7.魔神城陥落

7-1 魔神城陥落 その1

 グランイマジニカにおける俺の30周にわたる冒険とは、はじまりの勇者、リク少年が自らのために用意した、いわば勇者の勇者による勇者のための物語であった。それは勧善懲悪の英雄譚であり、予定調和とご都合主義に貫かれた成功の物語サクセス・ストーリー。そして、俺と同じように異界から召喚され、幾度も世界を救った果てに、グランイマジニカの一部として呑みこまれていった数多の勇者たちが遺した「仲間システム」「サブシナリオシステム」「称号システム」「聖魔結晶システム」「周回システム」もまた、正統派RPGとしてのグランイマジニカの世界観を覆すことはなかった。

 けれど、俺、カガト・シアキが31周目にして導入した「愛憎度システム」は、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)たちに愛を与え、憎しみを刻み、全年齢対象の健全な理想郷を、欲望渦巻くアダルトな現世うつしよへと変貌させてしまった。俺自身、セシア、ネネ、ユズハ、スクルドという愛しい婚約者たちとの出会いとイチャイチャラブラブな今の生活を後悔する気持ちは一片たりとて無いものの、ジン・ジャコウの死やプタマラーザの娼婦、男娼、貧民街の人々の暮らしぶりをのあたりにするにつけて、鈍い痛みがおりのように胸の奥に沈殿していく。

 すべてが愛憎度システムを創りだした俺のせいであったとしても、すでに起こってしまった変化を無かったことにすることはできず、ならばせめて勇者らしく、ひとりでも多くの人が愛を感じられる世界にしていくことが贖罪であると自分に言い聞かせて。まずは当初の目的のとおり魔神城を攻略し、カオスドラゴンの支配からアリシア姫を解きはなつ。俺のアイテムボックスに眠る「勇気の結晶」、リク少年が俺に託してくれた至高の聖魔結晶ならば、きっとカオスドラゴンを封印し、平和な世界を取りもどすことができるはずだから。

 そのとき、いままでの30周と同じように、この周回がエンディングを迎えてしまうのかどうか。また、魔王無き世界で、煉獄の魔人ザザ・フェンリルと次代の勇者キリヒトがどう動くのか。胸に巣食う不安は消えないものの、俺はあえて楽観を決めこむことにした。

 グランイマジニカにはすでに新たな生命いのち、ヒカリ・マウが産まれている。新規キャラクターの追加は、繰りかえされる時間軸を生殖システムが侵食し、すでに世界が新たなルールでまわりはじめている証拠だ。ザザとキリヒトについては、正直なところ、どんな手段に出てくるかはわからない。油断せず、いずれ訪れる決着のときのためにパーティーメンバーひとりひとりの能力を底上げしていくほかはない。

 と、俺が希望の灯火ともしびをかかげてプタマラーザの人間ノーマ猫人ケットの融和のために東奔西走していたころ、グランイマジニカをめぐる物語は用意されていた航路をおおきく逸脱し、まだ見ぬ未踏領域へと舵をきっていたのであった。





 東の精霊塔。そこは魔王の棲まう魔神城を監視するためのリンカーン王国の前線基地であり、絶えず瘴気を噴きあげる腐敗湖ふはいこの膨張をさまたげ、魔神城へと流れこむ龍脈を断ちきるための聖魔法「四神封印」の基点のひとつであった。


「定時観測! 異状なし!」


 巨大なオベリスクの頭頂部から清浄な蒼き輝きが周囲にあふれだしている。

 東の精霊塔が四神封印において担っているのは「水」の波動。王立魔導院の魔導士たちが昼夜休むことなく交代で水属性の魔力を精霊塔の基部へと注ぎこみ、石柱の芯をつたって空と大地に水魔法の波動を押しだしつづけているのである。

 腐敗湖を四方から囲む東西南北の精霊塔はそうして土・水・火・風の四元素を縒りあわせた防壁を球状に張りめぐらせ、本来、グランイマジニカ最大の龍穴である白鷺湖(現在は腐敗湖に名を変えている)へと滔々と流れる自然の龍脈をさえぎり、魔神城への魔力供給をさまたげているのであった。

