6-24 過去と未来 その2

 花と緑にいろどられた庭園にうがたれた漆黒の影。レッドスコーピオンたちの弓を引く手が自然と落ち、本物の落とし穴に足を踏みいれてしまったかのように、あとずさりながら離れていく。

 そして、ぽっかりと生まれた空隙に浮かびあがる髭モジャの姿。映像が不鮮明なため、それがバルダー分隊長なのか髭モジャ2号なのか判然とはしないものの、背後に数人の兵をひきつれて、人ならざるものと対峙たいじしていた。


「魔物がなぜシャフリヤール様の別邸に巣食っているのだ! ええい、皆のもの! 武器をかまえろ!

 人形遣いパペットマスター、万操十指がひとり、無自覚な右の親指が命ずる――」

「待て、パパデモス・マンマミーヤ」


 名前を呼ばれて髭モジャが硬直する。


「その声は、しかし、まさか……」

「おまえならば、すぐに気づいてくれるとおもっていたぞ。そう、私だ。シャフリヤールだ。先の大戦でも副団長として私のそば近くにはべっていたのだからな。聞き分けられぬはずがないのだ」

 

 パパデモスはまだ警戒を解くことはなく、領主の服を着たミイラを注視している。頭蓋骨に皮が貼りついただけという顔ではあるものの、秀でた額といい、わずかに首を傾ける仕草といい、たしかに全体の印象はシャフリヤール・アスモデスを彷彿とさせる。


「シャフリヤール様、そのお姿はいったい」


 ためらいがちに声をかけると、ミイラはおどけた調子で肩をすくめてみせた。


「呪いだ。私としたことが、とんでもない失態だな。別邸として改築し終えたミャアマパレスを散策していたところ、隠し扉の先に宝物庫らしき部屋を見つけてな。喜び勇んで遺物をあさっていたら、この有り様だ」

「では、聖典教の修道士をすぐにでもここに召喚いたします。解呪の儀式の準備を」


 早口にまくしたてるパパデモスに、黒褐色に変色した朽木のような腕が鷹揚おうように振られる。


「すでに幾度も試した。だが、通常の方法では効果はなかった」

「な、ならば、グラン大聖堂のホーリィ様を招聘されるよりほかは」


 首をひねりながら懸命に知恵をふりしぼろうとする髭モジャに、落ちくぼんだ眼窩に炯々けいけいと赤い灯火ともしびだけを宿したミイラが近づいてくる。おもわず後ろにさがるパパデモスの腕を、骨ばかりの手が力強くつかんだ。


「ヒッ!」

「おびえるな、パパデモス。優秀な部下であるおまえを傷つけたりはしない」

「は、はい。慈悲深きシャフリヤール様を恐れる気持ちなど、私には微塵も」


 唇がなくなり剥きだしとなった歯列から、まるで瘴気を吐きだすような禍々しさで言葉が漏れてくる。


「ホーリィはダメだ。大聖堂に連絡すれば、聖王にも伝わってしまう」

「え? そ、それはそうですが」

「よく考えてみろ。いまは魔王軍との戦争中だ。私がこのような見てくれではどのような誤解、いや、誹謗中傷を受けることかわからぬ。七大貴族は敵も多く、プタマラーザの街もきっと、王や他の貴族にむしりとられてしまうことだろう」


 ミイラの恐ろしい面相からできるかぎり目を逸らせながら、パパデモスはガクガクと首を縦に振った。


「アスモデス家に私以外の後継がいないことも不利に働く。もしアスモデス家がとりつぶしとなれば、レッドスコーピオン騎士団もこのままでいられるとおもうか? 私の呪いが解けなければ、おまえたちの地位も財産も誰か保証するというのだ」

「お、おっしゃるとおりでございます。私たちは何をすればよろしいのでしょうか」


 後方に控える赤い鎖帷子くさりかたびらの兵たちもゴクリとつばを呑みこんだ。


「幸いにも、この呪いについて記したらしい古文書は見つけた。猫人ケットの喪われた王国ミャアジャムの時代のものだ。解読に時間がかかっているが、呪いを他に移す方法が記されている」

