6-25 過去と未来 その3

 ゴーレムによる騒乱から5日が過ぎた。イシス団を裏切り、機密情報をレッドスコーピオンに漏らしていたともくされるジン・ジャコウの足どりはいまだつかめぬまま、すでにプタマラーザを離れたものとして大規模な捜索は打ち切られることとなった。その代わりに動機の解明のための証言集めと縁故者探しは継続されていて、その過程で彼女の凄惨な過去がつまびらかとなった。

 資料によると、ジン・ジャコウは猫人ケットである娼婦の子として生まれ、物心つく前にレッドスコーピオンの名家にメイド見習いとして雇われた。もちろん、幼児がメイドとして家事をできるわけもなく、奴隷を禁じているリンカーン王国における抜け穴として用意された方便だ。実際は、武官としての訓練を受けはじめた子息に与えられた悪趣味なオモチャであった。

 ジン・ジャコウを使役していた青年武官は先の大戦で戦死しており、彼女が実際にどのように扱われていたのかを直接証言できるものはもういない。けれど、生前の仲間うちの酒宴で、自分がいかにメイドを面白おかしくしつけているのか、良識を持つものならば吐き気をもよおすような内容を自慢げに語っていたらしい。

 いわく、返事が1秒遅れたら、鞭打ち。口答えをすれば順番に指の骨を折っていき、生意気な目をすれば3日間食事抜きとする。大概の猫人はこれで自らが人ではなく、モノであることを自覚する、と。

 そうして従順になれば、気のおもむくままに殴ろうが蹴ろうが、主人に逆らうことはなくなり、変な病気を持っていないかを定期的に検査しておけば、性欲の吐け口としても使える便利な道具となる。けれど、遊びが過ぎて不具者にしたり、まかり間違って子をはらませたりすると世間体が悪いから、ちょっとしたショウを開催してサッサと使い潰してしまうにかぎる。だから、うちのメイドは定着率が悪くてさ。でも、猫人ケットは掃いて捨てるほどいるから補充に苦労はしないよね。と、まだ成人にも達していない青年は無邪気に笑っていたという。

 親から愛情を受けた記憶もなく、苦痛と屈辱だけの地獄のような環境を受けいれるしかなかったジン・ジャコウは初潮をむかえる頃には猛獣相手のショウで全身をズタズタに切り裂かれ、麻布にくるまれて死体置き場に棄てられることとなった。

 それを拾ったのが、のちにイシス団の団長となるカズサ・カラカルである。その頃はまだ部隊長のひとりであったものの、プタマラーザの街を巡回し、虐げられている猫人をイシス団に勧誘する活動の一環として、死にかけた少女を回収し、治療を施したのであった。

 その後、奇跡的に一命を取り留めたジン・ジャコウはイシス団の中でも抜きんでた厳しい修練を自らに課し、盗賊の心得こころえをまたたくまに会得すると、隠密としての稀有の才能を開花させた。

 だが、猫人ケット人間ノーマとの混血という出自による猫人らしからぬ小さな耳と短い尻尾、さらには虐待によって歪んだ斜視と全身にのこる醜い傷痕という容姿が周囲とのあいだに壁をつくり、イシス団の中にあっても根強くはびこる半猫人ハーフケットへの差別を陰に陽に浴びながら孤立を深めていった。

 レッドスコーピオンに接近してのスパイ活動という危険な役割を買ってでたのは、猫人ケットの共同体にも居場所のない混血児のせめてもの抵抗であったのだろうか。最初はイシス団の廃棄された拠点など差し障りのない情報を売り、すこしずつ知己を増やしていって、そこからイシス団を抜けようとしている団員をわざとレッドスコーピオンに捕まるように誘導するなどして徐々に信用を得ていった。

 このときばかりは半猫人ハーフケットという出自が有利に働いたのかもしれない。レッドスコーピオンにとって、猫人ケット盗賊シーフと同義でしかなく、いくら低姿勢ですり寄ってこようとも警戒を解くことはない。けれど、ジン・ジャコウが半猫人という立場から猫人たちへの恨みつらみを言いつのれば、普段から猫人を差別しているレッドスコーピオンにとってみれば関係性を理解するのも容易たやすく、逆に信用のおける存在として認識されたのであった。ジン・ジャコウ自身もまた、猫人を口汚く罵る自分が演技なのか本心なのかもわからなくなり、人間の卑劣なコマとして働くことに言い知れない愉悦のようなものを感じるようになっていた。


