4-19 襲撃 その4

 もうもうたる土煙に浮かぶ、はしゃぐキリヒトのシルエット。

 左右の崖からはまだ大小の岩塊がカラカラと転がり落ちてきて、切通きりとおしの狭い道を隙間なく埋めていく。馬車でここを通りぬけることは到底不可能。迂回ルートをとるとしたら、グラン大聖堂に到着するのは2時間ほど遅れることになるだろう。

 俺は至極冷静に、あと数歩先を進んでいればぺしゃんこになっていたであろう落石の山を見つめていた。

 驚きはない。最初から罠があることはわかっていた。倒木で出口を塞ぎ、俺たちを追いこむように布陣したところからすでに意図が見え透いていた。ダメ押しに、自らを囮としたあからさまな挑発。この地点まで俺を引っぱりたくてウズウズしているのが、わかりすぎるほどわかってしまう。


「そういうところを含めて、まだ子どもなんだろうけど」


 キリヒトにむかって駆けだすとき、俺は風属性の幻惑魔法「ミラージュ」を自分自身に付与していた。勇者がレベル12で覚えるこの魔法は空気中に疑似レンズを造りだし、光の屈折を利用して実体とは異なる場所に虚像を映しだすというもの。戦闘時に相手の攻撃をそらすのが主目的の補助魔法だが、今回それを自分自身の姿を前方に投影するためにつかった。

 落石は予想の範疇。さすがにこれほど大規模な崩落までは想定していなかったが、他にも弓矢による一斉射撃や魔法による爆破などもあり得ると警戒していた。落とし穴も十分に可能性があったが、俺ひとりなら落下ダメージ無効の天馬の靴でどうとでもなるため、あえて対策はとっていない。結果は見てのとおり。タイミングをずらして、見事に空振りさせることに成功したというわけだ。

 ようやく土ぼこりもおさまり、いくぶんか視界も晴れてきた。岩塊に押しつぶされたはずの俺の無傷な姿をみとめて、魔人キリヒトの顔がゆがむ。薄い唇をわななかせながら、


「いい加減、死んどけよ!!」


 悲鳴にも似た絶叫が虚空にはなたれた。


「まだあるのか? 切り札。あるなら出し惜しみするなよ」


 チッ!! という鋭い舌打ち。


「もう無えよ。ああ、クソ! あれだけの魔物コストを払って、1キルもできないのかよ。チート過ぎるだろ!」


 キリヒトが右手を振りあげると、えぐれた崖の中腹から姿をあらわした石頭モグラたちが次々と空中にジャンプし、弾道ミサイルのように俺めがけて落下してくる。自慢の石頭による高速頭突き。

 だが、レベル30に到達した俺は圧倒的な反射速度で即座に対応し、抜き身の剣で1匹を頭から尻まで両断した。頭突きをかわされた残り3体は地面に激突すると、あわてて岩を掘りかえして地中へと消える。もぐりこむときにお尻をフリフリするのがちょっとかわいらしくて見惚れてしまったが、案の定、キリヒトはこの隙に倒木の向こう側へと跳んでいた。


「逃がすかよ」


 龍王の剣を斜めに構え、そのまま岩塊に足をかけて道なき道を進む。天馬の靴の効果で多少の高低差は駆け抜けることができる。切通の出口まで数十秒。いくらすばやさが上がっているとはいっても、キリヒトがあのスケルトンドッグに乗って逃げたとしたら追いつくことはできない。

 全速力で走りつつも、どこかホッとしている自分がいる。悪辣であるとはいえ、まだ子ども。相手の命まで奪うのにはまだ抵抗がある。甘さは自分自身の、ひいては婚約者たちの危険に繋がることは重々わかっているのだが、平和な世界に育ったさがというものは一朝一夕には抜けないものらしい。

 出口の倒木に足をかけたとき、下から跳びあがってきたスケルトンドッグの牙が脇腹をかすめた。

 なぜ逃げていない? あの大柄な個体が1体だけだとすれば、


「……なんでいるんだよ」


 おもわず本音がこぼれてしまう。

 天を仰いだ俺の視界の隅で、魔人キリヒトが地面に倒れこんでうめいていた。どうやら倒木から飛び降りたときに足をひねったらしい。


「弱すぎるだろ」

「ウッセーな! 魔物をあやつる以外、僕のステータスは最弱なんだよ!」


 このまま倒木を跳びこえて、キリヒトの華奢な身体に剣を突きたててしまえば、それで終わる。殺せる。じつに簡単だ。障害となるのは、低いうなり声をたてて俺を威嚇している大柄なスケルトンドッグ1体だけ。それもレベル30の俺の敵ではない。

 雑多に積みあがった倒木の不安定な足場に俺が一歩踏みだすと、スケルトンドッグも臆せずに一歩前に出る。知性を感じさせる足の運び。ならば、俺との実力差もわかりそうなものだが、自分の命を盾に主人を守ろうとしているのだろうか。