 だが、真の四神封印とは、世界の東西南北に棲まう大精霊たちの力を具象化した土・水・火・風の4つの精霊石を嵌めこむことによって完成する極限秘術である。いかに多勢の魔導士を動員しようとも、不完全な四神封印では龍脈を完全に断つことはかなわず、魔神城が新たな魔物を吐きだすことをとどめることもできはしない。ゆえに、各精霊塔にはリンカーン王国に残された数少ない騎士団が貼りつき、腐敗湖からあらわれる魔物から精霊塔を防衛する任務にあたっているのであった。

 東の精霊塔を守護するのは国境警備を主任務とする「龍爪りゅうそうの騎士団」。身の丈を優に超える長槍をあつかう槍兵を主軸とする聖王直属の部隊であり、平時であれば1000名の常備兵と3000名の予備役からなる王国守護のかなめである。もっとも、現在では魔王との戦いにおいて騎士団長以下熟練兵の過半をうしない、予備役を集めても500名にも満たない規模となっていた。


「ああ、イヤだイヤだ。今日はやけに風が強いな。このぶんだと湖から瘴気の突風がくるかもしれんぞ。よーく目を凝らしておけよ。瘴気にまぎれて湖から這いあがってくる魔物の影を見落としたら、怪我では済まないからな」


 昼の第3部隊に割りあてられた小隊長が声をかけると、物見櫓の上でぼんやりと空を見あげていた新兵が双眼鏡を取り落としそうになりながらも、「はい!」と大声で返答して、再び監視の任に励みはじめた。

 精霊塔の周囲には塹壕と防護柵が三重に張りめぐらされ、左右には3階建て相当の物見櫓がそそり立つ。魔物対策は万全であるものの、腐敗湖から湧きたつ瘴気をおさえるすべはなく、薬湯をしみこませた布で口を覆っていても、よどんだ匂いが鼻につく。大戦後に志願して騎士団に入隊してきた奇特な若い新兵は、気管支にへばりついた不快感をつばで無理やり飲みくだし、双眼鏡の先にうつりこむ魔神城の禍々しい天守閣をにらみつけていた。

 鬼のつののような鋭い突起が左右に突きでた異形の城。下半分は瘴気の海に隠れてしまっているものの、高さはリンカーン王宮よりも上ではないだろうか。壁は爬虫類の鱗のように黒光りする装甲で覆われ、窓らしきものも見当たらない。

 先の大戦で数万人の将兵を殺戮した魔王があの城の玉座におさまっているのかと想像するだけで、新兵は背筋の後ろがゾワッと鳥肌立ってくるのを感じた。双眼鏡を覗きこんだまま身震いし、恐怖を振りはらおうと視線をぐるりとめぐらせる。


「ところで勇者さまは、いまどのあたりでしょうか」


 眼前の魔王から頭を切り替えようとすると、話題は自然とリンカーン王国の希望の星である勇者パーティーのこととなる。腐敗湖の黒とも紫とも緑とも形容しがたい瘴気の移りゆく毒々しさに目が痛くなり、しばし双眼鏡から顔を離した新兵に、櫓をのぼってきた小隊長がことさらにのんびりとこたえた。


「土、水、火と順調に精霊石をそろえて、いまはプタマラーザの街で内乱寸前まで悪化した人間ノーマ猫人ケットの仲裁に躍起になっているそうだ」


 これは一昨日の定例報告の内容である。リンカーン王国内の聖典教会には勇者カガト・シアキへの協力義務とあわせて大聖堂への報告義務も課されており、勇者の現在位置および近況が大聖堂から王都にも通知される仕組みとなっていた。常に緊張を強いられる前線部隊の士気を維持するためにも、バズ・ダンボ大臣は騎士団の指揮命令系統をつかって、勇者の旅の進捗を可能なかぎりリアルタイムで伝達することをこころがけてくれている。

 新兵は空を見上げて、ぽつりと、


「何やってるんでしょうね」

「どっちかだ?」


 自分の不用意なつぶやきに小隊長の問いが重なり、新兵は焦りながら、


「あー、プタマラーザの街の住人たち、ですね」


 と答えた。

 最前線で魔王軍の散発的な攻撃を食い止めている自分たちの苦労を勇者にもわかってほしい、とまではおもわない。だけど、せめて精霊石の収集という勇者に与えられた任務は迅速にこなしてほしい、という願望は持ってもいいのではないだろうか。新人の身で口にするのははばかられるものの、それが新兵の偽らざる心情であった。

