5ー18 深きもの その4

 グノスン師匠は山伏のような白い鈴懸すずかけを羽織り、同じく白いはかまを脚絆できつく留めていた。聖魔法「アクセル」ですばやさをあげて相当な距離を走りとおしてきたのだろう。革袋にはいった水を勢いよく頭から振りかけると、全身から湯気が陽炎かげろうのように立ちのぼった。


「お父ちゃん!」


 叫んだスクルドを深きものたちが押さえつける。上から圧しかかるように頭と両手を砂地に擦りつけられたスクルドは三つ編みのおさげがほどけ、胸のあたりから裏返しになった純白の聖者のローブに水色の髪が小波さざなみのように揺れていた。白い背中から尾てい骨のわずかなふくらみにかけて鉤爪が幾重にも肌に食いこみ、後方から別の深きものが臀部でんぶに鱗の手をあてがい、斧の柄を不器用にねじこもうと押しつける。


「ィ、痛い!」


 グノスン師匠のまなじりが吊りあがり、腹の底から獣のような咆哮をはなった。


「わしの娘になにしやぁがる!!」


 アクセルで加速したままの状態。わずかに上半身を折り曲げたとおもったら、次の瞬間、人の背丈を超えて跳躍していた。もはや人間の動きではない。砂塵を舞いあげて深きものたちの陣の中央に着地すると、隆起した筋肉が目まぐるしく回転し、立ちふさがる重騎士を3体同時に叩きつぶした。文字どおり鎧ごと白砂の地面に叩きつけ、そのまま圧しつぶしたのだ。腕が6本あると錯視するほどの高速で同時に3体。

 自らの血がしたたる両手を固く握りしめ、怒れるグノスン師匠は回復魔法ヒールを高速詠唱する。四方八方から襲いかかる深きものたちを、掌底であごを突きあげ、正拳で鎧ごと胸骨を陥没させ、貫手で眼球を破壊し、自分のダメージを無視して高速拳を打ちつづけた。

 グランイマジニカにおける格闘スキルはすばやさがすなわち打撃力となる。アクセルによって速度が倍加したグノスン師匠はまさに鬼神のごとき強さだった。押し寄せる深きものたちを蹴散らし、スクルドを押さえつけている深きものたちの顔面を殴りつけ、手近の1体を背負い投げで周囲の敵ごとまとめてなぎはらう。


「無事か、スクルド」

「うん。お尻がちょっと切れたかもしれんけど、こんなんヒールを使うほどでもないし。それより、お父ちゃんこそ血だらけやん」

「全部、返り血だ」


 魔物の血は青い。けれど、ニカッと笑う師匠の白装束は赤く染まっていた。

 手を伸ばして我が子を助け起こそうとしたところに、頭上から鞭のようにしなる青い舌が襲いかかってきた。不意打ちのはずだが、グノスン師匠は至極冷静にボクシングのスウェーのように上体をわずかに後方に反らせることで空振りにさせる。そして激しく地面をたたいた舌を鋭い手刀で両断しようとしたとき、


「いけません! ナイラの血には毒があります!」


 セシアの警告に手が止まる。その一瞬の隙をついて青い舌が蛇のように曲がりくねり、恐るべき速度でスクルドの細い胴に巻きつくと、伸びきったゴムが収縮するようにナイラの口もとまで瞬時に巻きとられてしまった。脂肪のひだが折りかさなったわきにスクルドを抱えこむと、ナイラがけたたましく笑う。


「ブギョギョギョ! 賢明な判断だな。そのまま切っておれば、我が猛毒をたっぷりと浴びせられたものを」

「おまえ、本物のナイラ・ベルゼブルか?」

「当たり前だ! この高貴な顔を見分けられないとは貴様の目は節穴だな。まあ、私のまわりをこそこそと嗅ぎまわっていた聖典教のいぬならば、鼻は利いても目はめしいも同然だろうがな」

「ああ、おまえからは裏切りの臭いがぷんぷんしていたよ。さしものわしにも、まさか魔物になるとは予想がつかなかったがな」

「つくづく無礼な男だ。私ははなから裏切ってなどおらぬ。竜人ドラグーン人間ノーマを支配するいびつな政体を正しい形にもどすだけだ。この魔物の力を取りこむ『スキルの種』をつかえば、人間ノーマは再び偉大な種族となることができる!」

「己が魔物になったことすら自覚できぬとは」


 予備動作なくグノスン師匠の脚絆が白砂を蹴立て、ナイラの巨漢めがけて突貫した。立ちふさがる深きものを掌底で左右にはじきとばし、見あげるほどの体格差があるナイラのふところ、ぶあつい五重腹の前に飛びこむ。流れるような所作でへそが埋もれた脂肪に両手を押しあて、


発勁はっけい弧龍こりゅう伏臥ふくが


 グノスン師匠の掌を中心として、ナイラの段々腹に波紋が生じた。静かな湖面に水滴が落ちるがごとく、肉の隆起が円を描いて四方にひろがる。


「ぶぎょ!!」


 のど奥からツンと鼻につく胃酸を吐き散らし、ナイラが太った体躯をくの字に折り曲げた。グノスン師匠は続きざまに、下がってきたカエル顔に右フックをねじこむ。


「スクルド! 無事か!?」


 呼びかけに反応して足をバタつかせるものの、ナイラの腋のぶあつい脂肪に口もとまで呑みこまれ、声をあげることすらできないでいる。


「この程度の打撃、我が超回復の前では無力。いくら打ちこもうとも、この娘を救いだすことはできぬぞ」


 上体を起こしたナイラが長い舌を振りあげ、再びグノスン師匠へと叩きつける。危なげなくステップでかわし、睨みあう二人。

 倒れていた深きものたちが続々と立ちあがり、グノスン師匠のまわりを取り囲む。


「――そちらばかり気にしていて、いいのですか? いまが最後のチャンスだったかもしれませんよ」


 ナイラとグノスン師匠が対峙する戦場の逆サイド、右の船着き場前では燃えあがる炎のごとく逆立つ赤髪を揺らして、魔人ザザ・フェンリルがニヤニヤ笑いを浮かべていた。


「あなたには失望しました。小細工しかできないのであれば、そこでおとなしく、無能な魔導士が魔物に凌辱される様でも眺めていてください。もうじき劇の第二幕があがるでしょうから、幕間の余興としてね」


 先ほどからひろった小石を投げつけ、ネネの左右の深きものたちの頭に何発か命中させていたのだが、わずかにのけぞった程度で手を離しもしない。

 たしかにグノスン師匠が暴れまわった数分の時間が、俺がネネのもとに駆けこむベストタイミングだったのかもしれない。けれど、多勢に無勢をひっくり返す確実な手段がなかったのもまた事実。

 俺は冷徹なる思考の結果、自分の称号を「性愛の神エロース」へと切り替え、性的興奮によるレベルアップに逆転の希望を託したのだ。周囲の視線がグノスン師匠に集中している間、俺はひたすらネネの姿態を凝視し、妄想の翼をひろげていた。

 王立魔導院の黒ローブはすでに灰となり、ネネが身にまとうのはシースルーのネグリジェのような水の羽衣のみ。しかも下着を脱がされ、生尻のまま雌豹のポーズをとらされている。こちらから肝心の部分までは見えないものの、十二分にエロい。深きものたちの荒々しい手がネネの柔らかなししむらを持ちあげ、臀部を舐めるように引き延ばすと、恥辱に赤く染まったネネの唇がわずかにひらかれ、苦悶とも快楽ともつかぬ喘ぎ声が漏れでてくる。

 悪漢にもてあそばれる婚約者という図式に背徳的な性的興奮を得て、俺のレベルは25を突破した。だが、まだだ。深きものたちが尻を撫でまわす以上のことに踏みこめば即座に駆けだそうと身構えてはいたものの、怒りばかりに身を任せれていればエロは遠のき、レベル上昇は限定される。冷静と情熱のはざまに精神をたゆたわせ、いまはただ、この危機的状況を打破したあと、いかにネネの体と心を慰め愛撫するか、その一点にのみ意識を集中させていく。

 深きものたちに触れられたネネの身体の隅々まで、くるぶしの美しい足首、静脈がほの見える細い太もも、薄い臀部の谷間にひそむ洞穴まで。俺が全身全霊をこめて指と舌先で清めなければならない。忌まわしい記憶を洗い流すまで、何度も何度も丁寧に肌を愛撫し、小振りな乳房はほんのりと隆起した先端まで舐めとり、唇は口腔内をすべて浄化するべく唾液を混ぜて舌を奥深くまで這わせ、ネネの肉体を俺の愛で埋めつくすのだ。

 妄想のなかで幾度もシュミレーションを繰りかえした結果、俺の股間は鋼よりも硬く、剣よりも鋭くなった。高く持ちあげられたネネの白い尻をカッと見ひらいた両の眼で凝視し、我が聖剣を捧げるべき秘奥を心眼で見通す。

 ――何人なんぴとたりともそこから先へは踏みこませない!! ネネは俺の嫁だ!!

 猛々しく、いきりたった股間を中心として俺の全身から金色の粒子が噴きあがる。レベルは30を突破。頃合いだ。


「ユズハ! いまだ!」


 ドゴッ!! とザザの背後が真っ赤に染まり、砂塵をまとった爆風が深きものたちをなぎたおした。ネネは伏せたままで、しかも深きものたちが風除けとなって、たいしたダメージは受けていない。


「にゅふふふ! 絶好の場所で爆発したにゃ! アタシはやっぱり天才にゃ!」


 埠頭に係留された船の近くで、ユズハがガッツポーズを決めている。

 じつは先ほど俺が深きものたちに石つぶてを投げているときにコントロールミスをよそおってバクハツ岩の聖魔結晶をひそかにユズハに投げ渡していたのだ。

 あらかじめ作戦を練っておいたわけではないが、ユズハはアイコンタクトだけで俺の意図を正確に察して動いてくれた。隠密スキルを高める「隠れ頭巾」「幻惑の靴」「忍び足袋」の3点セットで目立つことなくザザの後方にまわりこみ、バクハツ岩の聖魔結晶を叩きつけたのだ。


「これが策ですか? まだ終わりじゃないですよね? もっと私を愉しませてくれるのですよね?」


 爆発と同時に弦から解き放たれた矢のように飛びだしていた俺を、ザザが心底うれしそうな笑顔で迎える。

 レベル30は魔物に当てはめるとB級(魔将級)となる。まだA級(魔王級)の煉獄の魔人ザザ・フェンリルには及ばないが、俺にはS級の武具と防具がある。まともに打ちあっても互角。31周に及ぶ実戦経験の分だけ俺の剣には勢いがある。


「この動きはガッダの山道で見ました。他にはないのですか?」


 両腕を鋼鉄の黒に染めあげて、龍王の剣の上段斬りをはじくザザ。身体を回転させながら沈みこみ、間髪を入れず、すねを狙った超低空の回し蹴りを放ってくる。

 初見の攻撃方法。やはり、こいつばかりは何度戦ってもやりにくい。

 蹴りを聖鞘エクスカリバーで受け止め、至近距離で撃ちだされる火炎の散弾を被弾を恐れることなく前に突っこみ、心眼の兜で頭突きを喰らわせる。


「ふはっ! いいですね!」


 ザザが数歩よろめいた隙に、ツタで地面に縫いとめられたネネを抱きかかえて、後ろに跳んだ。


「わざわざ荷物を増やしたのですか? 殺しはしませんが、手足を炭化させることくらい、ためらいませんよ?

 我、真理の劫火ごうかに身を焼くザザ・フェンリルは破壊と再生を司る炎の精霊に問う。

 我が背に汝の魂魄こんぱくの宿りし霊火はあるか。

 九世を滅ぼせし九怨の炎にて仇敵を撃ち祓え! ナインテール!」


 切通でも見せたザザ・フェンリルオリジナルの獄炎魔法「ナインテール」。青白い火球が九つ、円状にザザの背後に浮かび、ボウッと重低音を響かせて次々と俺の手足を狙って襲いかかる。

 俺はネネを両腕に抱きかかえたまま、ちいさな身体ごと水の羽衣を盾として、青白い鬼火のような連弾をことごとく吸収した。バシュッ! バシュッ! と剛速球がグローブに突きささるような音をたてて白い蒸気が噴きあがる。


「なるほど。盾としての使い道がある、と。面白い切り口ですね。これで火属性魔法は意味をなさないというわけですか。

 ――あ、キリヒトはこっちに来ないでください! 戦闘では役に立たないのですから、逆に人質にされても厄介です」


 路地から深きものたちに囲まれてそろりそろりと前進していたキリヒトがザザを睨みつけ、「先生は遊びすぎなんだよ!」と抗議する。


「……カガト、ごめん。ボク、盾代わりにしかならなくて」


 俺の腕のなかで泣き言を漏らすネネのお尻を問答無用でつかむ。そこから水の羽衣の裾から手を差しいれて、生尻にダイレクトアタックを仕掛ける。


「だ、ダメだよ。そ、そんな場合じゃないから。あ、指をいれたら、んん!」


 すこし強めに指でこすると、ネネの小さな身体がビクッと痙攣し、手足がぐにゃりと弛緩した。

 ザザとナイラを圧倒するためには更なるレベルアップが必要。となれば、視覚だけでなく、触覚、聴覚、嗅覚、味覚のすべてを動員しなければならない。

 抱きすくめたまま、ネネの涙に濡れた瞳を間近に覗きこみ、はっきりと宣言した。


「俺はネネのすべてが欲しい。身体も、知識も、全部」

「……ボク、きっとまた、みんなの足手まといになって、だから、カガトもきっと、他の誰かを選んだほうがよかった、て後悔するかもしれないから」

「ネネはネネだ。誰の代わりでもない。俺にとっては無二の存在で、かけがえのない家族だ。弱い部分も強い部分も含めて、俺はネネのすべてが欲しい。ネネの過去も現在も未来も、喜びも悲しみも全部いっしょに背負わせてほしい。