 にらみあう俺と忠犬スケルトンドッグ。近くで観察すると、やはり通常の個体とは骨格からしてあきらかに違う。こいつは何だ? という俺の疑問に答えるように目の前にウインドウが開いた。


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『 スケルトンウルフ 』

戦闘経験を積んだスケルトンドッグがさらなる魔力を浴びて、地獄の番犬ケルベロスの眷属としての力を回復した変異種。スケルトンウルフに率いられたスケルトンドッグの群れは恐怖を忘れ、魔将級にすら襲いかかるといわれている。

【等 級】 E級(下級魔)

【タイプ】 スケルトン

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 「変異種」という言葉に目が釘づけとなる。たしか「生殖システム」が世界に組みこまれたとき、あらわれた巨大ウインドウにこの単語も出てきたような。

 だとすれば、間接的にこのスケルトンウルフを生みだしてしまったのは俺ということになる。他にも変異種が発生しているとしたら、魔王討伐ミッションの難易度が跳ねあがることも覚悟しなければならない。


「この変異種は、お前が進化させたのか?」


 まだ痛みにうめいているキリヒトに問いかけると、苦悶の表情が一瞬、誇らしげにほころんだように見えた。が、すぐに喜んでしまった自分をじるかのように憮然とした顔にもどる。


「教えるかよ、バーカ」


 否定しないということは肯定したのと同じ。つくづく子どもだと呆れてしまう。けれど、それゆえにますます剣先が鈍ってしまうのも、また事実。

 俺の大振りな袈裟斬りはスケルトンウルフの俊敏なサイドステップによってかわされてしまった。視界にとらえきれないほどの驚速。E級(下級魔)というステータス表記が嘘ではないかと疑ってしまうほどだ。だが、反撃として俺の腕に噛みついてきた攻撃力はやはりたいしたことがなく、妖精王の鎧の装甲に文字どおり歯が立たない。


「ホネタ! もういい。下がれ!」


 キリヒトの指示にも従わず、ホネタと呼ばれたスケルトンウルフは再び死角から俺の足に喰らいついてくる。どうやら、この不安定な足場から俺を引きずり落とし、ご主人様が逃げるための時間稼ぎを狙っているらしい。

 体当たりするたびに鎧の硬度に負けて、骨の小片が飛び散っていく。攻撃を当てれば当てるほどボロボロになっていくのは自分のほうだというのに、捨て身の突撃を繰りかえす姿は健気というほかない。だからといって、俺が負けてやる理由にはならないのだが。


「ホネタ!!」


 すくいあげるように振るった剣がスケルトンウルフの右前脚をとらえ、切断された手の骨が崖にむかって飛んでいった。それでも器用に残った3本の脚で滑落を防ぎ、俺の左足首を狙って牙をむく。

 打ちおろされる聖鞘エクスカリバーの尖った底部。頭への直撃はとっさに首をねじって回避したものの、肩甲骨と肋骨部分に三角盾が突き刺さり、何本かの骨が砕けて剥片が倒木の隙間に落ちていった。致命傷になったはずだが、スケルトンウルフはよろめきつつもまだ立ちあがってくる。

 脂汗をしたたらせたキリヒトが倒木を這いのぼってこようとするところを、俺は無慈悲に剣を振りかぶった。ためらいが身体を硬直させる。足に喰らいついてくるスケルトンウルフを蹴って引きはがし、汗で滑る剣を握りなおす。このまま振りおろせば、頭をたたき割ることも可能だが、

 

 ――ドゴオオオオ!!


 突如、火炎放射器のような猛烈な炎柱が俺を襲い、倒木の上から後方へと叩き落とされた。土水火風属性ダメージ半減の妖精王の鎧の効果で深刻なやけどにはいたらなかったものの、熱風を吸いこんでしまった肺に激痛がはしり、一時呼吸が困難となる。

 これはおそらく火属性の上位魔法レイジングフレイムだろう。魔導士がレベル22で習得するファイアボールの強化版。魔物であればC級(上級魔)のグレーターデーモンや仮面術士などが使用してくるが、いずれも終盤のダンジョンに登場する魔物であり、この周辺に出没することはないはず。キリヒトの奥の手であったとしても、このタイミングまで温存していた理由が見当たらない。


「はい、ストーップ! そこまでです。2人ともただちに戦闘を停止してください」


 唐突に上空から男の声が降ってきて、俺は息苦しい胸を押さえながらも落石の上にふらふらと立ちあがった。スケルトンウルフは火柱を上手に回避したらしく、倒木の上で頭を低くし、威嚇の姿勢をたもっている。


「……自転車?」


 昔の有名な映画で宇宙人を乗せた自転車が空を飛ぶやつがあったが、まさにそんな趣きのママチャリに乗って、誰かがキーコキーコと遥か頭上の青空から降りてくる。


「せっかくの真剣勝負に水をさしてすみませんね。でも、ここでキリヒトを殺させるわけにはいかないのですよ」


 自転車に乗っているのは、研究者のような白衣をまとった丸眼鏡の若い男。燃えたつような赤い短髪が弛緩した表情にまったく似合っていない。自分に敵意がないことを示すためか自転車のハンドルを放して両手を上にあげると、


「おおっと」


 自転車が傾き、あわててハンドルを握りなおす。


「この空力駆動式二輪試験車は、魔力転換が繊細すぎるのが玉にきずですね。空の散歩は研究の気分転換には最高なのですが」


 やれやれ、と男は首を振り、ゆっくりとした速度のまま降りてくると、切通につながる山道にタイヤを接地させた。キリヒトが苦虫を嚙みつぶしたような表情で倒木に寄りかかるなか、男は自転車から降りて白衣のほこりをパンパンとはらう。その仮面のような笑顔と丸眼鏡の奥の紅い瞳を見て、俺の背筋を冷たい汗が流れおちた。

 なぜこいつがここに現れるんだ!?


「はじめまして、でしょうか。私の名前はザザ・フェンリル。これでも魔人なので、王国の敵ですが、今日は戦いに来たわけではありません」


 痩せ型で、しかも猫背気味なので、それほど大きくは感じられないが、身長は180センチ以上あるだろう。にこにこと薄っぺらな笑みを顔に貼りつけているものの、丸眼鏡の奥の紅い瞳はいつでも凶獣に変貌しそうな獰猛なぬめりを帯びている。


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『 ザザ・フェンリル 』

王立魔導院で歴代最年少の指導教授となった天才。別名を煉獄れんごくの魔人。

さまざまなものを魔に堕とす邪法に手を染め、自らをも魔人と化した。

【等 級】 A級(魔王級)

【タイプ】 魔人

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 間違いない。本物のザザ・フェンリルだ。王女アリシア・ペンドラゴンを魔王へと変えた張本人。魔王に匹敵する力を持つ最凶の魔人。本来のルートであれば、空をただよう浮遊要塞に籠もりっきりで外に出てくることはないはずなのに。

 いまの俺の力でこいつを倒せるのか? S級装備で固めているとはいえ、レベル30では正直苦しい。せめて「性愛の神エロース」でレベルMAXの49まで上げておけば余裕をもって対峙できたのだろうが、こいつの目の前でいまさらエロいことなどすれば即座に殺されるだけだろう。

 ザザは緊張に凝り固まった俺を無視して、倒木にしがみついたままのキリヒトに手をかざした。


「残念ですね。まだ勇者のほうが一枚上手うわてでした。でも、なかなかの善戦でしたよ。いままでの作戦のなかでは一番良かった。評価は『優』をあげましょう」

「なら、約束どおり『ブラックヒール』を教えてくれ」

「いいでしょう。味方の損耗を回復できれば、戦術の幅もひろがりますからね」

 

 ザザは前脚の欠けたスケルトンウルフにむかって腕輪のはまった左手をかかげ、


「我、真理の劫火ごうかに身を焼くザザ・フェンリルは、混沌の闇に問う。

 我が贖罪により、母なる胎内より黒き輝きを解き放ち、虚ろなる魔に再び惑うときを与えたまうか。

 のものに煉獄れんごくを与えよ。ブラックヒール!」


 黒い光がスケルトンウルフを打つと、砕かれた肋骨が再生し、切断された前脚が伸びていく。次いで、キリヒトにもブラックヒールを施し、足の捻挫を治療した。

 魔人ザザは黒縁の丸眼鏡を指先で持ちあげると、


「勇者カガト、今日のところはキリヒトの負けということで退いてはもらえないでしょうか。私としても弟子に与えた試練に自ら割りこむような真似をしたくない。いや、そもそも私が戦うことに意義は無いのですから。

 世界を変革する可能性を秘めたもの同士が切磋琢磨する。その先にこそ、私のまだ見ぬ世界、想像の及ばぬ新天地がひろがっている。そう期待しているのですよ」


 にこやかな顔で停戦をもちかけてきた。

 先ほどのレイジングフレイムが直撃した倒木が数本、炭化して崩れ落ち、俺の立っている場所からも、スケルトンウルフの背中に乗せられたキリヒトの姿がよく見えた。ザザはそのすこし後ろで、自転車を脇に置いてたたずんでいる。

 距離にして10メートルほど。ここでキリヒトを見逃せば、また襲ってくることは必定。けれど、煉獄の魔人ザザ・フェンリルと戦う準備はできていない。火属性魔法を極めたザザの範囲攻撃はおそらく切通のすべてを呑みこむ。レベル30の俺はともかく、レベル10にも達していない他のパーティーメンバーはとても耐えられないだろう。「光の守護」が発動するとしても、婚約者たちが業火に焼かれて炭化する姿など想像するだけで吐き気がする。

 結局、俺の足は動かない。振りむいたキリヒトがまた大きな舌打ちをして、スケルトンウルフがゆっくりと歩きはじめる。ザザ・フェンリルが芝居がかった一礼をして踵を返した瞬間、


「――待って、ザザ兄さん!!」


 後方からネネの血を吐くような絶叫が追いかけてきた。

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