「――猫人ケット人間ノーマが愛し合うことなど許されるものか」


 領主シャフリヤール・アスモデスが密かに猫人ケットの踊り子シャリエラを隠れ家に囲っていることをシャフリヤールの妻に密告したとき、ジン・ジャコウの口から自然と憎しみの言葉がこぼれでた。

 普段ならば薄汚れた猫人ケットなど視界にはいるのも嫌がる気位の高い奥方が、はじめて謁見するジン・ジャコウを信用したのも、その憎しみに満ちた声が原因だったのだろう。アスモデス家の分家でありプタマラーザ最大の妓楼を経営する裕福な実家から輿入れと共に付いてきた従者たちに夫の不実を調査させた奥方は、ジン・ジャコウの語る策に素直にうなずいた。

 すなわち、魔王との決戦に狩りだされた夫が送ってくる戦況報告を秘匿し、実家と近しいレッドスコーピオン騎士団員を抱きこんで、領主シャフリヤール・アスモデスの戦死の噂を踊り子シャリエラの耳に届くように流す。加えて、夫からシャリエラに送られている恋文を奪取し、代わりに夫の訃報を届けさせるというものだ。


「あとを追って自殺するなら良し。見苦しく生きのこるようであれば、医師から精神安定剤という名の幻覚剤を処方させる。オレもしこたまぶちこまれたが、猫人ケットを発情させる成分も加えてやれば腰を振ることしか考えられなくなるぜ」


 ジン・ジャコウの語る悪辣な罠に、嫉妬深い奥方はほくそ笑んだ。

 戦陣から帰還したシャフリヤールが淫蕩に耽るシャリエラのもとを訪れるように仕向けたのもジン・ジャコウ。奥方の意を受けて、シャリエラを毒殺したのもジン・ジャコウ。すべてが奥方の陰謀であるとシャフリヤールに密告したのもジン・ジャコウであった。

 まわりまわってシャフリヤール・アスモデスが魔物へと堕ち、恋人であるシャリエラを復活させるための猫人狩りをはじめたのも計算どおりであったのかまではわからない。けれど、はじめて双方の立場で突きあわせられるこれら情報の数々に、イシス団の幹部も、レッドスコーピオン上層部も、暗澹たる気分で資料の束に視線を落とすほかなかった。自分たちが憎み、抗っていたものが本当は何だったのか、次第に深まる疑念の霧のその先の陰鬱な答えに、意図的にたどりつかぬように無意味な非難の応酬をくりかえすばかり。

 結局、長い長い徒労の果てに出した結論は決戦でも和平でもなく「一時停戦」という責任逃れであった。ジン・ジャコウというひとりの半猫人ハーフケットによって増幅された相互不信は根深く、短期間で修復することは到底不可能。それでも、レッドスコーピオンが管轄する領主府と大通り周辺、イシス団を中心とする猫人の自治組織が管轄する裏通りという住みわけがなされ、ひとまずの鎮静化がはかられたのはひとえに俺たち勇者パーティーが中立な立場を貫きとおしたからだろう。

 レッドスコーピオンは自治権の承認に最後まで頑強に抵抗していたものの、俺がアイテムボックスから泣く泣く「赤パンツ」をとりだして「黄金パンツ」バーガン・ルシフルの知己であることを証明すると、驚くほどの威力で沈黙したのであった。

 恐るべきは変態パンツ男の権力ネットワーク。俺もこれだけ心理的な借りをつくってしまうと、奴からの要請をむげには断れなくなる恐怖がある。魔王討伐後に下手な干渉を受けないためにも、早いうちにどこかでいままでの借りを全部清算してしまいたいとつい考えてしまう。

 そして迎えた停戦協定の締結式当日。場所は領主府の庭園。色彩豊かな花が咲き乱れる楽園のごとき中庭に、イシス団の代表10名とレッドスコーピオンの分隊長たち人形遣いパペットマスター10名が向かいあわせに整列し、俺たち勇者一行5名が仲裁者として中央に陣どっている。

