5-15 深きもの その1
シャボン玉のような虹色の膜が消えさると、表面に張りついていた薄氷もこなごなに砕け散り、キラキラと輝くスターダストとなって風に吹き散らかされていく。「鉄壁」によって氷雪地獄から辛くも逃れた船首楼前の半円には30人ほどがすし詰め状態でおしこめられており、壁が消失した途端にドッと
「「ひゃああ! 冷た!」」
人魚たちが甲板に積もった新雪にころがり悲鳴をあげる。けばだたしい化粧をし、いかつい特攻服に身をつつんでいても、中身はまだうら若き乙女たちのこと。東の海域は温暖な気候に恵まれていて雪そのものが珍しく、また、戦闘の緊張感から解放された気安さもあいまって、すぐにふざけて仲間同士で雪遊びをはじめてしまった。
素足にふんどし、胸には
「おい! おまえら! 遊んどらんで、ちゃっちゃとナイトクラーケンどもを掘りおこしな! 生きてる奴がおったら、
仁王立ちで腕組みをした特攻隊長ゲイレルルのドスのきいた声に、はしゃいでいたレディースたちが一斉に背筋をピーンと伸ばす。だが、制止が間にあわなかった何発かの雪玉が俺の横を通りすぎて、後方の雪だるまにぶつかって白煙を舞いあげた。
――げふ! げふげふ!
雪だるまの頭が前後に揺れて、分厚い雪のかたまりがドサリと剥がれ落ちる。と、藍色の丸兜が陽光をキラリと反射させた。
「1匹確保や! 動きだす前に武装解除して手足をロープで拘束! 他にも埋もれている奴がおるはずや! 念のためド
「はい!
手近にあった木箱を砕いて即席のショベルとし、力自慢の
死者が出ていないことにそっと胸をなでおろす俺をよそに、人魚たちはゲイレルルの指図に忠実に鎧兜をはぎとると、まず頭を殴りつけ、次に両腕を後ろ手に縛り、二人一組に逆方向に寝かせた状態で足首同士を固く結びつけていく。マグロの競り市のように甲板に並べられたナイトクラーケンたちは全部で30人。スクルドのヒールオールが効果をあらわして、ひとまず瀕死状態はいなくなった。
「
やっぱり、バラストの逆流弁っスね。浮袋に噛まされてた棒をはずしたら、弁が機能して取水口が閉じやした。毒水が凍ってたおかげでなんとか作業できましたが、あのまんまじゃお手上げでしたね。整備も行き届いてる良え船やのに、こんなしょーもない作戦のために沈めるやなんて。ほんま、ゲス野郎どもはゲスなことをしやがる、ちゅうか」
「おう、ご苦労さん! 船大工見習のエストがいて、ほんま助かったわ。船まわりのことは頼りにしてるから、またよろしうな!」
船室の扉から出てきたねじり鉢巻きの人魚と
「おっしゃ! おまえら! こいつらの仲間が来る前にさっさとこの海域からずらかるで! ナイトクラーケンどもは捕虜! この船はこのまま戦利品としていただいてく! ノーチラス号から牽引ロープをもってきて繋ぎな!」
甲板に寝かされていたナイトクラーケンの部隊長グイド・カブリーニが首だけもたげ、
「やはり亜人は野蛮だな! 我らを人質にするなど、よくも姑息なことを考えつくものだ!」
「先にうちらの仲間を拉致ったのはどこのどいつじゃ、ボケ!」
「我らは人質にしたわけではない。あれは餌だ。おまえたち、魚を釣るための餌! 亜人を
悪態をついて、ゲイレルルに向かって唾を吐きかけた。立場をわきまえないにもほどがあるが、ここまで徹頭徹尾、亜人嫌いを貫くのはいっそ清々しくさえある。
目を怒らせたゲイレルルが無言で歩み寄ると、問答無用でズボンの股間部分を踏みぬいた。グイドが白目を剥き、絞め殺されたニワトリのような甲高い叫びをあげて悶絶する。赤黒い血がじわじわとズボンに染みひろがっていき、まわりのナイトクラーケンたちは恐怖に歯の根もあわぬほど震えだした。
「ちょうどええ! うちらの仲間の居場所を知っとるやつがいたら正直に白状しな。先着3人だけ許したる。残りのやつは、このバカみたいにキンタマ1個ずつ踏みつぶしたるから覚悟せえや! あと、嘘ついたやつは棒チョンパの刑な」
重騎士たちが我先にと口を割ったのは言うまでもない。
◇
拉致された人魚が監禁されている場所は、第1埠頭にほど近い大型倉庫街のなかにあった。皮肉にも、俺たちがディープ・シーで出航した入り江の目と鼻の先にあり、
入口の取っ手に巻きつけられた鋼鉄の鎖と二重の南京錠をはずすと、砂利を軋ませながら、ゆっくりと観音開きの戸がひらいていく。外の新鮮な空気が音をたてて吸いこまれ、替わりにかび臭い湿った風が漏れでてきた。
「うっ、ひどいニオイにゃ。鼻が曲がりそうにゃ」
針金1本であざやかに開錠し、得意満面のユズハが顔をゆがませる。かすかに混じる血と尿の臭い。人間である俺でも気づくのだから、人一倍嗅覚に優れる
「ここで間違いないんだな?」
「しつこいな。ちゃんと見張りもいただろ。俺はきちんと約束を果たしたんだ。さっさと解放したらどうなんだ! て、なにをする!?」
案内役として連れてきた重騎士を、後ろ手に縛ったまま倉庫のなかに放りこむ。万一の待ち伏せを警戒しての囮役だが、倉庫のなかは静かなままだ。
「ククク、亜人の言葉など信用するからだ。誇り高きナイトクラーケンが亜人に媚びを売るなど前代未聞の恥辱。貴様はナイラ様に陳情してすぐに罷免してやるからな」
「もう1回キンタマ潰したろか?」
ゲイレルルが剣の鞘で尻をつつくと、部隊長グイドは押し黙った。スクルドのヒールで股間の傷はふさがったものの、機能まで回復したかどうかは定かではない。
猿ぐつわを再びしっかりと噛まされると、モゴモゴと言葉にならない罵詈雑言を吐きつづけ、
「……勇者が亜人と結託……スキルの種の効果……ナイラ様がきっと……」
「さっきからゴニョゴニョ、うっさいんじゃ! ボケ!」
ゲイレルルの蹴りが股間にはいり、地面に這いつくばるグイド。
港町アザミに上陸したのは俺たち勇者パーティー、ゲイレルルと硬波四天王、それに案内役の重騎士ひとりと部隊長グイドだけ。大人数で動いて、もしも街に残ったナイトクラーケンたちに見つかると救出作戦が困難になるためだが、慎重を期すためにわざわざディープ・シーを街から離れた入り江に隠し、潜水機能のあるノーチラス号で北の岬の岩棚から上陸したというのに、第1埠頭にはナイトクラーケンはおろか漁師の姿もなかった。
かろうじて目的の倉庫に番兵2人が立っていて、「隠れ頭巾」「幻惑の靴」「忍び足袋」のユズハが忍者よろしく背後から奇襲。難なく無力化に成功し、現在に至るというわけだ。ちなみに、さらわれた人魚たちの居所を吐いた重騎士だけでなく部隊長のグイドまで連れてきたのは、監禁場所に大規模な部隊が展開しているなど不測の事態となった場合の人質としてだ。ナイラ・ベルゼブルに連なる貴族であるため、他の隊員よりも有用であろうという判断からだが、反抗的な言動はお荷物以外の何物でもない。
内部に罠がないことを確認したゲイレルルが駆けだし、角刈りの硬波四天王も続く。
「メノッサ! オーフェル!」
薄暗い倉庫に声がこだまする。天井のわずかな破れから陽の光が差しこみ、数条の細い光源のなかに埃が舞っていた。古びた木箱が乱雑に積みあげられ、暗闇に慣れてきた目で見わたすと、右奥の隅になぜか巨大な貝が2つ鎮座している。
ゲイレルルと角刈りの人魚たちはシャコガイのようなその波打つ巨大な貝殻に顔を押しつけて、懸命に呼びかけている。
「メノッサ、オーフェル、もう大丈夫や。
「……ほんまにゲイレルル姉さま?」
片側の貝がゆっくりとひらき、中から長い髪の少女があらわれた。自身が真珠になったように貝のなかで身をまるめて、衰弱しきった様子で首を持ちあげることもかなわない。
「メノッサ! こんなにやつれてもうて」
もう一方の貝は、隆々とした筋肉の硬波四天王が4人がかりで押しあけている。
「オーフェル! しっかりしい!」
こちらの貝のなかでも同じように、ひとりの少女が横たわっていた。緑色の短髪の少女は返事をする気力もなく、薄目で同胞を確認して、ひび割れた唇をわずかにひらくのみ。
ゲイレルルがもどかしげに荷袋をひらき、中から漆塗りの小箱をとりだして蓋をひらいた。小箱を傾けて、液状の何かを口に含んでから、貝のなかに横たわる緑の髪の少女に口移しで与える。
「玉手箱の
少女の舌がゲイレルルの舌と絡みあい、とろみのある液体が唇のなかで唾液と混ざりあう。オーフェルと呼ばれた短髪の少女の瞳に光がもどると、次は長い青髪のメノッサにも同様に小箱の
少女たちは衣服を何も身につけておらず、あばら骨が浮くほど痩せこけ、青白い肌には鬱血した痕がところどころに残っていた。
「姐さん、うち、うちらな、穢されてへんから。裸に剥かれて、殴られて、蹴られて、首を絞められたけど、あいつらがズボンをおろしている隙にアクアフォームの『シェル』で貝殻に閉じこもって、それから、ずっと耐えつづけてきてん」
「水魔法ですこしずつ水をつくって飲みながら、きっと姉さまたちが助けにきてくれるおもうて、待ってたんよ。二人で励ましあって」
血と汗と尿の臭いが入り混じって漂ってくる。
セシアとスクルドが「ヒール」を唱え、ゲイレルルが水魔法をシャワーのように浴びせて少女たちの身体を清めていく。あらかじめ準備しておいた衣服に着替えさせるころには、表情の乏しかった二人もようやく感情が追いついてきて、しゃくりあげるように泣きだした。
ゲイレルルは倉庫の番をしていた重騎士を蹴りとばし、
「テメエも殴ったんか!? うちらの仲間を!」
ぐるぐる巻きにされた身体を胸倉をつかんで持ちあげると、容赦のない往復ビンタをくらわせる。唇が切れて血がしたたり、気弱な青年はおどおどと視線をそらして、
「ぼ、僕はやってない! 見張りをさせられただけで」
「だったら、ヤッたやつらはどないした!? ここの見張りはこんだけか!」
「総督から、勇者が竜宮城に連れ去られたから全員総督府前に集合せよ、との招集命令がかかって」
怒りのおさまらないゲイレルルはさらに腹に数発
「この子らを船に返したら、きっちりと落とし前はつけたるからな! ナイトクラーケン狩りや! 総督ナイラの首もとったる!!」
俺たちはとっさに倉庫脇の暗がりに身をひそませた。まだ距離もあるから十中八九気づかれることはないだろう。隊列をやりすごしたあと、囚われていた人魚たちを北の岬に停泊しているノーチラス号に送りとどけ、聖典教会でグノスン師匠と連絡をとり今後の対策を協議する。
それが一番無難な方法にちがいないが、果たして
俺が逡巡している隙をついて、とうとつに部隊長グイドが硬波四天王の拘束を振りきって逃げだした。手足にロープで枷を嵌めていたというのに、いつのまにか断ちきられ、自由となった腕で猿ぐつわをむしりとっている。
「――タズゲデグレ!!」
痰がからんだようなボコボコとした声で叫び、意外なほどの脚力で一目散に藍色の隊列へと駆けていく。出遅れたとはいえ、セシアの韋駄天の脚甲すら追いつけない俊足ぶりだ。
「あの野郎! あんだけ痛めつけておいたのに、まだあんな力隠しとったんか!」
押さえつけていた手をはねのけられた硬波四天王のひとりがいまいましげに唇を噛む。グイドの叫び声に、路地の先の重騎士たちのずんぐりとした丸兜が一斉にこちらを向いた。おりしも彼方から海風が路地を吹きぬけ、強烈な磯の腐臭が鼻を襲う。
「あれれ? はぐれナイトクラーケン? 聖魔結晶を飲みこませた個体は全部回収済みかとおもったんだけどなー。やっぱ、点呼て大事なんだね。いま、わかったわー。修学旅行のときバックレてゴメンね、センセ」
かすかに届く聞きおぼえのある声。
路地の先の光のなかに灰色のスウェットシャツにフードをかぶったキリヒトがふらりとあらわれる。長い前髪をかきあげて、グイドにむかって両手を伸ばし、
「
汝、万能なる魔にあらせば、新たな名を得て、
指先から赤い魔力の糸が放射されてグイドの四肢にまとわりつく。
「もうだいたい融合終わってるのね。あとは、ここをこうして感覚器官を繋いで、魔力を縫いあわせて、と。魔物同士だと簡単なんだけどなー、人間混ざると激ムズだわ。と、ほい、完成」
「アゲ? イデ! イデデ! ヴァタシハ、誇リ高キナイトクラーケンノブヴァヴァヴァ!」
路地のなかばでグイドが全身をわななかせながら地面に這いつくばった。シャツの背中が肩甲骨が反りかえるように奇妙に盛りあがり、パンツから伸びた毛深い脚が緑に変色していく。
「チ、力ガ湧イテクルグゲギャギャ!!」
奇声を発してのけぞった顔は鼻梁が隆起し、目の間隔が左右に異様に離れていた。瞳孔がギラギラと光を乱反射し、横に裂けた口には鮫のようなギザギザの歯が剥きだしになっている。
「クケケケ! ツイニ私モ、スキルノ種ノ力ヲ完全ニワガモノトシタノダ!」
粘着質のよだれを大量に吹きだし、グイドであったものが叫ぶ。すでに頭部がひと回りおおきくなり、人間と呼ぶには無理がある外見となっていた。
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『 深きもの 』
古き
【等 級】 D級(中級魔)
【タイプ】 深きもの
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隠れ場所からおもわず身を乗りだすと、路地の先のキリヒトと目があった。薄い唇が吊りあがり、ニタリと笑う。
「あ、間に合ったんだ。心配してたんだよ。ナイラ・ベルゼブルのくだらない罠にかかって、主賓がショウの時間に遅れたらどうしようか、て。準備はもう整っているからさ。愉しんでってよ、勇者さま」
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