「他に移すとは?」

「私の呪いを別の依代よりしろになすりつけるのだ。猫人ケットの邪法であるから、移す先も猫人ケットがよいであろう。呪いを肩代わりするものを、この別邸に連れてくるのだ。そうすれば、私は元の肉体を取りもどすことができる」


 赤いターバンの下の額がべったりと汗に濡れていた。髭モジャの身体が小刻みに震えている。


「呪いを移されたものはどうなるのでしょうか?」

「私を見れば、わかるだろう?」


 息ができなくなって、パパデモスは自らの胸を叩いた。

 ミイラとなったシャフリヤールの歯間から黒い霧が吐きだされる。


猫人ケットの女がよい。男は力が強く、扱いにくいからな」


 パパデモスの血走った目が配下の兵を見つめ、互いに無言で、しばし責任を押しつけあう。ミイラの手があばら骨の浮きでた胸もとに潜りこみ、内ポケットから大粒のサファイアをつかみだしてパパデモスの手のひらに載せた。


「準備するにも金がかかるであろう。少ないが、これを取っておけ。しばらく実験が必要だからな。女どもは週に10人ほど欲しい。ここまで連れてくるのは骨だろうから、プタマラーザからの中間地点まででよい。あとは私が魔法でどうにかする」


 荒い息をつきながら、固く目をつむったパパデモスが汗にまみれた手で宝石を握りこんだ。ここから引きかえす道はないと覚悟を決めて、目をあける。


「シャフリヤール様のご命令であれば、いなはありません。将来に禍根を残さぬよう、消えても騒ぎにならぬものを選んでお届けいたします」


 ミイラの黄色い歯がひらいて、しゃがれた笑い声があたりに響きわたった。

 領主府の庭にひろがった影と映像はそこで薄れていき、影を囲うように立ちならぶレッドスコーピオンたちは呆然と、門扉にたたずむパパデモス・マンマミーヤのひとまわり小さくなった背中を見つめていた。


「これではっきりしたにゃ! レッドスコーピオンのすべてが加担したわけではなくとも、罪もない猫人を魔物への生贄として差しだしていたのは事実にゃ!」

「違う! 私は騎士として、主であるシャフリヤール様の命令に従っただけだ! 見た目はあのようだが、決して魔物になられたわけではない! 呪いを解くことができれば、元の聡明で慈悲深いシャフリヤール様に戻られる。それですべてがうまくいくはずだったのだ! 貴様ら勇者一行がシャフリヤール様をしいしなければな!!」


 おもわず飛びでた言葉に、ハッと口をおさえるパパデモス。けれど、綸言りんげん、汗のごとし。一度放たれた言葉をなかったことにすることはできない。

 事情を知っているのであろう幾人かのレッドスコーピオンが舌打ちをし、けれど、大部分の兵は領主シャフリヤール・アスモデスの死という事実に混乱し、あきらかに腰が引ける。

 俺はここが勝負どころと声を張りあげた。


「ミャアマパレスには、たしかにシャフリヤール・アスモデスと名乗る魔物、アンデッド系最上位のリッチがいた! その魔物は連れ去られた猫人たちをアンデッドへとつくりかえる残酷な研究をしていたため、俺たち勇者パーティーがすでに討伐した! 本物のシャフリヤールが魔物に変化したのか、何らかの理由で死んでいたシャフリヤールに魔物がとりついていたのかはわからない!

