6-8 猫人の廃城ミャアマパレス その3

 ライトの魔法で照らしだされた内部は廃墟としての面影を残しつつも、壁は漆喰で補修され、床も新しい石材に張り替えられて、アンティークホテルのような装いに変貌していた。壁には勇者リクの伝承をモチーフとしたタペストリーが飾られ、武人の彫像や壺などの調度類も渋めで、砂の城のイメージと良く調和している。


「でも、人が生活している気配はないのにゃ」


 罠を警戒しながら先頭を行くユズハが振りかえらずにつぶやいた。

 天井や壁に照明器具は備えつけられているものの、いまは闇につつまれている。ライトの魔法の青白い光が照らしだす通路は無機質で、動くものといえば、マミー系やスケルトン系のアンデッドばかり。ときおりスペクターが壁から脱け出てきて目を驚かせるものの、広大な邸宅を維持するために必要な人員、執事やメイドの息遣いを感じさせるものは何ひとつとしてなかった。

 俺は記憶のままに崩れるはずの壁を指さし、ユズハが石の継ぎ目や床との接合部を慎重にさぐる。


「仕掛け扉にゃ」


 上下に離れた2箇所の突起を同時に押しこむと、バネが外れる機械的な音がして、タペストリーに覆われた壁が横にスライドしていく。

 いまだに三角帽子に猫耳をつけたままのネネが下から俺の顔をのぞきこみ、


「……これも勇者に与えられた特別な祝福、にゃ?」

「まあ、そうだな。完全ではないものの、俺の頭の中にはミャアマパレスの構造図がはいっている。通路がありそうな場所も把握済みだ」

「世界を30周したくらいの知識、だったかにゃ。便利なものにゃね」

「……ボク、知識では負けたくない。にゃ」

「俺の知識は戦闘や冒険に偏っているからな。グランイマジニカで暮らしていくための基本的な知識は子どもにも及ばない。だから、いつもネネには助けられているし、これからも頼りにしている」


 ピロピロリン♪と愛憎度が上昇し、「……うん。わからないことがあったら、いつでも聞いてね」とネネがぎゅっと俺の腕に抱きついてきた。

 ユズハがおおきな溜め息をついて、


「イチャイチャしててもいいけど、目的を忘れないようににゃ。連れ去られた猫人ケットを早く見つけださないと。

 ――ネネまで語尾に『にゃ』をつけだしたら、アタシのアイデンティティが崩れるにゃ。ま、カガトが猫耳に興奮する性質たちなら、本家本元のアタシの第一夫人の座は揺るがにゃいからいいけど」


 ユズハ、俺、ネネの3人は隠し通路へと踏みこみ、俺の記憶をもとにいくつもある分岐を迷うことなく進んでいく。他の人間の気配がまったく無い以上、猫人ケットが連れていかれたのは十中八九シャフリヤール・アスモデスの居室とみて間違いないだろう。単純にエロいことが目的であるならば生命の危険は高くないものの、淀んだ空気に混じる血の臭いは否応なく最悪の事態を想起させる。一度連れていかれたら二度と戻ることはないという証言も嫌な予感を裏付けてしまう。

 果たして、俺たちは半時もしないうちに玉座の間の前までたどりついた。過去の周回ではこの大広間で、レッサーマミー4体にジャイアントマミー1体というグループ戦を3連続でこなしたあと、宝物庫でミイラキャットとのボス戦に臨むというのが通常ルートであった。からめ手からの特殊ルートとしては崩落する壁と床を駆使して迂回し、直接宝物庫に侵入するというパターンも用意されていたものの、領主の別邸として修繕された現在のミャアマパレスでは再現するのは難しい。いずれにしても、玉座の間の隣りに王の寝室があり、領主であるシャフリヤール・アスモデスがいるとすれば、そのどちらかである可能性が高い。


「血の臭いが濃くなってきたにゃ」

「……おおきな魔力も感じる。……にゃ」


 目の前には羽ばたく鳥のレリーフが刻まれた赤い扉。

 この先におそらくシャフリヤール・アスモデスがいる。けれど、もしも次代の勇者キリヒトや煉獄の魔人ザザ・フェンリルまでそろっていた場合、即座にククリの部屋まで撤退すると取り決めをしておいた。

 アザミと同じは犯したくない。パーティーを分断された状態で戦って、仮に人質でもとられたら、今度こそ詰むかもしれないのだ。そう何度も都合よくグノスン師匠のような救いの手があらわれるとはかぎらない。


「ネネ、ユズハ、俺が『逃げろ』と言ったら、すべてを捨ててセシアたちの部屋まで走るんだぞ」

「……わかってる」

「逃げ足だけは自信があるにゃ」


 待ち伏せを警戒して、しばらく扉の前でじっと息を殺していたものの、静まりかえったままの邸内には外の風の音がかすかに届く程度。

 ネネとユズハに目で合図をおくり、覚悟を決めて、一息に扉を蹴り開けた。


「――なッ」


 部屋の淀んだ空気が廊下にあふれだし、俺はおもわず鼻を覆った。

 濃密な血の臭い。それと鼻の奥をツンと刺すような死臭。青白いライトの魔法が照らしだす異様な光景に思考が麻痺して、ネネとユズハに対する指示がフリーズする。

 部屋を充たす虫の羽ばたきのような耳障りな音がようやく言語であることに気づき、すると、音が不快な意味となって耳に忍びこんできた。


「瞳の色は鳶色か。彼女はアイスブルーだった。これは使えない。けれど、上唇の形はいい。厚みも色も彼女と同じ。下唇はぶあつくて下品だから、これは切除しないといけないな」


