草場に吹く風の行方:1

 導入光管への入光と共にユニの一日は始まる。

『住処』の一角に与えられた部屋で目を覚まし、寝間着を脱ぎ捨て顔を洗う。ちょっとは綺麗に見える服を引っ張り出し、袖を通したら部屋を出る。髪が伸びすぎているときには一つにくくることもあるが、多少もさもさしていても誰も気にしない。女の子でもあるまいしとユニもあまり興味がない。

 大抵もっと早くに医者先生は部屋周りを始めていて、ユニは十部屋目くらいで合流する。夜の内に息を引き取った人がいたりすれば、もう少し前で合流することもある。何の仕事が割り振られているわけでも無い。単なる子供のお手伝いだ。

 今日は三部屋目で合流することになった。廊下を進む間に幾つものひそひそ声が聞こえて来る。早かったね、順番が。ここへ来て悪化したのよ。そりゃぁ、こんなところだもの。アッシュダイヤの申請は? じゃぁ結構余裕あるのね。

 噂話をする人も、何事もなかったかのように目をそらす人も、ただじっと眺める人も。皆どこか蒼い顔をしている。ユニは『住処』に住む彼らを無関心に眺め、医者先生へと視線を戻す。

 彼らは総じて血の気がない。土気色の人もいれば、やたらと黄色くぷくぷくしている人もいる。もちろん、来て日の浅い人ばかりではない。食堂を切り盛りするおばちゃんも、野菜にうるさいおじいちゃんも、現場で穴掘りするおじちゃん連中もみんなそうだ。違うのは数人いる医者先生達とユニくらいだ。

「おはよう、ユニ」

 医者先生は今日も朝から元気にワゴンを押している。自ら押して部屋を回る。お手伝いを買って出たおばちゃんが付いていることもある。その時が来ると呼ばれるまだまだ力自慢のおじさん達が、布のかけられた『その人』を運び出していることもある。

 今。まさに。

「おはようございます、先生」

 医者先生が出てきた後から運ばれてきた『その人』の、布からはみ出た細い手に覚えがあった。高熱と痙攣に怯えていたのはつい昨日のこと。

 誰もがそれを待っている。その時が来ただけのこと。

 ようやく楽になったね。ユニは心の中で、思う。

「ユニ、触らないで。次に行くよ」

 ユニの視線を察したのか、医者先生はそう声をかけてきた。がつりと頭を捕まれて、強制的に次の部屋へと入らされる。

「……あの人は感染る病気だったからね」

 ぼそりと呟かれた言葉が頭の上から降ってきた。


 導入光がまぶしくなったと感じるころになると、医者先生と別れて食堂へ。朝ご飯をかき込んだ後は一旦部屋へと戻る。いくら洗っても落ちなくなってしまった土埃に染まったシャツとズボンに着替え、今度は『住処』の裏口から外へ出る。向かうはC地区の一角を占める農場だ。

 途中、農家の出身だというアランと合流する。胸の高さに位置する車椅子のハンドルをよいせと押していくのが、ここ半年ほどの習慣だった。

「そらぁ、ユニが心配じゃないモンなんかおらんわ」

 アランはカカカと笑い、げほげほと噎せ込んだ。使い古した車いすが咳と共にぎぃぎぃと鳴り、ズボンの右側の膝下部分がひらりひらりと風に舞った。

「僕が子供だから?」

 アランに指示された通り、トマトの下の雑草を抜き、要らない葉を落として回る。終わったら収穫し今日の夕飯の献立になる。

「そりゃそうさ。子供を心配しない大人なんぞおらん」

 胸を張った気配に、ユニは思わず苦笑した。

「ジャッキーだってンナバだって子供だったよ」

 このコロニーに子供が来ることは少なく、それ故、あっという間に仲良くなった。ユニより少し年下の、良く笑う子供たちだった。

 しかし、仲良く出来た時間はほんの僅かで。ベッドから起きあがることも出来なかったジャッキー。絵本を何度もせがんできたンナバ。少しうるんだまん丸の目を今でも思い出すことがある。

