5-12 海賊船討伐 その1

 ナイトクラーケンが用意したおとりの商船「ディープ・シー」は全長30メートル、幅8メートルの中型帆船だった。船底から半分を青、その上を白に塗りわけた船体にはマストが3本。船首に近い1本目がもっとも高く、次いで2本目、3本目と背が低くなっていく。すべてのマストに三角帆が巻きつけられ、曙光の海にむかって吹きおろす陸風に、端がパタパタと乾いた音をたててはためいていた。

 俺の元いた世界に当てはめると、大航海時代の初期に活躍したキャラベル船に近いだろうか。遠洋航海には向かないものの、風をとらえる機動性に優れ、近海での運動性能は極めて高い。武装は船首水線下の衝角と、大砲が左右側面に2門ずつ。乗員は30名で、商船という体裁から甲板上では多くが水夫の姿をしているものの、全員がナイトクラーケンの重騎士である。腕利きの部隊長クラスは一昔前の潜水服のようなずんぐりとした鎧を脱ぐこともなく、マスト付近に立って出港準備を指図していた。


「あんな重そうな鎧を着ていたら、海に落ちたらひとたまりもないにゃ。

 ――クックック、そうにゃ。出航して沖に出たら、『うっかり』ぶつかって叩き落してやるにゃ。七大貴族の騎士団が溺れる姿はきっと痛快にゃ」


 水面にきらめく朝日を背景に、ユズハが悪い顔をして笑っている。入り江につくられた第1埠頭は打ち寄せる波も穏やかで、商船も居眠るようにゆったりと上下に揺れていた。

 聖騎士の鎧と兜を身につけ、いましがた天上から舞い降りたばかりの戦乙女のように凛々しく清冽なセシアがあきれ顔でたしなめる。


「間違っても実行しないでくださいね。ナイトクラーケンの鎧は二重に張りあわせた鋼板のなかに空気を閉じこめ、浮き輪替わりにしているのです。だから、鈍重そうに見えても意外に身軽で、しかも、海に落ちても手斧を櫂のように漕いで自在に立ちまわり、海上での模擬戦では他の騎士団に負けたことがありません」

「うへー、わかったにゃ。ちょっとした頭の体操にゃ」


 強い風にさらされて、兜のなかにまとめていた髪がこぼれおちる。蜂蜜のような黄金がふわりと風にたなびき、セシアは白銀の兜を脱いで左手で金髪をすくいあげた。


「姉さま、うちの髪留めつかったって」


 伸びあがったスクルドが前から抱きつくようにセシアの後ろ髪をまとめて器用にひねって団子にする。そのまま銀色の櫛を挿して、首すじからうなじの香りを吸いこんで陶然と目をつむった。と、ピクリと眉間にシワが寄り、


「カガト兄ちゃんの匂いがする」

「なッ! 違います。これは朝、水浴びをしようとして、でも、カガトどのがまた乱入してきて。あんなにぐっすりと眠っていたのに、どうして都合よく目を覚ますのか本当に不思議で」

「昨日の晩から姉さまはあっちの部屋に行ったきり、結局、帰って来へんかったし」


 返す言葉が見つからず赤面したまま彫像のように固まってしまったセシアに代わって、俺が横から弁解の言葉をならべたてる。


「ティル・ナ・ノーグで購入した水着の性能実験をセシアの協力のもとに行っていたわけで、本当にフロートの魔法が発動するのか、どのタイミングで、重量はどれくらい耐えられるのか。アーカイヴに誓って言うが、俺はまだ童貞で、セシアは処女だ。王女の救出という約束を果たすまで、最後の一線は守っている」

「そ、そ、そ、そうですよ、スクルド。やましいことはありません。やらしいことは……カガトどのが悪いのです。昨日だって結局、水着をつけたまま」

「性能実験の一環だな。完全な状態でなくとも魔法が発動するかどうかという大事な実験だ。脱がしてはいないし」

「ずらしたら、いっしょです! あんなの裸のほうがまだ恥ずかしくないというか」


 ジト目で見つめるスクルドの視線に耐えきれず、セシアがうつむく。


「カガト兄ちゃんもカガト兄ちゃんや。ずるいで。うちも姉さまと一緒に寝たかったのにずっと独り占めしてからに」


 にじりよるスクルドに、俺も隠し持っていたカードを切って応戦する。


「知っているぞ、スクルド。昨日、ティル・ナ・ノーグでこっそりと張型はりがたを買っていただろう。俺はセシアの貞操をまもるために自室に匿っていただけだ」

「なな、見てたんかいな。違うで、あれは将来への投資や。いつの日にか姉さまとうちが結ばれるその日のために。まちがっても襲ったりせえへんから」

「俺もセシアが嫌がることは決してしていない。自分ひとりが気持ちよくなってもエロは長続きしないからな。お互いの気持ちを確かめあい、いっしょに高みへと昇るために常に精進の日々。だから、昨日もずっと指と舌で――」


 セシアの怒りの鉄拳が鎧の隙間からみぞおちに突きささり、俺はくの字に身体を折り曲げた。


「カガトどの、外で話すことではありません!」

「ぐふァ! けれど、セシアもあんなにうれしそうに――ッ!!」


 天馬の靴を韋駄天の脚甲で踏みぬかれ、俺は悶絶して崩れ落ちる。自分のHPが5分の1ほど削られているのがステータスで確認できた。

 スクルドがあきれたように見下ろし、


「最後にセシア姉さまの心をつかむのはうちやからな」


 と何度目かの宣戦布告をする。

 俺は鈍痛が潮のように満ち引きするなか不敵に笑った。


「セシアもスクルドも俺の嫁だ。スクルドを愛するセシアも、セシアを愛するスクルドも、どちらも生涯、愛しぬくことを誓おう」


 スクルドがあきらめの吐息をついたとき、山から駆けおりてきた一陣の風が足もとを駆けぬけた。強風にあおられて純白の聖者のローブが壊れた傘のように裏返り、俺の目の前に、スクルドの可愛らしいおへそと白いふともも、そして、キリリと締められた細いふんどしがあらわとなった。

 一瞬の沈黙のあと、服をととのえ、乱れた髪を手櫛で梳き、コホンと咳払いしたスクルドがやや赤らんだ頬を斜めにそらせて、


「兄ちゃんは欲深すぎるんとちゃうか。うちは簡単になびいたりせえへんし」

「愛するということは身体のつながりだけじゃないからな。スクルドのことも家族としてずっと大切にしたいとおもっている。もちろん、10年後に手を出したくなる可能性はゼロではないけどな」

「……うち、もう大人やし」


 ピロリン♪ という音とともにプイッと横を向いて、


「うちの一番はずっとセシア姉さまやけどな」


 セシアの腕に抱きついた。

 身をよじる聖騎士の鎧の下には真っ白なマイクロビキニ「あぶない水着」が眠っている。躍る純白のローブの下には法被はっぴとふんどしの「海女装束」が隠されていて、ついでに言うと、「ディープ・シー」を凝視する赤茶けた尻尾の奥にも黄色のマイクロビキニがおさめられている。

 いつの日か婚約者たちとプライベートビーチで遊び、水着姿でイチャイチャラブラブできたら、どれほど素晴らしいだろう。と妄想していると、


「……いまのところナイトクラーケンに怪しい動きはないみたい」


 港湾をぐるりとまわってきたネネが三角帽子をくいっと持ちあげて報告した。

 背中にはこげ茶色の革鞄を背負っている。ネネだけは「神秘の水着」の着用を断固拒否し、結局、自分で浮遊の効果をもつ魔道具をつくりあげてしまったのだ。さすがに魔道具を繊維状に加工する技術まではなく、リュック形態で肩あての紐を引っぱるとフロートの効果が発動する仕組みとなっている。

 黒ローブの魔法使いスタイルにリュックの組み合わせは奇異な印象を受けるが、小柄なネネがしていると学生のようで愛らしい。


「例のもうひとつの保険のほうは?」

「……魔道具の準備はできてるよ。船の寸法も目算で測った。あとは正しい位置に設置するだけ」


 うなずいた俺の横で、ユズハが猫耳をピクピクさせている。


「ナイトクラーケンたちの会話をできるだけ拾ってみたけど、遠いし、風もうるさくて、よくわからんにゃ。聞きとれたところだけ羅列すると、『海に出れば逃げ道はない』『勇者と共倒れになってくれれば』『マーメイドどもを捕まえたら例の場所に』『最後の手段の手筈は』とか。甲冑を着てるやつは唇の動きも読めないし、これが限界にゃ」

「不穏なキーワードばかりだな。わかった。引き続き情報収集を頼む」


 元来「沈黙の騎士団」の異名をとるナイトクラーケンは口数が少ない。おまけに俺たちを監視対象としているとなれば、寸分の情報も得ることは至難の業。けれど、いまは荷物の積みこみ作業中で陸の俺たちとは距離がある。この距離と仲間うちの安心感が心理的な余裕を生み、口の重たい彼らにわずかばかりの発声をうながしているのだ。

 シーフであり、耳がよい猫人ケットのユズハが油断の間隙をついて集めた情報はグノスン師匠によってもたらされた「船が沈む細工」とも符合する。

 おそらくナイラの謀略とは「勇者が海賊船の人魚マーメイドたちに殺されれば、その報復を大義として竜宮城に侵攻する」「勇者が海賊船を討伐すれば、船ごと勇者を沈めて、以下同文」ということだろう。俺たちが「光の守護」で復活したとしても、リンカーン王宮に送りかえされるわけだからアザミに戻ってくるまでに早くとも2、3日の時を要する。その間に竜宮城に攻めいって戦争状態を既成事実化し、俺たちが何を主張しようとも、船が沈んだ理由も人魚マーメイド族の仕業と喧伝すれば大勢には影響がないという判断だろう。

 あとはこれにザザとキリヒトがどう絡んでいるかだが、こちらは裏づけが乏しく、まだ明確な像を結ばない。古戦場でザザが残した言葉、「単純な魔物の増殖が『起』であるならば、さて、『転』は何を意味するのか」が暗示しているのは、やはり人間の魔物化だろうか。

 過去の周回でナイラ・ベルゼブルは魔物「深きもの」へと変貌した。念のために、目につくナイトクラーケンをかたっぱしから鑑定してみたが、ステータス表示は全員「人間ノーマ」のまま。魔物が変化しているきざしもない。

 だが、胸騒ぎはしずまらない。万が一、俺の想定する最悪のシナリオのとおり船に同乗するナイトクラーケンたち全員が「深きもの」と化した場合、海上という逃れる場所のない密室で対処しきれるかどうか。打てる対策は打ってきたつもりだが。


「ユズハ、船に乗りこんだら、ネネの指示にしたがって魔道具を配置してほしい。ナイトクラーケンに怪しまれないようにな」

「クックック、アタシには隠れ頭巾ずきん、幻惑の服、忍び足袋たびの隠密3点セットがあるにゃ。風のようにすばやく、林のように静かに、火のように鮮やかに、山のように完璧に設置してみせるにゃ。

 ――やっぱり、ここぞというときに頼られるのがエースなのにゃ。だから、やっぱりアタシがこのパーティーのエースに違いないにゃ!」

 

 ユズハの心の声が駄々漏れしてナイトクラーケンに気づかれはしないだろうか、と一抹の不安を覚えていると、ネネが視線で俺に合図を送ってきた。

 目線の先には、広い通りをのっしのっしと降りてくる尊大さがきわだつ巨体。トドが服を着ているのかと見まごう肩と首が流線型となったフォルムに、中央部分だけが貴公子然とした顔ハメパネル状態の顔面。ナイトクラーケン騎士団団長、ナイラ・ベルゼブル伯爵が近づいてきた。


「朝はきちんと起きれたらしいな。殊勝な心がけだ。それとも、もうマンネリなのか。カガトどのが飽きたのなら聖騎士どのはうちの騎士団で雇ってやってもいいぞ。ナイトクラーケンの誰かの子を産めば、晴れて我が身内。きっと聖騎士どのも後々感謝することになる」


 ゲヒャヒャヒャ、という嘲笑。下品にもほどがある。

 俺がきっぱりと無視していると、今度は配下のナイトクラーケンたちにむかって檄をとばしはじめた。


「よいか! 私自ら見送りに来てやったのだ! 失敗は許されぬぞ!

 ここが歴史の分水嶺と知れい! 踏みとどまり、人間ノーマの正しき歴史を記すのだ! 我ら由緒正しきアザミの民が、我がベルゼブルの勇者リクの血が、リンカーン王国を正統なる支配へと導くのだ!」


 黙々と作業をこなしていたナイトクラーケンたちが、ナイラの言葉に異様な昂ぶりを見せて、オオー!! と喝采する。


「我らは海の王者ナイトクラーケンだ! 七海の珍味を平らげ、まだ見ぬ美食を探求する。心せよ。どのような強敵が相手であろうと、その腕を喰らい、その足を喰らい、全身を喰らい尽くすことを!」


 そして最後に、げぶぅっ、と盛大なげっぷをする。

 ナイトクラーケンたちは一斉に手を止めて、騎士団長に敬礼をした。まったくついていけないノリであったが、すぐに俺たちは追いたてられるようにして「ディープ・シー」に押しこめられ、するするといかりがあがる。

 水夫に擬したナイトクラーケンによって手際よく三角帆が張られると、風をとらえて大きくたわみ、穏やかな波を押しわけてディープ・シーが速度を増していく。

 船にむかって埠頭に立つナイラが叫んだ。


「勇者どのに海神わだつみの加護があらんことを!」


 ブヒヒヒ、という下品な笑い声を背に俺たちは出航した。

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