5-29 水の大精霊 青龍

 水の大精霊、青龍が棲まうのは竜宮城の地下から延びる「水晶迷宮」の先、「青龍のやしろ」である。水晶迷宮は海底洞窟の中につくられた石英の立体回廊で、透明な壁で仕切られた四角い部屋がルービックキューブのように前後左右上下に連なり、複雑な海流の力で一部屋進むごとに構造が変化する。このため、迷宮を踏破するためには正しい順路で移動しなければならず、しかも、水晶迷宮の内部は海水で満たされているため人魚族以外は潜水ヘルメットを着用しなければ先に進むこともできない。潜水ヘルメットは大きな金魚鉢を逆さにしたようなデザインで丸い透明な球体に空気を溜めておくことによって水中でも1時間程度は活動可能となるものの、いかんせん途中で空気を補充する仕組みがないため、それ以上は命にかかわる。

 グノスン師匠が同行した場合のサブシナリオ「乙姫の涙」では、青龍との面会後、この水晶迷宮を戻ろうとする段になって案内役の人魚が消えてしまうというハプニングが起きる。事件の真相は敬愛する先代乙姫ブリュンヒルデを奪われたレギンレイヴによる意趣返しなのだが、潜水ヘルメットの制限時間内に竜宮城までたどりつけなければ溺れてゲームオーバー。光の守護の力によってリンカーン王宮まで戻されるものの、もはや竜宮城に還る手段はなくなり、「乙姫の涙」の成功報酬である「水の羽衣」の入手も不可能となる難易度高めのイベントである。

 ちなみに、グノスン師匠が妻ブリュンヒルデから授けられたという人魚族の合言葉「上・上・下・下・左・右・左・右・ビー・エー」のヒントを解けば、時間内に脱出できる仕様となっている。俺のように青春時代をゲームに捧げた手合いには懐かしい隠しコマンドだが、ひとつひねられているのは、これは水晶迷宮を竜宮城側から進むための道順であって、戻るときには逆にしなければならないということ。最後の「ビー・エー」がポイントで、青龍の社の入り口にはAボタンとBボタンを模した石板がはめこまれており、開錠には「B・A」の順で、施錠には「A・B」の順にボタンを押しこむ。これで逆に読め、というのは多少強引な気もするが、元がゲーム要素にまみれた世界なので、無茶ぶりもご愛敬といったところだろうか。


「カガトどの、昨晩はお風呂でのぼせて医務室に運ばれたそうですね。結局、朝になってからケロリと戻ってきて。私、心配で、ずっと部屋で待っていたんですよ」


 潜水ヘルメットをコツンと合わせて、セシアが詰問口調で探りを入れてくる。目が血走っているのは寝不足のせいだろうか。

 後ろめたさにドギマギしながらも俺は左右をそっと見まわして、


「……じつは風呂あがりに乙姫とバッタリ出くわしてな、リンカーン王国との講和条件について交渉してみたんだが、これがこじれて決闘になった」


 動揺したセシアが、コツン、とヘルメットをまたぶつけた。

 口をパクパクさせてから、


「あの、その、無事だったということですよね。カガトどのは怪我もしていないようですし」

「ボコボコにされたよ。ヒールで回復したけどな。乙姫は拳王けんおうの二つ名をもつほどの高レベルの拳闘士だ。最後は運も味方して逆転勝利することができたが、本当に紙一重だった。結果的には、拳をかわして肌と肌をぶつけあうことでお互いの理解が深まったというか、乙姫とも打ち解けることができて、リンカーン王国との和睦にも前向きになってくれたし、こうして青龍のやしろへの道も開けたから、めでたしめでたしというわけなんだが」

「さすがはカガトどのです! 外交使節としての任務も果たし、勇者の名声もますます高くなりますね」


 興奮した様子で歓声をあげ、セシアの潜水ヘルメットが白く曇った。

 いつか聞いた話では上手な嘘のコツとは、真実を都合よく切り貼りして伝えることだそうだ。いまの話も要素自体は混じりっけなしの真実である。「打ち解ける」の内容を正確に表現するとセシアの逆鱗に触れそうなので黙っているほかないが。


