4-20 襲撃 その5

「――待って、ザザ兄さん!!」


 悲痛な声に反応する素振りも見せず、ザザ・フェンリルは自転車にまたがった。

 振りかえると、ネネが三角帽子を片手で押さえながら、必死に切通きりとおしの壁をつたい歩きしている。足もとには大小の岩が不安定に積み重なり、天馬の靴を履いた俺なら苦もなく踏破できるものの、そうでなければ一歩一歩足場を確かめながら登って降りてを繰りかえすほかない。体力に乏しいネネは荒い呼吸に咽喉をつかえさせながらも、懸命に呼びかけつづけ、


「……兄さんはどうして」


 普段の小さな声をふりしぼり、遠い背中に届けと叫んだ。


「兄さんはどうして、父さんを殺したの!?

 兄さんの研究を父さんが認めなかったから? 兄さんを魔導院から追放したから? それとも、他に理由があったの?

 ねえ、答えてよ!! じゃないと、ボクはちゃんと兄さんを憎めないよ!!」


 決死の訴えが切通の崖に反響し、やまびこのように言葉が幾重にも折りかさなる。キリヒトがスケルトンウルフの背中から上体を持ちあげ、先を行く自転車の車輪の回転も止まった。ザザの猫背気味の背が反りかえり、紅蓮の赤い短髪が振りかえる。笑みの消えた顔に凍えるような紅い瞳。酷薄な唇から抑揚のない言葉が風にのって運ばれてくる。


「この世界に時間ほど不可思議な存在はありません。定命なるものに有限の悲しみを与え、永遠なるものに無限の苦しみをもたらす。魔人も不死ではありません。無限の苦しみを垣間見つつも、手にある時間は有限。ゆえに私は時間を浪費させる存在が嫌いです。自分で思考せず、安易に問う存在が嫌いです。

 なぜ私が、唯一その才能をみとめたアッシュ・ガンダウルフを殺さなければならなかったのか。

 なぜアッシュ・ガンダウルフが、唯一の理解者たる私に殺されなければならなかったのか。

 他でもない、お前が問うことに虫唾むしずがはしる。今日はこのまま去るつもりでしたが、やはり光の守護をつかってもらいましょう」


 銀色の腕輪がはまった左手をネネに向かってかかげ、呪文の詠唱を開始する。


「我、真理の劫火ごうかに身を焼くザザ・フェンリルは、破壊と再生を司る炎の精霊に問う。

 我が背に汝の魂魄こんぱくの宿りし霊火はあるか。

 九世を滅ぼせし九怨の炎にて仇敵を撃ち祓え! ナインテール!」


 青白い火球が九つ、ザザの背後に浮かび、ボウッと重低音を響かせて、次々と切通の中へ飛びこんでいく。単体ダメージとして火属性最高をほこる獄炎魔法「ナインテール」。九つの火球を連続して撃ちこむザザ・フェンリルのオリジナル魔法であり、たとえレベル49であっても火属性への対策を講じていなければ即死する可能性のある絶技。

 咄嗟とっさ聖鞘せいしょうエクスカリバーを振りあげて、火球の進路をふさぐ。けれど、かろうじて一球を崖に逸らせただけで、2発目で盾ごと身体をはじかれて、続く7つの連弾は仰向けに倒れる俺の頭上をすり抜けて、壁にはりつくネネに容赦なく襲いかかった。

 両腕で顔を覆うネネ。青白い炎が黒いローブに突き刺さり、次の瞬間、バシュッ!! と白い蒸気を噴きあげ、周囲が真っ白になった。


 ――バシュッ!! バシュッ!! バシュッ!!


