2 さる争いは時を越えて
「痛くない?」私は努めて優しく聞いた。
「大丈夫です」
大丈夫なわけあるかい。お姫様の後ろに回された両手を繋いでいる手錠からは生体にある種の信号を送って無力化する機能がある。もっとも、私は所持がバレた時のため、そして、私個人のこだわりによって、その効力を極端に下げている。今、お姫様ともう一人はダルい気分になっているはずだ。信号が通じていればの話だが。同じヒューマンタイプだから通じているとは思うけれども。
お姫様はそれにしても、なんだか楽しそうだ。今の状況は、棺桶から出て笑ったと思ったら、ドレス姿の見知らぬお姉さんに手錠で拘束されたという危険度の高いものなのに。彼女はそれでも、温かい雰囲気を振りまいている。簡素なローブが上物に思えるほど。肌の色合いが目覚めたてにしては健康的だからだろうか。触れればこれも程度の良い太陽光に当てられた寝具のごとく、柔らかな温かさを得られそうである。ふんわりしたゴールドブラウンの髪といい、ふっくらと可愛らしい曲線をつくる頬といい、風に揺れた麦のように緩んでいる口元といい……。
「分かった。垂れ目だ。だから余計にのんびりして見えるんだ」
「姫様の手錠をはずしてください。その方は、このような無粋なものをはめてよい方では――」
「偉いお姫様だとして、そのお姫様の従者と思わしい君はなんの抵抗もなく私に捕まったわね。君、どなた? 役職は?」
もう一人の方があまりにもギラギラした眼差しを向けてくるので、少し意地悪になってしまった。
お姫様と対照的に、彼女は獰猛な軍用犬を思わせた。最低限の装備が施されたユニタード型のパワードスーツはその役目を果たすことなく私――ではなく、サラに無力化され、今や起伏のない彼女の身体のラインを示すだけになっている。お姫様のふっくら感と比べるとなんとスマートな。だけどこれはこれでかっこいいのかもしれない。私がもう少し若かったら、「かっこいい奴め……!」と羨望と嫉妬の目で見ていたかもしれない。髪の色も質も私に似てるし、頑張ってもらいたいな。赤系ファイト。
「私は姫様の身辺警護を任せられた者です。そして、あなたのような海賊に教えるような名は持ち合わせていません!」
「お生憎様。私は海賊じゃないの」
「だったら手錠をはずしてください。あなたに善意があるのならできるはずですが?」
「素性も分からない人を船内で自由にはできないわね。一人でフォルダーやってると、後ろ盾が寂しくて寂しくてね」
鼻をピンと弾いてあげた。噛まれそうになったが華麗に回避。悔しがる顔には疑問も浮かんでいた。
「……フォルダー?」全く知らないといったていで、身辺警護さんが繰り返した。お姫様も、フォルダーを知らないらしく、きょとんとして首を傾げている。
「そう。フォルダー。好きなように冒険して、好きなように集める。価値の有無は問わない。冒険と、得られる『何か』が全て宝となる生き方のこと」
「コレクション趣味のトレジャーハンターのようなものですか。なるほど、海賊よりは多少上等かもしれませんね。だからといって、私の視線が変わることはありませんよ」
「確かに、コレクターとは似てるけど、少し違うね」
むしろ、コレクター筋からは蛇蝎のごとく嫌われている。彼らにとって私たちフォルダーは墓荒らしとなんら変わりないらしい。気持ちは分かるけどさ。
「ですが」興味深かったのか、自動人形のように頷いていたお姫様がはたと気づいて言った。「なぜ、そのフォルダーが私たちを起こしに来たのですか? 私もヴァーナも、国軍の者が起こしにくるはず……」
「ヴァーナっていうんだ。それで、君らは軍が起こしに来てくれるはずだったんだ」
「姫様、このような得体の知れない者の前でペラペラとお喋りなさらぬよう、どうか……!」
ヴァーナはお姫様を睨みつけないように叱った。代わりに、私への警戒をより強くしているように見える。
私としてはヴァーナの意見に同意する。このお姫様は思慮深さが足りていないように思える。私みたいな奴が自分をどう使うか考えはしないのだろうか? ここまでの情報だけでも、お金を動かす手段はいくらでも思い浮かぶ。
私は、あえて意地の悪い顔をお姫様の前に持ってきた。値踏みするように彼女を眺める。ふふふ。
「あら、フフフ」お姫様は何を思ったのか、ニッコリと微笑みを返した。力が抜けるなぁ。
「姫様、笑っている場合ですか」
「怒ってばかりでもダメですよ、ヴァーナ。彼女が困ってしまいます。ここは一つ、安心させて差し上げましょう」
動きを制限されている状態で、お姫様は可能な限り姿勢を正し、柔らかさを残したままに真っ直ぐな視線をこちらに向けた。