「……さっき乙姫とカガトがこそこそ話してた。あれは何?」


 後ろからピトッとヘルメットをくっつけて、ネネがささやく。ガラス越しのため、いつにも増して小声で聞きとりにくいが、セシアもネネも竜宮城側が用意したセパレートタイプの水着を着用しているため、海パン姿の俺の背中に貼りつくと小さな胸の感触がダイレクトに伝わってくる。前からは再びセシアが接近し、コツンとヘルメットをぶつけながら、俺の腕を豊かな胸の谷間に挟みこんだ。

 俺は前後からの重圧を受けながら視線を斜めに逸らして、水中を気持ちよさそうに泳ぐ海女スタイルのスクルドを見る。


「あー、んー、それな。簡潔に言うと、スクルドの素性がバレた」


 セシアが小首をかしげる。ネネが「スクルドは先代乙姫の娘」と解説を加えると、音は鳴らないが、手を打ち、うなずいた。


「それで何か問題があるのですか?」


 この水晶迷宮の入口で、俺たちパーティーを送りだすときのこと。乙姫レギンレイヴが俺の手を引きよせると、耳もとで、


「選姫公会の承認はとったで。勇者カガトが先代乙姫ブリュンヒルデ・マンタレイの七女スクルド・グレイホースと正式に結婚することを前提に、竜宮島はリンカーン王国と和睦する。こまかな交易条件はおいおい詰めるとして、一番大事なことは、勇者カガトがうちら人魚族全員の共有物っちゅうことや」

 

 レギンレイヴは結局あのあと深夜まで俺の身体を離さなかったのだが、選姫公への根回しは朝のうちに片づけてくれたらしい。

 軍権を掌握する乙姫といえども政治向きのことは人魚族の長老である選姫公の承認を得なければ話が進まない。その点、すでにスクルドの身元調査まで完了させていた竜宮島としては、乙姫が勇者カガトを籠絡できない場合の次善の策として、綿密に準備しておいた手札なのかもしれない。


「だから、カガトは年に1回は竜宮島に来なあかんで。せやないと、乙姫のメンツに泥を塗ったということで、うちが刺客としてたまりに行かなあかんようになるからな」


 涼しい顔で怖いことをいう。

 俺がカクカクとうなずくと、笑って、


「まあ、心配せんでもええ。魔王を倒すまでは待ったるから」

「それはありがたい。ところで、スクルドの母親がブリュンヒルデ・マンタレイということは、たしかレギンレイヴもマンタレイで」


 話題を変えようと俺が指摘すると、彼女は眉根を寄せて、寂しいような懐かしむような複雑な表情を浮かべた。


「ブリュンヒルデ姉さまは、うちの従姉いとこや。で、うちらの祖母ばあさまが6代前の乙姫で、いまは選姫公のひとりになっとる。つまり、スクルド・グレイホースはうちの親戚筋やな。

 掟を破ったブリュンヒルデ姉さまを竜宮島に迎えるんはまだ無理やけど、カガトがようけ優秀な子どもをつくって選姫公のおぼえもめでたくなったら、追放処分を解除できるかもしれん」


 そうなればグノスン師匠も大手をふってブリュンヒルデさんと竜宮島に里帰りできるわけで、スクルドもいっしょに家族旅行ができたら、これ以上ない親孝行になるのではないだろうか。

 明るい未来像に頬がゆるんでいると、


「あと、これだけは言っておかなあかんけど、スクルドの子が生まれたら、生後1年のお宮参りと12歳の成人式には必ず竜宮島に来てもらわなあかんからな。人魚族としてのケジメをつけな、選姫公会も黙ってへんで」


 女尊男卑の竜宮島に我が子を連れてくるのは一抹の不安を感じるものの、いまから何年先になるかもわからないことを憂いていてもしかたない。それにスクルドは一途にセシアを慕う百合なのだ。そもそもが捕らぬ狸の皮算用というもの。