 だが、プタマラーザの領主、シャフリヤール・アスモデスがこの世にいないことだけは厳然たる事実。これ以上、独断で抵抗を続けるのであれば、リンカーン王国への反逆罪に問われるのはおまえたちだぞ、レッドスコーピオン!」


 赤いターバンの下のいくつもの顔に逡巡の色があらわれて、武器を投げ捨て、両手を上にあげるものが出てきた。その数は加速度的に増えていき、隊長格とおぼしき装備の整ったものたちも抵抗を諦めて、部隊ごと投降の意思を宣言した。

 左右のゴーレムへ視線を何度も往復もさせていたパパデモス・マンマミーヤも、結局、事ここにいたっては勝算を見つけることもできず、力なく地面にへたりこんだ。


「私だけが悪いわけではない。これは幹部会の決定なのだ。街の秩序を維持することが我らレッドスコーピオンの使命。シャフリヤール様の呪いを解かなければ、プタマラーザの街の行く末は暗澹あんたんたるものとなる」

「結局、自分たちの保身のためなのにゃ!」


 ツカツカと肩を怒らせて歩みよったユズハが、小太りなパパデモスの髭をおもいっきりむしりとる。


「痛ッ!!」

「亡くなった猫人たちはもっと痛かったはずにゃ! どうして他のひとの痛みを想像しようとしないのにゃ!」


 振りあげた拳を俺が後ろから引き留める。


「あとはリンカーン王国の司法に委ねよう」

「わかってるにゃ! けど、こいつら、自分たちが何をやったのかさえ知ろうともしないで、弱い立場の猫人たちに全部押しつけて」


 涙をぬぐうユズハを眺めながら、パパデモスはぼそりとつぶやいた。


「……イシス団が猫人ケットの武装蜂起を企てなければ、我らもここまで強硬な手段をとる必要もなかったのだ」


 座りこむパパデモスの胸ぐらをつかみあげると、俺は額がぶつかりあうほど近くに髭モジャ面を引き寄せた。


「武装蜂起の件をなぜ知っている?」

「いや、これはレッドスコーピオンの機密に関する事項であるから、私の一存では」


 浅黒い肌に汗が浮かび、情けないくらいに動揺して目が泳ぐ。


「ええい! まどろっこしいにゃ!」


 口ごもるパパデモスにいらつき、ユズハが再び夢見るルビーをかざす。暮れかけた太陽の光を鮮烈な紅へと変化させて、絶望の表情を浮かべる髭モジャの影が石畳に色濃く刻みつけられた。

 影のなかに浮かぶのは、似たような髭モジャばかりが並んだ部屋で、ひとり膝をついてかしこまる全身黒ずくめの男とも女ともつかないターバンの人物。


「にわかには信じがたい。その情報の確度はどれほどのものなのだ」


 髭モジャのひとりからの問いかけに、黒ずくめがしゃがれた声で応じる。


「裏町にはすでに反乱の種が撒かれてる。猫人ケットの正統な王が帰還したという噂は、勇者パーティーのなかのユズハ・ケットシーという具体的な名前までひろまって、にわかに信憑性を増している。そこへきて、トドメに領主シャフリヤール・アスモデスが死んだ、ていう爆弾まで出る始末」

「ば! バカなことを言うな! シャフリヤール様は別邸で静養中だ!」

「勇者が殺したんだ。魔物と化したシャフリヤール・アスモデスを。おまえらだって本当は知ってんだろ? だから、オレに声をかけた」

「イシス団はそのことを知っているというのだな?」


 ニタリと意地悪く笑って、うなずく黒ターバンに、頭を抱える髭モジャたち。


「どうする? 貧民街には、すでにイシス団の工作員たちがまぎれこんでいるのだろう? 武器も隠されているとなれば、レッドスコーピオン全軍をもってしても鎮圧するまでに相当の時間がかかる。これではプタマラーザの街が半壊してもおかしくはないではないか。いっそのこと一時、街の外に退避してだな」

「論外だ! 外には魔物どもが跋扈しているのだぞ! それに家族はどうする? イシス団が入城するようなことになれば、どのような復讐がなされるか。想像するだけでおぞましいわ!」