 小隊長は「そうだな」と適当にあいづちを打ちつつ、新兵の気持ちを汲みとったような優しい声音でつけたした。


「前線の俺たちにしてみれば、勇者にはなるべく早く精霊石を集めてきてほしいもんだがな。ま、しかし、あれだ。自分の任務を優先して、苦しむ民を見捨てていく勇者というのも嫌なものだな。そんな奴に救われた世界が良くなるとはおもえない」


 空を見つめていた小隊長の視線が何かをとらえ、不意に新兵の持つ双眼鏡を奪いとった。


「ちょ、何ですか、急に」

「おい、おかしいぞ! どうしてアレがこんな場所を飛んでいるんだ!」

 

 手振りで示す先に黒い影がある。

 新兵が雲の浮かぶ青空に目を凝らすと、逆三角形のシルエットがこちらに急速に接近してくるのが見てとれた。比較するものがないため距離感と大きさをつかむのが難しいものの、雲よりも高い位置にあることを考えると、魔神城に匹敵するほどの巨大さではなかろうか。

 頭に疑問符を浮かべたままの新兵をちらりと横目で確認しつつ、小隊長が解説を加える。


「浮遊要塞だ。おまえはまだ実物を見たことがなかったか。元は巨人ティターンの遺跡だったらしいが、魔王軍の侵攻がはじまる少し前に浮かびあがって、北の空を漂いはじめた。魔王のしわざかどうかはわからないが、噂好きのなかには魔人の棲み処になっているとうそぶく奴もいる」

「どんどん近づいてきますよ!」

「わかっている! 早く警鐘を鳴らせ! 浮遊要塞の高度がどんどん下がってきているぞ!」


 新兵がはりに吊るされた鉄の鐘を自分の鼓動ほどに激しく打ち鳴らすと、時ならぬ喧騒に周囲の兵たちが何事かと櫓を振りあおいだ。


「空だ!! 浮遊要塞が突っこんでくるぞ!」


 小隊長が割れた声で叫び、空を見上げた兵たちが皆ギョッとして、定まった方向もなく走りはじめる。


「腐敗湖と逆に走れ!!」


 空に浮かぶ浮遊要塞の姿が肉眼でも細部までわかるほど近づいてきた。

 独楽こまのように下にいくにつれて細くなる逆円錐形のフォルム。黒鉄くろがねの鈍い鋼板の輝きに赤銅色の配管が縦横にはりめぐらされて、その姿はあたかも血管が浮きでた巨大な生物のようにも見えた。


「そら! 俺たちも逃げるぞ」


 小隊長の太い腕につかまれて、新兵が落ちるように梯子をくだる。


 ゴ――!!!


 天空を引き裂く轟音が地表を圧する。いち早く飛び降りた小隊長が太い首をすくめて地面に這いつくばると、浮遊要塞の黒い影が精霊塔を一瞬暗く染めあげて、上空を突っきっていった。

 逆円錐の巨体がまわりの空気をすべて引きはがして持っていく。猛烈な風圧が周囲の一切を巻きあげ、叩きつけられる石くれに目も開けられず、それでも浮遊要塞がひた走る先へと一様に首をめぐらせる兵士たち。

 彼らは見た。黒い魔神城に黒い浮遊要塞が衝突する瞬間を。

 一瞬、虹色のまくが魔神城の周囲に展開され、突進してくる浮遊要塞との間で爆発的な閃光がはしったものの、すぐに虹の被膜はダイヤモンドダストのように千々ちぢに砕け、魔神城の鬼の首のような天守閣に浮遊要塞の外殻がめりこんでいく。

 巨大な質量同士の激突の衝撃波が腐敗湖の瘴気を一挙に押しながし、黒い濁流となって精霊塔を守る龍爪の騎士団を、そして魔導士たちを襲った。

 叫ぶ間もなかった。

 新兵は巨大な壁に激突したような衝撃を受け、闇に呑まれた。意識が途切れる寸前、禍々しい瘴気の霧が吹きとばされてさわやかな陽光が降りそそぐ腐敗湖の中央、半壊した魔神城の上に鎮座する浮遊要塞のシルエットを見たような気がした。





 俺は医者だ。目の前には患者がいる。


「今日はどうしましたか」


 とおり一遍の質問に、陽光を溶かしたような金髪の美女はすこし視線を落とし、恥ずかしげにささやいた。


「センセイ、じつは、む、胸が苦しくて……」

「それはいけませんね、診てみましょう」


 定番のセリフもそこそこに、俺の指先は患者のパツンパツンに張ちきれんばかりの白いブラウスのボタンをはずしにかかった。


「あ、それは私が」


 翡翠色の澄んだ瞳が俺にむけられる。

 パチッ! パチッ! と第1ボタンと第2ボタンがはじけとび、上部にレースがあしらわれた上品なブラジャーがブラウスから飛びだした。白い胸の谷間がこんな小さなボタンごときでおさえられるはずがないのだと主張するように揺れている。