「スクルドはまだ12歳だからな。正式に結婚して俺との間に子供ができるとしても、だいぶ先になるとおもうぞ」


 俺の牽制球は、しかし、レギンレイヴの次のフルスイングによって打ち砕かれた。


「ああ、それなら心配いらへん。しばらく経ったらスクルドの教育係兼カガトの監視役として何人かずつ人魚を派遣するからな。スクルドがカガトの相手を務められるようになるまで、その子らを相手に人魚としての子作りを実地に見せたったらええ。

 成人を迎えた人魚族なら当たり前のことや。それで教育係がはらめば一石二鳥。カガトの種を欲しいっちゅう子はようけいるから交代で行くにせよ人選が難しいけどな」


 この話はセシアにはしないほうがいいだろう。血を見ることになりそうだ。

 俺の不安を見透かしたようにレギンレイヴはいたずらっぽくほほ笑み、

 

「選姫公会には内緒やけどな。最初の教育係はお忍びでうちが行くことにしようかとおもってんねん。スクルドより先にカガトの子どもを宿したら、その子が次代の乙姫の最有力候補やしな」


 上気したまなざしでこっそりと指先を絡めてくるレギンレイヴの手を、俺は握りかえす他なかった。

 ――と、回想が終わり、セシアとネネには、


「人魚族の長老会は、俺とスクルドが結婚して、勇者と人魚族が姻戚関係になることを望んでいるらしい。だから、リンカーン王国とも和睦する、と」

 

 不都合な部分は省略して伝えた。二人ともまだ納得はしていない様子だったが、水晶迷宮の最後の立方体をくぐりぬけ、青龍のやしろの入口が見えてきたため、その話題もうやむやとなった。


「――あらあら。勇者なんて、何十年ぶりかしら」


 幾何学文様に貼りあわされた青いタイルで飾られたドーム型の聖堂。海水に満たされたその中心部に、青龍はいた。

 長さだけなら8両編成の電車をも凌ぐだろう。その長い長い胴体をくねらせ、短い前脚で水をかきわけながら鹿に似た気品のある顔を近づけてくる。天井から降りそそぐ細い陽光に、青龍の蒼い鱗が神秘的な虹彩を放っていた。

 俺がいつものとおりホーリィから授かった勇者の紋章、右手に宿した七芒星しちぼうせいを掲げると、青龍はぐるんと身をよじらせて、


「確認したわ。7つの光を束ねし勇者リクの紋章。

 新たな勇者、名前を教えてくださらないかしら」


 いつもの口上。青龍の言葉は水の中にあってもなお透きとおって響き、女性特有の柔らかさにつつまれて頭にしみいってくる。


「カガト・シアキです」

「勇者カガト・シアキ。あらあら、良い響き。会えて嬉しいわ」


 喜びを表現するために青龍がドーム内を8の字を描いて舞うと、巨体に圧された水が波となって押し寄せて、身体が聖堂の外まで流されそうになる。とっさにスクルドがアクアフォームで人魚族としての尾びれをあらわして、セシア、ネネ、ユズハを抱えて踏みとどまった。

 俺だけが入り口の上の壁に無様に押しつけられていたが、青龍はまったく気に留める様子もなく話をつづける。


「魔王があらわれたことは知っています。龍脈は海へと通じ、大地へと還流していきますからね。魔王が龍脈を奪えば、魔力の循環は途絶え、この海も死に絶えることでしょう。ここに勇者があらわれたとなれば目的はただひとつ。四神封印ですね?