 連続して7つの音が鳴り、急速に膨れあがった蒸気の雲がサウナのような熱気と共に切通の狭い空間を充たしていく。


「ネネ、無事か!?」


 冷たい風が山から吹きおろしてきて白いもやを出口のほうへと押しやると、ホワイトアウトした視界が徐々に晴れて、腕で顔を覆ったまま硬直するネネの姿が浮かびあがってきた。腕にも火傷らしきあとはなく、無事な姿に俺はホッと胸を撫でおろす。火属性ダメージ無効の特殊効果をもつ「水の羽衣」がきちんと機能したらしい。

 上に羽織っていた魔導院の黒ローブは見事に灰となり、ネネの小柄な身体をおおうのは白いパンティの他は青みがかったシースルーのネグリジェのような羽衣のみ。A級防具である「闇夜の三角帽子」は無事なので、半裸に帽子と靴だけという倒錯感あふれる格好となっている。水の羽衣の透過率は高く、小振りな美乳は天頂まであますことなくさらけだされ、マニアックな性癖な人たちが感激でむせび泣きそうなエロスを発散している。だが、いまの俺はこの至上の美に耽溺し、ネネの細い足先から小さな乳房まで、全身を舐めまわすという欲望に身をゆだねるわけにはいかない。魔人ザザ・フェンリルに俺の嫁に手を出すということが何を意味するのか、キッチリと教育を受けさせるという仕事があるからだ。

 腰を落として足場を蹴ると、まだ靄の残る倒木を跳びこし、街道を真っ直ぐに駆けて、スケルトンウルフに乗せられたキリヒトに斬りかかる。目標にされたキリヒトの反応は鈍く、驚いた顔で腰を浮かせただけで龍王の剣の間合いにはいった。


 ――キン!!


 だが、白銀のやいばは次代の勇者に届くことはなく、キリヒトに覆いかぶさるように割りこんできたザザの腕によってはじかれた。

 やはり、ザザはキリヒトをかばう。ここまでは俺の読みどおり。


「こいつ、僕を狙いやがった!」


 フェイントをまじえながら、あくまでキリヒトを目標として、中段、下段からの攻撃を繰りかえす。スケルトンウルフの前に、後ろにまわりこみ、逃げる機会を与えない。キリヒト自身の動きは稚拙で、スケルトンウルフもキリヒトを背負った状態では機敏な反撃はできないから、完全に俺のペースとなった。キリヒトへの致命の攻撃のたびにザザが黒鉄くろがね色に染めた腕で割りこみ、俺の剣をはばむ。


「戦い馴れてますね」

「ここでキリヒトを倒せば俺たちの勝ち。けれど、俺が殺されても光の守護が発動するだけ。負けが確定するわけじゃない」

「その冷静さ、嫌いではないですよ」


 ザザは純粋な魔導士タイプではない。

 その戦闘スタイルは徒手を武器とするモンクに近く、攻撃魔法を織りまぜるところは魔法戦士に似ている。とにかく動きがトリッキーで、格闘ゲームなら間違いなくイロモノに分類される一癖も二癖もあるキャラクター。それがザザ・フェンリルだ。

 突如バレエダンサーのように180度開脚して地面に身を沈めたかとおもったら、そこから跳ねとんで頭突きを食らわせてきたり、飛び蹴りをしてくる素振りを見せて、いきなり空中で静止して魔法を放ってきたり。とにかく初見の攻撃方法が多すぎて、俺はいままでの周回で幾度も辛酸を舐めさせられてきたのだ。

 しかも、防御においてもセオリーがない。とりわけ硬いわけでもないが、すばやいうえに柔軟で、かわしたとおもったらありえない角度から反撃をしかけてきて気が抜けない。ザザを狙えば消耗戦におちいり、こちらもジリジリと体力を削られるのは目に見えている。だからこそ今回、俺はキリヒトを積極的に狙うことで、ザザが攻撃を受けざるをえない状況をつくりだしたのだ。

 案の定、ザザはよけることもままならず防戦一方。腕を鉄に変える魔法でしのいでいるものの、それでS級武器のダメージを完全に無効化できるわけでもない。黒光りする腕からは青い血がしたたり、俺の攻撃が効いていることを如実にしめしていた。けれど、ザザは心底嬉しそうに口の端が耳のきわまで裂けたような不気味な笑みを浮かべて、


「はは! 素晴らしい! 勇者カガトがこれほどとは! ネネがまとった『水の羽衣』は火属性無効の効果が付いた『竜宮城』の至宝。カガトが手にもつのは聖王ウルス・ペンドラゴンが死蔵していたはずの宝剣『龍王の剣』、そして防具はエルフの『天摘たかつみの国』に伝わる『妖精王の鎧』とは!