「おい、半端もの! この情報だけで金を要求するわけではあるまい。我らが喜ぶようなネタを持ってきているのだろう? もったいぶらずにさっさと吐きだせ!」


 高所から投げつけられる軽侮の言葉に、チッ、と舌打ちする黒ずくめ。ギリギリと歯噛みをしつつ沈黙していると、酒の残った杯が投げつけられた。


「殺すぞ! 半猫人ハーフケットの分際で!」


 黒いターバンから滴りおちた琥珀色の酒が唇を濡らし、黒ずくめは陰鬱な笑みを浮かべる。


「10万ゴールドだ。俺もこれがバレたら、お尋ね者だ。もうイシス団には戻れねえからな。5年は潜伏できる金が必要だ」


 髭モジャたちが顔を見合わせる。いらだったひとりが赤ターバンを投げ捨て、奥の金庫から金貨の袋をさげてきて、黒ずくめに放り投げた。


「とりあえず1万ゴールド。あとは情報次第だ」

「ケチくさいねえ」


 黒ターバンの下のやぶにらみの目が侮蔑しきったまなざしを髭モジャたちに投げかける。


「明日の午睡シエスタの時間、武装蜂起のための総員集会がひらかれる。プタマラーザにまぎれこんだ間諜たちにも召集がかかってるから、このときだけは街が空白地帯になる」

「つまり、そのときを狙って門を閉ざせば、イシス団を排除することができる、と」


 髭モジャたちの顔に生気がもどってきた。口々に構想を語り、


「同時に、貧民街に浸透した反乱分子を根絶やしにすれば、あとは根をうしなったイシス団を刈りとるだけだ」

「ゴーレムをつかうというのは?」

「武器があるかもしれんからな。根こそぎ焼き払うのが良かろう」


 満足げに詳細を詰めはじめる髭モジャたちに、黒ずくめが手を差しだして、


「カネ」

「この程度の情報で10万は吹っかけすぎだろう」

「オレがイシス団におまえらの計画を流したら、どうなる?」


 髭モジャたちの日に焼けた顔が渋面となり、眉間に深い縦しわが刻まれる。


「やっぱり殺しておくか? どうせ半猫人ハーフケットに心配するやつなんていない。こいつがここで消えても支障はなかろう」

「いや、こいつにはまだ使いみちがある。残り9万ゴールドは払う。どうせイシス団をつぶせば、あいつらの貯めこんだ金を回収することができるのだ」


 ギリッと歯が鳴る音。黒ずくめが吊りあがった斜視をさらに怒らせて、髭モジャたちをにらみつける。


「おまえら、猫人ケットも勇者も舐めすぎだからな。徹底的にやらなけりゃ、血祭りになるのはおまえら人間ノーマだってことを忘れんなよ」

「無論、承知している。この機会にすべての猫人ケットを奴隷化する」


 黒ずくめが凄絶な笑みを浮かべたのを潮に、映像は薄れていった。

 俺たちの背後から影をのぞきこんでいたイシス団の面々、団長のカズサ・カラカルや特攻隊長のギゾウの顔面が蒼白となっている。映像にあらわれた黒ずくめは間違いなくイシス団の諜報員にしてククリ・マウが友だちと称した半猫人の女。


「ジン・ジャコウ、なぜ裏切った!?」

「だから、あんなやつを信用するなと忠告したのだ! 卑しい半猫人ハーフケットなど!」

 

 怒号が飛びかい、イシス団のメンバーにジン・ジャコウの捜索が厳命されるなか、ユズハが人間ノーマ猫人ケットの停戦を一方的に宣言し、以後別命あるまで、領主府に足を踏みいれた猫人には王の名において厳罰を科す旨を周知した。その一方で、レッドスコーピオンには領主府の敷地内に留まり、勇者の監視のもと軟禁状態に置く旨を了承させ、ただし、家族の出入りは自由とした。

 姿を消したジン・ジャコウの捜索はイシス団総出でおこなうこととなったものの、丸一日が経過しても目撃情報すら集まらなかった。

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