「これはまずいですね。非常に良くない」

「センセイ、私は病気でしょうか」

「いいえ。けれど、緊急の措置が必要です」


 俺は冷静さを必死によそおいながら、患者のブラウスの残ったボタンを一気にはずす。それは練達の俺だけに許された、人差し指と親指を絶妙にすりあわせることによって最小限の挙動でボタンを連続してはずすという大技「ボタン崩し」。続けて、指を鳴らすような軽快さでフロントフックを解除するという大技「昇天ブラホック」で、パチン、とHカップの特注ブラが左右に割れた。

 美しい面差しを朱に染めて、患者が医者の裁定を待っている。冷厳な俺の眼光は、剥きだしとなった爆乳を隠すことを許さない。

 そして、決め台詞を放つ。


「胸部の痛みの原因は、ズバリ、ブラのおおきさが合ってないことです!」

「あう、だって、またすこし成長したみたいで」


 俺が左右を振りかえると、白いミニスカナース服に身をつつんだ小振りな胸の小柄な看護婦と、健康的に日焼けした猫耳看護婦が聴診器とカルテを差しだしてきた。


「そのまま、そのまま。いま、肺の音を聞きますから」


 恥じらって胸を覆い隠そうとする患者の手をそっと押しひろげて、聴診器のイヤーピースを耳に差しこみ、冷たい先端チェストピースをぺとりと柔肌へとあてがう。

 「あ」と声が漏れるのを噛み殺し、患者がうるんだ瞳で俺を見つめた。


「心臓の鼓動が早くなっていますね。ゆっくりとおおきく息を吸って、そう。そして、すこしずつ吐きだす。やはり、触診も必要ですね」


 聴診器から手を離し、実に均整のとれた美しい乳房へと指をさしのばす。あまりのおおきさゆえに左右にすこし開き気味ではあるものの、重力を超越した流線型は突端までせりあがり、あくまでも幼い桜色の突起は控えめに、乳輪のひろがりも狭くもなく広すぎもせず絶妙のバランスを保持している。

 俺はその重みを確かめるように下からすくいあげ、指先が埋まる柔らかさに身を震わせながら、先端を軽くつまみあげた。


「せ、先生。そんなことされたら、私はもう……」


 切なく声を震わせて、患者が俺にしなだれかかってきた。

 ここからがクライマックスだ。


「まずい! いまから緊急オペを開始する! 君たちも準備を」


 隣りの診察台へと患者を運び、左右に控える看護婦ふたりの服も脱がせて全身密着の濃密な施術を――


 ドンドンドン!!


 不意に叩かれる階下の扉。


「来客にゃ、カガト」

「……さすがに中断しないと」


 ナースに宣告されて、俺は断腸のおもいで席を立った。

 恒例の夜の特別慰労会。本日のテーマは、お医者さんごっこ。これだけが楽しみだったのに。

 プタマラーザの裏通りの住宅再建、猫人ケットのための郵便ギルドの創設。人間ノーマたちとの協議会の仕組みづくりと王都への根まわし。山積する課題を毎日毎日、獅子奮迅の活躍で処理しつづけて、疲労困憊のHP・SPを回復させるための夜のユートピア。俺の婚約者たち、セシア、ネネ、ユズハの全面協力のもと、スクルドは年齢の関係でオブザーバー扱いであるものの、毎夜趣向を凝らしたシチュエーションでエロを愉しんでいたのに。

 こんな夜更けに超多忙な勇者の寝所を騒がせるとは、どんな不届き者であろうか。


「――何か問題でも発生したのか?」


 いらだちを腹の底におさめて階下へと降り、話しやすく面倒見のよい勇者の顔で宿舎の扉を開けると、砂漠の冷涼な夜風とともに見知った顔が滑りこんできた。


「カガト、すぐに出立の準備をしてくれ」

「……グノスン師匠?」


 まだ全快復にはほど遠く、胴着からのぞく腕もいくぶん細くなったグノスン師匠はそれでも眼光に力を備えて、恐るべきことを淡々と告げた。


「魔神城が落ちた」

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