 私たち大精霊はこのグランイマジニカを守護することが使命。リクとの約束で私はこの地を離れることはできませんが、せめてもの贈り物として、この世界のいしずえたる勇者に流転と調和をかたどる『水』の力を分け与えましょう。この力があなたの旅の一助とならんことを」


 毎回おなじみの口上を語り終えると、青龍の右手から小さな青い宝玉がこぼれ落ちた。水のうねりにたゆたうように、その青い輝きは真っ直ぐに、壁に貼りつく俺の手もとまで流れてくる。


「膨大な魔力の奔流を鎮めるためには、土・水・火・風の精霊石を正しく方形ほうけいの頂点に配置することが必要です。

 『土の精霊石』は北の山の『玄武げんぶ』が、『火の精霊石』は南の砂漠の『朱雀すざく』が、『風の精霊石』は西の森の『白虎びゃっこ』が与えてくれるでしょう。もしまだあなたが精霊石を手に入れていないなら、訪ねてみるとよいでしょう」


 土の玄武のときと同じ案内ヒントを聞きながら、手に収まった宝玉を確認する。


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『 水の精霊石 』

水の大精霊「青龍」の力を宿した宝玉。

四大元素のうち、流転と調和をつかさどる「水」の属性をもち、あらゆる水属性の魔力を吸収する。土・火・風の精霊石とともに腐敗湖の「精霊塔」におさめることにより「四神封印」を発動する。

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 よし、大丈夫だ。これで目的は果たしたわけだが、俺は玄武に問いかけたことを思い出し、青龍にも尋ねてみることにした。

 玄武からは「魔王はグランイマジニカのすべての魔力を欲し、魔力が枯渇すれば、世界は崩れさるが道理」という返答を得た。魔王がグランイマジニカの魔力を吸いつくすことが世界崩壊の真因であるならば、カオスドラゴンを聖魔結晶に封印すれば崩壊を防げるはず。そして、いまの俺の手もとにはリク少年から授けられた「勇気の結晶」がある。


「青龍よ、教えてほしい。この『勇気の結晶』で魔王を封じることは可能だろうか」


 水の精霊石をアイテムボックスに収納すると、替わりに、虹色のきらめきを内部に宿す深紅の聖魔結晶を青龍に差しだした。


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『 勇気の結晶 』

伝説の勇者の力が宿った聖魔結晶。

あらゆる魔物を封印する力を持つ。

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「ああ、懐かしきリクの魂の波動を感じます。

 そうですか。あなたは真の勇者リクの魂を受け継ぐ者なのですね」


 勇気の結晶の淡い虹の輝きに目を細めた青龍は、長い体躯で俺を包みこむようにドーム内を周遊し、言葉をひとつひとつ選びながら答えを紡いでいく。

 

「そもそも魔とは純然たる力そのものです。魔王とは膨大な力に魅入られてしまった哀れな者であり、根源たる力の暴走に抗しきれなければ、誰もが魔に堕ちる可能性を秘めているといえます。

 その『勇気の結晶』は、力にあらがう勇気をあなたに与えるもの。神器といえども、それ単体で魔王を封じるものではありませんが、器を失った力の暴走を鎮めようとするとき、あなたの心を支えるしるべとなることでしょう」


 青龍はそれ以上は語らず、


「知識はときとして枷ともなります。常に思考を耕し、四方に目を配り、小さな声にも耳を澄ませば、あなたの身の内に宿るリクと共鳴する魂が、その時々の最適な解を見いだすことでしょう。さあ、もうお行きなさい。限られた時間のなかで、あなたが為さなければならないことはあまりに多いのですから」


 青龍の起こす波に追い立てられるようにして俺たちはやしろを後にし、案内役の人魚に導かれて水晶迷宮を竜宮城へと戻っていった。

 リンカーン王国との正式な文書のやりとりでさらに3泊し、朝焼けの残る海を見つめながら港町アザミへの帰路につこうとする俺の手に、レギンレイヴが漆塗りの重箱を乗せた。顔を寄せて小声でささやく。


「約束の玉出箱たまでばこや。昨日の夜に試したときは神酒ソーマがちびっとしか湧きでえへんかったけど、人数を集めたらきっと不能インポテンツを回復させるほどの量が湧くはずや。そしたら、次は最後まで、な。約束やで」

 

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