 領主府の柵のむこうでは、レッドスコーピオンの隊員とイシス団の団員が左右半々の警備を受けもち、人間ノーマ猫人ケットの聴衆がくっきりと分かれて群がっていた。暴動が起きる可能性もあることから調印式を屋内でとりおこなう提案もあったものの、俺はあえて衆人環視のもとでの合意を選択した。

 理由としては、ここでまた密室で議論を進めれば、ジン・ジャコウのように流言飛語を仕かけてくる輩があらわれないともかぎらないから。今回の騒乱は人間ノーマ猫人ケットがお互いにまともな意思疎通ができず、疑心暗鬼で憎悪が大炎上した結果だ。内乱は街で暮らす住人にとって災厄に他ならないから、大勢の証人の前で堂々と約束することによって停戦の実効性を担保したいという思惑もある。

 レッドスコーピオンの代表は副隊長パパデモス・マンマミーヤ。

 イシス団の代表は団長カズサ・カラカル。

 双方が停戦協定書にサインをすることによって合意が発効する、というのが本日の式次第だ。


「――以上の項目を互いに認めるならば、ここに宣誓をもってあかしを立てよ。 

 聖王ウルス・ペンドラゴンの代理として、勇者カガト・シアキが聞きとどけ、もし約束をたがえる場合は、実力行使をもって糾弾する」


 互いへの傷害行為を禁じる、などの多くもない条文を俺が読みおえると、


「レッドスコーピオンはプタマラーザの市民に平穏をもたらす責務がある。自ら争乱を起こすことはないことをここに誓おう」

「イシス団はすべて猫人の権利を擁護する。不当に搾取されることがないよう監視し、リンカーン王国の法に従うことを誓おう」


 双方が羽ペンにインクを浸して協定書にサインをする。外野からは拍手と野次が同時にあふれ、これからの前途多難がおもいやられたものの、パパデモスとカズサの握手には未来を期待させるものがあった。

 両者の顔に決して笑みはない。感情を押し殺し、憎悪におどらされた者同士の悔恨によって責任感だけで手をつないでいる。

 ふらり、と隻眼の猫人が代表の列から脱けでて、握手をする二人めがけて走りだした。手には光る小型ナイフのようなものをさげている。武器は領主府の敷地にはいるときにすべて取りあげたはずだが、どこに隠し持っていたのか。


「――俺は断じて認めない!」


 パパデモスを狙って真っすぐに突きだされたナイフが、とっさに前に出たカズサの脇腹を切り裂いた。鮮血がパッと飛び散るものの、大柄なカズサ・カラカルはひるむことなく、そのまま肘を落として襲撃者の腕を抑えこむ。

 ねじりあげられた手から血濡れたナイフが地面にころがり、銀色の隻眼が苦渋に細められた。


人間ノーマなど信用できるものか! 俺には無理にゃ。人間と同じ空をいただくことなど。こいつらがいままで俺たちの家族に、仲間に、どれほどの非道をはたらいてきたか。カズサ、おまえも忘れたわけではあるまい!」


 傷の痛みではなく、心の痛みに顔を歪めて、カズサは「ギゾウ」と名を呼んだ。

 ギゾウは地面に這いつくばりながらも大声で、


「俺は死ぬことなど怖くないにゃ! ただ、この憎しみを捨て去ることだけが恐ろしい! うしなわれた命を忘れることが恐ろしい! 勇者さえ、王さえ、我らの前にあらわれなければ、俺たちは迷うことなく戦って死ねたものを!!」


 俺やユズハを隻眼でねめつけて、ブブー! ブブー! と憎しみの音が鳴り響く。

 俺が「ヒール」を唱えてカズサの傷をふさぐと、レッドスコーピオンとイシス団の中央に進みでたユズハが床に伏せたギゾウに視線を添えながら、良く響く声で群衆に語りかけた。


「停戦協定はたったいま、成立したにゃ! だから、ギゾウには誰も手を出してはならない。リンカーン王国の法によって裁かれるのにゃ。未遂だけど、人を殺そうとしたら3年は牢屋行きにゃ。その間に自分がしたことをよく考えるにゃ。

 そして、牢から出てきたら、真っすぐにアタシのところに来るのにゃ。猫人ケットの子どもたちのための仕事を山ほどさせて、殺すより生かすほうがどれほど難しいか、腹の底からわからせてやるにゃ!」


 ギゾウがまぶしそうにユズハの上気した顔を見つめていた。

 脇腹を押さえたまま、カズサがギゾウを引き起こす。


「おい! この不届き者を屯所にぶちこんでおけ!」

「待て、ギゾウはイシス団で預かる!」

「こいつは私を狙ったのだぞ!? 信用できるか! さっさと連れていけ!」


 パパデモスがわめきちらして手招きすると、赤いターバンを目が隠れるほどに深く巻いた髭モジャの兵士が領主府の門をくぐって駆けてきた。ユズハのところまで近づくと、腰にさげたシャムシールをすっと抜きはなつ。

 誰もがきょとんとそのゆっくりと自然な所作を見つめていた。

 曲刀が太陽の光にギラリと輝き、一瞬にしてユズハの喉もとに迫る。


「――ジン!! ダメにゃ!!」


 空気が数度下がったような冷ややかさ。

 ユズハの喉に赤い線がはしり、うっすらと血がにじむ。呪縛が解けたように動きだしたイシス団によって取りおさえられ、赤いターバンがむしりとられると、縮れた黒髪に埋もれるような小さな猫耳と隈の濃い斜視があらわれた。

 ジン・ジャコウ。まだ数回しか会ったことがないものの、この暗い目は忘れようがない。柵の向こうから声を張りあげたククリ・マウが走ってくる。胸もとには産着にくるまれた小さな小さなヒカリ・マウが眠っていた。産後間もないヒカリを外に連れだすことはためらわれたものの、俺やユズハが奔走してまとめあげた停戦協定の締結式をどうしても直に見せておきたいと連れてきたらしい。


「……どうしてオレとわかった?」


 複数の手によって地面に押さえつけられ、身動きのできない状態のジン・ジャコウがククリを見あげている。ククリはどういう表情をしてよいのかわからず、すこし悩んだ末に、結局、いつものようにほほ笑みかえした。


「右足を少しだけ引きずる癖、かにゃ。ジンがいつもアタシに会いに来てくれていたから、足音だけで聞き分けるられるようになっちゃったにゃ。

 ジンはアタシのたったひとりの友だちだから。いつも、いつも、いつ会いに来てくれるだろうと待ち焦がれていたから。アタシ、こう見えて、耳だけは良いのにゃ」


 ジン・ジャコウの口もとが皮肉げに吊りあがる。


「なぜオレは手を止めちまったんだろうな。あのまま女王を刺し殺してしまえば、また戦いを呼びこめたかもしれねえのに」


 カズサがあわれむように言葉を落とす。


「おまえは本当はもう終わりにしたかったのではないのか。私のように、憎むことに倦んでいたのではないのか」

「ハッ! くだらねえ。オレは人間ノーマも、猫人ケットも、心の底から大嫌いだ。ずっとずっと殺しあっていればいい! 無駄に血を流し、無駄に死ね!」


 ジンがわめきちらすと、「こいつがシャフリヤール様を!」とレッドスコーピオンたちが顔面を蹴りつける。

 それをユズハが押しとどめ、


「やめるにゃ! もう休戦協定は成立したにゃ。ジン・ジャコウも、リンカーン王国の法で裁くのにゃ」


 血の混じった唾をペッと吐きだし、ジン・ジャコウが隈の濃い暗い目をユズハに向けた。


「もう王様きどりか。ハッ! それもいいだろう。テメエもすぐに権力のとりこになる。嘘を見抜く神器か。結構じゃねえか。心の奥底を覗かれるのがどんな気持ちか。用心しろよ! イシス団も、レッドスコーピオンも。すぐにわかるようになる。この新しい王がどれほど危険で恐ろしい存在か。