「ユニは健康だからのう」

 流行の熱病に侵され手遅れと診断された子供たちは、次のバスがやってくるまでの期間さえ生き延びることが出来なかった。ユニは二人を。来ては数日で呼吸を止め土の下へと埋められていく幾多の人々を。もう苦しくないね、と労うことしかできなかった。

 アランがゲホゲホと咳をする。喉の奥で何かが絡んだような湿った重い咳だった。


「おぉ、バスが着いたようじゃの」

 収穫籠がいっぱいになり、アランの車椅子の両脇、膝の上、両方のハンドルもふさがってしまう頃には、導入光は淡くなり始めているのが常だった。

 随分重くなった車いすをよいせと押していたユニは、視線を遙か前方へと向けた。導入光管の切れた先、コロニーを覆う三つの地区がとぎれて合わさる辺りに半球状の無機質な一帯がある。その中心、重力が無くなるそこには確かに光があった。バスが入港した証拠だ。

 どきんとユニの小さな胸が鳴る。踏みならされた土を蹴る小さな足に力が入る。

「こらユニ、トマトが落ちてしまうぞ」

 たしなめるアランの声はけれどどこか笑いを含んでいて。一層ユニはハンドルを押す手に力を込める。

 今度はどんな人がいるだろう。今回はどんなお話をしてもらえるだろう。

 ユニの知らない外の街、ユニの知らない宇宙のこと。いつも聞くのが楽しみで。仲良くしてくれる人はいるのかな。同じくらいの子はいるのかな。……ずっと一緒にいてくれる人は。

 近付くとまるで壁のように立ちふさがる巨大な建物に辿り着く。『終の住処』と呼ばれるホテルでもあり、病院でもあり、このコロニー唯一の正式な建築物でもある建物の、小さな裏口へと回り込む。スロープを上がる前にドアを引き開けたところで、絵本で見た熊のような巨大な手が降ってきた。

「デイブンおじさん!」

 巨大な手はユニの頭に着地した。わしわしとかき回すように撫でられる。次いで脇に差し込まれると、ユニは高々と持ち上げられた。

「ようやく帰ったな、ぼうず! アランのじいさんもかわんねーな」

 ユニを下ろすと横にも縦にも大きいデイブンは、巨体に似合わずスロープをひらりと飛び降りる。ユニ一人では苦戦するアランの車椅子を軽々と扉まで押し上げて、ついでに籠を二つばかり受け持った。

「うまそーなトマトだなぁ、おい!」

 ヘタの際まで赤く染まったトマトを一つ取り上げる。囓ろうと大口を開けたところで、ぐふりと鈍く呻いて膝折れた。

「洗えと何度言ったらわかる、この鳥頭が!」

 台所番を自称するアニーだった。豊満すぎるその身体から器用に繰り出した回し蹴りを一呼吸で回収する。パンパンと手を叩き、脛を抱えて呻いているデイブンの手から素早くトマトを取り上げた。

「アタシの目の黒いうちはつまみ食いなんてさせないよ!」

 ふん。鼻を鳴らして籠を取り上げ去って行く。だってよぅ。呟いたデイブンへ止めとばかりに鋭い視線が飛び。

 やがて残された三人は、顔を見合わせ笑い出した。


 籠を奥まで運ばされた後、きっちりアニーの手で洗われたトマトを持たされ、デイブンは放逐された。ユニは手を洗えというアニーの無言の迫力に逆らう気もなく流しへ向かう。二人の再会は、まだ料理の並ばない食堂の隅だった。

 デイブンはようやくとばかりにつやつや耀くトマトへとかじりついた。少々お行儀悪い音がするのは、汁のひとしずくさえ零さぬようにしているからだとユニにはわかる。名残惜しそうに指まで嘗めきるのを見るのは楽しい。ユニたちが作ったものだから。

「やっぱりココのはうめぇな」

「アランじいちゃんがね。命をもらってるからだって言ってた」

 デイブンは指を嘗めつつ窓を見た。つられて眺めるユニには、遥か上方、B地区に張り付くような幾つかの明かりが見て取れた。『住処』に戻るのが面倒だからと、A、B地区にいつの間にか作られたバラックだ。

