの手の人差し指を持ち上げるようにそえる。クイッと上がった彼女の顔は、私のそれと上下で向かい合った。深い色合いの瞳が微かに揺れる。悔しいのかな。


「二人目もこれで死んだね」

「ですね」やはり苦々しくヴァーナは言った。


 互いに距離を取り、一息つく。


「射撃武器を使ってもいいよ?」

「ノーラが使うのなら、それも考えますよ」


 三人目のお姫様を死なせてなるものかと、激突がまた始まった。楽しい時間だ。剣を存分に振るうのは心が躍る。たとえ、命がかかっていなくとも、彼女の力は本物だ。スリルは常にある。

 三回目は、接戦となった。ヴァーナは力を隠していたのか、私に慣れたのか。互いに息切れをするまで剣をぶつけあい、音を出しあい、技を出しあった。結果は――


「――十人目」

「次」

「いい加減にして」

「十人も姫様を殺されて、何も得られずに終えるのはごめんです」


 調子に乗った私とヴァーナは十回ほど切り合い汗まみれになっていた。六回目以降はどちらが勝ってもおかしくなく、スポーツルーム中を飛び回り、運動器具をいくつか壊しての乱戦となったけれど、全てにおいて私は勝利を掴んだ。それが彼女の心に火をつけたらしい。まるで子供がねだるように試合続行を要求してきている。


 私はその日、二十三人目のお姫様を殺した段階で、ヴァーナに抱き付きその髪をくしゃくしゃにしてやって、強引に試合を終わらせた。


「もういい、もういいからお風呂入ろう。ね?」

「ぜぇ、ぜぇ……」


 流石に冷静になったのか、彼女はあっさり頷いた。ぬるい息がかかる。髪は私が整えてやろう。

 互いに武器を収めてスポーツルームを出たとき、本を抱えていたお姫様に出くわした。私たちの様子を見てちょっと驚いているらしい。


「どんな運動をしていたのですか?」

「お姫様を殺してたの」


 意味が分からない、といったていのお姫様に、ヴァーナは申し訳なさそうに頭を下げた。目の前に生きているからいいじゃない。

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