 これだけの宝具に身をつつみ、しかも、膂力りょりょくは魔将級に匹敵する。異界から召喚された勇者はこのグランイマジニカではレベル1となるはずですから、いくら魔物との死闘で成長しているとはいえ、いまの時点で到達する領域ではありませんね! ただの聖王の傀儡くぐつではないということですか!」


 早口にまくしたてると、黒く染まった貫手ぬきてでキリヒトの胸をつらぬいた。


「え!?」


 呆然と自分の胸から生える青く血に濡れた指先を見つめ、キリヒトがザザを振りあおぐ。俺の攻撃の手が止まった一瞬の虚を見定めて、ザザはそのまま背後へとキリヒトを投げとばした。直後にスケルトンウルフが脱兎の勢いでキリヒトを追いかけていく。


「魔人はあの程度では死にませんよ。きっちりと魔石の場所ははずしましたからね」


 平然と指についた青い血を振りはらい、ザザが俺にほほ笑みかけた。

 自分の油断を噛みしめながらも、俺はわずかに腰を落とし、無言のままザザの腹をねらって刺突する。黒い右腕が横から伸び、つらぬかれながらも自らの前腕を犠牲にして龍王の剣を封じる。


「私との勝負は引き分けということでどうでしょうか。魔人キリヒトに勝ち、魔人ザザとは引き分け。勇者としての面目も十分にたつのではないでしょうか。あなたには見込みがある。キリヒトに負けず劣らず、この世界を変革する希望を感じる。

 次会うときにはもうすこし良い勝負ができるようキリヒトを鍛えておきますから。楽しみにしておいてくださいね。また殺しあいをしましょう!」


 ザザは龍王の剣が刺さったままの右腕を強引に下におろし、代わりに左腕をかかげて宙に円陣を描く。


「我、真理の劫火ごうかに身を焼くザザ・フェンリルは、破壊と再生を司る炎の精霊に問う。

 我が言霊に汝の棲まう炎獄をひらく鍵はあるか。

 火の子よ、炎の乙女よ、四方より集いて饗宴に焦熱の花を添えよ。

 始原の火竜よ、祝祭の咆哮を放て! インフェルノ!」


 まずい! 火属性で最大最強を誇る範囲攻撃だ。

 ザザの足もとから地面が熔解しはじめ、俺が天馬の靴で跳びのく端からボコボコと溶岩が噴きだしてくる。危うく龍王の剣をとりこまれそうになったが、アイテムボックスに収納して難を逃れた。

 そのまま後退を続け、切通の出口に積まれた倒木を跳びこえると、接地している木から白煙と炎が噴きあがり、またたく間にマグマに呑みこまれていく。大小の落石もゆっくりと地中に沈んでいった。

 地表を炎が舐め、熱波が顔をあぶる。途中の崖にしがみついたままのネネを回収すると、壁を二段蹴りに跳んで、宙に駆けあがった。遠く、自転車に乗ったザザとスケルトンウルフに背負われたキリヒトが街道をはずれて林の影へと溶け去っていく。


「待ってよ! 兄さん!!」


 腕のなかで身じろぎするネネを抱きとめ、えぐれた崖の中段に着地する。

 切通の細い道は灼熱に煮えたぎり、けれど、馬車に届く寸前で、半球状の光の障壁が道をふさぐにようにひろがり、マグマの進撃を阻んでいた。セシアが「聖騎士の鎧・改」の特殊効果「鉄壁」を発動させたのだろう。地面はしだいに黒ずみ、シューシューと白い蒸気を噴きあげつつも、岩塊を呑みこむ獰猛さはうしなっている。


「……カガト、ボク、なにもできなかった。そこに兄さんがいたのに。なにも」


 涙をポロポロとこぼすネネをそっと抱きしめ、片手で小さなお尻を触りつつも揉みしだく雰囲気でもなく、


「大丈夫だ。ザザはまた来る。ネネが納得できるまで何度でも問いかければいい。俺が必ず守るから」

「……うん。ごめんね。ありがと」

 

 水の羽衣ごしにはっきりと視認できる乳房の曲線美に、俺はますます怒張する股間をもてあましていた。

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