5-12 海賊船討伐 その2

 俺たちを乗せた商船「ディープ・シー」が白い波濤はとうを砕きながら、軽快に海原を駆けぬけていく。積み荷がなくバラスト水も最低限しか積んでいないため喫水線が浅く、三角帆をはらませて波を蹴立てる船体はさながらトビウオのようだ。

 2階建ての船首楼近くの甲板で舷縁ふなべりに寄りかかりながら、俺は流れゆく海を眺めていた。以前の周回では波のテクスチャ―が無限ループしているようにしか見えなかった単調な景色も、いまは白から濃紺まで千変万化の色彩に見飽きることがない。

 これはどういう心境の変化なのだろうか。このグランイマジニカをゲームとしてしかとらえていなかったときは、光にきらめく波しぶきにも、髪をはためかす海風にも、何の感傷も抱きはしなかったのに。元の世界への帰還をあきらめ、この世界に骨をうずめる覚悟をした途端、さまざまな不安が俺の心に打ち寄せるようになった。

 たとえば、ほんのすこし先の未来への不安。俺はこれまでに幾度となく、このグランイマジニカを魔王の脅威から救ってきた。だが、この周回ではなにもかもが違う。

 まず、目的が違う。魔王を倒すこと、ではなく、ゲームクリア条件を回避しつつ、ハーレムを築くことが最終目標となっている。

 次に、敵が違う。いままでは立ちはだかる中ボスたちを順に倒していけば、およそ1年という期限はあるものの、充分な余裕をもってエンディングにたどりつくことができていた。けれど、今回は次代の勇者キリヒトと煉獄の魔人ザザ・フェンリルが暗躍し、時間をかければかけるほど相手の戦力も増していくというハードモードな状況におちいっている。

 最後に、世界の法則が違う。過去の周回には無かった「愛憎度システム」「生殖システム」が実装され、そこから派生した「転職」や「技」といった新たな要素も攻略をより複雑にしている。キリヒトによる魔物の進化と軍隊のごとき戦術も厄介だ。

 ともかく30周に及ぶ俺の知識と経験が通用しにくくなったのは厳然たる事実で、ひとまずの目標であるカオスドラゴンの封印も一筋縄ではいかないであろう現状に内心焦りをおぼえる。

 そして、遠い将来への不安。すでにセシアとはスタディな関係を築きつつあるが、まだ最後の一線は越えていない。アリシア姫を救いだすまでは、という約束を律儀に守っているわけだが、正直なところ、前の世界も含めてずっと童貞である俺にとって踏みこむには相応の覚悟がいる領域だ。エロいことをすれば当然子どもが生まれてくるわけで、家族が増えれば増える分だけ責任は増し、その舵取りは重くなる。

 嫁を7人持つと大見得をきってはいるが、全員を食べさせていくのは大変だろう。いまは過去の周回から持ちこした「大金塊」があるから目先の金に困りはしないが、この先何十年と続く人生で子どもを含めて何十人になるかもわからない大家族を養っていくにはとうてい足りない。運良くザザとキリヒトに打ち勝ち、冒険の果てに7人の嫁を娶ってハーレムエンド、の先には日々の生活のための長く険しい戦いが待っているのだ。

 だが、平和になったファンタジー世界で俺にできる仕事などあるのだろうか。元の世界の知識を武器にいまだこの世界に普及していない商売をはじめるという手は使えなくはない。だが、社畜であった俺に起業家の真似事ができるかどうか。上手くいかなければ次の周回へ、というわけにはいかない。もし事業に失敗したら大切な家族を路頭に迷わせることになるのだ。

 考えれば考えるほど不安はいや増していくが、


「……カガトも船酔い?」


 心配そうに覗きこむネネに俺は首を左右に振った。平和になった先のことまで悩んでいてもしかたがない。いまはただ目の前にある難敵とエロに真摯に取り組むのみ。明るい家族計画は文字どおり明るくポジティブに考えるにかぎる。

 身体をぐるりと半回転させて甲板を見わたすと、船首楼の入口ではセシアがぐったりと座りこんでいた。上下左右に揺れる足場に酔ってしまったらしく、隣りでスクルドが甲斐甲斐しく介抱している。ときおり手が鎧の隙間に滑りこんでいるのが怪しいが、毒消しの呪文でセシアの顔色もいくぶん良くなってきているので、ここは目をつむっておくとしよう。


「……最後の1個。ユズハにお願いした」


 風にとばされないよう三角帽子を手で押さえつけながらネネが告げると、船体が大波に乗りあげて、小柄な身体が宙におどった。固まった表情のまま舷縁ふなべりを乗りこえかけたところをつかまえて、三角帽子ともども胸に抱きとめる。


「……ごめん。ありがと」


 早鐘のような鼓動に、ピロリン♪ という音が重なった。

 すぐに上体を離そうとするものの、せっかくの機会なのでしばらく抱きしめたまま、ローブの上からお尻をまさぐる。


「……ダメだよ」


 ブブー! とは鳴らないので続行する。

 ネネは身をよじって俺の抱擁から片腕だけ抜けだすと、額の髪をかきわけた。つややかな黒髪のあいまに乳白色のちいさな角がのぞく。


「……ボクは巨人ティターンだし」

「関係あるのか?」

「……だって、人間ノーマ人間ノーマを好きになるものだと」

「ユズハは猫人ケットだし、スクルドは人魚マーメイドだぞ。そもそも、俺は異世界から召喚された純然たる異世界人だからな。この世界の常識なんて知らないし、セシアもネネもユズハもスクルドも種族で好きなったわけでもないしな」

「……関係ない、のかな? でも、胸も小さいし」

「俺は好きだぞ。おおきいのも、小さいのも」


 手ざわりのよい布ごしにすこしずつ指を奥へと這いすすめると、ネネがおもわず喘ぎ声がこぼれそうになるのを押し殺して、熱を帯びた眼差しでにらんできた。


「……ボク、好きになったら、セシアみたいに行儀良くできないよ」

「セシアが行儀良いのか? けっこう乱れているとおもうが」

「……昼間のことだよ。ボクはきっと昼も夜も離れなくなる。面倒だよ」

「むしろ俺はうれしいが」


 おでこまで赤く染まり、自由なほうの手で俺の鎧の胸をコツコツと叩く。


「……知らないからね。あとで嫌になっても遅いからね」


 これはOKのサインなのだろうかと俺がローブを徐々にたくしあげ、じかにふとももに触れようとしたとき、船首楼の扉が音もなく開いて、ユズハの猫耳がピコッと飛びだした。左右に目を配り、さすがの身のこなしでするりと甲板に出てくる。


「ネネ、準備OKにゃ」


 小声で報告してから、ネネを抱きすくめた俺の手がローブのなかに消えているのに気がついて、ジト目を向ける。


「ひとが仕事に励んでいるときに、ナニに励んでいるのにゃ?」

「夜の予行演習だ」

「……ゆ、ユズハもどうかな?」


 ポカンと口をあけたユズハの表情を見て、ネネは自分がなにを口走ってしまったのか反芻して、あわてて俺を突きとばし、弁解する。

 

「……ち、違うよ。そうじゃなくて」

「ネネまで堕とされたにゃ。もうこのパーティーでマトモなのはアタシだけにゃ。自分の身は自分で守るしかないということかにゃ」

「だから、ボクは巨人ティターンで、ユズハは猫人ケットだけど、カガトは種族は気にしないから、本当の家族になれると」


 ―――ドゥン!!


 めずらしく多弁なネネの姿に目を奪われていると、船底から突きあげるような衝撃があり、全員の足がわずかに浮きあがった。ディープ・シーの船体がおおきく右に傾き、転げそうになるのを舷縁ふなべりに腕をからませて繋ぎとめる。もう一方の腕でネネと滑ってきたユズハを受けとめ、それから、スクルドがセシアを抱きしめたまま必死の形相で船首楼の窓枠にしがみついているのを確認して、ようやく息を吐きだした。


「海賊だ! 皆は船室にさがれ!」


 水夫に扮したナイトクラーケンたちの動きが慌ただしくなる。いまの衝撃で海に転落したものはいないらしく、波に洗われた甲板で足を滑らせないようガニ股になった男たちが急ぎ足で後方の船室の扉へとに消えていく。


「勇者どの、さあ、出番ですぞ! 海賊どもを蹴散らしてください。殺しても構いませんが、生け捕れば、ひとりあたり1000ゴールドを支払うと総督は約束してくださっています」


 ずんぐりとした丸兜をかぶったナイトクラーケンの部隊長が船室から半身を乗りだしてくぐもった声で叫ぶ。手伝う気はないらしい。


「右舷前方! 敵船、浮上!」


 操舵担当として甲板に居残っていた水夫姿が声を張りあげる。

 ザザーッ! と波を割きながら海中から巨大な衝角が突きだし、続いて黄緑色の丸みを帯びた舳先へさきが垂直にりだしてきた。巨大な湯たんぽのような不思議な形状の船は半分ほど海上に突きでたところでザブンと横倒しになる。


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『 ノーチラス号 』

人魚マーメイド族の誇る快速潜水艦。全長30メートル、船幅20メートル。海底鉱床のみで産出する超硬度のアダマンタイト鉱で船体を覆い、巨人ティターンの手による小型無限増殖炉により7日間の無寄港航行を可能としている。

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 ――ッバスン! ッバスン!


 ディープ・シーの右舷の大砲が火を噴いた。砲身を中心として宙に浮かびあがった青白い魔法陣から黒い球が放たれ、ノーチラス号とはやや離れた海面で炸裂する。


『攻城兵器としても用いられる魔道具だね。筒の中でまず土属性魔法ソイルランサーが砲弾を生成し、次に火属性魔法ファイアーボールが爆発、砲弾を発射する。ふたつの属性魔法を短時間のうちに連続して発動しなければならないから魔術回路は複雑かつ繊細で、この術式を組めるようになれば魔導士としては一流と認められる。魔石の消費量も多いから実際に使用するのはお金のある商人か貴族くらいだろうけど」


 腕のなかのネネが光の文字で解説する。


「あれが海賊船なのかにゃ?」

「いや、人魚マーメイド族の潜水艦のようだ」


 よく見ようと背伸びをするユズハに、俺がウィンドウで確認した情報をつたえる。

 ノーチラス号は「海底2万海里」のイメージとは異なり、外観は亀に近い。全体の形状は楕円形で、後ろ脚の部分に推力を得るための噴射口が2門、首の部分からはイッカクのような鋭い衝角が伸びている。いましがたディープ・シーを襲ったのはこの衝角だろう。海中から急上昇しながら船腹をえぐろうとしたのかもしれない。


「ハッ! 海賊どもの浅知恵よ。ディープ・シーは船底を鉄板で強化している。やすやすと貫かれたりはせぬ!」


 まだゲームらしい親切設計が残っているのか、船室入口に身をひそめたままの部隊長が大声で説明してくれた。


「勇者どの! やつらの常套手段は突撃からの白兵戦です。いまに海賊どもが出てきますから、乗りこんできたところを一網打尽にしてください!」


 ナイトクラーケンの言葉どおり、動きをとめたノーチラス号の甲羅部分が左右に割れて、平坦な甲板に派手な衣装の女性たちが立ちならぶ。

 全員で30人ほどだろうか。色とりどりの特攻服に、中央がふくらんだボンタンズボンを履き、手にはモリや鎖、カギ爪などの物騒な得物をかまえ、どう見ても昭和の不良少女の集団だ。

 横一列の中央、真っ赤な特攻服に赤いズボン、頭に白い鉢金をつけた背の高い女が一歩前に踏みだした。


「うちは魔亜冥怒マーメイドの特攻隊長、血風けっぷうのゲイレルル! 商船のおさどもにゃ、海に出たらドたまカチ割る、て脅しつけたるからな。偽装してても、テメエらがナイラの犬だってことはお見通しじゃ!

 うちらの仲間ァさらった落とし前はテメエらの首で償ってもらう! 人魚舐めとったら、ドつき倒して海底沈めたるぞ!!」


 血風のゲイレルル。いままでの周回で見知ってはいるものの、性的な興味をもってまじまじと観察するのは今回が初めてとなる。

 真っ青なアイシャドウに真っ赤な口紅の組み合わせは濃すぎて俺の趣味ではないが、元のつくりは悪くない。さらしを巻いた巨乳もポイントが高く、化粧を落として派手な衣装をとりされば十分に守備範囲だ。他の人魚たちも髪を派手に染めあげて暴走族風のいかつい化粧をしているが、みな年齢は二十歳前後かもっと若い子ばかり。

 怪我をさせないようにしなければと心に誓うが、美少女たちと乱闘するシチュエーションにオジサン心がときめいてしまう。


「おまえら、根性見せな! こいつらをボコって仲間の居所を吐かせるんや!」


 オオオ!! という鯨波げいはの声。人魚というイメージとはまったく相いれないレディースたちに、ようやく立ちあがったセシアが戸惑いの表情を浮かべる。


「スクルド、あのように粗暴なのは海賊だからなのですか? それとも、人魚マーメイドとして一般的な言動なのでしょうか」

「うーん。うちも家族以外の人魚族と会うのは初めてやから、ようわからんけど。うちのお母ちゃんもあんな服持っとったし、怒ったときの啖呵はあれ以上やで」


 俺の腕から抜けだしたネネが宙に光の文字を浮かべる。


『プリニウス著「博物誌」によれば、人魚族は女性だけの種族で、縄張りを荒らす相手には容赦なく制裁を加える気性の荒さをもつらしい。子供をつくるためにときどき男を攫うという記述もある。種族固有魔法「アクアフォーム」は身体の一部を水棲生物に変化させることにより、特殊な能力を発揮したり、力を倍増させることができるとも書いてある』


 特攻隊長ゲイレルルがボンタンズボンのバックルをゆるめ、そのまま海に飛びこむと、抜け殻のように赤いズボンだけが甲板に残された。他の人魚たちもボンタンズボンをストンと落とし、同じようにふんどし姿となって次々とダイブする。


「来るぞ! 勇者! 早く構えろ!」


 口だけ番長のナイトクラーケンの怒号が飛ぶ。

 人魚たちの生足に見惚れていた俺がようやく盾を構えると、四方の海から水柱とともに人魚たちが空高く跳ねあがり、尾びれをふるって甲板へと突っこんできた。

 波しぶきとともに真っすぐに落ちてくるゲイレルル。細身の剣を構えたまま、自らを槍と化したように精確に俺の首を狙ってくる。


 ――ガキッ!


 盾ではじくと、空中で尾びれが美しい足へと変わり、赤い特攻服が風に舞った。下着は白い布を流しただけのふんどし。甲板に降りたつと器用に布を腰にまわしてキュッと締める。


「若いのに、やるやないか。ナイトクラーケン!」

「あいにくと俺はナイトクラーケンじゃない。

 勇者カガト・シアキだ。魔王討伐のため、竜宮城に行くのに協力してほしい」

「ああん!? 寝言は寝て言えや! ボケカスが!」


 俺たち勇者パーティーは船首楼を背後に半円陣を組み、対する人魚が10人ほど。後方の船室入口にも残りの人魚たちが殺到し、結局、ナイトクラーケンの全身鎧を着た数名がこちらも半円陣を組んで防戦する。


「我らはただの水夫だ! 戦闘はあっちに任せてある!」

「イテこますぞ!! そのなりでふざんけんなや、腐れナイトクラーケンが! おどれらみんな血祭じゃ!」


 舌打ちとともに乱戦がはじまった。

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