5-14 海賊船討伐 その4
龍王の剣を背後へ
「おおっと! 危ない、危ない」
手にもったナイフを三角帆の先の太陽にかざして、青い薬液と血が混ざったぬめりに首をかしげる。
「熊をも昏倒させる麻痺毒を受けて、なおこれだけの動きができるとは。やはり、人間ではありませんな。どれだけ
丸兜の内側で反響した声でつぶやき、不意にナイフを投げつけた。
狙いは俺ではなく、仰向けに倒れたままのゲイレルル。とっさに覆いかぶさるように身を投げだし、鎧の背中にはじかれたナイフがカランと甲板にころがった。急激に身体を動かしたことで、腰の刺し傷から炎にあぶられたような熱が四肢にひろがり、苦痛に顔が歪む。毒、麻痺、睡眠、魅了、石化無効の妖精王の鎧の効果で手足は動くものの、痛いものは痛い。
「我、七芒星の勇者たるカガト・シアキは、全知無能のアーカイヴに問う。
我が祈りにより、生命の内なる輝きに祝福を与え、傷つきし者に再び立ちあがる力を与え賜うか。
呪文を唱え終えると、目の前の火傷の痕が潮が引くように消えていく。おもいがけず俺にかばわれ、治療まで受けたゲイレルルが濃いアイシャドウをひいた
「な、何のつもりや。うちはおまえを殺そうとしたんやぞ」
「これでも勇者だからな。万人に優しく、美人には特別に優しく。というのが俺のモットーだ」
「うちを籠絡するつもりなんか? けど、人魚にとって男を愛することは禁忌。男は竜宮城の管理下に置かれ、うちら全員の共有物になるんが定めや。でも、おまえがおとなしうしよったら、うちが世話係になったってもええで。そしたら、ふ、二人きりになりやすいし、うちのこと好きなら……させたるから」
視線をはずしたまま、ぼそぼそと小声でささやく。
たしかにそんな設定だった気がする。先代乙姫とグノスン師匠とのなれそめが語られるサブシナリオ「乙姫の涙」では、許されぬ恋ゆえに駆け落ちした二人の過去があきらかになるのだが、攻略に関係のない情報は右の耳から左の耳へと抜けていた。
とりあえず今は「竜宮城の人魚たちは結婚対象にはなりにくい」ということだけ覚えておけばよいだろう。と、せっかくの好意なので、俺はたわわに実ったおっぱいの谷間にダイブする。
「おい! 毒か!? 毒にやられたんか?」
焦るゲイレルルに抱き起こされ、俺は苦しげにもがくフリをしながら引き締まった裸体をさわさわ。もみもみ。
「あ、こら。さすがに、そこはわざとやろ。みんなが見とる前で、隊長のうちが変な声出したりしたらまずい、て。いい加減に、あん!」
おっぱいに吸いついたところで、後ろからコツンと兜を小突かれた。
「兄ちゃん、遊んでる場合やないで! ナイトクラーケンに囲まれとる」
駆けよってきたスクルドが三日月のオブジェがついた杖をかかげ、早口に範囲回復魔法ヒールオールの詠唱をはじめた。美しい
両手に1本ずつの斧をたずさえた部隊長が腰の革袋からとろりとした青い毒液を刃に振りかけ、カツ、カツと砥ぎあわせる。一昔前の潜水服のような兜には正面に丸い小さなガラス窓があいており、隈の濃い目がのぞいていた。
「勇者一行は海賊の奇襲を受け、善戦むなしく連れさられてしまった。我らナイトクラーケンはすぐさまこれを追跡したものの、いま一歩というところで海賊船は竜宮城へと逃げこんでしまう。我々は海賊を引き渡すよう正式に通告したものの、竜宮城の乙姫はこれを拒絶。ナイラ総督は勇者を救うため、やむなく竜宮城への武力行使を決断したのであった」
感情のこもっていないセリフをくぐもった声で淡々と吐きだし、部隊長が一歩前へと踏みだした。
「それがナイラ伯の用意したシナリオか?」
「いいえ、これはいまから刻まれることになる正史です。正しい歴史は勝者によってのみ語られる。かつて聖王ウルス・ペンドラゴンがそうしたように。今度は我ら