 広々とした室内を覆いつくすほどの大小さまざまな円筒形の水槽。そのひとつひとつに人体の一部が漂い、腕、脚、胴体、頭、それらをさらに細分化した筋肉、血管、骨、腱、脳、眼球、およそあらゆるものが浮かんでいた。

 俺たちに背をむけた白衣の男がひとり、病院の手術台のように素っ気ない白大理石の上に寝かされた猫人の裸の肌をなでている。


「腕の長さはこんなものだったろうか。けれど、もうすこし細く、筋肉量は多め。指は全然違う。手首から先は切り落とそう。首すじ、鎖骨、乳房。使えるのは乳房だけか。けれど、乳輪はあきらかにおおきすぎる。これも使えない。胴体は他のを繋げるしかないな。下半身もまるで駄目だ。締まりがない。皮を剝ぎ、脂肪を削ぎおとすのは時間がかかるが、代替品がなければしかたがない」


 骨ばった黒褐色の指先が娘の裸体を無造作になぞっていく。腕も首も乳房も腹も、脚の付け根の奥深くまで。弾力をたしかめるように強く押しこみ、寸法を測り、抑揚のない耳障りな言葉を紡いでいく。

 猫人の娘は痛みにわずかに顔をしかめるものの、ディープスリープで眠らされているのだろう。起きる気配はない。


「ブラッドスライムの準備はできているな。よし、では、この素体はまず首の切断から始めるとしよう」


 皮が貼りついただけの骨ばった手にナイフが光る。


「必殺! カガトスラッシュ!」


 振りぬいた聖剣エロスカリバーの白い刀身が部屋の淀んだ空気を喰らい、渦を巻く烈風となって男の頭蓋を切り裂いた。パンッと乾いた音をたてて、肉片と黒髪が飛び散る。

 男は鼻から下半分だけになった頭をまわして、


「侵入者か。スペクターたちは何をしていたのだ。監視が行き届いていないとは」


 眼球があった部分に紅い光がともり、周囲から赤黒い霧があつまってきて干からびた頭部を再構成した。


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『 リッチ 』 

失われた死霊魔法ネクロマンシーの秘術により不死者へと転生した魔導士。

生前の知識そのものが魔物化した存在であり、魔力で構成された霊体を消しさったとしても数年で復活する。完全に滅ぼすためには魔力の供給を遮断した状態で封印し、さらに100年の歳月を要する。

【等 級】 B級(魔将級)

【タイプ】 ゴースト

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 めまいを覚えるような説明文だ。

 多くのRPGにおいて「リッチ」とはアンデッドの最上位に君臨する魔物であり、生前の人格と知識を残したまま不死となった存在。正統派RPGの設定を踏襲しているグランイマジニカにおいても同様というわけか。いままでの周回で出会ったことはないものの、このアンデッドの巣窟での登場に違和感はない。


「シャフリヤール・アスモデスだな」


 わざと断定的に呼びかけたが、このリッチがプタマラーザの領主であるという確信まではない。あるいは、このミャアマパレスに封じられていたリッチが復活し、シャフリヤール・アスモデスは早々に殺されたという筋書きも成りたつだろう。けれど、レッドスコーピオン騎士団が人身御供をさしだしていたことを考慮すると、元の領主がリッチに転生したと想像するほうがつじつまが合いやすい。


「爵位をもつ私を呼び捨てとは。不敬極まりないな」


 頭蓋骨に皮が貼りついただけというミイラ顔からは感情も読みとれない。けれど、声にはあからさまな不快が混じっており、魔物と化したシャフリヤールが黒褐色に変色した朽木のような腕を振りあげて、パチンと指を鳴らすと、大小の水槽の陰からマリオネットのような不自然な挙動で猫人の女たちが立ちあがった。目はあらぬ方を向き、唇は半開きのまま。まともな様子ではない。


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『 アドバンスゾンビ 』 

新鮮な死体の体液をブラッドスライムに置き換えることにより腐敗を防ぎ、筋力と柔軟性を維持することに成功したゾンビ。生前と変わらない身体能力をもち、痛覚と恐怖心がないため、肉体の限界を超えた力を発揮することができる。

【等 級】 E級(下級魔)

【タイプ】 ゾンビ

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 ステータス画面の表示に俺の顔が嫌悪に歪む。

 新鮮な死体が材料ということは、ゾンビにするために猫人ケットを集めて殺していたということか。これがシャフリヤール・アスモデスのもともとの性情なのか、魔物と化した影響によるものか。どちらにしても、グランイマジニカの明日の平和のため、こいつは今ここで滅ばさなくてはならない。

