5-17 深きもの その3

 状況は最悪だ。敵は三方に分散し、左手に魔物と化したナイラ・ベルゼブル、右奥の船着き場には煉獄の魔人ザザ・フェンリル、そして後方の路地からは次代の勇者キリヒト率いる深きものが続々と湧きだしてきている。

 スクルドは蝦蟇がまがえるのような姿に変貌したナイラに逆さ吊りにされ、救出にむかったセシアが魔剣の二刀流で果敢に攻めかかるものの、重騎士の鎧に身をつつんだ深きものたちの厚い防御陣を突破できないでいる。

 ネネもまた、ザザの転移魔法によって連れ去られ、深きものたちの手にによって凌辱の瀬戸際に立たされている。人魚たちを無事に海へと逃がしたユズハが駆けもどり、巧みなフェイントで距離を詰めていくものの、ザザが放つショットガンのような炎の連弾に阻まれ、つらぬき丸の射程まで迫ることができない。


「さあ、選択のときです。勇者カガトが参戦すればどちらか一方は救いだすことができるかもしれません。けれど、見捨てられたほうは無事では済まない。生け贄の下ごしらえとして、魔物たちに裸に剥かれたあげく、腹のなかに何度も海水を注ぎこまれて無理やりはらわたを洗浄されるのです。

 儀式までは生かしておくと約束しますよ。光の守護が発動して聖王のもとに強制送還されてしまったら、せっかくキリヒトが第三勢力を旗揚げしようというこの大舞台の観客が減ってしまいますから。でも、だからといって自死はしないでくださいね。勇者が敵前逃亡したら、代償はアザミの住民が払うことになりますよ」


 ザザは丸眼鏡ごしに熱のない眼差しを俺に向けたまま右腕を後ろに薙ぎはらい、背後から音もなく近づいていたユズハに炎刃を浴びせかけた。高速で飛来した紅蓮の三日月をとっさのバク転で避けるユズハ。鼓動を抑えるために胸に手を置きつつ、


「あ、危なかったにゃ。アタシが天才じゃなきゃ、燃やされてたにゃ」

猫人ケットであることを差し引いても、素晴らしい運動神経ですね。実験の材料にぜひ欲しい素体です」

「ネネもユズハも、スクルドもセシアも、おまえたちの好きなようにはさせない。俺がすぐに取りもどす!」

「口先だけのバーカ! だったらさっさと動きなよ。どっちを見捨てるのか早く決めないと、両方とも救えなくなるからさ!」


 路地の暗がりから、大柄なスケルトンウルフにまたがったキリヒトがゆっくりとあらわれた。自らはそれ以上近づこうとはせず、替わりに細いあごをしゃくって、まわりを取りまく重騎士姿の深きものたちを俺に差しむける。

 先行して駆けてきた2体を龍王の剣と聖鞘エクスカリバーではじきかえし、さらに間隙をぬって手斧を振りあげる1体の首を剣で突きさす。けれど、それで終わりではなく、さらに多くの深きものたちが二重三重に俺を取り囲んでいた。いくら斬られようとも即死でなければ追いすがり、多少の傷は驚異的な治癒力でみるみるふさがっていってしまう。

 丸兜もはずれて半魚人的な奇怪な顔が並ぶ向こう、スケルトンウルフの背中にまたがり一段高くなったキリヒトの白い顔が酷薄な笑みを浮かべた。


「僕はさ、勇者には絶望してもらいたいんだよね。何度も何度も邪魔されるとウザいからさ、絶望して、諦めて、もうこの世界なんてどうでもいいや、て投げだしてくれたら超ラッキー。

 聖王の街も、魔王のダンジョンも、僕がことごとく潰していってやるからさ。勇者はそこで指をくわえて、仲間が魔物たちに尻穴とかいろいろ、ほじくりかえされる姿をながめていてよ。徹底的に穢されたら、もう仲間として連れて歩く気も失せるんじゃない? おまえみたいなハーレムバカは、処女じゃなきゃ萎えるんでしょ? そういうの、マジでキモいから!」


 聞くに堪えない罵詈雑言は無視して、左手首の結盟の腕輪に指を滑らせ、アイテムボックスから卵型の石を取りだす。地底のガッダでガガーリン王から授けられ、ダークストーカー戦で自爆用にと取っておいたバクハツ岩の聖魔結晶だ。