 自分の本心が晒されるとなれば、誰だって服従せざるを得なくなる。なあ、テメエはわかるよな。記憶をのぞかれたんだからなあ!」


 パパデモスがビクッと身を震わせ、ユズハを盗み見る目が卑屈になる。

 危ない。ジン・ジャコウの言葉には毒がある。こいつはこうして人の中に潜む不安をあおりたて、自分の望むように行動を制限していくのか。

 一刻も早くジン・ジャコウを人々から引き離さなくては、と俺が内心焦りはじめたところで、ユズハがあっけらかんと言いはなった。


「アタシは支配したいなんて、これっぽっちもおもわないにゃ。それよりもみんなに信頼されたいのにゃ。猫人ケットにも、人間ノーマにも、他のどの種族にも。みんな仲良しが一番にゃ。だから、夢見るルビーの正しい使い方はやっぱり、こうにゃ」


 無造作にアイテムボックスから取りだした真紅の宝玉を、ユズハはあろうことか、ひょいっと口に放りこんだ。

 予想外の行動に、ジン・ジャコウも、その他大勢も、俺も、言葉が出てこない。


「うん。なんだかホッとしたにゃ。

 ――アタシは、やっぱり王様の器じゃないにゃ。怖がられたりしたらやりにくくてしかたない。て、あれ? やっぱり、まずかったかにゃ? これ、もう出せないやつじゃないのかにゃ?」


 漏れでる心の声に、イシス団もレッドスコーピオンも苦笑いを通りこして笑いだした。俺はユズハを両腕で抱きしめて、宙に持ちあげると、


「ユズハ! おまえはやっぱり最高だ!!」


 大勢の人の前であることも忘れて、キスをした。


「な、何をするにゃ、カガト。

 ――あ、あう、ダメにゃ。こういうのは、夜に、あ、違うにゃ。アタシは王として立派なところを見せなきゃいけないのに」


 ジン・ジャコウが地面に顔を伏せて、泣いているようであった。

 押さえつけられた肩が震えている。


「ふは、バカが。くだらねえ。こんなバカげた王さま、アリかよ。オレはもう、戻れやしない、ていうのにな。

 ああ、笑い声が耳について離れない。人間が憎い。オレが、檻の中で、虎に犯されているのを、爪が背中に食いこんで、死にそうで、虎に必死にこびを売って、何度も後ろから刺し貫かれているのを、手を叩いて笑って見ていた奴ら。

 笑い声だ。猫人ども、オレの耳を見て、クスクスと笑って。みんな、死ねばいいのに。許せるわけがねえ。なんで、オレだけ。こんな地獄みたいな世界に。ああ、くだらねえ。くだらねえな、まったく。一番くだらないのは、オレだ。人間ノーマに愛されて幸せそうに笑う猫人ケットを、許すことのできないオレが一等くだらない。どうして、ただ、おめでとう、と言ってやれなかったんだろう」


 地面に転がっていたギゾウの小型ナイフを手品のようにすくいあげると、躊躇なく自らの首筋に刺しこんだ。

 

「ジン!!」


 ククリの叫び声。頸動脈を正確に貫いた刃が抜けると、勢いよく血が噴きだした。

 すぐさま俺が「ヒール」を唱える。セシアとスクルドも続く。だが、ジン・ジャコウは動かせる範囲で首を傾け、傷口を地面に隠してしまった。血溜まりだけがおおきく広がっていく。


「ジン、どうしてにゃ。ジンはアタシの命の恩人にゃ。ジンがいなければ、ヒカリだって産まれてこれなかったにゃ。アタシは、アタシだけは、どんなことがあってもジンの味方にゃ。死んじゃダメにゃ!!」


 ひざまずくククリの胸もとのヒカリをくるみこんだ産着が地面にひろがる血を吸って深紅に染まっていく。

 ジン・ジャコウは光の失われつつある瞳で赤ん坊のあたりを見つめ、空気の漏れでたかすれた声でつぶいた。


「……オレは、殺すことしかできねえ。産むことも、育てることも。ただ殺すだけ、壊すだけ。本当に、くだらねえ。

 ああ、どうしてオレの母親は、ククリじゃなかったんだろうな。オレもそんな風に抱かれていたら、こんな……」

「ジン!! ダメにゃ! もっと、これからもっと楽しいことがきっと」

 

 すがりついて泣きじゃくるククリ・マウのまわりにイシス団もレッドスコーピオンもひざを折り、もう動くことのなくなった哀れな半猫人の血だまりを見つめていた。

 ジン・ジャコウの死亡が確認されたのは、それからほどなくしてのことである。

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