ドキっとする。これはいい。私は思わず、ひざまずきかけた。どうやら、これは本物のお姫様だ。そうだと一瞬で分からせる気品を彼女は放ち始めた。持つ者とはこういうものだ。どんなにのんびりとした雰囲気を漂わせていても、その高貴さと誠実さゆえに心を隠せはしない。
私の反応を読み取ったか、そうでないのか、彼女は薄く色づいた唇をゆったりと開いた。
「申し遅れました。私はリ・マ・ヘイム王国、ダンピノア王太子が第一王女、パニマ・エマ・ラーンズです。よろしくお見知りおきください」
予想以上の大物だったことに、私は動揺して肩をいからせた。
ヴァーナは、「ああ……」と漏らしながら顔を背けている。いやいや、パニマ姫の行動は間違ってないさ。
それにしても、リ・マ・ヘイムとは。なんということだ。タイムリーすぎる。もうこの仕事の実情が読めてきたぞ。
「パニマ姫とは露知らず、ご無礼をいたしました」彼女にならい、私も精一杯の態度をとる。得意ではないが、苦手でもない。「私はフォルダー。地球人のノーラ・スタンスと申します。今はお姫様の自由を握っていますのであしからず……」
「チキュウ?」ヴァーナはやはり分からないといったていだ。無理もないか。田舎だし。マイナーだし。地味だし。現在は知らないけど、宇宙文明の仲間入りを果たしているわけじゃないし。
「未開の地の星なので、姫様もご存じないでしょう。お気になさる必要も――」
「あの、よろしいですよ? そんな堅苦しいことは」私を遮り、パニマ姫はいった。確かに、既に手錠かけて動きを制限しちゃってるわけだしね。「ノーラ。こちらは、私の従者でヴァーナ・レブ。私と一緒にかの衛星に眠ることを決めた、忠義の者です」
「……ヴァーナです。よろしく手錠をはずしてください」
忠義の者は精一杯笑顔を作っていますよと、これでもかというほどアピールしながら最初からの要求を続けた。私は彼女のことも気に入った。この子たちはとてもいい。フォルダーをやっていると、薄汚れた人を見たり、自分も薄汚れてしまうこともあるだけに、私の記憶が正しければ百年は一緒に眠っていたはずの彼女たちには敬意を表する。
「手錠、はずしてもいいけど、約束してくれる? 棺桶に戻ることと、私の船で好き勝手しないこと」
私の船という部分でパニマ姫は反応を見せた。
「後者については必ず。……この船は、あなた個人のものなのですか? 立派な船のように思えますが」
疑問に思うのも無理はない。こんなによくできた宇宙船、それもソード・タイプの直系を個人が持つのは、彼女たちが起きていた頃でもそうそういなかっただろう。
「あなたたちが眠っていた百年という間に色々あった……というより、実は本当にすぐあとに、このタイプの宇宙船は価値が暴落したんだ。シシー宙域でおきたイザコザでセト社のソード・タイプは欠陥品が多いってバレちゃってね。それはもう凄い勢いで返品と廃棄が――」
「ちょっと待ってください!」
「今、なんと言いました!? 百年!? 姫様と私が眠ってから、まだ百年しか経っていないのですか!?」
予想外だという反応を二人は返した。
これは……間違いなく、面倒なことになっている。ドキドキが止まらない。心臓が飛び出そうなぐらいに興奮が身体を包む。
それでも、彼女たちを思えば、言葉は自然と選ばれた。
「パニマ姫が姿を消したっていうのは有名な話だったみたいで、私も過去のニュースをチェックしてたら見つけたよ。たしかに、百年前。まさかあんなところに眠っていたとはね」
「あの、百年ということは、リ・マ・ヘイムではまだ……?」祈りを目に浮かべ、パニマ姫は尋ねた。肝心なところを口にするのは抵抗があるのか、うやむやだけど、私にはそれが何なのかよく分かっていた。今はそのニュースが飛び交っている最中なのだ。
「そう、お姫様のおじいさんはまだ存命。国は権力争いの真っ只中。百年前よりは状況は悪化しているけどね」
私はサラにここ百年の、リ・マ・ヘイム統一王国における、ありふれた悪夢のような歴史を表示させた。ホログラムが石碑のように彼女たちの前に姿を現す。
百年前、リ・マ・ヘイムでは遷都問題が深刻さを増していた。かの国は君主交代の折に遷都が行われるのが通例となっていたが、ここで王族と軍部首脳の対立があったのだ。
王族であるラーンズ家の主張は、従来通りに惑星と主要三衛星を回るというもの。
対して、軍部首脳の主張は惑星に首都を固定し、三衛星の軍備を推し進めるというもの。