 

「耐久性のテストにはちょうどよい。彼女に似せようとするほどに違いが鮮明となっていく失敗作に、私の忍耐も底をつきかけていたところだからな。ああ、あとどれほどの死体を切り刻めば、彼女にたどりつけるのだろうか」


 身勝手な独白を垂れながし、リッチが黒い指を俺たちに向けると、女たちがギクシャクと器械的な動作で歩きはじめた。

 にじり寄る美しい女たち。一部の欠損もなく、腐敗のけがれもなく、ただただ夢遊病者のように力が抜けた行進を続ける姿は、死人のおどろおどろしさの欠片もなく、若い娘たちの悪ふざけのように見えた。

 一番近くのゾンビは目が大きく、眉がすこし下がった愛くるしい少女だった。身体を左右にやじろべえのように大きくかしがせて歩くので、すこし垂れた乳房もそれに合わせて左右にゆっさゆっさとダイナミックに揺れる。肉体だけなら十分にエロい。だが、どこを見ているのかわからない焦点の定まらない瞳とよだれが垂れたままの半開きの唇が少女の愛くるしさのことごとくを奪いとっていた。

 その隣りには、スポーツ選手のように引き締まった細身の身体の短髪ボーイッシュな女の子。鍛え抜かれた脚線美に一切の贅肉がないお尻。加えて、小振りな胸にツンと上向いた乳首というコンボは貧乳マニアにはたまらない。部活後のロッカールームで「先輩」と甘くささやかれたら、きっと煩悩が即座にショートして、暴走した青春の1ページを刻んでしまうことだろう。けれど、恥じらいも人間性すらも消えさり、蜘蛛のように両手を床につき足をがに股に這いよる姿は、すべての妄想を白けさせ、欲情よりも憐憫が先にたつ。

 見渡すかぎりどの女ゾンビも、ブラッドスライムの体液のおかげなのか死体にしては肌艶がよく、じっとしていれば俺のエロの琴線に触れる美女や美少女ぞろいであった。しかし、表情や動作はやはりゾンビそのもので、イライラするほど緩慢で、関節の角度が不自然であったりと、機械や昆虫に近い印象を受けてしまう。


「我、魔の探究者たるネネ・ガンダウルフは、破壊と再生を司る炎の精霊に問う。

 我が右手の先に汝の力の結集けつじゅうたる火壁はあるか。

 我にあだなす者の行く手をはばめ! ファイアウォール!」


 ネネが展開した炎の壁が俺たちを半円におおい、ゾンビたちの行進をさえぎった。火魔法スキル上昇の効果なのか、いままでの火壁よりもあきらかに高く、紅蓮の業火が勢いよく天井まで噴きあげている。

 猫耳魔女は俺を見あげて、光の文字を宙に浮かべる。


『ゾンビには生前の魂や記憶は残っていないから。腐肉を依代よりしろとし、その場所にしみついた怒りや悲しみ、生への執着、死の苦しみといった記憶の切れ端が魔力と結びついて動いているだけ。見た目は綺麗でも、死者をこれ以上冒涜させないためには壊すしかない』


 俺がうなずくと、ネネは火壁を越えようとする美少女ゾンビにファイアーボールを撃ちこんだ。ゾンビは松明たいまつのように燃えあがり、黒く朽ち果てる。


「ユズハ、回りこんで寝台の猫人ケットを部屋の外へ」

「わかってるにゃ」


 隠れ頭巾と幻惑の服に身をつつんだユズハが闇に溶ける。


「我、死の洞察者たるシャフリヤール・アスモデスは、流転と調和を司る水の精霊に問う。

 我がかいなのひろがる先に、汝のたる永久とこしえの氷霧はあるか。

 忌まわしき破壊と焦燥の炎に永遠の眠りをもたらせ! コールドミスト!」


 紙をこすりあわせるような耳障りな声が響き、炎の壁の反対側から冷たい風が吹きつけてきた。火の粉が散らされて、火勢もみるみるうちに弱まっていく。


「アンデッドに対抗するためには火魔法と聖魔法が有効。もちろん、そんなことは私でも理解している。だが、残念だったな。このコールドミストにおおわれているかぎり火属性の効力は半減する」


 ひらけた視界の先に白衣の両腕をひろげたシャフリヤールの姿。干からびた指先から噴きだした銀の結晶きらめく白い霧がまたたくまに室内を冷凍庫のような冷気でおおっていく。

 水属性の中級魔法「コールドミスト」。火属性を弱体化させるフィールド魔法だ。効果時間は10分ほどだが、あれほど燃えさかっていたファイアウォールも白い煙を残して完全に鎮火し、ネネがシャフリヤールにむけて放った火球も充満する冷気に触れた途端に縮みあがり、空中で霧散してしまった。


「招かれざる者が神聖なる工房に足を踏みいれた罪は重い。生きたまま解体し、我が研究材料としてくれよう!」


 シャフリヤールがひびわれた声で叫ぶと、天井を突き抜けてスペクターたちが降りそそいだ。

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