「セシア、ネネ、ユズハ、スクルドは俺の大切な家族だ。最後の一秒までどんな手を使ってでも、俺はイチャイチャラブラブのハーレムを諦めはしない!」


 迷うことなく自分の足もとに聖魔結晶を叩きつけた。

 ドゴッ!! と真っ赤な閃光がはしり、猛烈な炎熱と爆風が足もとから四方に噴き荒れる。聖鞘エクスカリバーで顔面への直撃は防ごうとしたものの、膨大な圧力に瞬時に跳ねあげられ、身体ごと宙に吹きとばされた。皮膚はめくれて焼けただれ、音は爆風に掻き消される。目はわずかにしか見えず、耳はキーンとしか聞こえない。

 だが、周囲の深きものたちも散り散りに吹きとばされて大ダメージを負っている。近くで横たわるものから順に首を断ち切って息の根を止め、同時に龍王の剣の「与ダメージ10%体力吸収」の効果で失った力を回復させていく。 


「涙ぐましい足搔きだね。けど、それじゃ1割も戦力を削れない。結局は無駄」

「――颶風ぐふうと稲妻の華を咲かせ! サンダーストーム!!」


 焼かれたのどの痛みもいくぶんおさまり、間髪を入れずにいま用意できる最大の範囲魔法をキリヒトに叩きこんだ。


「話聞けよ、バカ!」


 暗転した空から紫電が降りそそぎ、小気味よく深きものたちの鎧を電撃が乱打する。海風が焼き魚のような臭いの混じった白煙を吹き流していくと、地面には稲妻の洗礼を浴びた十数体の重騎士たちが焦げて横たわっていた。だが、肝心のキリヒトがいない。スケルトンウルフが路地の暗がりに跳びすさり、危うく難を逃れたらしい。


「カガトどの! こちらにも雷撃を!」


 セシアの声に首をまわすと、スクルドが逆さに吊られたまま両足をY字にひろげられている衝撃的な光景が目に飛びこんできた。ナイラが下卑た笑い声をたてながら、ぶよぶよとした手で片側ずつ足首を握り、股割きのように左右にひらいている。青い舌先がスクルドの細い太ももと肉付きのすくない尻を舐めまわし、周囲の深きものたちが水のはいった壺を捧げもっている。

 俺は呪文の詠唱をはじめつつ、チラリとネネの様子をうかがうと目が合った。


「カガトはスクルドを助けて! ボクは自力で脱出できるから!」


 無理やり身をよじったため深きものの爪がネネの内腿に突き刺さり、赤い血が白い脚をつたいおちた。それでもファイアウォールの詠唱が完成し、自らの足もとからオレンジ色の炎の壁が立ちあがる。

 グギャギャ! とわめいて炎を浴びた深きものたちが飛びすさる。ネネの黒ローブも炎で燃えあがり、けれど、下に羽織った水の羽衣から清浄なミストが噴きだして火勢を皮膚から遠ざける。深きものの手から逃れたネネがこちらに向かって駆けだすのを横目で確認しつつ、


「――サンダーストーム!!」


 スクルドを巻きこまないギリギリの境界を狙って、雷の嵐を撃ちこんだ。

 セシアは韋駄天の脚甲で真横に回避する。わずかばかりの時間で黒と白が激しく明滅すると、いまだ身体から白煙をあげる深きものたちを蹴りとばして、巨大なナイラの体躯たいくめがけて斬りこんだ。

 深きものの分厚い防御陣は崩れ、かろうじて一列を残すのみ。上段から炎帝マサムネを打ちおろし、手前の深きものの頭を叩き割った。すぐさま横から槍を突きだしてきた1匹を飛燕マサムネで下に払い、ひるがえって逆袈裟ぎゃくけさで緑色の腕の付け根から喉もとまで一息に切り裂いて青い血飛沫を散らす。

 そこへ、頭上から鞭のようにしなるナイラの青い舌が叩きつけられた。

 聖騎士の兜がかしぎ、額から流れた血がセシアの金髪にからみつく。それでもひるまず、二刀をそれぞれ両手に構えると、


「絶技!! 蒼燕そうえん(炎)乱舞!!」


 炎帝マサムネから蒼き炎がほとばしり、ナイラの巨体を覆うほどの豪炎となって襲いかかる。そして、炎の壁を突き破って次々と飛びだす蒼いツバメのごとき無数の刺突は蝦蟇がまがえるの分厚い脂肪を焼き、穴だらけとした。


「……ぐばァ! こ、高貴なる我が肉体に傷をつけるとは! 成りあがり男爵の娘ごときが! 勇者リクの後継たる、ベルゼブルの血を舐めるなァ!!」


 唾液と血が入り混じった青い泡を口から飛ばしながら、ナイラが叫ぶ。

 セシアが追い討ちの踏みこみに腰を沈めたとき、ぶよぶよとした腹にあいた傷口から一斉に紫色の霧が噴きだした。

 わずかに息を吸いこんだセシアの顔が蒼ざめ、後方に飛びのく。突然の喀血。


「我が体液は猛毒よ! 我が身体に傷をつければつけるほど毒霧は噴きだし、この小娘も死ぬことになるぞ!」

「セシア姉さま! うちは解毒の魔法が使えるよって大丈夫や。うちにかまわんで、こいつをギタギタにして」


 自らも血を吐いたスクルドが逆さに吊られながらも、健気にキュアポイズンをセシアにかける。続いて自分にも解毒を施したものの、血に染まった青白い顔に生気はない。


「ブギョギョギョギョ! 私は不死身なのだ。超回復のスキルがあるからな。ほれ、もう穴もふさがってきおったわ。海神わだつみ様が目覚められたあかつきには、私は海と陸の両方の王になる運命だからな。こんなところで死ぬわけがないのだ!」


 攻め手を欠いて、歯噛みをするセシア。

 一方の、拘束を解いたかに見えたネネも地面から急速に伸びた緑のツタが足にからみつき、船着き場の石床に転倒していた。救助にはしったユズハもザザ・フェンリルの曲芸じみた変則的な蹴り技に翻弄され、またしても距離をとらざるを得ない。

 

「本当にこの程度の作戦で状況が打破できると考えていたのですか?」


 ザザの紅い瞳が俺を射貫く。

 床に転がったネネは左右から深きものに頭と両手を床に押しつけられ、はだけた尻だけを無理やり持ちあげられていた。獣の交尾のような卑猥で屈辱的なポーズ。含羞にまみれ赤く染まった顔とうるんだ瞳で俺に「見ないで」と訴えていた。


「あなたは選択という意味を理解していますか? あくまでも両方をとろうとするなら、このまま無能な魔導士の両手にくさびを打ちこみ、この場で作業をはじめてもかまわないのですよ? ハラワタの洗浄が終わるまでなら失血死もしないでしょうし」


 俺が硬直すると、路地から顔を出したキリヒトが指図して、また新手の深きものたちがひたひたと押し寄せてくる。

 状況を楽観していたわけではない。だが、混乱させれば勝ち筋が見えてくるのではないかと期待した。持てるカードは切った。セシアの絶技もナイラに相当なダメージを与えたことは間違いない。その証拠に、ナイラは回復に集中するためかスクルドを他の深きものに預けて、眠るように目を閉じて動かなくなった。

 あと一手、ナイラを確実に仕留めるための切り札があれば好転したのかもしれないが、最後はやはり「性愛の神エロース」に頼るしかないのか。けれど、状況はエロに耽溺できるほど甘くはない。


「……ごめん、カガト。ボク、いつも足手まといだ」


 地面に押しつけられた頭から涙がぽつりぽつりと滴り落ちた。

 ザザの口もとが吊りあがる。


「ああ、そうだ。おまえはいつも足手まといだったよ。よくわかってるじゃないか。あの聡明なアッシュ・ガンダウルフでさえ、おまえのような足手まといのせいで、あたら無為に命を散らすことになったのだからな」

 

 父の名にハッと顔を持ちあげるネネ。

 ザザは銀縁の丸眼鏡を右の指先で押しあげ、獰猛どうもうな獣のような紅い瞳でネネの泣き顔を見下ろした。


「おまえはとことん愚かだな。自分のために、アッシュ・ガンダウルフが無残に死んだことにも考えが及ばないとは」

「……だって、それは兄さんが父さんのことを襲って」


 ハハハハハハハハハハ!!!

 ザザが心底おかしそうに身体をくの字に折って乾いた笑い声をたてた。


「私がアッシュを襲った!?

 ふざけるなよ! 私ほど天才アッシュ・ガンダウルフを熱望した者はいない!! 私に知識を与えてくれた養父としてだけではなく、魔導の探究者としてのアッシュを心底尊敬していた! アッシュとの共同研究の日々こそ私にとって人生で最良の時代だったのだ!」


 往時を懐かしむような声は嘘をついているようには聞こえない。


「だったら、どうして! どうして父さんを殺したの!」


 ネネの悲痛な叫び声に、ザザの紅い瞳が虚空をさまよった。不意に、凶悪な魔人が普通の青年のように見えた。

 

「しかたなかった。アッシュが私を殺そうとしたから」

「……それは、どういう、こと?」

「あの日、すでに魔人と化していた私はアッシュに呼びだされた。人を魔人に、魔人を人に変える研究についての成果を報告しあうと。私は応じたよ。アッシュだけは種族も立場も超えて、私の研究を理解してくれると信じていたから。

 けれど、それは狡猾な罠だった。幾重にも張りめぐらされた魔道具による襲撃。内側からは決して破ることのできない鋼鉄の牢獄、追尾する爆弾、魔力を吸収する無数の蛇。アッシュの天才性をいかんなく発揮した恐るべき技術の集大成が私に襲いかかってきた」


 ザザは泣いていた。丸眼鏡をはずし、手の甲で涙をぬぐった。


「……だから殺したの?」

「おまえのせいだ」


 ネネの言葉に、首を奇妙な角度に曲げたザザが先ほどまで泣いていたとはおもわれない能面のような無表情で応えた。


「アッシュ・ガンダウルフは危惧したのだ。私が実験素体として巨人ティターンに関心があることを察知したから。魔力操作に長けた巨人ティターンを魔人に堕とせば、勇者リクの時代の機動要塞すら凌駕する兵器を産みだせるのではないかと研究していたのがバレたのだ。アッシュは知っていた。巨人ティターンがすぐそばにいることを。私がその存在を知っていることを。あれほどの天才が、おまえのような素体としての価値しかない無能のために命を懸けるとは。

 きっとわかっていたはずなのに。アッシュなら、こと戦闘においては私には勝てないとわかっていたはずなのに! 愛などという下らないもののために、あらゆる可能性を秘めた天才を散らすとは! なんたる損失か!」


 ネネの顔は紙のように蒼白となり、目からは止めどなく涙があふれだしていた。

 両手を空に高々とあげていたザザは糸の切れたマリオネットのようにだらりと腕を垂らし、興奮の波が過ぎさったいつもの声で淡々と続けた。


「私がアッシュ・ガンダウルフを殺した理由を語るのは、アザミでの計画を止めることができたら、という条件付きだったのですがね。何度も聞かれるのが煩わしいからおもわず答えてしまいました。

 いずれにしても、私はもう巨人ティターンという素材に興味はありません。浮遊要塞の原理は解明しました。もはや私の関心はそこにはないのです。だから、この無能な魔導士が死のうが生きようがどちらでもいいこと。アッシュ・ガンダウルフが私よりもこの無能を選んだということを、私は忘れましょう。愛は憎しみに通じ、憎しみは愛に通じます。私は無能を憎みますが、この魔導士には何の関心もない。それよりも勇者カガト、あなたに関心があります。さあ、まだ引き出しがあれば開いて見せてください。そのためなら、この無能な魔導士の手足をもぎとり、この場で魔物たちに犯させてもいいのです」


 ネネが泣いている。ただそれだけで血管が波打ち、頭を締めつけられるような憤怒が俺を襲う。いまだかつてこれほどの怒りと憎悪を感じたことはない。

 いますぐザザの頭を地面に叩きつけ、ネネに詫びさせたい。けれど、そんなことで彼女の悲しみの一端さえも拭えないことはわかりきっている。


「ネネは俺の家族だ。これから生涯をかけて俺が寄りそい、アッシュ・ガンダウルフが喜ぶような魔導の発見をして、その選択が間違いではなかったことを証明する!」

「ならば、青いおさげの少女を見捨てますか? さあ、来なさい。私もすべての手の内を見せたわけではありません。勇者カガト、もっと私を愉しませてください!」


 怒りにまかせてザザにむかえば、スクルドの救出がおろそかになる。いまだ深きものに捕らわれているのはネネといっしょ。ナイラに動きはないものの油断することはできない。

 決め手となるもう一枚のカードが何かないか俺が視線をさまよわせていると、ナイラたち深きものの防御陣のさらに奥、街中から白砂の大通りをこちらめがけて爆走してくる土煙が目にはいった。

 後方の深きものが瞬時に上空へと跳ねあげられ、あるいは横の倉庫の壁へと叩きつけられる。砂塵が薄れゆく中、陽の光にピカリと輝く禿げ頭。


「師匠!」


 ダン!と鋭い踏みこみとともにグノスン・グレイホースの右の拳が重騎士の丸兜に炸裂する。兜がひしゃげて吹きとび、深きものの頭蓋骨まで陥没するほどの威力。目玉の飛びだした半魚人顔がさらに醜く歪み、地面に横倒しに崩れると、ゴルフボールくらいの魔石がコロンと鎧から転がり落ちてきた。


「カガト、待たせたな! わしの勘はよく当たるだろ!」


 反攻のための最後のピースがはまった。


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