近くに危ない国がないわけではないので、軍部首脳の主張も支持層がある。しかし、これまで優秀な外交を実現してきたリ・マ・ヘイムの立場が大きく揺らぐことになりかねないし、そもそも軍部の動きはある時期から常に怪しかった。ラーンズ家は当然これに反対。軍部首脳も引かない。そんなこんなで、両者の対立はヒートアップ。ついには直接の権力争いへと突入した。
お姫様の祖父であるジルバ・ハンマ・ラーンズ国王は軍部首脳の策略で幾度となく、あわや失脚の目にあうが、彼も負けてはいない。三人の幹部が行った不正及び過激派集団とのつながりを暴き立て、見事これを追放するに至る。このあたりの戦いは今は割愛しよう。問題は先に進み、いよいよお姫様が歴史の舞台に姿を現す。
二人を見ると、サラの発する情報と歴史にしっかり食いついていた。不安げだった。
軍部首脳は王太子ダンピノアが世継ぎになる瞬間を狙ったのだろう、彼の子供に接触を試みようとしていた。いくつかの情報、軍部内の王家派のリークにより、これは確定的だった(もっとも、世間からしてみれば眉唾物ではあっただろうが)。さて、ここでパニマ姫のご登場だ。お姫様はこのすぐあとに、急に姿を消している。あっという間に退場だ。歴史って無情だなぁ。
世間一般の俗論は、ダンピノアがお姫様を守るためにどこか遠くの星(彼が昔、留学していたあたりとか)に預けたのではないかというものだった。
「事実は、辺境の衛星に眠らされていたんだけどね。思い切ったことするね、お姫様のお父さん」
「これを申し出たのは私です。下手に動けば気づかれると思ったので」
マジかこのお姫様。
それはともかく、続きだ。ここから先はお姫様もヴァーナも知らない、眠ったあとの歴史だ。
パニマ姫を失うこととなったのは、ダンピノア王太子だけではない。軍部首脳にとっても痛手だったのだろう。彼らはジルバ国王の遷都計画について、歴代君主交代における遷都問題を惑星防衛と交えながら批判し、その勢いを削いでいった。
どうも、このあたりで軍部首脳は傭兵団でも雇ったのか、周辺でおかしな事件が起き始める。いずれもリ・マ・ヘイムは武力行使に出ざるを得なかったので、その軍備についての見直しが必要なのではという空気が流れ始めた。
そして、厄介なことが起きた。
なんとダンピノア王太子が病に倒れたのだ。
「……お父様」
静かな呟きがお姫様から零れ落ちた。それでも、目は離さないし、瞳を潤ませたりはしない。流石だ。肩を抱きかけたヴァーナも途中で思い止まっている。
文字は淡々と流れ続けた……。
ダンピノアの世継ぎが危なくなると、軍部首脳はこれを好機と見なし、徹底的なジルバ国王への攻撃を始めた。これが二十年前。そして、現在はすっかり老いぼれてしまったジルバ国王崩御の知らせを大勢が待ちわびるほどの状態になってしまった。
「なるほど。分かりました」お姫様は一瞬瞼を閉じ、再び開けられた時にはより強い光を宿して言った。「当初の予定では、無事に父が戴冠式を終えてから、王家派の国軍の手により私が姿を現し、王家の盤石を誇示するはずでした。それが不可能になりかけている今、逆に私が王位についての補強を行わなければならない。そういう状況なのですね。どうりで、起こすのが早くなったわけです。ノーラに頼んだのは――どちらですか?」
それが分かれば苦労はしないだろうね。
「全然分かりません。私はその筋から、面白そうだなと思って仕事を引き受けただけだし、調べようにもダミーを沢山通しているだろうから。これが王家側の仕事なのか、軍部首脳側なのかはまったくもって。ただ、後者の可能性が高いとは思うけど」
「理由は?」ヴァーナが言った。
「衛星が怪物仕込みだったのに、それについての情報がなかった。最悪、お姫様もヴァーナも死んでたんだ。これが王家側なら、そんな危険を冒した棺桶の回収はしないと思う。となれば、生け捕りでも、死んでもどちらでも構わない、軍部首脳の依頼だったと考えるのが自然だね」
「怪物? 何のことです? 私たちもそんな話は聞いていませんが」
ヴァーナの言葉に、私はゾッとした。
あんなものを知らずに、王家側はあの衛星に棺桶を置いたのか? ありえない。防衛システムにしては凶暴すぎるし、あのなりでは棺桶だって無事で済むものかどうか――
考えがまとまらない内に、サラから伝達があった。どうやら、数隻規模の艦隊が接近中とのことだ。
私は急いでお姫様とヴァーナの手錠をはずすと、モニターに艦隊の姿を映し出した。サラに照合させると、案の定というか、リ・マ・ヘイム王国軍で正式採用されているタイプだった。
……巻き込まれたわね、これ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます