ワンライシリーズ

第一話 星/雲

 中華鍋を手首のスナップを効かせて振る。米と卵とネギとゴマが見事な円を描いて舞う。油と卵とネギとゴマの香りがあたりに広がる。炎が爆ぜる、鍋で具材があぶられ焼かれる、音が厨房を行き来する。

 大将は炒飯の軌道を目で追いながら、ふと眉根を寄せて顔をしかめる。

 眉根を寄せても具材は宙を舞っている。視界が多少ぼやけても炎は鍋は一時も待ってはくれない。鍋を下ろす。お玉で掬い、さらに盛る。

「炒飯、お待ち!」

 カウンターに並び待つ余所見している厳つい顔へ皿を出してから、ようやく背後へ振り返る。

「誰だ、与圧しねーやつは!」

 減圧に生まれた雲をかき分ける。耳抜きを繰り返しながら勝手口のドアを開ける。ソフトタイプの気密服がわずかに引いて立ち止まった。

「お前ェか!」

 気密服は待てとばかりに手を胸の前で広げて見せた。かまわず大将はヘルメットへと手をかける。身長差と勢いのままに引っこ抜けば、黒い半端な長さの髪が舞う。左耳のダイヤのピアスが淡い光に輝いた。

「ユニ!」

 堅く瞑っていた目が開く。見事な蒼の瞳が大将を認めた途端、情けなさそうに細められた。

「なんでェ」

「何でじゃないよ、大将。三番のエアロック、壊れてるよ」

 三番。大将はあぁと頭をかく。

「三番は先月、ギンタの野郎がサイズ違いの船で入ってひしゃげたんだな」

 そして、修理はまだだった。

「道具貸して。応急処置してくるから」

「いいよ、そんなの」

「良くないよ! 与圧しないと荷物が出せないでしょ」

 豚、牛、堆肥。そして、多めの酸素。ユニが運んできたはずのものに思いが至る。

 それは大将の営む中華食堂の命綱ともいえるものばかりだ。

「農場に、嫁と若ェのがいる。使っていい」

「そうさせてもらうよ」

 黒髪の青年は勝手知ったるなんとやら。裏の道具置き場へと半ば飛ぶように走って行く。

 豚が来た。牛も、堆肥も。

 今夜は仕込みで忙しくなる。

 大将は肩を回す。見上げた天井にわだかまる雲は気づけば薄くなり始めている。

 さて、と、大将は振り返った。まずは今夜の客と料理に向き合わなくては。


 貴重な冷凍魚介をケチらず使う。具材を湯がき水を切る。熱した鍋に油を落とし、ざっとなじませ具材を入れる。火が通り過ぎないうちに味を調えとろみをつけて。

 このくらいかと見込んだ頃に、表の扉が開かれた。

「大将、いつもの!」

「あいよ!」

 気密服を半身脱いで楽な格好になった青年は、はすっぱな雰囲気の女性と若いひょろっこい男を連れて唯一のテーブル席へと向かっていく。女性は大将の相棒たる農園の主、ひょろっこい男はお代にプラスする酸素を忘れて飲食し、体で返している最中のチンピラだった。

 カウンターに腰掛けるのは顔にもすねにも傷持つ男二人は、青年を横目で見やり訝しげに大将へと視線を投げる。厳つい男にも動じずに、中華の大鍋を取り扱う筋肉を細腕に見事に貼り付けた大将は、ごつい顔に皮肉な笑みを浮かべて見せた。

 場末も場末、まっとうな人間が来るところじゃない中華料理屋のあの片隅だけ、どこかの街のファミリー向けの定食屋のようにも見えてしまう。

 青年はニコニコを穏やかな笑みを浮かべる。ひょろっこい男はすっかりなついているようだ。女性はもともと、このかわいらしい顔の青年が大のお気に入りではある。

 が。

「手は出さない方がいいぜ。ありャァ、ライフエンドの人間だからな」

 青年の『いつもの』、八宝菜を皿によそる。スープを掬い、小鉢を取り出す。

「ユニ!」

「早い! いい匂い!」

 カウンターに置けば青年はいそいそと取りに来る。無防備な笑顔がとろけるようにさらに笑む。

「お前ェ、必ずコレ頼むからな」

「大将の八宝菜は宇宙一だよ」

 小皿も水もセルフサービスはいわずもがな。女性もひょろ男も相伴に預かるらしい。

「ライフエンドの、バス乗り」

 客の一人がつぶやいた。

「あれが」

 もう一人が合いの手を入れる。

 本来ならば詮索不要の店ではある。ほかの誰かなら余計なことは聞くんじゃないと止めに入るところだったが。

「コロニー生まれなら、覚えとけ」

 炒飯セットのデザートを一人に一つ出しながら。

「あれが絶対逆らっちゃならねェ顔だ」

 厳つい顔の男二人、初めての顔合わせだとは思えないほどぴったりと合ったタイミングで、うなずきそして杏仁豆腐を口へ運ぶ。


 *


 宇宙で中華の一番星になってやる。


 そう意気込んで軌道エレベータに乗り込んでから早三十年。

 コロニーでは火の取り扱いに制限があったこと、すでに進出していた高級中華料理チェーンが制限をすっかり独占していたこと、その味が気に入らなかったこと。

 工場産の野菜もダメ。合成肉は味が悪い。火力は中華の命というのに。

 廃棄コロニーを違法占拠して二五年。ステルス化して、中央の目を逃れ逃れて二十年。

 来客は、お日様の下では暮らせないような連中ばかりではあったけれど。


 *


「そういえば大将、電波出してる船がいるね」

 黒髪の青年はその蒼い目を無邪気に男たちへと向けている。

 男の一人が訝しむように首をかしげ、もう一人がそれを見た。

「お前ェか?」

「なんだ、公用チャネルを開けているだけ、」

 ドスリ。

 男の前に銀色の刃があった。

「切れ」

 もう一人が立ち上がった。

「あらあら」

 女は揶揄するように男を見やる。

「えっ、と」

 いまいち意味がつかめないらしい。ひょろ男はあちらこちらへ視線を巡らせ、最後に青年にたどりついた。

「ここは解体を免れているだけの違法コロニーだからね」

 青年はにこりと笑む。ひょろ男はつられて笑んで、首をひねる。

 ガタリと椅子が音を立てる。

「……酸素と、金だ。すまん。次はしない」

 厳つい顔の片方は、金を置き、抱え得る程度のタンクを置き慌てて扉を出て行った。

「公用チャネルは位置情報を発信する。何もない場所でとどまり続けている不審船に見えるんだね」

 青年の涼やかな声を聞きながら、大将はため息をつき包丁を抜いた。


 *


 黒髪の青年ユニは、気密服を着込んだ後で、三番エアロックの扉を内側から操作する。応急処置が吹っ飛びながら、わずかな気流に流される。手すりをつかんでそれに耐えた。

 自家用にしている小型貨物船へと乗り込んで、壊れていないエアロックを操作する。与圧を確認、ロックを出る。運転席ではなく、背後の貨物操作盤へと廊下を進む。

 操作盤のスイッチを入れる。ワイヤーの巻上機が、うなりながら稼働を始める。

「さて、と」

 たかだか数十キロメートルは宇宙空間ではニアミスするほどの近所ではあるが。巻上機でたぐり寄せて移動するには十分な時間があった。

「昼寝するかなー」

 ユニは大きく腕を伸ばす。二ヶ月に及ぶ勤務から帰ったばかりで直行したから、少しばかり疲れてもいた。

 個室へ向かい、動き辛い気密服を脱ぎ捨てて。手首の端末にふと触れた。

「ベル、怒ってるかな」

 かわいらしく怒る姉の顔を思い浮かべて、まぁいいか、とユニはベッドに横になる。

 多少の疲れと満腹と、機械音ばかりの静寂の中、程なく寝息をたてていた。


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