船室から一斉に甲板へとあふれだし、じわじわと包囲の輪を狭めてくるナイトクラーケンの重騎士たち。全身を覆う藍色の鎧にまで毒液を振りかけているため、露出度の高い人魚たちは近寄ることもままならない。
「我らナイトクラーケンには『口は食べるためにある』という団則があります。山海にあまねくものを食べて、食べて、食べ尽くす。それこそ我らが生きる指標、情熱のすべてを捧げる大義です。連綿と受け継がれたこの伝統により新たな味覚を求めて毒物すら口に入れた結果、我らがあつかうレシピは100をゆうに超えます。
安心してください。このシビレクラゲをベースノートに調合した青色1号は死ぬほどの劇薬ではありません。ただ手足を麻痺させ、昏睡させるだけのもの。即効性は高いものの、心臓を止めたり、呼吸困難におちいらせるほどの効果はありませんから」
部隊長が手をあげると、後方のナイトクラーケンたちが短槍を斜め上方にむかって一斉に投げつけた。狙いは船首楼近くへと追いこまれた人魚たち。
放物線を描いて落ちてくる十数本の槍を、天馬の靴で跳びあがった俺が剣を大振りに回転させて弾きとばし、それでも打ち落とせない数本は左腕もひろげて、我が身と聖鞘エクスカリバーで受けきった。
甲板に着地し、焼けただれるような痛みに顔をしかめながらも、肩当ての接合部に突きたった短槍を抜きとって海へと投げ捨てる。妖精王の鎧のおかげで麻痺も睡眠も俺には無効。スクルドのすばやい「ヒール」が効いてHPもすぐに回復した。
後ろの人魚たちから、ピロリン♪ ピロリン♪ と称賛のチャイムが鳴り響く。
「船倉に槍はいくらでも積んであります。そんな安っぽい献身がいつまで続けられますかな?」
部隊長がふたたび合図しようとしたとき、後方の重騎士たちが悲鳴をあげてバタバタと倒れだした。何事かと周囲の視線があつまるなか、藍色の鎧の隙間を縫うように駆けぬけたのは赤茶色の猫耳。先端が針のように細くなった突剣「つらぬき丸」を手もとでくるくると回しながら、ユズハが不敵に笑う。
転倒したナイトクラーケンたちは一様に足を抱えてうめいている。頭も胴も手足も分厚い装甲でかためた重騎士たちは高い防御力を誇るものの、つらぬき丸の特性は防御力無視の貫通攻撃。図体のおおきな的は恰好の餌食だ。加えて、敵の攻撃をかわしやすくなる「幻惑の服」と敵から狙われにくくなる「隠れ
「見たにゃ? アタシの大活躍!」
「ああ、たいしたものだ。さすがはうちのパーティーのエースだな」
「にゅふふふ! そうにゃ! アタシがエースにゃ! もっと褒めたたえてくれてもいいにゃ。
――最近、影が薄くなってきたかもと怯えていたけど、戦闘で活躍できることが証明できて一安心にゃ。これでアタシがエロいことをしなくても、カガトは大事にしてくれる……のにゃ? でも、たまには胸くらい触らせてあげたほうがいいのかにゃ」
つむじ風のように凱旋してきたユズハの天然パーマの髪をわしゃわしゃと撫でると、気持ちよさそうにのどを鳴らした。赤茶けた尻尾を元気よく左右に振る。
「卑しい
貴族としての慇懃な言葉づかいもかなぐり捨てて、口汚くののしる部隊長。鉄兜を通してもはっきりとわかるほど、ギリリリと激しく歯ぎしりして、二振りの戦斧を構えなおした。
「毒はあくまでもおまえたちを逃がさぬためのもの。海において最強といわれる我らナイトクラーケンの真の実力を見せてやろう。にわか勇者ごとき、我が斧術で組み伏せてくれるわ!」
腰を落として重心を低くし、揺れる足場をものともしない盤石の型をみせつける。そのまますり足のような足さばきで、見た目とは裏腹な俊足の踏みこみ。毒液に濡れた甲冑が間近に迫り、右手の戦斧が斜め下から俺の胸を狙って駆けあがってくる。