「……ちげーねぇなぁ」

 デイブンはぽつりと呟き、そうだ、と一つ手を叩いた。

「ユニ、お前に荷物があるんだ」

「荷物?」

「宅配係の野郎、こんな所には来たくないだの抜かしやがって、俺に押しつけてきたんだ」

 まぁ、俺は構わないんだがな。言って再びガハハと笑う。

 デイブンが取り出してきたのは、まだ八歳のユニには一抱えにもなる箱だった。貼られた伝票を、字の読めないユニに代わりデイブンが朗々と読み上げる。

「清浄区のベル、ってなってるな。知ってるか?」

 ユニは首を振った。何せユニは生まれてこの方、このコロニーを出たことがない。ユニを知り、何かを送ってくるような人がこのコロニーを出て行ったこともない。なにせ、来る人の数は多けれど、出て行く人など数えるほどしかいないのだから。

 その一人であるデイブンが促す前で、そっとユニはカッターの刃を箱のつなぎ目に当てる。もどかしい気持ちで線を引き、切れた隙間からようやく指をつっこんだ。

 出てきたのは手のひら大のパネル。いや。個人用の携帯端末だった。

 時々デイブンが似たようなもので仕事の話をしているのをユニは覚えている。バスに乗ってやってきた人々の中にも、持っている人が幾人もいた。

「どっかにスイッチが」

 これか。デイブンが手のひら台のパネルをまさぐると画面に光が入った。ユニへ持たせるとデイブンは何やらブツブツ呟きながら、さらに箱をまさぐった。

 ユニくるくると移り変わる画面に見入る。デイブンの手の中で、端末を持つ人の手の中で、繰られている所は幾度も見たが、自分の手で持ち操って移り変わっていく画面を見るのは初めてで。ユニはじっと画面を見つめる。

 やがてくるくる動いていたキャラクターは一礼すると画面の外へと退場した。あとに残るのは電話をかけたり動画を見たりする操作画面、のはずだった。

「?」

 指示する前に選択されて、立ち上がった画面。大写しになったのは、女の子の像。しかも、静止画ではない。動く。

 目が合った。ぱちぱちと少女は瞬き、少しだけ首を傾げる。つられてユニも瞬いて、同じ方へと首を傾げ。

『起動したのね』

 思わずビクリと手を震わせた。がちゃりと落とし、何やってんだと拾ってもらう。きゃっと悲鳴が聞こえた気がした。スピーカーから。

 高い声だった。女の子に似合いの。

『えと、映ってる?』

「あ? リアルか?」

 デイブンと共にのぞき込む。きょとんと首を傾げた女の子は、ひらひらと手を振った。

 白くて細い手だった。手の向こうの顔も白い。血の気がないというわけではなく、光に当たったことがないような。頬は健康的にほのかに赤い。きゅっと結ばった唇は第二季分に咲く花の色をしていて、彩る髪はふわりと柔らかく波打ち、磨いた黄銅よりも明るい色をしていた。

 ずっと昔、誰かが持ち込んだお姫様人形のよう。ユニは思う。

 年はユニより幾ばくか上だろうか。

『小さいあなたがユニ? お隣にいるのは保護者の方かしら?』

 ちょこっと首をかしげ、こんにちは、ときれいな発音で言葉を続ける。

『髪は黒いのね。肌は随分焼けてるわ。ね、前髪を上げてみてくれないかしら』

 とまどい顔を上げる。目が合うとデイブンはやってやれ、と声に出さずに言ってきた。

 手入れなどほとんどしていない、邪魔になると誰かに切ってもらうだけの癖のない髪をかき上げてみる。すっきりとした視界の中、画面の少女は思い出話をするような優しい目でふわりと笑った。

 目を奪われた。次いで、顔が熱くなる。手を離し、つい……明後日の方を。

 少女はそんなユニの様子を知ってか知らずか、くすり、とユニと同じ地球色の瞳を細めた。

『私はベル。あなたに興味があるの。この端末、もらってくれないかしら』

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