 あらためて言おう。結婚してほしい。俺の嫁になってくれ」

「……ボク、本気にするよ? ずっと離れなくなるよ? 面倒たくさんかけるよ?」

「ああ、望むところだ。ネネ、愛している。これからもずっと」


 ピロリロリン♪ と音が鳴って、ネネが泣き笑いの顔になった。

 口づけをかわす。そして、そのまま妄想のとおりに舌をからめ、口腔内をすべて舐めとるように奥深くまで唾液をかきまわし、ひんやりとした感触の水の羽衣を押しわけて手のひらサイズの乳房を揉みしだき、ぷっくりとした突起をいじり、猛り狂った我が聖剣を太ももの間に押しつけて前後に動かす。


「……ら、ラメらよ」


 口づけの合間の抗議は舌をからめているせいで言葉にならず、逆に俺の首に固くすがりつき、密着したまま体温だけが上昇していく。ナインテールの蒸気がすっかり海風に流される頃には、ネネは自分から俺の舌を吸い、乳房に這わせた手のひらに自ら身体を押しつけてきていた。

 「性愛の神エロース」は俺をレベル40の高みへと飛翔させ、いまや黄金の粒子はまぶしいほど全身から放たれている。

 煉獄の魔人ザザ・フェンリルの紅い瞳がおおきく見開かれた。


「この短時間でここまで力をあげるとは! 面白い! じつに面白い! これはどんな原理なのですか? ぜひ解剖させてください!」


 右手を左手にあてがい、ゆっくりと引き離すと、マジックのように左手から青白い剣があらわれた。青白く輝く炎の長剣。右手で炎の柄を握り、切れ味を確かめるように左右に振るう。炎の残光が宙に尾を引き、ザザが下段に据えたまま駆けだした。

 俺も最後のお触りとしてポンとお尻を叩いてネネを横に立たせると、龍王の剣を背中に隠して迎え撃つ。

 お互いに3歩進めば斬り結ぶ距離。

 地面から伸びあがる緑のツタをかわし、周囲の景色が白みがかったようにかすむ中、視界の外から殺到する深きものたちの挙動までがはっきりと知覚できた。集中力が研ぎ澄まされ、まるでここだけ時間の進み方が遅くなったような不可思議な感覚。

 ザザが炎の剣を引きあげると、突如として火勢が増して青白い炎が眼前に迫ってきた。本当なら秒の何十分の1かの刹那。だが、俺ははっきりと炎の先端を目で追い、後ろに引いたままの龍王の剣を居合斬りの要領で大地に切っ先をかけて力をため込み、青白い炎が顔の表皮を焼いた瞬間、跳ねあげた。烈風をまとった龍王の剣が炎を蹴散らし、歓喜に満ちたザザの顔面を斬りあげる。

 石を叩いたような硬い感触。刃は歯と頬の頭蓋骨を削っただけで上に滑り、青い血が球体となって宙に舞う。驚きの表情を浮かべるザザ。炎の剣を消しさり、軽業師のようにバク転しながら後方に飛びのいていく。

 集中が切れて思考の高速化が解けた。急に渇きをおぼえて、全身にびっしょりと汗をかいていることにようやく気がついた。

 側面と後方から迫ってきていた深きもの十数体を、ネネをかばいながら無造作に斬り捨てていく。


「素晴らしい! じつに素晴らしい。やはり、あなたは別格のようだ。その力はどこからあふれてくるのか、興味が尽きませんね」


 唇から頬骨までパックリと割れた傷口から青い血をドクドクと垂れ流し、ザザ・フェンリルがニヤニヤと笑っていた。


「名残惜しいですが、第二幕が間もなくはじまります。私はまだこれから仕事がありますので、このあたりでおいとまさせていただきましょう。

 勇者カガト、次に出会うのはどこでしょうか。愉しみにしていますよ」


 ザザの足もとに「ブラックゲート」の黒い泉がひろがり、長身が沈んでいく。

 このまま逃がすのはしゃくだが、スクルドが心配だ。

 振りむいた俺の目に、全身血だらけで立ちすくむグノスン師匠の後ろ姿が映った。

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