俺はわずかに身を反らせ、わざと斧を龍王の剣の刀身に滑らせて絶妙な角度で宙へといざなった。部隊長は斧を引きもどそうとするものの、毒液が潤滑油の替わりとなって勢いを殺すことができない。続くはずの左の二撃目に力が乗りきらず、俺の鎧の胴に浅く打ちつけただけで甲高い悲鳴のような音をたててはじかれた。
左右の腕が伸びきって体勢が崩れた部隊長の丸胴を、俺は天馬の靴でおもいきり蹴りつける。本来の使い方ではないが、靴に天馬の翼が羽ばたき、地面を蹴りあげて宙を舞うための浮力が重騎士の分厚い装甲を逆方向へと吹きとばす。矢のごとく宙を駆けぬけた藍色の甲冑は中央の帆柱にぶつかり、ガシャン!!と派手な衝突音を響かせると、そのままずるずると下に落ちて動かなくなった。
どよめく重騎士たち。
-------------------------------------------------------------------------
『 グイド・カブリーニ 』
ナイトクラーケン騎士団の3人の副団長のうちの1人。ベルゼブル家の分家筋にあたる貴族だが、血筋ではなく実力で現在の地位に至ったことを誇りとしている。
【種 族】
【クラス】 重騎士
【称 号】
【レベル】 18(D級)
【愛憎度】 ★/★/★/-/-/-/- (D級 異物は排除する)
【装 備】 破殻の戦斧(C級) 破殻の戦斧(C級)
ナイトクラーケンの藍鎧(C級) ナイトクラーケンの藍兜(C級)
鋼の脚甲(D級)
【スキル】 小剣(E級) 長剣(E級) 大剣(E級) 斧(C級) 槍(E級)
弓(E級) 盾(D級)
水魔法(F級)
法知識(F級) 宮廷作法(E級) 交渉(F級) 航海術(D級)
乗馬(E級) 水泳(C級)
薬草学(D級) 毒性学(D級)
超回復(F級)
-------------------------------------------------------------------------
柱にもたれかかったままピクリともしない部隊長グイドのステータスを読みとりながら、俺は口の中がカラカラに乾いていくのを感じた。
死んだのか? いや、通常どおりステータスが表示されているということはまだ息があるはず。と自問自答する。
俺はこの世界に来てから、まだ「人」を殺したことがない。キリヒトとの戦いでは殺すことも覚悟したはずだが、いざ敵対する人間を前にすると、ためらいばかりが大きくなってしまう。リセットのできない人生のなかで、俺は殺人の罪を背負えるのだろうか。一時的に敵対しただけの相手の将来を奪い、その家族の怨みを踏みしだいて、俺は平然と幸せな家庭を築くことができるのだろうか。
追撃を逡巡しているうちに、回復呪文をあつかう重騎士が治療をはじめ、ようやく身じろぎするようになったグイドを見て、安堵の吐息がこぼれる。
戦闘はまだ決着していない。戦意をくじかれていない重騎士たちが斧を構えて包囲陣をせばめてくる。俺が気をとりなおして、剣を振りあげるよりも早く、
「あなたたちはリンカーン王国の騎士の立場にありながら、七族の協和を説いた『聖円の盟約』を破るのですか」
青い顔をしたセシアがふらつきながらも二刀の魔剣を抜きはなった。
意識をとりもどしたらしい部隊長グイドが丸い兜を左右に振って、
「なにが『聖円の盟約』だ。亜人どもに歪められた歴史を、
「聖典の教えを愚弄するのですか!」
「ハッ! 王都の騎士団はおめでたい。そんなものは己が支配を揺るぎないものとするための聖王の方便に過ぎないというのに、すっかり洗脳されてしまって。
だいたい二百年も前の誓いなど、
グイドが立ちあがると、左右の重騎士たちも腰を低く落とし、盾の陰に斧を忍ばせて、じりじりと間合いを詰めてくる。
ざっと見渡したところ、負傷して転がっている重騎士は10人程度。残りの20人弱はほぼ無傷で戦意は横溢としている。斧にも鎧にも青い毒液がしたたり、人魚たちが水魔法の水弾で応戦するものの、粘着性のある毒液を洗い落とすにはいたらない。
「おまえたち聖王派が金科玉条にいただく『聖円の盟約』。七族協和の誓いを破ればたちどころに天罰が下るというが、本当のことなど誰も知らないのです。
魔王という影におびえ、勇者という幻想にすがり、それらを操る聖王の
グイドが丸兜をひねって、ズボッと持ちあげる。
登場したのは四十過ぎくらいのいかついおっさんの顔。目鼻立ちは整っているものの、目の下の隈が濃く、どこからどう見ても悪人面になっている。
「この兜は水中での呼吸を確保するための空気嚢が中に収められています。つまり、しばらく空気を吸わなくとも我らは平気ということ。茶番は終わりにしましょう。奥の手の策戦を発動させます。船底に開けられた穴から浸水し、この船はゆっくりと沈みます。バラスト水の替わりにたっぷりと積みこんだ青色1号が流れだし、周囲のすべてを毒で包みこむことでしょう。
もはや逃げ場はありません。海に飛びこもうとしても無駄ですよ。青色1号は水よりも軽い。すでに十分な量を撒き散らしてありますから、我らのように防水具で全身を覆っていない人魚どもは麻痺して溺れ死ぬだけです」
相変わらず親切に説明を加えてから、グイドが再び丸兜で顔を覆った。
部下たちはテキパキと船に積まれていた
「ゲイレルル! 人魚たちにアクアボール、アクアウォール、アクアストームをありったけナイトクラーケンに打ちこむよう指示してくれ!」
「無駄なことを! どれほど水で薄めようとも、青色1号の効き目は変わりません! 船はじきに沈み、全員が毒液ただよう海に投げだされるでしょう。けれど、我らは事前に解毒剤を投与済み! ナイトクラーケンの別動隊が後をつけてきている手はずゆえ、海に投げだされようと我らはすぐに救護されるのです! 人魚と勇者一行は捕縛して外交材料とします! まさに計画は完璧、準備は万全!」
グイドのくぐもった笑い声が響く。
特攻服に再び袖を通し、どこから取りだしたのか新しいふんどしを締めたゲイレルルが立ちあがり、配下の人魚たちに水魔法の下知を飛ばす。
「全員、船首楼前に集まってくれ。できるだけ身を寄せあって、そう、密着させて。断じて下心はないぞ。セシア、俺と並んで、『鉄壁』の準備を。よし。
ネネ! 仕掛けを発動させてくれ!」
人魚たちから次々と水の弾丸が飛び、ナイトクラーケンの隊列を割って水壁が立ちあがる。荒れ狂う水の竜巻にも重騎士たちは微動だにせず、全身水浸しになりながらも甲板にどっしりと足をつけたままにじり寄ってくる。
ネネが賢者の杖を両手でささげもった。
「我、魔の探究者たるネネ・ガンダウルフは、流転と調和を司る水の精霊と、変化と断絶を司る風の精霊に問う。
四方を水とし、四方を風とし、四方に四方を重ねて、もって吹雪の牢獄となし、我、小世界を
水を氷と化し、風を嵐と化し、汝、水の精霊と風の精霊の喜びをもって、小世界のすべてを凍てつかせよ! グレート・アイスプリズン!!」
詠唱がはじまるとすぐに言の葉に呼応するように四方から白い霧氷が噴きあがり、渦巻く風があっという間に船体を覆いつくす巨大な球体をかたちづくる。古戦場で見せた試作版よりもさらに精度を増した複合魔法だ。ネネがあらかじめ準備しておいた魔道具を、船体の構造を計算し、ユズハが正確な位置に隠し置いた結果。
船首楼前のわずかな空間だけがセシアの「鉄壁」による虹色の防壁にまもられ、わずかばかりの雪が舞うだけですんでいるものの、あとは外界と隔絶されたホワイトアウトの世界。氷雪地獄の向こうにわずかに見えた藍色の鎧も瞬時に凍りつき、一面の白に塗りつぶされていく。
たっぷり5分間、ディープ・シーの浮かぶ海面までをも氷漬けとし、白い糸玉のようなスノーボールは霧散した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます